仏陀の弟子たち 由布木 秀 やがては滅んでいくという道理をわきまえず、 たとえ百歳まで生き永らえたとしても、 生滅の真理を知っている人が生きた、 一日にも遠くおよばない。 法句経 一 デカントラップ 最初の一粒が身体にふれたのを感じて空をみあげると、池上慎司は、ぐしょ濡れの状態だった。大粒の雨は大地にぶつかり、ドラムをたたく激しい音がした。慎司は、つかんでいた一輪車をほうりだして一目散に屋根がある場所に走った。 仕事にたずさわっていたすべての者が、作業をする平地よりも一段たかいところにつくられた仮設のテントをめざした。猛烈な雨音だけがひびき、あつまってきた者たちは、誰もなにも語らなかった。総勢は一〇人ほどで、ほとんどは男だったが、女もふたりいた。つよい日差しのなかで作業したので、仕事が途切れると自分が疲れはてているのが分かった。なんのためにこんな労働に参加するのか、誰も明確な理由をもっていなかった。完成もまじかになれば、もっと人はあつまるだろう。お披露目の式典まで滞在をのばそうと考える者も、でてくるだろう。しかし、仏舎利塔の建設ははじまったばかりだった。 慎司は土のうえにしゃがみこみ、地面にあたってはねかえる雨粒をながめていた。膝をかかえると、ひどく疲れているのが分かった。スコールは、三〇分くらいつづいた。仏教徒でもない自分が、なぜこんな作業に従事するのかすっかり分からなくなっていた。仏舎利塔建設への参加は、かんぜんなボランティアだった。報酬をもられる仕事ではなかったが、強制された義務でもなかった。三〇歳なかばくらいの黄色い服をきた剃髪の僧侶の指示を、実行していただけだった。 慎司は、雨がやむと監督の釈子にことわることもなく、町にむかった。真っ青な空からは、つよい日の光がそそいでいた。一〇分くらい歩いてホテルについたころには、服はほとんど乾いていた。 池上慎司は、東京の下町にうまれた。幼稚園児だったころすごした街は、大空襲で焼け野原になった場所に、急造したバラックの家々がならんでできていた。家には風呂がなく、ちかくの風呂屋に一日おきにいくのは、ごく当たり前のことだった。トイレも汲みとり式で、月に二、三回、バキュームカーがまわってきた。きつい臭いが周囲にただよい、姿がみえなくても車が巡回しているのが分かった。子供心にも、たいへんな仕事だと思った。 慎司は、小学校に入学するころ、山の手の住宅街に引っ越した。父親が成功者だったのかは分からなかったが、羽振りがいい時代だった。移り住んだ家には、浴室も浄化槽もそなわっていた。 東京オリンピックがはじまるころに、世の中は見違えるようにかわっていった。中学校の国語教師は、慎司に目をかけてくれた。彼の文才を評価した、生涯でたったひとりの先生だった。教師は、オリンピックが大成功だったと興奮して話した。もう一回やってもいいといった。そのころにバラックの建物がこわされ、道が舗装され、どこにでもあったゴミ箱がなくなった。日本は、どんどん綺麗で清潔な街にかわっていった。大阪で万国博覧会がひらかれたころには、経済大国になったといわれた。高度成長期に入り、社会を構成するみんなが中流層を形成しはじめた。資源をもたなくても原料を輸入し、日本人が創意工夫した技術をくわえて製品化さえすれば、世界中のどこにでも売れる。技術革新はいつまでもつづけられるはずだから、日本の優位性が揺るがないとみんなが信じていた。日本人は、自分たちの国に大きな自信をもっていた。そして、大量消費の時代にかわり、ものをつかいすてるのが美徳になった。 そのころ父親は、総中流化の波にのれずに零落し、下流にもどった。 慎司は、幸せのサイクルがずれてしまったから、まわりの友だちとおなじ気持ちになる機会がなかった。孤立し、グレタ時代もあった。自分がかかえている問題を、素直に人に話すことができなかった。つたえても、誰にもどうしようもなかった。そうしたやるせない気持ちが心をゆがませ、小説をかくという世界に彼をみちびいたのだった。そのころの若者たちには、まだ自分たちの手で政治をかえられるという夢がのこっていた。しかし、慎司の興味はそこへはむかなかった。周囲には政治団体に入っている者たちが多かったが、仲間にもなれなかったし、彼らのように自分をすてられなかった。 慎司は、うまれて三〇年にも満たない歳月で、日本は大きく変貌したと思った。 しかし、インドの人たちは、自分たちがなにひとつかわらないと考えている。三〇〇〇年以上の歴史があるにもかかわらず、変化しない史実をわざわざ記録にのこす価値がないと思っている。だから、この国には史書が存在していない。 インドを中心とする南アジアは、紀元前二五〇〇年ごろに、先住民ドラヴィダの人びとがつくったインダス文明が栄えた。前二〇世紀ころから、中央アジアの遊牧民、アーリア人がアフガンを経由して幾度も南下し、侵略をくりかえした。インダス文明は、前一五世紀ごろに崩壊したらしいが、アーリアの侵入とは直接的な関係がなかったといわれる。前九世紀前後に、アーリア人は、ガンジス川流域にも居住範囲をひろげた。そのあいだに、ドラヴィダの人びとの宗教と混交してバラモン教が成立し、カースト制度がつくられた。やがて一六の国々が並立する時代から、四つの王国に覇権があつまっていく。前五世紀ごろ、マガタ国が中心になって、この国の祖型がつくられた。そのころ、仏陀がうまれた。前三世紀にマウリア朝が成立し、チャンドラグプタという有名な王が出現した。さらにアショカ王が、仏教を南インドにまでひろめた。それから、クシャナ、グプタ、カズニ、ゴールという王朝がつづき、一三世紀にはモンゴル族の侵入もうけていた。さらに、さまざまな王国が出現し、一六世紀になってムガール帝国が成立した。一七世紀には、イギリスの東インド会社が設立された。やがて内戦が起こり、一八五八年にイギリス領に組みこまれた。一九〇〇年ころから、ガンジーの戦いがはじまる。一九三五年、イギリス領インド帝国のひとつの州だったミャンマーは、インドから分離した。一九四七年、インド連邦とバングラデシュをふくむパキスタン自治領が成立した。つまりイギリス帝国は、南アジアと東南アジアの一部から構成される、ヨーロッパ大陸をはるかにしのぐ広大な領土をもっていたのだ。 インドは、多言語、多宗教、多民族が入りくみ、複雑な社会を形づくっている。くりかえされた異民族の侵入と支配という、おどろくべき変貌があったはずだった。それなのにこの国の人たちは、ながい歴史をとおして、自分たちのおかれた環境にとくべつな変化がなかったと考えている。変貌したのは、ちょっとした外観だけで、ずっと先祖とおなじように暮らしてきたと信じている。中国では、たくさんの歴史書がかかれた。日本人は、どうやって史書をつくり、歴史をつたえたらいいのか教えてもらっていた。この国は、中国ともさまざまな文化的なやりとりをもっていた。だから、史記も漢書もつたえられたはずだった。しかし、インドの人たちは、そうした史書にまったく価値をみとめなかった。そもそも南アジアには、どれほど強大な王朝があらわれても、全地域を支配できなかった。四〇〇〇年にわたって、かつて一度も統一王朝が出現しなかった。植民地になって、はじめてイギリス領インド帝国というまとまった国土が認定されたのだった。 池上慎司は、大学を卒業してから学習塾の講師で生計を立てていた。両親が縊死した大学二年生のころから、ずっとおなじ塾で仕事をさせてもらっていた。教育職員免許状はもっていたが、教職員になりたいとは思わなかった。もちろん教職は人気があったから、望んでも思いどおりにはいかない可能性がたかかった。個人的には、このまま塾につとめながら小説をかきつづけたいと思っていた。とはいっても、文芸誌の新人賞にはくりかえし応募したが、最終選考までのこったことはなかった。ものになるのかどうか、見当もつかなかった。たとえ運にめぐまれ、受賞して栄誉を勝ちえても、その後にも作家として生活できる保証はない世界だとはきいていた。一年に多くの新人作家が誕生するが、二冊目を出版するのはむずかしいのだろう。ましてや、小説家として生活するには、かなりの運と才能にめぐまれなくてはならないのだろう。もし仮に結婚する気持ちをもっているなら、妄想的な世界から現実に回帰しなければならなかった。 慎司は、インドをまわると人生観がかわるときいた。人によっては、人生も変容するらしい。もともと彼は、仏教の諸行無常という教えに共感をいだいていた。四月に、長年世話になった塾をやめさせてもらった。インドをさ迷えば、人生のヒントがつかめるかもしれないと考えた。かんぜんな妄想だろうと思ったが、なにかしらを決断する時期がきていた。見切りをつけて一般人の生活にもどるべきだった。恋人にプロポーズするなら、正規職員になる必要があった。できれば、教職につくべきだった。 慎司は、自室にもどってシャワーをあび、あたらしい下着と交換した。きていた衣類を簡単に水洗いし、部屋につるしてあったロープにぶらさげた。ナイロン製のながい紐は、旅の必需品だった。多様な用途に耐えられないものは、旅行の途中でより必要ななにかに交換された。彼が部屋で下着がわりに腰に巻いていた綿の布は、有用だった。タオルだったし、暖をとる毛布にも、あるときはベッドのかわりにもなった。ズボンにも風呂敷にもつかえ、用途は無限だった。 部屋の扉がノックされ、あけると新間が立っていた。彼は、けっこう大柄で、しじゅう野球帽をかぶり、肌は日にやけていた。 「声をかけてくれればいいのに」と新間はいった。 慎司は、彼といっしょに仏舎利塔建設に従事していた。というよりも、おなじホテルに宿泊する新間和夫にさそわれ、三日まえから参加していたのだった。 「飯でも食おう」と新間はいった。 ふたりは、つれだってホテルのレストランに入った。 「やたらに坊主が増えてやがる」と新間はいった。 彼は、レストランのなかでも野球帽をはずすことなく、庇を逆にしてかぶっていた。今朝も、仏舎利塔建設にたずさわっていた仲間のひとりが出家した。僧になるといっても、ただ頭をそって黄色の僧衣をきるだけで、試験があるとはきいていなかった。 「一〇〇ルピー(三〇〇〇円)くらいらしい。いま出家すれば、日達の直弟子になれるからな。やつも、だいぶ老いぼれて、九〇歳はすぎたはずだ。いつまで生きるのだろう。業がつよくて、死ねないのだろうな。とはいっても、生きすぎだよな」 新間は、ひとりごちた。 慎司は、インドにきてから、日達の噂話をいろいろときいていた。 藤井日達は、日蓮宗の一派、日本山妙法寺を創設したという。修行者は、妻帯が許されず、仏舎利塔の建設や平和行脚をする。インド独立の父、マハトマ・ガンジーとも親交をもち、非暴力主義はふたりの共通の思想だときいた。日達は、生き物を殺すことを禁じる「殺生戒」と「非暴力」とをむすびつけた。ガンジーの思想にも、影響をあたえたという話だった。 ほんとうだろうか。 ガンジーの名前は、日本でも有名なくらいだから、インドでは最大級のビッグネームだった。会えば猛烈な宣伝になるだろう。どこまでがほんとうなのか、慎司には分からなかった。妙法寺の僧侶たちが既成仏教の枠をこえ、派手な行動をしていたのは知っていた。成田の新東京国際空港、建設反対運動でも、滑走路の予定地に塔を建設して参加している話もきいた。 ふたりは、レストランでカレーを食べた。野菜だけのベジタリアンの店で、それからチャイを飲んだ。戸外は日が容赦なく照りはじめ、雨がふった分だけ蒸していた。 「しかしな。日達の誓願は、あんな仏舎利塔を世界に一〇〇棟つくるんだってさ」 新間は、仏教問題に興味をもっているらしく詳しかった。 「おまえ、アンベードカルって知っているか」ときいた。 「名前くらいは耳にしたことはある。でも、よくは知らない」 慎司がこたえると、新間は話しはじめた。 「ダリッド(不可触民)出身で、ネルー時代には法務大臣をしていた。インド憲法の制定にも、重要な役割を果たしたインテリだ。ガンジーは、ビッグネームだ。おれたちは、大英帝国の支配からインドを独立にみちびいた英雄としかならっていない。しかしダリッドにとっては、不可触民という呼称を、神の子、ハリジャンと言い換えただけで、すべての問題をうやむやにした最大の抑圧者だったらしい。ガンジーは、神さまじゃないよな。晩年には醜聞がついてまわったことくらい、おまえだって知っているだろう。一九五六年一〇月に、アンベードカルにひきいられて、ナグプールで五〇万人のダリッドが、ヒンドゥー教を否定して集団改宗し、仏教徒になった。彼らは、ネオブッディストとよばれている。ヒンドゥー教にとどまるかぎり、社会的な最下層から脱出できないと考えたんだな。いまは佐々井秀嶺という日本人が、アンベードカルの遺志をひきついで菩薩行をしている。日達は、日蓮宗の一介の僧侶だ。日本では、ほとんど無名だ。慎司も、きいたことがなかっただろう。でも、インド仏教徒の総帥だと勝手に自認しているんだ。ここで一団をひきいている佐々木は、ひどく目障りな存在で、つぶそうと躍起になっているらしい。あれはもう、ただの我が儘な爺で、すごいエゴだよな。日達の頭のなかで、一〇〇の仏舎利塔を建立するという悲願と仏陀の語った諸行無常とは、どういう形でいっしょになっているのだろうな。おれたちは、ただの旅行者だ。旅の記念に、仏舎利塔づくりの手伝いくらいはするよな」 けだるい午後になっていた。 「おれは、もういいかな」 慎司は、ぼそっとつぶやいた。 「それ、どういうこと」と新間はきいた。 「おれは、もうお仕舞いにしようかな。インドに帰ろうと思う」 「おまえ、先週きたばっかしだろう。はやすぎるぜ」 「そうだけれど。こんなことのために、旅をつづけているのではないって思うんだ」 「たしかに、おまえのダルマではないな」 うなずきながら、新間はつぶやいた。 慎司は、うまいことをいうなと思った。 インドでは、生をうけた者は、社会的になすべき義務をもつと考えられている。ダルマとは、社会的責務をさしている。責務を果たすなかで、アルタという自己の利益をもとめることができる。さらに、それらをつかって快楽、カーマを追求できる。しかしながら、ここにも序列があり、ダルマが最上に位置する。つぎにアルタが、そして最下位にカーマがくる。 カーストとは、生をうけた環境をさしている。慎司は、自分が望んだわけではないが、東京の貧民街でうまれた。彼の父親は、一時的に成功して中流階級の上部に属したが、やがて零落した。これが、慎司のカーストだった。だから彼は、そのなかで自分にあたえられた役割、ダルマを果たそうとつとめていたにすぎなかった。 日本山妙法寺や日達を話題にしているうちに、新間は山岡について話しはじめた。 「ラージギルの日本寺では、その男がもくもくと仏像を彫りながら布教しているらしい。生半可の素人芸ではなくって、芸大をでているって話だ」 新間は、いろいろと話しはじめた。 ラージギルは、日本語の仏典では、王舎城とよばれていた。ガンジス川中流域に位置し、古代、マガタ国の首都がおかれ、釈迦が説法した場所のひとつだった。外輪山にかこまれた盆地で、周囲には五つの峰があった。そのひとつが霊鷲山(りょうじゅせん)で、法華教の舞台をつくっていた。また、釈迦入滅後に弟子たちがあつまり、教えを確認する第一回結集が行われた場所だった。いまは、八大聖地のひとつとして有名になっている。そこに六〇年ごろ、日達が仏舎利塔を建てた。仏舎利というのは、釈迦の遺骨だが、祀っておくと増殖するらしい。いくらでも、わいてくるのだそうだ。分骨しても、そこからまた増えてくる。世界中に散らばった釈迦の骨をあつめたら、このレストランの一室では、入りきらないだろうな、といった。 「どういう事情で、そんなことが起こったのだろうな。芸大をでた芸術家が、なぜインドで仏像を彫っているのだろうか」 慎司は、不思議な気持ちがした。 「その世界では、ちっとは有名らしいぜ」と新間はいった。 それが山岡の話をきいた最初で、彼は興味をもった。 慎司は、船でスリランカからインドにもどり、マドラスについた。 そこでホテルに泊まっているとき、新聞の第一面に「SHOOT AT SIGHT ORDER」という記事をみつけた。ナグプールで、宗派間の抗争があったとかかれていた。これもなにかの縁かもしれないと考えて、慎司はその街にいった。 ナグプールについたのは、午後だった。宿をさがしたが、どのホテルもなかなか泊めてはくれなかった。小一時間も歩きまわってようやくみつけたのは大部屋で、簡易ベッドが一面にならんでいた。そのひとつをつかっていいといわれ、貧しい土地の者たちといっしょに、慎司はもち歩いていた自分の布をかけて一夜をあかした。朝になって街にでてみると、ところどころに武装した兵が銃をもって立っているのがみえた。暴動はすでに鎮圧され、どこも静かだった。ものものしいだけで、佐々井秀嶺がいる場所も分からなかった。誰にきいたらいいのかも、見当がつかなかった。 慎司は、山岡に面会してみようと思った。デカン高原の中央部に位置するその町から、北東をめざすことにした。荒涼としたデカントラップを南北に縦断する、ラージギル行きの列車にのった。 慎司は、なにを、どうしたらいいのかも分からないままインドをさ迷っていた。 一億七〇〇〇万年まえ、超大陸パンゲアは、七つの大陸、クラトンに分かれた。 北大西洋がうまれるにしたがい、九〇〇〇万年まえ、アフリカ大陸東海岸から千切れた「インド」は、五〇〇〇万年をかけた北方へのながい旅をはじめた。四〇〇〇万年まえにアジアにぶつかり、褶曲によりヒマラヤの山塊をうみだした。旅の途上、六五〇〇万年まえに、デカン高原は一〇〇〇年にわたる大噴火を起こし、洪水玄武岩とよばれる世界最大規模といわれる大量の溶岩を排出した。高原を形成する何層にもつみかさなった玄武岩の面積は、日本の国土、三七万八〇〇〇平方キロメートルをはるかにしのぐ、五〇万平方キロメートルにもおよぶ。洪水玄武岩の厚みは、平均で二〇〇〇メートルにたっするといわれる。くりかえされた爆発により噴出した溶岩の層が階段状につみあがってみえることから、「デカントラップ」と名づけられている。当時の噴火の面影は、いまも草木も生えない荒涼とした景観となってつづいている。白亜紀後期に生じた恐竜の絶滅は、この連続的な大噴火が原因だとする説もある。 車窓から、夕日が地平線にしずむのをみた。オレンジ色の太陽が、その姿を大地にしずめていくと、ぽつりぽつりと疎らに立つ灌木が、地のはてまでつづいているのがみえた。人家も灯もなく、名残をおしむ空が茜色になり、やがて闇に同化すると、世界は永遠にハデスの支配におかれ、二度と夜明けがおとずれない気がした。 翌日、ラージギルについた慎司は、日本寺の場所を道で出会った者たちにきいた。ある者は右をさし、べつの人は左を示した。 「知らない」とか「分からない」とか、いえないこの国の人びとは、きけばなにかをこたえるが、多数決がかならずしも正しいわけではなかった。だから、たずねるのは無意味とも思えるが、いろいろな意見のなかには、かならず正解がふくまれていた。ある見方にしたがって間違ったばあいは、正しい選択ができない自分の責任だった。この国を旅していると、そうした感覚だけは、とぎすまされていく。何人かに質問し、さまざまな意見をきき、慎司はなかからひとつをえらびだした。 選択の決め手になったのは、三〇歳なかばの女性の言葉だった。町のはずれで出会った女は、泥だらけの道にしゃがみこみ、牛の糞をこね、まるめて平たくのばし、家の石壁にはりつけていた。もとの色がどうだったのか分からない色あせたサリーをきて、身体は痩せこけ、とり分け腕はほそくて枯れ木みたいだった。両眉のあいだに既婚者であることを示す、ビンディとよばれる赤い印をつけ、鼻にピアスをした、ごく普通の女だった。 慎司は女性にちかづいて、「ジャパニーズ・テンプル」ときいてみた。ひどくやつれた黒い肌の女は、その声で手を休め、彼をじっとみあげ、しばらくして「ほとけ」といった。 「そう、ホトケ。どこにあります」 「ほとけは、あっちだ」 女は、慎司が歩いてきたのと反対の方向を指差した。その方角は多くの人の意見とは違っていたが、正しいと彼は確信した。女の言葉にしたがって歩いていくと町のはずれにでて、山にむかう土の道の遠くに日本寺らしいものが目にうつった。 「あそこだ」と慎司は思って一五分くらいすすむと道路が二手に分かれ、二股になったところに出店がみえた。右に日本寺に通じる一本道があり、まわりは荒涼とした原野がひろがっていた。 慎司は、いったん街に引きかえすことにした。行き先がどういう場所か分かったのだ。はじめるまえに食事が必要だと感じ、慎司はすこしはやい昼飯を食べ、またこの道にもどってきた。二股に分かれる場所の出店は小さかったが、人は住んでいるらしかった。日よけの軒がつきでて、彼がやってきた道と日本寺にむかうほうに、ひとつずつまるいテーブルがおかれ、木の椅子が三脚ずつあった。 「真っすぐすすむと、どこにいくのだろう」と慎司は思った。 道は、疎らに木が生えた林につづいていた。 荒涼とした原野を背景に、とうとつにぽつねんとみえるまるい建物は、非現実的で世界から遊離し浮かんでいた。俗界からはなれているには違いないが、神聖とか厳粛とか、そういう語彙ではなかった。意味とか意義とかはすでになく、理解できる感覚とは違っていた。ちかづくにつれ、まるい屋根の中央につくられた突起物が目に入った。円盤が層状にかさねられ、いちばんたかいところに金色の文様がみえた。さらにちかづくと、人らしいと分かり、そばまでいくと「ほとけ」だった。 慎司が寺についたのは、午後の一時をすぎたころだった。 半びらきになった入り口の扉からのぞくと、大きなホールがあり、誰もいなかった。とくに段差はなかったが、慎司は、はいていたサンダルを手にもってなかに入った。祭壇がつくられた前方にむかってすすむと左右に房室がみえた。右の部屋に人の気配を感じ、あいた扉からなかをのぞくと、四〇歳なかばの剃髪の男性が、丸太をまえに腕をくんで目をつむり、なにかを思案してすわっていた。彼がぼうぜんと立っていると、雰囲気をさっした男はゆっくりとむきなおって不意の来客者をみつめた。 それが山岡なのだと、慎司にはすぐに分かった。 男は、まるく頭を剃りあげ、黄色の僧衣をまとっていた。頬がこけ、身体の肉はそぎ落とされ、上背はないが骨太の体躯をしていた。日にやけた肌は黒く、眉も濃く、目が大きかった。ごつい感じだったが、穏やかな瞳がやさしそうにみえた。 慎司が勝手に思いえがいていた形姿と、ほとんどおなじだった。彼がみまわしてみると、部屋には隙間なく仏像がおかれていた。どちらかといえば、たくさんの彫像のなかに山岡がいた。二〇畳以上もある部屋は、入り口と反対がわの壁に大きな窓が切られ、そこから寂寥とした大地がみえた。はるか彼方までつづく赤茶けた荒地で、ところどころにわずかな灌木が生えていた。窓からの風景もふくめ、慎司の目にうつった全体は、透明で無彩色の世界だった。 中央に木製のまるい小さな椅子があり、そこにすわる山岡のまえには太い丸太がおかれていた。彫りはじめたばかりだったらしく、台座の部分以外はなにも刻まれていなかった。やがて仏像になるはずの太い木は、すでに圧倒的な迫力をもって部屋の中央におかれていた。椅子のそばに整頓された大きめのテーブルがあり、構想を練るときにつかうのか、ノートや定規、ノギスなどの道具が無造作にのせられていた。ひろくて灰色の石づくりの床には、木屑が散乱していた。室内は仏像が埋めつくし、壁がわの大きなものから三〇センチにも満たない仏までが、中央部にむかい順序だってならんでいた。 慎司は、部屋の入り口でぼうぜんと立ってながめていた。なにを、みていたのだろうか。黄色い僧衣をまとう剃髪の山岡でも、とりかこむ仏像でも、窓からみえる荒涼とした大地でもなかった。 慎司がみていたのは、現実に存在する人と、仏と、土地からできた、ひとつの情景だった。どれもが現実味がまったく欠けた映画のセットで、どこかで既視感を覚えるものだった。振りむいた男の目も、扉のまえに立つ慎司ではなく、もっと遠くをみているように思った。 「なかに入っていいよ」 山岡は太くてひくい声で、彼にいった。 うながされて慎司は、扉をぬけ部屋の中央にすすみ、立ったまま周囲をみまわした。室内は、仏で溢れていた。とりまく仏たちは、無言の圧力でおそってきていた。ひとつひとつの仏像が部屋の空気の密度を濃くかえ、なにかを迫っていた。 慎司が物思いにふけってじっと彫像をみつめていると、 「どうかしたのかい」と山岡はきいた。 そういわれて、彼はふっと我にかえった。 「菩薩像は、どれもが聖観音ですね」 その言葉をきくと、しばらく間があって、山岡は不思議そうにたずねた。 「そうだね。しかし、それが、どうしたのかい」 「ふっと、聖観音像ばかしがおかれていた、お寺のことを思いだしたのです」 慎司は、思いついた言葉をいった。 「そこには、聖観音がたくさん設置されていたのかい」 しばらくして、山岡がたずねた 「全部で、三十三体だとききました。石でつくられている聖観音菩薩像ばかりがならぶ、三十三所巡りだったのです」 「それは珍しいな。石づくりの聖観音像ばかしか。場所は、どこだったのかい」 「秋田県の、日本海ぞいの小さな町でした」 この言葉をきくと、山岡はだまった。 「君は、秋田の出身なのかい」 「いえ。東京のうまれです」 「どうして、そこにいったのかい」 「友人に、そういうお寺があるって紹介されたんです。それが、どうしても気になって、いってみたんです」 しばらくすると、山岡がたずねた。 「男の友だちだったのかい」 とうとつな質問だった。 慎司は、しばらくしてこたえた。 「いえ。女性でした」 しばらく、沈黙した時間がながれていた。 やがて、山岡はまた口をひらいた。 「恋人なのかい」 慎司は、ドキリとした。なぜ、こんなことをきくのだろう。そう思って山岡をみると、じっと彼をみつめていた。 「そんな関係ではないです。勝手に憧れているだけです。かんぜんな片思いです」 そういって、慎司はつばを飲みこんだ。 「ここにあるものが、その石像と似ているのかい」 「いいえ。でも、この部屋におかれた彫像は、みた記憶がある気がするんです。三十三所巡りを教えてくれた女性に、どこか似ているように思ったんです」 慎司は、脳裏に浮かんだことをいった。その話をきくと、今度は山岡が四方におかれた自分の彫った仏像を、じっとみまわした。 言葉では表現できない、ねばついた感触がする時間がながれていた。 やがて山岡は振りかえり、しげしげと慎司をみつめた。 それが、ふたりの最初の出会いだった。 コーン。コン。 たかくてすんだ音が、石づくりの建物のなかでひびいていた。その音響が、慎司を眠りからひき離した。 まどろみのなかで、彼はこの国をさ迷っていた。 ながい道で、はてしもなくつづいていた。はじまりも終わりも不明な小径は、意味や意義とは無関係で、誰が利用するのかも分からなかった。土で固められ、人が歩くためにつくられていた。茫洋とした大地のところどころに、見栄えのしない灌木がぽつりぽつりと立っていた。それが、この痩せた土地にも植物が育つのを知らせ、いっそうの寂しい気持ちを起こさせた。 慎司は、そのとき昨日ここにやってきたことを思いだした。彼が寝ていたのは二階で、部屋にはベッドもなかった。ただの石の空間で、もっていた布をしき、床に横臥したのだった。起きあがり、こわれかけた木製の観音びらきになった窓をみた。もともとは黒色だったのだろうが、日にやけて茶色にあせた扉をあけてみると、朝のひんやりとした空気が入ってきた。 みわたせば、不毛の原野だった。目にうつる大地は一様に赤茶け、大きな岩が意義をうしなって放置されていた。遠くに丘があり、昔はなにかの建物だったのだろうか。一部の石は、階段状になっていた。どこも、ごろごろとした錆びた色の玄武岩だった。そのうえに、わずかな灌木が申し訳なさそうに生えるだけのデカントラップが、山並みのはてまでずっとつづいていた。 慎司は、昨夜のお祈りを思いだした。 六時ころ、おおぜいのインド人が伽藍にすわっていた。ほとんどは年とった女と小さな子供だった。入り口と反対がわにあたる一段たかくなった祭壇のうえで、山岡が壁にむかって読経していた。牧田が木魚をたたき、瀬川がトライアングルで音をだしていた。 慎司は石黒の指示をうけて小さな砂糖壷をもって、なかに入っていた金平糖を女や子供の口に入れた。そうすると、女たちは山岡が読経する壁にむかって合掌し、「ナムミヨウホウレンゲキヨウ」とつぶやいた。それから石黒のもつ壷のなかに、一パイサとか五パイサの硬貨を落とした。三〇分くらいつづいたと思うが、あつまった人たちが帰ると、とても疲れた気がした。インド人からほどこしをうけたという以外、なにも分からなかった。 慎司にあてがわれた部屋は、入り口の反対がわで祭壇をつくる舞台のうえにあたっていた。昨夜、山岡が読経し、牧田が木魚をたたいていたのは、ちょうど真下だった。寺の内部は、吹きぬけの伽藍だった。入り口のちかくから左右に石の階段がつくられ、そのまま回廊にかわってとりかこみ、外がわに宿舎がならんでいた。二階には房室が一〇以上あった。慎司の部屋は、八畳くらいで四人が充分に寝られるひろさだった。ほかは分からなかったが、下の伽藍までつかえば一〇〇人は泊まれるだろう。厨房はそれほど大きくはなく、三〇人ほどの食事をつくったら、もう皿のおき場所もないに違いなかった。 大きな伽藍の祭壇を右からぬけていくと山岡の部屋だった。左がわは、食堂をかねた集会所だった。集会室の奥には、右がわから三つのシャワー室がならび、いちばん左は厨房への入り口になっていた。勝手口をぬけた日本寺の裏手には、大小さまざまな丸太がおかれる物置があった。形のいいものは山岡の彫像の原木で、その右がわの大きな箱に入れられた木屑が、炊事のさい燃料としてつかわれていた。 「風呂にいこう」 とつぜん、山岡が慎司をさそった。やってきたばかりの彼が、集会室で手持ち無沙汰にぼんやりとしていたときだった。 「風呂ですか」 慎司は、怪訝な面持ちでききなおした。 「入りたくないのかい」 山岡は、慎司をみていった。 「いえ、いきます」 慎司は、即座にこたえたが、なにをいわれているのか分からなかった。インドに風呂があるとは、思いもつかないことだった。この国の人は、いつでも水あびをしていた。ガンガーのちかくでは、どこのガートでも朝から沐浴するインド人の姿をみとめたが、風呂に入るとは考えたこともなかった。慎司が渡り歩いてきたのはベッドがひとつおかれた安宿だったが、シャワー室はつき、外からもどるたびに水をあびていた。この暑い国ではシャワーをつかわなければ身体はいつもべとべとだったが、風呂は想像したこともなかった。 山岡につれていかれたのは、露天の温泉だった。茶店がでていた二股のところを、町と反対方向にすすむとあった。周囲には灌木が疎らに生えているだけだったので、遠くから塀がみえた。ちかよると平たい石を慎司の背丈とおなじくらいまでつみあげて、粘土で固められただけの石塀は、よりかかれば倒れそうなほど弱々しかった。その後ろにまわりこむと、二メートルくらいの間隔で直径二〇センチほどの丸太が両がわに立てられ、そこから塀が露天風呂をとりかこんでいた。直径、五、六メートルの円形をした温泉と周囲の石塀とのあいだは三メートルくらいの幅で、人の頭くらいの平らな石が点々とおかれる以外は、みじかい雑草が生えていた。入り口にちかいほうに湯が湧きでる穴があり、反対がわに溢れた水がながれる空洞がみえた。 太陽の照りつける道を三〇分ちかく歩いてきた慎司には、全体的に薄暗く、露天だったが大自然の爽快さとは無縁で、重々しく暗い感じがした。 石塀にそってすすむと、「ここでぬぐんだ」と山岡はいった。 「着物は、どうするんですか」 「もつんだ。サンダルもな」 山岡は、彼が草履をおこうとするのをみていった。 慎司は、右手でサンダル、右肘でぬいだ衣服をかかえ、左手にもつタオルで股間を隠しながら浴槽までちかづいた。両手ほどの平たい石のうえに着物と草履をおこうとした。 「それは、いけない」 仕草をみて、山岡はゆっくりと首を横にふった。そして懐から一本の紐をとりだすと、慎司にわたした。彼は、丁寧にたたんだ衣類のいちばんうえにサンダルをつみあげ、そのまま頭上におき、つないで顎紐にした。 それをみた慎司は、自分も真似て荷物を頭にのせ、山岡がくれた紐で草履と顎をしっかりとむすんで湯につかった。ちょうど昼下がりの二時ころで、夕方にはまだ時間があるころだった。 山岡は、首だけをだして湯につかっていた。衣類がつみかさなった頭上には、サンダルの裏が天をむいてのっていた。頭を不用意に揺らしたら衣服は湯船に落ちそうで、ひどく窮屈にみえた。 慎司は、自分もおなじ格好をしているのだと思った。 湯は、ちょうどいい熱さで、浴槽には数人の男たちがいた。どの顔も皺だらけで年老いてみえた。入浴していた者がみんな年よりで、いちばん若いのが慎司で、つぎが山岡らしいと思われた。「くつろぐ」という雰囲気はなく、衣類を濡らさず湯につかる一種の修行に思えた。山岡のサンダルの裏が空をみあげながら、ゆらゆらと揺れているのがみえた。「これが、インドの公衆浴場なのか」と慎司は思った。 ときおり、誰かが浴槽のなかで立ちあがり、水面を布でたたくと、ざざっと音がひびいて水がはねた。くるりとまわって背中をむけると、水滴がしたたり落ちる音響がした。浴槽の周囲におかれた石のうえに無造作に投げすてられた服を手に石塀のそばまでいき、布で身体をふいていた。そのとき、女がいたのが慎司に分かった。あたらしく入ってくる者はみなかったので、いちばんすいている時間らしいと思った。 山岡は、手にした手拭いを湯にしずめ、何回か顔面をぬぐった。慎司も真似て、顔をあらった。しばらくするとみんなでていってしまい、ふたりだけがのこされた。 そのままつかっていると、ふたりづれの老婆がやってきて、慎司たちがいる目の前の石塀で裸になった。老婆たちはぬいだ衣服を片手にもち、布で股間を隠しながら湯船に入った。きていた衣を、ちかくの石のうえに無造作におくと湯につかった。 「でるか」 山岡はいって、慎司をみた。 「はあ」と彼はこたえた。 山岡は、老婆たちに背をむけて立ちあがり手拭いをしぼった。慎司も、真似をした。右手の手拭いで股間を覆い、左手で頭につんだ衣類を支えながら石塀のちかくまですすんだ。 山岡は、頭上を押さえたまま顎の紐をはずすと、つまれたものを平たい石のうえにおいた。サンダルを地面にならべると、手拭いをしぼって身体をふき服をきた。 慎司は、真似て草履をはいた。それから山岡を追って丸太の出入り口をぬけ、ぽつぽつと木が生えた場所をとおって、きた道を引きかえした。太陽はぎらぎらと輝き、左の遠くに日本寺がぽつねんとみえた。 慎司には、すべてが奇妙に思えた。たとえるなら歌舞伎の舞台で、知識がなければつぎの場面とつながらない感じだった。風呂には入ったわけだが、自分がほんとうはなにをしたのかよく分からなかった。腑に落ちないものが、慎司にのこった。 この時空を支配しているのは、ゆっくりとながれる生暖かい風だけだった。虫も鳥も飛ぶことがなく、有機的な世界から隔絶し、生き物はすべて死に絶えていた。無の荒野に、土くれだった道だけがつづいていた。午後の太陽が照りつけ、風呂帰りの慎司はまた汗をかきはじめていた。肩をならべて歩くと二股にでて、町と寺にむかう道のあいだに茶店がひとつあった。 「ちょっと、よっていこう」と山岡がいった。 ながい庇(ひさし)がのび、下にテーブルと粗末な木の椅子があった。すわると、山岡は店の老婆に「リムカをふたつ」といった。 腰のまがった老女が木製の皿にのせてはこんできたビンをつかみ、直接口をあてて飲んだ。リムカは生暖かく、つよくはない炭酸が慎司の喉を湿らせた。みわたせば人も住んでいない荒地だった。 「どうして、君が」 山岡は、慎司にむかって、なにかをいいかけた。 昼下がりで、誰もいなかった。 「なんですか」と慎司はききなおした。 山岡は、物思いにふけっていた。だまってリムカを飲み、遠い地平線をみていた。生暖かい風がゆるやかに吹いた。それに応じて、周囲の草が揺れていた。 「風の音だったのか」 慎司は、思った。 「いやあ、どいつもこいつも、すごいやつだった」 山岡は夕食後、とつぜん話をはじめた。 夜の礼拝がすんで夕食が終わり、皿もあらったあとだった。食事は、豆を石臼でひいて粉にし、水でとかしてスパイスを入れただけのカレーに米だった。とくにやるべきこともなく、みんなが集会場にのこっていた。 「まわっていたやつらは、そうそうたるメンバーだった。普通の目つきではなかったな」 山岡は、そんな風にいって、色がついているだけの茶をひと口飲んだ。 瀬川は、味も香りもない、生ぬるいお茶をそそいだ。痩せた背のたかい男で、髪をながくして後ろでしばっていた。どういう理由だか分からなかったが、左の小指が第二関節から消失していた。うすい口ひげを生やし、三週まえからこの寺に逗留しているといっていた。 「眼光するどいとは、ああいう者たちをさすのだな」 山岡が話をはじめると、みんながきき耳を立てた。彼が、なにかをつたえようとしているのだ。全員の気持ちが集中した。 「当時のインドは、ひどいところだった。こんなに平和ではなかった。そのなかで、旅をしていたのだからね」 山岡は、あつまったメンバーを、じっとみまわしたみた。 顔ぶれは、六人だった。男性は、一ヵ月まえから逗留する牧田と、三週まえから宿泊している瀬川、二週まえから滞在する石黒、それに今日やってきた慎司の四人だった。また、いっしょに旅をつづけているらしい清野と山元という女たちが、一週間まえから寝泊まりしていた。いた。 「なにをやるにも、とくべつな金が必要だった。公務員は、なにもしなかった。たとえば鉄道のチケットの販売所で、行き先をかいた紙をだす。駅の発券所で、上部が格子になった小さな窓口の後ろにいる係員が一〇ルピーだという。それで格子窓のなかに、紙幣をにぎって手を入れると、金だけぬきとられてしまう。あきらかに目の前のやつがとったのだが、格子ごしには、誰だかはっきりとは分からない。気がつくと係員は入れかわり、券は待っていてもでてこない。そのうち、手のひらをたたかれる。なにをしている、金をだせとね。もう一回入れてもおなじで、格子の後ろの係員がかわるだけだ。だから、なんでも物々交換だ。汽車の座席指定をとって席をみつけても、そこには誰かがすわっている。券をみせて自分の座席だと主張しても、腰をおろすには、目の前にいる者に金をわたさなければならなかった。車掌をよべば、その男にもやらねばならなかった。きけば、それだけ金がかかった。現にあることがすべてで、それをみとめねばならなかった。だから状況を変更するには、余計な金が必要だった。あらゆる行為には、値段がついていた。もっている者が払うのはとうぜんだった。道を歩いても、空気をすっても金がかかった」 山岡は、そこまで話すと、ぬるいお茶をひと口ふくんだ。 「欧米人は人権をもっていたが、ほとんどの者は、日本という国がどこにあるのかも知らなかった。インドの人びとは、理由なく旅行するなんて考えないからな。ネパール人やチベット人に似た不可触民以下の者が、旅をすること自体が異様だった。彼らにとっては、われわれが生きていることさえ意味不明だったので、なにをきくのにもとくべつな金が必要だった。列車の時刻表はあったが、その日にくれば上出来だった。危ないことは、山ほどだった。金をもっているのは、とても危険だった。所持していないのは、さらに危ない行為だった。命以外にあたえるものがないのだから、自殺行為といってもよかった。リキシャにのると、せまい路地につれていかれた。金があればなんとでもなった。そのなかで旅をしていた」 山岡は、あつまっている者たちを、じろりとみまわした。 「もとめられていたのは、個々の対処の方法ではなかった。周囲の状況を、判断する必要があった。身のまわりでなにが起こり、うまれようとしているのか。感じる力が、いちばん重要だった。多くの経験から生じるもので、言葉では説明できない。感じることだ。それを理解できた者だけが、旅をつづけられたわけだ」 山岡は、そこでひと息入れた。 「湖水に投げられた石がつくる、波紋に似ている。なにかが投げこまれれば、湖面に小さな揺らぎが起こる。人が歩けば、必然的にながれができる。風が吹いても、雨がふっても消せない、大気のうごきがある。それは、分かる者だけに感じられる。説明は、できない。分からない人間には、どうしたって理解しえない。あっても、ないのとおなじだ。せっかく状況がなにかを教えようとしているのに、それを気づこうと思わない者は、旅をつづける資格をもっていなかったわけだ。感じることだ。それは、ひとつの雰囲気で、太陽の輝きがすこし鈍くみえたり、風がいつもより妙に生暖かかったりしてつたわってくる。そういうときは、かならずどこかで大気がよどんでいる。うまく言葉ではいえないが、違う、変だ、と思う気持ちだ。身体がその異変に反応して、直接心によびかけてくる。道が二手に分かれているとき、どちらへすすめばいいのか、かならず分かる。おなじふたつのものはなく、どちらかが正しい。それを感じられる人間は、みんな恐ろしい顔をしていた。そうでもなければ、知ることができないものがあったのだ。どいつもこいつも眼光がするどく、きびしい顔をしていた」 山岡は、そんなことをゆっくりと話した。 二、波紋 石黒は、玄関の真上にあたる二階の房室に泊まっていた。そこからは、街につづく道が一望できた。彼は、背がひくく、眼鏡をかけていた。先天性の内反足で、右足が不自由だった。大学を卒業し、写真家を志望していた。 瀬川は、石黒の部屋にきていた。彼は、もともと東京の料理店のスタッフだった。ながい髪を後ろで束ね、日本に帰ったら「ヨガのインストラクター」になるといっていた。 「あれ、山さんじゃないか」 石黒は、遠視の眼鏡をはずすと、ふたつの人影がみえた。 瀬川は、座禅をやめて立ちあがり、窓から外をみた。 「はっきり分からないけど、そうかもしれない」 「慎司といっしょに、不可触民の温泉にいったらしい」 「あのあと、入ってみたか」 「いや。あのときだけだ」と石黒はこたえた。 瀬川は、不可触民、ダリッドに開放された公衆浴場があると牧田からきいた。山岡にたずねると、サンダルと服を入浴中も身につけていなければならないと教えられ、ほそい紐をわたされた。 「すこしでも離しておけば、みんなもっていってしまう。それでもいいと、宣言したのとおなじだからな」 山岡は、入り方を教えてくれた。 ふたりは、人がいちばんすくないという二時ごろにいってみたが、露天だったが爽快感はなく、二度も三度もいくところではない気がした。 山岡は、週に二日くらい、いつでもひとりでぶらりとでかけた。 「ああ、たしかに、あれは山さんだ」 石黒は、眼鏡を右手にもったまま、瀬川をみていった。 「もうひとりは、今日きたやつだよな。慎司とかいったか」 「そうだ。山さんがさそったみたいだった」 「なにをしている」 背後で、甲だかい声がきこえた。 石黒が振りかえると、黄色の僧衣をきた牧田が怪訝そうにふたりをみていた。いっぺんに、よどんだ空気が支配した。 「山さんが、二股の出店でなにかを飲んでいるみたいなんだ」と石黒はいった。 「そんなはずはない」 牧田は大声でいい、窓までいきじっと外をみつめた。 「あの影が、ほんとうに山さんなのか」 彼は、とげとげしい口調で石黒にきいた。 「剃髪だし、黄色い服をきている。たぶん山さんだ」 「なにをしているんだろう」と牧田はつぶやいた。 「午後にきた新入りと、温泉にいったらしい。その帰りに、ふたりでなにか飲んでいるみたいだな」と石黒はこたえた。 「ほんとうか」 牧田は、石黒をじろりと一瞥した。 「ほんとうに、そうなのか」 牧田は、憮然とした表情になり、大きな声で石黒にいった。 「それが、どうしたんだよ」と瀬川がきいた。 「どうして。こんなことに、なったんだ」 牧田は、瀬川に怒っていった。 「どうしたんだよ。そんなこと、おれにも石黒にも分からないよ。でも、あれは山さんにみえるよ」 瀬川が、いった。 その言葉をきくと、牧田はもう一度、窓ごしに小さな影をじっとみつめていた。それから「ふん」といって、石黒と瀬川をにらみつけた。そして、いかにも不服そうな感じでプイと後ろをむき、部屋をでていった。 瀬川は、石黒と目をあわせた。牧田が部屋から外へでていってしまうと、「ばーか」と彼は小さな声でいった。 山岡が布教していたのは、ヒンドゥーでは四つのヴァルナ(皮膚の色)からとりのこされた者たちだった。バラモン、僧侶階層が第一層をなし、クシャトリア、王侯、貴族、武人階層がつづき、ヴァイシャ、商人階層がある。この上位三階層は、出生後に儀式を執り行ってうまれかわるので再生族とよばれる。そして最下位に、彼らにつかえる使命をもってうまれたシュードラ、奴隷がいる。ここまでは、ヒンドゥーでみとめられたヴァルナといわれる。微妙にニュアンスが違うらしいが、日本ではカースト制度として知られている。このカーストから、とりのこされた人びとが不可触民だった。手でふれ、目でみるだけだけで身が穢れる者たち、ダリットとよばれ、第五のヴァルナをつくっている。 しかし、ヒンドゥー教のカーストは、これで終わりではない。インド文明は、あらゆる存在を許容するが、その代償として序列をあたえる。アウトカーストのダリッドにも、入れない者たちが仏教徒だ。ヒンドゥーの宗教カーストのなかで、ほとんど最下位で第六のヴァルナともよばれる。だからダリッドが仏教に改宗すれば、さらにひくいカーストに属することになる。インドでうまれた仏道は、ヒンドゥー教の改革運動で、人は誰でも平等という考えをもっていた。この思想は、インド社会の現実を真っ向から否定したので根づくことができず、小乗と大乗、さらに密教に変容して世界各地にひろまった。 王舎城には古くより温泉があり、カーストごとにつくられていたといわれる。仏陀は、それを排し、身分を問わず入れる露天風呂に改変したともつたえられていた。仏教の平等主義を誇張するナラティブの可能性もあり、真偽は不明だった。 ラージギル近郊に温泉がわいていたのは、大唐西域記にも記述をみつけられる。玄奘がおとずれたときには、五〇ほどの入浴場があり、かつては五〇〇以上が存在したと記載されている。現在は泉源がへり、ひとつしかないらしいが、ほとんどアウトカースト専用となっていた。だから卑しい仏教徒は、ダリッドに「たのんで」入れてもらっている。風呂にいけば、自分がどの階層に属しているのかはっきりすることになる。 朝食がすんだ一〇時ころ、牧田が寺をでていった。彼は、一ヵ月ここに逗留していた。小柄で痩せ、目つきが不自然なほどぎらぎらしていた。剃髪で、首からさげたクルミ大ほどもある紫檀の珠数が、不似合いに立派にみえた。黄色い出家衣をきた牧田は、ぎらぎらした目を大きくみひらき、見送りにでたひとりひとりをじっとみつめた。眼光がするどいというよりも、異様な目つきだった。 牧田は、みんなのまえで合掌し、「南無妙法蓮華経」と大声をはりあげた。そして「ナマステ」と絶叫すると、街にむかって歩いていった。彼がたたく団扇(うちわ)太鼓の音と、唱えるお題目がずっときこえていたが、一度も後ろを振りかえらなかった。 山岡は、牧田の後ろ姿が人かどうかも分からなくなるまで、手にした鈴をチリンチリンと静かに鳴らしていた。彼が鐘をうつのをやめると、みんなで伽藍にもどった。山岡が自室にむかったあとで、慎司と坊主頭で背のひくい石黒が集会場にのこっていると、髪のながい瀬川がきていった。 「せいせいしたな。かんぜんにガンジャにやられているよな。三週間、あいつがいつでていってくれるのか、ずっと待っていたぜ」 「そうだよな。あの目つきは大麻だよな」 二週間まえから滞在する、眼鏡をかけ痩せた石黒がこたえた。 「あいつ、もともとトラックの運転手だったらしいぜ。インドにきて、とつぜん目覚めたんだってよ。それで髪をそって出家したそうだ」 「すげえ悟りだな」 「このあいだ、あいつ自分の開悟を言葉にかえたんだぜ。新品の団扇太鼓をもってきて、硯で墨を摺りおろしはじめたんだ。なんのつもりだってきいたら、あの目でじろっとみてな、大悟を言葉にする、と真顔でいうんだぜ」 「はあ、悟りをね。それを文字にかえるのか」 「インドにくるとき、うすい文庫本だったから金剛般若経はもってきたんだ。何回か読んでみたが、さっぱり分からない。般若心経はそらんじたが、なにを意味しているのか全然だな」と瀬川はいった。 「おれも読んでみようかな。むずかしいんだろうな」 石黒は、きいた。 「文庫本は部屋にあるから、読みたいのなら貸すけれど、まあ分からないだろうな。誰にも、理解できないんじゃないのかな。般若心経は、ほんとうにみじかいよ。おれの部屋に写経したものがあるけど、仮名をふってくれないと読めないし、意味を理解する文章とは基本的に違うな」 「唐からインドにむかった玄奘三蔵は、旅の途中で盗賊にあうと、馬の背中にのったまま震えながら心経を唱えつづけたと、なにかの本で読んだ気がする。そもそも、般若経は玄奘が漢訳したんだよな」 「般若経典には、一〇万の詩句からできている膨大な仏典もあるらしい。四字か五字の漢字をひとまとまりとした漢文の一節を、頌(じゅ)とよぶらしい。一般的に読まれるのは八〇〇〇頌般若経といわれる、約八〇〇〇の詩文からなる仏典をさすんだそうだ。般若心経は、それらをたった三〇〇字程度でまとめたのだから、呪文そのものだ。偉い先生の解説をよんでも、千差万別みたいだなな。ほんとうの意味なんて、誰にも分からないんだろう。頭で理解する代物ではないんだな。おまじないと、おなじだよ。きっと、感覚の世界なんだろう。雰囲気をつたえているだけだよな。文章というより、音楽、つまりひびきなのかもしれない。ギャーテイ、ギャーティーなんて、インドの語彙を漢字に音写しただけだよな」と瀬川はいった。 「真言の呪文。オン・マニ・パドメ・フームは、蓮華のなかの真珠、という意味で女性器をさすときいたことがあるよ。なんでも最後は呪文なんだな。ここは日蓮宗だから、般若経は場違いにはならないのかな」 「よく分からないが、基本的に大乗仏教であるかぎり、般若の世界を大前提とみなすのはは、どの宗派でもおなじらしい」 「なるほどな。山さんは、分かっているのかね。だいたい山岡さんの念仏は、本物なんだろうかね」 石黒は、真剣な表情できいた。 「まあリズムは、あんなもんだ」 「それで牧田は、悟りをどんな言葉にしたんだ」 石黒は、話をもとにもどした。 「あいつ、筆でもってな。おもむろにかきはじめたんだよ。偉そうに、もったいぶってよ。雰囲気、イメージできるよな」 瀬川は、きいた。 その言葉に、石黒はうなずいた。 「それで、まず南とかいたんだ」 「なるほど、つぎが無か」 「そうだ、牧田の悟りとは、南無だったらしい」 「なんだ。お題目だったのか」 「ここいらへんが、むずかしいところよ」 そういうと、瀬川は、間をおいて茶をゆっくりと飲んだ。 「もったいぶるなよ。おまえ、牧田みたいだぜ」 石黒は、瀬川の態度を批判した。 「悪い。わるい」 瀬川は、苦笑しながらいった。 「だからな、やつはまず、南とかいて、つぎに無とつづけた。格好をつけてよ。おれもつぎは、妙に違いないと思った」 「そうじゃなかったのか」 「いや、妙だったんだ。まあきけよ。つぎに、法とかいた。南無妙法だぜ。そこまで格好をつけてよ。それで、蓮がつづくとばかし思ったんだな」 瀬川は、つづけた。 「そうは、かかなかったのか」 「違うんだよな。どうも、かけなかったらしいんだ。あいつ、ずっとそこで考えていた。おれが、みてたからな。そうしたらよ、筆から墨が落ちてよ、新品の団扇に、ぼてっと、黒いしみがついたんだな」 ゲラゲラと、瀬川は笑っていた。 石黒も、腹をかかえて爆笑した。 「南無妙法、ぼて、か。そうか、あいつ、悟れなかったのか」 石黒は、いった。 「そんなレベルじゃ、ねえんだよ。あいつの悟りは、ぼて、だったんだ。ようするに法華経しかありませんと誓願しようと思っても、黒丸だったんだな。あいつ、ぼてっとなってよ。思わず、だったんだろうな。あ、と小さく叫んでな。体裁が悪そうに、おれをみたんだ。それで、目があってな。今度は、なにをするのかって思ったんだ」 「どう、なったんだい」 「しばらくしてな。あいつ、ぼて、のあとに経ってかいたんだ」 「ほう、やつは貫徹したわけだ。それは、たいしたもんだな」 「まあ、そういうことになるかな。で、牧田の悟りは、南無妙法ぼて経だったわけだ。ぼて、を二文字と考えてやれば、一応七文字で、お題目にはなったらしいんだ」 「あいつ。その団扇太鼓は、どうしたんだ」 「でていくときに、たたいていただろう。あれが、ぼて経の団扇太鼓だ」 「蓮、を練習しないと悟れないと、開悟したわけだな」 石黒はおかしそうにいい、ふたりはゲラゲラと笑った。 牧田が日本寺をでていった日の、午後のことだった。石黒は、胡坐をかいて金剛般若経を読んでいた。 「さっぱり、分かんないな。ちんぷんかんぷんだ」 石黒は、座禅をくむ瀬川に振りかえっていった。 「なんだ、こりゃ。これならおまえのいうとおり、般若心経を暗記するほうがたしかにいいよな。どうせ理解できないなら、呪文だったら覚えてつかうこともできるよな。知らない者がきけば、分かっているようにきこえるかもしれない。自分でも、なにかをやった気にもなれるよな。これは、」 石黒は、いいかけて瀬川をみると、遠くをみつめ、なにかを考えている風情だった。 「どうしたんだ」と彼はきいた。 「牧田は、なんで今朝、とつぜん寺をでたんだろうか。なんか、すこし分かる気がするんだよな。おれも明日、寺をでようと思う」と瀬川はいった。 「どこへいくんだ」 「ハウラーにいってみたい。まだ、みてないからな。そういえば、さっき、明日この寺をでるつもりだとつたえたら、あの女たちも発つと話していた。仕事が増えるのが、いやなんだそうだ」 「おれと慎司だけになるのか」と考えぶかげに石黒はいった。 「山さん、なにか、すこしおかしくないか。慎司がきてからだ」と瀬川はいった。 石黒は、そうかもしれないと思った。瀬川はもともと客商売をしていたから、するどいなと感じた。 「いままで、山さんが誰かと風呂にいくなんてみたことがない。昨日の夜も変だったよな。山さんは、昔話なんかしない」 石黒は、ぶらぶらと旅行していることを暗に批判された気になった。牧田も、おなじように思ったのだろうか。今度は、瀬川もそう考えている。女たちは、ただで泊まれるからよっただけで、日本寺にとくべつな興味はなく、釣りあいのとれない仕事があれば立ち去るだろうと石黒は思った。 「もともと山さんは、必要最低限のことしか話さない。それも修行のひとつだと、牧田にいったそうだ。どう思う」 瀬川は、石黒にきいた。 「そうかもしれない。気がつかなかったが」 「牧田は、山さんに傾倒していたからな。腑に落ちなかったんじゃないのかな」 「慎司。山さんの部屋で、なにか話していたものな。誰も、入れてもらえなかったのに」 「そうだよな」 瀬川は、神妙な面持ちでこたえた。 とくべつな鍵はないから、誰でも仏像に埋めつくされた山岡の仕事部屋をのぞいたことはあった。しかし、彼が思索するか、ノミと木槌をもっているときは、「でていけ」といわれる。それなのに新参の慎司は入って、話をしていた。みんな偶然だと思ったが、山岡が彼をさそって温泉にいき、親しげに出店の茶屋でなにかを飲んでいた。夜には、とつぜん昔話をはじめた。それは、伽藍にいる者たちに不思議なわだかまりを醸成した。 石黒は、昨晩の山岡の話を思いだした。あきらかに、なにかの波紋がひろがっているように思った。昨日は牧田が感じ、今日は瀬川が反応していた。女たちも、なにかを感じとっているのかもしれなかった。 「おまえは、どうするの」 瀬川が、きいた。 「もうすこし、この寺にいてもいいと思う」 彼は、すこし考えてからこたえた。 石黒は、集会場で食事がすむと慎司の部屋にやってきた。モルタルの床に胡坐をくむと話をはじめた。 「明日から、この寺は、おれと、おまえだけになるみたいだ。仕事が、増えるよな」 慎司が不審げな表情でだまっていると、彼はつづけた。 「おまえがきてから、山さんがちょっと変なんだ。それで、誰もいなくなる」 「みんな、おれのせいなんですか」 「昨日の昼間、山さんと出店に入っただろう。瀬川の部屋からみえてな。もちろん、偶然だったが」 慎司は、なにをいわれているのか、さっぱり分からなかった。 「露天風呂の帰りだった。山さんが、なにか飲もうといったんだ。それで、ついていったんだ」 慎司は、思いだしながらこたえた。 「なにを、飲んだんだ」 「リムカだよ。山さんがたのんだ。それが、どうしたんだい」 「そうだよな。冷えたものは、リムカしかない」 石黒は、うなずきながら考えぶかげにいった。 「それが、どう変なんだい」 「山さんは、炭酸水は飲まない。牧田が、いっていた。山さんは、贅沢をしない。リムカは、一ルピー五〇パイサだ。そんなものを飲んでいたら、ここで布教はできないってな。みただろう。ここは、ダリッドが相手なんだ。布施は、せいぜい五パイサだ。一〇パイサなんて、滅多にない」 石黒は、いった。 「でも、山さんは、金をもっていた。おごってくれた」 「なんの話をしたんだ」 慎司は、そのとき「君の」、といいかけられたように思った。山岡をみると、荒涼としたデカントラップをながめていたので、空耳だった気がした。 「そういえば」 慎司は、そのときの風情を思い浮かべた。 「なにかを、いったのか」 石黒は、右手で眼鏡をひきあげながらきいた。 「君の、っていわれた気がしたけど。それで、お仕舞いだった。あとは、なにもいわなかった。きき間違いだと思ったんだ。でも、そういったんだな。食堂で、眼光のするどい男たちのことを話していたよな。きっとおれを、ひ弱だといいたかったんだ。あれは、そういう意味だったんだ」 石黒は、真剣な表情になって考えこんでいたが、やがて口をひらいた。 「違うな。そうつづく言葉では、なかったんだろう。瀬川がいっていたよ。山さんは、昔話をしたことがないって。妙に口が軽くなっているって」 慎司の部屋にやってきた石黒は、饒舌だった。 「なんだかんだといっても、おれたちはやっぱりどこか似ているよな。みんな、自分のダルマが分からなくなって、ここにきているんだ。そうでなければ、欧米をめざすし、タイやフィリピンで歓楽街にいっている。みんな、自分が社会でどんな役割を果たすべきか不明になって、この大地をさ迷っているんだ。瀬川は、日本へ帰ったらヨガのインストラクターをするといっていた。あいつは、運の悪いやつでさ。板前の修業をしていたんだ。自分の店をかまえるつもりみたいだった。けっこう、素質もあったらしい。でも仕事の最中に、左の小指を切り落としてしまったんだな。指が落ちていたら人前で料理はできない。それで、今後のことを悩みながらインドにきたそうだ」 「牧田は、どうなっているんだい」 「あいつは、トラックの運転手だった。人身事故を起こしたらしい。青信号で直進していた交差点で、小学生の自転車がとつぜん飛びだしてきたんだな。日中だったから目撃者はたくさんいたらしい。彼は急ブレーキをかけたが、接触事故になったんだな。ほんとうにかすった感じだったらしいが、運の悪いことに自転車の女の子が転倒して、当たり所がよくなかったんだな。植物状態だっていっていた。もう車のハンドルを、にぎる気になれなくなったんだな。それでインドにきて、あんなぐあいになった」 「おまえは、カメラマン希望だっていってたよな」 「カメラでは食えないし、インドのことでもかいてみたいが文才もない。このとおりの足だから、つとめるのもむずかしい。親父が田舎で雑貨屋を営業しているから、家業をつぐしかないと考えはじめている。みんな違うけど、やっぱり、インドでこうやって自分の行く末について話したくなるよな」 石黒は、慎司をじっとみつめた。 「おれたちは、自分がなんなのかと考え、ヒントをもとめてインドにきたんだ。みんなそうだし、慎司もそうだと思うよ。ダルマがなんだか分からなくなって、自分のカーストを考えている。みんなそれぞれ違うが、こたえをさがしにきたという部分ではつながっているんだ。欧米を旅行する若いやつらは、金持ちで、そもそもべつのカーストなんだ。彼らは、自分のダルマがなんなのかなんて考えないんだ。慎司だって、そうなんだろう。帰国したら、どうするつもりなんだ」 「本音は、ずっと小説をかいていたいんだ。塾の講師をしながらな」 「つづけられなくなったわけか」 「才能がないんだな。文学賞もとれない。仕方がないんだ」 「おれも、仲間もそうだったよ。なかには、立派な賞をとったやつもいたけれどな。でも、つづけられなかった。みんな無才能なんだ。だから、それだけではあきらめ切れないんだよ。そこが始末が悪いところなんだ」 石黒は、慎司をじっとみいった。そして、また口をひらいた。 「みんな、すきな女ができたんだ。おまえも、そうなんだろう。自分ひとりなら、塾の教師でも食っていける。賞がとれなくても、すきなだけ小説をつづけられる。でも、家庭はもてない。カーマは、アルタよりも序列がひくい。なによりも、社会的な義務、ダルマが優先するんだ。結婚したいのなら、小説はあきらめるべきだ。自分の義務を果たし、生活の糧を稼ぐアルタが必要なんだ。この大地をふめば、四〇〇〇年をかけた文明が、これしかないと教えてくれる」 「おまえにも、分かったというわけか。正しいよ。おれも、そう思う」 やがて、慎司は、石黒をみつめながらこたえた。 「いったい、いくつの仏を彫りだそうとしてきたことか」 「ここから、だしてほしい」と仏陀は山岡にいったのだ。 それで、ノミと木槌をもって隠れているものを彫琢しようと思っただけだ。しかし彫りこむほどに、仏陀はいなくなる。 「仏は、そこに隠れていたはずだ」 山岡は、いまでも確信できる。しかし、姿をみせてはくれなかった。 「なぜなんだ」 彼は、彫りあがった作品をじっとみつめた。 「なぜ、仏は姿をあらわさないのか。どうして、でてきてはくれないのか」 そう思うと、またいつもの想念にかられる。 「なにか、足りないのだ。そのひとつを、足すことができるのか。心に、雲がかかっているのか。それを、払うことができるのか」 自分に、問うてみる。 「分からない」 山岡は、最初、かならず辿りつけると考えていた。なんの疑念もなかったが、いま信念は揺らぎはじめていた。彼がかならず辿りつけると思った場所は、多くのサドゥーたちがめざした境地と似ていたのかもしれない。いまは、こうも考えていた。つまり、辿りつくのと、そこにいられるのは、違うのではないのか。いい方をかえれば、ふれるのと、つかむのとは、べつの次元の問題ではないのか。サドゥーたちにとっても、おなじではなかったのか。 辿りつくことは、けっこう多くの人ができるのかもしれない。ついたところを誰かが見届けてくれれば、彼岸に到達したと証言してもらえるだろう。それは、あくまで運で、その瞬間をみた者がいるばあいにかぎられる。辿りつくのはとてもむずかしく、望んだ者たちのほとんどが果たせなかった境地だろう。しかし触知した人びとは、じつはおおぜいいて、そのなかに偶然、ついた瞬間を誰かに見届けられた運のいい者が解脱者とよばれたりするのではないか。 いっぽう彼岸にとどまれるのは、ふれた者たちの万分の一もない。その人たちは、いつでもそこにいる。だから、辿りついた証明は不必要だろう。運の要素は欠片もなく、彼岸にいる事実だけがある。ふたつはまるでレベルの違う次元だが、人はこの境地をまぜこぜにし、どんな目的で、なにが手段なのかも分からなくなっているのではないか。 そしてつぎの瞬間、いちばん怖い想念がおそってきて、身体が震えてくる。考えたくない、とても恐ろしいことだ。もしかしたら、はなから「甕」(かめ)など、なかったのではあるまいか。あると感じた思いこそ、幻想ではなかったか。それがなければ、足せも満ちもしない。はじめからすべてがこぼれ、床が濡れただけだ。 「甕」をもっているのか。もう分からない。なぜ、もっていると信じたのだろうか。根拠があったのだろうか。いまは、もう分からない。 「甕」は、器だ。 「ワゴラーが、ながれていた」 山岡は、思った。 一五年以上も、まえのことになってしまった。鉄道でオーランガバードまでいき、そこからバスにのりついだ。 「歩いていく」といった山岡を、宿の主人がとめたのだった。 「この草原には虎がでる。交渉してやるからバスでいけ」 主人は、そう忠告した。 車内にも屋根にも、山羊がのっていた。正確にいえば、家畜をはこぶバスに山岡が同乗したのだ。ボンネットが前方がつきでたトラックで、ふたりの男が屋根にのっていた。運転手は、山羊をつれておりると後部にいき、やおらすごい力でかかえた。バスの後方には窓があり、硝子が嵌まっていた。山羊の腹は、後部の窓硝子にべったりとはりついた。その逞しい男性によって、頭をうえに窓に押しつけられたのだった。運転手が家畜の尻を肩にのせると、今度は屋根にいたふたりの男が前足を一本ずつ手にし、掛け声とともに力いっぱいひきあげた。山羊の雄は猛烈な繁殖力をもつと、きいたことがあった。窓にはりついたのは、巨大な陰嚢だった。ふぐりは窓硝子に押しつけられ、じょじょに天にあがっていった。バスの屋根にひきあげられた一〇頭はすべて雄山羊で、どれも巨大な陰嚢をもっていた。汚れた窓硝子に山羊のふぐりの跡がべったりとつき、縦に何本も線をつくった。陰茎は押しつぶされ、地をむき、おなじ硝子窓に汚い筋をのこした。 バスは、舗装もない平坦な土の道をゆっくりと走っていた。車内には、メーメーという山羊の鳴き声が充満し、その声は屋根からもきこえていた。 周囲の大地は、見栄えのしない灌木が間隔をあけながら、疎らに生えて地面を覆っていた。どこまでも広大な原野で、みわたせる地平線の彼方まで、途切れることなく延々とつづいていた。木々のあいだには、木の葉よりも淡い黄緑色の下草が覆っていたが、茶色の土が露わな場所も散見できる痩せた大地だった。 それは、いきなり視界に飛びこんできた。前ぶれもなく、とつぜん大地に亀裂が入り、巨大な馬蹄形の河と谷と絶壁がみえた。全景を目のあたりにしたとき、身体が震え、度肝をぬかれる衝撃を覚えた。 とつぜん切れこみを入れられた谷を構成するふかい亀裂は、黒い玄武岩の岩肌だった。溶岩がつみかさなった、断層状の横線がいくつもみえた。弓なりになった黒い層に、二〇ほどの穴があいていた。それが、意味不明につらなっていた。 バスが谷にむかっておりていくと、絶壁の穴はすこしずつ大きくなった。河原に降り立ったときには、断崖は一〇〇メートルもあるほどにみえた。大河ワゴラーが削り、削りとり、それでも削げずにのこった黒い岩肌だった。ワゴラーは、大きな弧をかいてながれる。デカントラップを構成する玄武岩が絶壁がわへの浸食をさまたげ、巨大なU字谷がつくられた。アジャンタ石窟は、たかさ一〇〇メートルにもおよぶ断崖のすそに、ながさ五五〇メートルにわたって掘られた、大小二九の石窟院からできていた。 山岡は、崖につくられた幅五メートルほどの階段をのぼった。暑い日で、雲ひとつない青い空から熱線が執拗に照りつけていた。二〇メートルくらいの階段が終わると、そのまま回廊にかわり、河に面するがわに木製の柵が腰のたかさまでつくられていた。 まがり角の日陰になったところに水売りがいた。大きな真鍮の壷があり、痩せた男に硬貨をわたし、柄杓いっぱいの水を買った。生暖かい液を、うまいと感じる身体からは汗が噴き出していた。 山岡は、日盛りをのがれ石窟院に入った。直射の陽光がさえぎられ、ひんやりとし薄暗かった。木造の祠堂を模したチャイティヤ窟の内部はひろい空間になり、床から荘厳な絵がほどこされた天井までは数メートルもあった。浩蕩とした窟に立つ彫刻された列柱は、建物を支えるためではなく装飾としてつくられていた。中央の大広間は三面の廊下でかこまれ、二〇ちかくの房室が配置されていた。正面には仏殿があり、仏が祀られていた。ありとあらゆる場所には彫刻がほどこされ、絵がかかれていた。二〇ちかくある柱にも、仏が刻まれていた。いわゆるテンペラ画法で、岩壁に土を塗り、その上塗りが乾いてから膠などの接着剤をまぜた絵の具でかかれていた。ラピスラズリと思われる群青も、ベンガラとみえる紅色の酸化鉄もつかわれていた。往時からさらに浸食がすすんだとしても、水をくむために河岸におりるのも容易ではない過酷な地で、崇高な祈りがつづけられたのだ。壁には大小三〇ほどの窟が掘られ、内部には万体とも知れぬ、いわば衆生の数にみあう壁画や彫刻がほどこされていた。 暗闇のなかに象がいた。土地をすてて逃げてきた難民たちが、飢えと渇きで苦しんでいたとき、象王は彼らに癒やす泉の場所を教えた。さらに、そのちかくで死んでいる象を食べて空腹をしのぐようにすすめた。難民たちが教えられた泉にまで辿りつくと、綺麗な水が湧きでていた。巨象の死体があり、飢えと渇きを癒やすことができた。しかし、彼らに泉水を教示し、食べられた象は釈迦だった。 つぎの間に入ると水牛がいた。水あびの途中で、猿がでてきた。悪戯もので、背中に排便した。我慢していると、木の神が「懲らしめたほうがいい」といったが、「これも修行だ」と釈迦は思った。ある日、やってきたべつの水牛に猿はおなじ悪戯をした。怒った牛は、猿猴の心臓を角で射ぬき、ふみ殺した。 つぎの間に入ると、龍がいた。なに不自由なく暮らしていたが、これでは生涯悟ることができないと思い、道端に横たわった。通りかかった一六人の若者が、やわらかい龍の肉を食べはじめた。苦しむ龍王の姿をみかねた商人が一六頭の牛と交換してすくい、理由をたずねた。釈迦が「悟りにちかづく、修行のためだ」とこたえると、市人はにわかに出家をした。 つぎの間にいくと大猿がいた。ベナレスの王さまは、マンゴーが大好きだった。あるとき、ガンジス河に形のいい大きな果実がながれてきて、王が河からすくいあげて食べてみるとおどろくほどおいしかった。それで兵隊をつれ、上流にむかってさがしにいくと、たわわに実をつけた巨大なマンゴーの木をみつけたが、そこには猿猴の大群がいた。ベナレス王は果実をまもるために、家来とともに猿を殺しはじめた。そのとき大猿は、河縁に生えたマンゴーとガンジスをはさんだ対岸の木の枝をつかみ、「私をつたって、河のむこうに逃げろ」と叫んだ。猿の大群は、身体でつくられた橋によって逃げのびることができた。 王は、大猿が苦しむ姿をみて後悔した。ひとときの満足をあたえるマンゴーとひきかえに、ひどい目にあわせたことを恥じて木からおろしたが、介抱の甲斐もなく亡くなってしまった。大猿は息をひきとる間際に、「仲間のために死ねるなら本望だ」といった。ベナレス王はおどろき、立派な葬儀をして供養し、その後はつねに人民のことを考え、善政をしき、おおぜいの民にしたわれて生涯を終えた。 釈迦は涅槃に入る最後の生をうけるまでに、五〇〇回以上も転生をくりかえした。人間の王であったり、鵞鳥であったり、六色に輝く「六牙象」だったこともある。その話のひとつひとつが、かかれていた。 「なにがここまで、駆り立てたのだろう」 山岡は、思った。 岩肌にさわってみると、猛烈に固かった。ワゴラーでさえ削れなかった玄武岩を、とくべつな道具もない時代、人が手によって掘削したのだ。まず横に穴を掘り、そこを天井にして床を掘りだす。気が遠くなるほどのながい年月をかけたつみかさねが、数メートル下までの岩を削り落とす。壁は立てられたのではなく、掘削されたのだ。どの部屋も、天井画がかかれ、仏像があった。ここにも、そこにも、あそこにも、世界は仏で溢れていた。 山岡は、ぼうぜんと立ちつくした。 日盛りにでて、つぎの窟に入ろうとすると、いっせいに黒いものが湧きでてきた。ものすごい音で山岡が両手で自分の顔を覆うと、身体にぶつかりながら飛んでいった。無数の蝙蝠だった。猛烈に生臭く、床は糞と尿で真っ白になっていた。殺風景な木造の僧院を模したヴィハーラ窟で、天上にはいくつかの唐草文様がかかれ、さむざむとしていた。大きな広間をすすんでいくと、さらに奥に房室がつづいていた。せまい出入り口をもぐると、なにもない石の部屋があった。室内は、つめたく、固くて無機的だった。畳三枚ほどの部屋は、天井がひくく、隅に一畳にも満たない岩があって、手のひらをあててみると、しっとりと感じた。彼の膝のたかさで、真っすぐに切りとられた石の寝床だった。 山岡は、背負っていたリュックを床におろし、ベッドに横たわった。平らで、ごつごつした感触もなく、火照った身体がひんやりと感じられて気持ちがよかった。ここを掘りすすんだ僧たちのことを、漠然と思った。彼らが望んだものは、なんだったのだろうか。誰かがこの谷に仏が隠れているのをみつけ、露わにしなければならないと感じたのだろう。これだけの構造物ができたのだから、仏陀がいたのは間違いがなかった。おおぜいの衆生が感じたからこそ、ここまでつくられたのだろう。しかし、この崇高な行為のなかで、仏は姿をあらわしてくれたのだろうか。 ふと、冷気で目がさめた。真っ暗で、なにもない漆黒の闇が無限にひろがっていた。 「なんてことだ、寝てしまったのか」 山岡は、おどろきとともに思った。 じっとしていると、闇はふかくてはてしもなくみえた。どのくらいたったのだろうか、目が暗闇になれてきて、出入り口が分かった。山岡は、床にあったリュックを背負い小部屋をでた。唐草模様の部屋にもどると、遠くに外がぼんやりとみえた。夜になっていた。バスの運転手は、彼をみつけられずに出発したのだろう。 そのとき、とつぜん河のながれがきこえた。なぜいままで気がつかなかったのかと思えるほどの、ものすごい轟音だった。ゴーゴーというさわがしい音にむかって歩き、小さな穴をぬけて回廊にでると柵がぼんやりとみえ、あれ狂ったながれがみえた。木製の垣根に手をつき河原をみおろすと、上流で雨がふったのだろうか、大河ワゴラーはものすごい濁流にかわっていた。落ちたら、痛いだけではすみそうもなかった。 「死ぬかもしれない」と思った。 そのとき、山岡は背筋にぞくっと冷気が走り、息がつまった。ちかいところの回廊に影があり、かすかにうごいていた。虎では、なかった。山岡と、おなじくらいの背丈の人影だった。その影は、じっと彼をみつめていた。どのくらいの時間だったのだろうか。暗い回廊に息をこらして立つ山岡は、みつめているのが、仏ではないのかと思いはじめた。やがて、観音菩薩に違いないと気がついた。 そう思った瞬間、観音はきらきらと輝いた。その内部から光が溢れだし、暗い世界を猛烈な輝きで満たしはじめた。山岡は、観音菩薩のちかくに歩みよると、回廊にひざまずき額を地にこすりつけた。輝く観音は、右手でぬかずく彼の頭にふれた。ながい腕をつかって右の手を山岡の顎までのばし、顔をあげさせた。そして、蕾の蓮華をつかんでいる左手を彼の目の前にさしのべた。震えながら観音の手にふれると、不意に身体全体がひきあげられ、そのまま、おびただしい輝きに満たされている天にむかって、ほうり投げられた。 空中のたかくに投げあげられた山岡は、手足をばたつかせながら宙を遊泳していた。激しい轟音とともに、猛烈な勢いで馬蹄形にながれる大河ワゴラーをみおろした。観音が存在するかぎり、彼がワゴラーに落ちて死ぬことなどできなかった。輝きながら回廊に立つ小指ほどの観音菩薩をみつめ、そして頭をまわして空をみあげた。 天空は、煌めく星雲によって埋めつくされていた。新月だったが、満天の銀河は芥子粒状の星が帯をなし、弱々しい光線があつまってどこもあかるく輝いていた。金色になった無数の金剛石から構成された全天は、煌めき、耀うて、光が溢れこぼれていた。 山岡の目から、涙がながれていた。「甕」は満たされ、溢れでていた。あらゆるものが、無尽蔵にこぼれ落ちていた。彼は思わずしゃがみこみ、リュックを地面に投げすてた。もう必要なものはなにもなかった。いままさに、すべてを手に入れていた。それは、「天と地」だった。山岡にとっては充分すぎるものだった。もとめているすべてが、いま、ここにあったのだった。 山岡は、日本では暮らすべき場所もみつけられなかった。彼は、この地で、名もない衆生のひとりとなって生きなければならないと思った。いまここで、観音菩薩から自分の果たすべきダルマを教えられたと山岡は信じた。 三、桂子 病室には、「面会謝絶」という札がかかっていた。 そのまえで、山岡は頭をかかえていた。 桂子が自宅の風呂場で手首を切ったのは、三日まえだった。山岡は、このことをついさきほど知った。久しぶりに家に帰ってみると、食卓のうえに、桂子の母親の書き置きがあった。 「自殺未遂をして危篤状態です。すぐに病院にいってください」とかかれ、入院している勤務先の病院名と部屋番号が併記されていた。 「山岡さんですね」 胸に「村井」とかかれたネームプレートをつけた若い医師は、七分袖の白衣をきていた。髪はみじかく眼鏡をかけ、痩せて背丈は山岡とおなじくらいだった。 「たいへんなことでしたね」と村井はいった。 「お世話になっています。容態は、どうなんですか」 山岡は、頭をさげた。 「危ない状態です。だいぶ弱っていましたから。それにいまは、血管内で血が固まりやすくなるDICを起こしています。なんとも申しあげられませんが、最善をつくします」 村井は、こたえた。 山岡は、病室に入った。輸血をされ、さまざまな管が身体につけられた桂子が、静かに眠っているのをみた。 芸大の学園祭で、山岡は彼女と知りあった。そのとき、ふたつ年下の桂子は、まだ看護科の学生だった。 山岡は、学園祭で個展をひらいて、彫刻を展示していた。ほとんどが習作だったが、自信のある作品もいくつかはおかれていた。部屋にきた者は、何人もいなかった。だいたいはふたりづれで、なにをみているのか分からないままでていった。中央にテーブルをおき、来客の名簿を一応はつくったが、誰も記銘してはくれなかった。 「そんなものだろう」 山岡は、失望したわけではなかったが、満たされてもいなかった。 「どうせ来室するのは、なにも分からない素人で、ちょっと寄るだけの暇つぶしだ。ちかくにきたから、のぞいただけだ。原石とは、みんなにすぐに分かる、つまらないものではない。追いかけているのは、もっと崇高な芸術なんだ」 彼は、誰もいない部屋の窓から、にぎわう出店をみた。 山岡の背丈もある中央におかれた彫像を、ひとりの女がじっとみつめていた。その像こそが、室生寺に通って彫った会心の作だった。はじめての一木づくりで、せっかくだからと思って一木彫(いちぼくちょう)にした。背中に穴をあけて内刳りをほどこした。蓮華座をつくるのも、はじめてだった。仏師の道兆に教わりながら蓮肉を削り、幾度も失敗をくりかえしては葺軸をあけ、蓮弁をはめこんだ。思いをこめて彫りぬいた作品で、個展の目玉だった。その一木彫を真剣な表情でみつめていた女性はふと顔をあげ、隅にすわる山岡と目をあわせた。ながい髪をポニーテールにまとめた女は、色が白くてほっそりしていた。 山岡は立ちあがり、女性のそばにいき、「どうか、なさいましたか」ときいた。 「あなたが彫ったの」と女はたずねた。 「まだ、完成とはいえません。不充分だと思っています」 「聖観音菩薩ね」 「そうです。そのつもりで彫りました。なぜ、聖観音(しょうかんのん)だと分かったのですか」 「胸にアクセサリーをつけているわ。髪を束ねているし、頭部に化仏があるわ。それに、蓮華をもっている」 「菩薩の姿は、出家まえの釈尊といわれています。瓔珞(ようらく)は、インドの王侯や貴族が首や胸につけた装身具で、金、銀、真珠などを紐にとおしてつらねたものです。如来の頭部がもりあがるのにたいして、菩薩は出家まえですから髪を束ねています。化仏(けぶつ)の小仏は、観音に姿をかえた本体が、阿弥陀仏だと示しています。持物(じぶつ)は、宝珠や水瓶、蓮台などもありますが、蓮華がいちばんいいでしょう」 「なぜ、そう思うの」 「咲いた蓮華は成仏を象徴しますが、観音がもつのは蕾です。仏性をそなえながら、まだいたらない菩薩自身をあらわしています」 「やさしい顔をしているわ。女性みたいね」 「観音は、男性です。しかし、衆生のもとめに応じて、女性にも変化(へんげ)します。釈尊の時代は、男性社会でした。往生のために女性を変成男子として、男にかえたという話もつたわっています。観音の起源は、古代イランの水と豊穣の女神、アナーヒターともいわれます。ですから、ほんとうは女性なのかもしれません」 「観音菩薩って、インドのシヴァ神だときいたことがあるわ」 「ほんとうですか」 山岡は、不審げにたずねた。 「私がうまれたところは、鳥海山の麓なのよ。ちかくには、出羽三山があったしね。修験道がさかんだった場所なのよ。山岳信仰が、菩薩信仰と混交したときいているわ。修験者や山伏が、たくさんきていたのよ。修験道は密教系だから、大乗仏教とは違うのかもしれないわね」 「ずいぶん、お詳しいのですね」 山岡は、感心していった。 「耳にしているだけよ。この首についているのは、傷なのかしら」 「三道(さんどう)といわれる、皺です。観音の肌のやわらかさを示すものです。煩悩、業、苦の象徴ともいわれます」 「三本なの。四本みえるけれど」 山岡は、三道のうえに自分の飛翔があると信じ、一本余計に皺をつくった。彼は、だまりこんだ。 「観音妙智の力、よく世間の苦をすくう。神通力を具足し、ひろく智の方便を修して、十方(じっぽう)の諸国土に、刹(くに)として身を現ぜざることなし」と、女は観音経の一節を口にし、さらにいった。 「たくさんの苦悩があるのでしょうね。声がきこえてくるわ。おおぜいの人を、すくってくれるのでしょうね。作者の苦悩があらわれているわ。つづけていくのは、たいへんなのでしょうね。あるものを、うみだすって。むずかしいのでしょうね。きっと」 「あるもの。ですか」と山岡はきいた。 「ここにおかれている菩薩像は、もう、うまれていた気がするのよ。はじめてつくられたのではなく、あなたが、すでに彫る以前にみつけられていた姿だったって思うのよ。気を悪くしないでね。そう思っただけなの」 女は、伏し目がちに山岡をみていった。 部屋には、誰もいなかった。 一本の木から可能なかぎり仏の全身を彫りだす一木彫を創作する過程で、山岡は大乗の世界を知った。小乗は、迷界と仏界とを峻別し、この世では幸福や満足は得られず積極的な価値はないとする厭世観をつちかった。しかし大乗では、煩悩と菩提が切り離せないもので、悲観主義は無意味だと教えてくれた。蓮華座をつくり、一枚一枚の蓮弁を削りながら、山岡は不忍池に咲く蓮を思い浮かべた。泥沼に生え、それでいて汚濁に染まらず純白やピンクの花をひらく蓮華こそ、大乗の象徴だと知った。 山岡が存在しているのは、世界であって宇宙ではない。ふたつは、どちらも時間と空間から構成される。しかし「宇宙」は、どれほど広大であっても、人間の存在を前提としてはいない。いっぽう「世界」は、人の業によってつくられ、生滅する。 山岡は、留年して室生寺に通い、変人ぞろいの仲間から「狂人」といわれるまでに打ちこんだ。しかし一年は、瞬くほどの時間でしかなかった。「世」には、七五分の一秒をあらわす刹那から、劫(こう)という長大なときまで存在する。磐石劫(ばんじゃくこう)というたとえによれば、一辺が約七キロメートルの巨大な岩石がある。一〇〇年に一度、天上界から女性がおりてきて、衣服がふれた分だけ岩がすりへる。やがてながい年月がたち、天女の衣によって磐石劫がなくなっても、一劫はまだつづいている。 華厳世界は、無数の風輪からなる層状の構造をとり、最上部に香水海があり大蓮華が生えている。その縁をとりまく花弁の列が華厳を縁取る大輪囲山(いせん)であり、一枚一枚が蓮弁なのだ。そこには、一〇〇億の世界がみとめられるという。人には計り知れない「界」は、芥子粒の実を割って辿りつく極小から、大華厳が形づくる広大無辺なものまであるのを知った。 世界は輪廻し、生成の成、持続の住、消滅の壊、すべてがなくなる空、の四つがひとつのサイクルを形成する。各々が二〇劫つづく成住壊空(じょうじゅうくうえ)がひとまわりするには、八〇劫の時間がかかり、これを一大劫とよぶ。劫の終わりには、戦争や流行病や飢饉がやってくる。大劫が終わるときには、火事と洪水と風による大災害が生じる。六四大劫がひとつの区切りとなり、これを六四転大劫という。 山岡は目もくらむ巨大な「世界」のなかで、蓮華座をつくり一面二臂の観音菩薩を彫った。一本の榧から一木彫を制作した彼の眼前に、ノミを揮うたび、いままでどこにもみえず、ふかく隠されていた腕が出現し、顔があらわれた。仏に出会い、むかえるという感動に身が震えた。山岡は、仏陀の顕現に立ち会うばかりか、うみだすという興奮に陶酔し、心は快哉の叫びに満たされた。 女の言葉は、彼の気持ちを理解していた。綺麗な女性だと、山岡は思った。なによりも、やさしそうにみえた、それが加納桂子だった。 「私は、聖観音菩薩さまとは仲がいいの」 佳子はいった。 「どういうことですか」 怪訝な表情になって、山岡はたずねた。 「なにか、とくべつな因縁をおもちなのですか。ぜひ、うかがいたいです」 山岡は、時間があるなら話をきいてみたい。どうせ誰もこないから、椅子にすわって話しあいたいといった。桂子がふたり切りで話すのを躊躇しているのをみると、仲がいい観音菩薩に話をきいてもらったらどうかと提案した。そして、中央の観音像のそばにおかれた椅子にすわるようにうながした。 桂子は、すこし考えていた。テーブルに缶コーヒーをならべ、席にすわって待っている山岡をみて腰をおろした。 「観音さまとは、何度もお話したことがあるのよ。子供のころから」 「なにか、神秘的な体験をなさったのでしょうか。きっと、とくべつな事情ですね」 「私の家のちかくには湖があって、そこに観音さまが住んでいるの」 「きいたこともないお話です。おうまれは、どちらなのですか」 山岡は、怪訝な表情でたずねた。 桂子は、観音菩薩との出会いを話しはじめた。 彼女は、秋田のうまれだといった。海のちかくだが、南北に小さな山がふたつならんでいる。そこには西国三十三所を真似て、三十三体の菩薩像が建てられている。石像だが、どれも聖観音像だ。その山をはさんで、陸がわに湖がある。琵琶湖に似ているらしいが、ほんとうかどうかは知らない。そこには、観音菩薩が住んでいるといわれる。風がやんだとき、湖面から声がひびいてくる。 「誰にでも、きこえるのですか」 「いいえ。みんなには不思議な音くらいにしか思えないみたい。でも私には、もっといろいろにきこえるのよ。だから、かわった子だっていわれていたわ」 そうだろうと山岡は思った。誰にでも分かるのなら、有名になって彼の耳にもとどいているはずだ。 「どうして、あなたにだけ、きこえるのでしょうね」 山岡は、怪訝な表情でたずねた。 「分からないわ。でも、きこえるのだから仕方がないわ。ほかの人には、観音さまはときどき名前をよぶらしいわ。でも、私とは話してくれるのよ」 山岡は、観音像の顔がとつぜん出現したときの、表現できないおどろきを思いだした。観音は、一本の木のなかに隠れていた。それに出会い、むかえたときの感動は、その瞬間まで思いもつかないものだった。おなじような感覚なのだろうか。 「あなたが、きこえるのは、ほんとうなのでしょうね。でも、なぜ、ほかの人が信じてくれるのでしょうか」 「曾祖父が、三十三所をつくったからだろうって。だから、私にきこえても、不思議がらなかったのね。みんなが信じてくれたのだわ」 「あなたの家系は、仏師だったのですか」 山岡は、おどろいてきいた。 「いいえ。そこに三十三所巡りをつくろうと、発願した者のひとりだったのね」 「お寺の住職だったのですか」 「ただの農家の者なのよ。でも、信心深かったのでしょうね」 「それは、ただの農家の方ではありませんね。すくなくとも豪農ですね。名主さんだったのですか」 「私の町は、海にちかいから漁師町なのよ。だから、お金持ちだったのは、網元ね。日本海ぞいに点々と港町があったのよ。ちかくで有名なのは酒田だけど、ご存じですか」 「名前は、きいたことがあります」 「私が住んでいたのは、秋田と酒田のあいだの小さな町よ。漁業がさかんだったのね。佐渡の沖合に、いい漁場があるそうよ」 「越後の豪商の話は、ときどき時代劇でもでてきますよね。でも、網元を説得するにしても、ある程度の地位が必要だろうと思いますが」 「お金持ちではないけれど、名主だったのね。それで、網元たちを説得して三十三所の巡礼地を再現したのね」 「三十三体の聖観音菩薩が、一ヵ所におかれているのですか」 山岡は、イメージがわかず、もっと具体的に説明してほしいといった。 桂子は、ぽつぽつと話しはじめた。 西国三十三所巡りは、京都、奈良を中心とした近畿地方の三十三の寺社を巡る。中世の時代、一一世紀にほぼ完成したといわれる。三十三という数字は、菩薩が地上に降り立つ姿で三十三変化とよばれる。だから菩薩信仰で、変化の数に応じた神社をまわる巡礼をさす。彼女の住む町では、江戸時代の末期に、似た巡礼路をつくろうという案がもちあがった。曾祖父は、熱心に網元を説得してお金をださせた。ふたつの山に、三十三体の菩薩を西国三十三所巡りになるたけ似せて配置した。実際に自分で巡礼して、三十三ヵ所の寺院の土をもちかえり、各寺に相当すると決めた設置場所に埋めたという。 「それは、ずいぶん入れこんだのですね。情熱がなければできないことです」 山岡は、感心していった。 三十三は、宗教的には聖なる数にあたる。仏教では、菩薩の三十三変化のほかに、三十三天という言葉がある。古代ゾロアスター教では、信仰を支える日常的な儀式として、三十三個のクスティーとよばれる結び目を朝晩つくったときいていた。この数は、霊的な完成や宇宙の秩序を構成すると考えられていたのだと山岡は思った。 「なぜ、みんな聖観音像なのですか」 「石像は、地元でつくったのよ。石には思い入れがあって、どこからかはこんできたらしいけれど。奈良や京都の有名な仏師に彫ってもらい、それを運搬してくることは、金銭的に無理だったのね。地元の石工がつくるとなると、むずかしい造形は不可能だったのね。だから、いちばん単純な形で装飾がすくない聖観音像がえらばれたわけね」 なるほど、と山岡は思った。 聖観音は、あらゆる観音像のなかでもっとも基本で、根本的な形姿になる。そこから、さまざまな変化がうまれる。頭上から四方八方にいる衆生をすべて見すえるといわれる、十一面観音。千本の慈悲の手と千個の知恵の目をもって人びとをすくうという千手観音。千手では、あまりに多すぎるので二五本で代用するばあいでも、造形的には猛烈に複雑になる。如意輪観音は、たとえ二臂でつくったとしても、密教的な要素がつよく、衆生のための菩薩という概念とは距離をもっていた。そのほか、馬頭観音、不空羂索観音など、どれも造形的に複雑だった。 「一度、みてみたいですね」と山岡はいった。 「素朴ですけれど、参考になるかもしれないですね。素人の作品ですけれど。菩薩は、つくり手が誰であろうと関係ないですものね」 「無関係とは、どういう意味ですか」 「みんな、尊いですよね。作者とは関係なく」 桂子は、山岡をみて微笑んだ。素晴らしく素敵な笑顔だった。 「しかし、曾おじいさんはすごいですね。江戸の末期、地方に三十三所をつくったなんて、日本でも有名ではないのですか。私が無知だっただけで」 「そんなことは、ないですよ。江戸時代の末期は、世の中がどうなるのか、誰にも分からなかったのでしょうね。三十三所づくりは、全国各地でブームだったみたいですよ」 「そういえば、秩父の三十三所巡りをした友人の話をききました」 山岡は、思いだしたようにいった。 「どこにでもありますよ。全国で、二〇〇以上つくられたときいています。東京にも、いくつかあるはずです。三つ四つは、きいています」 「そうなのですか。機会があったら、あなたと仲がいいという観音さまを、いっしょにみにいってみたいですね」 山岡の言葉に、桂子は小さく笑った。 ふたりの交際は、こうしてはじまった。 山岡は、桂子と、ずいぶん上野を歩いた。 汚い池だったが、不忍は四季をとおしてふたりの交際をみていた。花見がすぎると、葦が褐色にかわり、アジサイが咲き、ハンゲショウがひらく。夏がちかづくと素晴らしい緑になって葉がひろがり、ピンクの蕾がみえはじめ、汚れた池一面が蓮華の花で満たされる。穢れた東京の汚い泥沼さえも、仏はみすてていないと山岡は思った。ふたりでいると、どんな時間でもみじかく、あまりにはやく道が終わってしまうので、湯島天神まで幾度往復しただろうか。 桂子は、色白の秋田美人だった。とくべつに背はたかくはなかったが、スリムな身体つきの女性だった。その地方では有数の豪農の娘で、大切に育てられていた。片田舎の出身とは思えないほど、上品にみえた。いちばんの魅力は、いい匂いのする艶やかなながい髪だった。黒髪は、ストレート、三つ編み、ポニーテールのどれでも、北国育ちの白い肌によく似合った。 山岡は、結婚を決めたとき、桂子の実家に報告のために出向いた。 上野から、夜の六時に、東北本線夜行急行列車「おが」に乗車した。仙台をすぎても、線路はどこまでもつづいていた。盛岡、大館、能代、八郎潟をぬけ、翌朝の六時に終着駅の秋田についた。さらに、七時に羽越本線普通列車に乗り換え、九時に桂子の実家のある町に到着した。 駅には、母親の加納明子と兄たちが出迎えていた。そのなかには、町議会議員までふくまれていた。 「よく、こんな田舎まできてくださいました」 感極まった明子は、山岡の手を握りしめ、目には涙まで浮かべていた。 加納家の奥座敷には、正装した加納実男が待っていた。 山岡は、実男と明子のまえで桂子とならんで正座し、「お嬢さまを妻としていただきたいのです」といった。 「こんな娘でよかったら、ぜひ、よろしくお願いいたします」 加納実男は、感無量という表情でこたえた。 東京芸術大学という肩書きは、絶大な力をもっていた。山岡が仏像彫刻を専門としている話は、実男には、彼の祖父が苦労して三十三所巡りをつくった因縁ととらえられた。 この町から、芸大に進学した者はひとりもいなかった。 東京美術学校と東京音楽学校が併合されて創設された東京芸術大学は、日本の芸術教育の最高峰、国家がつくった唯一の芸術エリート校として、きわめてたかい評価をうけていた。当時は、大学進学率が一〇%にも満たなかった。大学に入っただけで、すでにエリートとみなされる時代だった。そのなかでも東京芸大は、実技試験が必要で、師弟制度的な指導がうけられ、また極端にすくない定員によって、一般大学よりさらに狭き門と認識されていた。芸大に入る者は、とくべつな才能をもつという社会的認識がつくられていた。実際にも明治から昭和にかけて、日本画、洋画、彫刻、工芸、音楽の主要人物の多くは芸大出身者だった。 芸大生は、芸術家と同義といってもよかった。とくべつな才能、芸術家肌で個性的、一般社会の常識の枠にしばられない、さらに国家的に重要な文化人材と評価されていた。一般人からは、尊敬と距離感がまじりあった形でうけとめられていた。 桂子の両親が、山岡の将来を国家によって保証されていると考えたのも、ごく自然だった。ただただ、めでたい出来事としてとらえられた。 山岡は、両親が戦争中に他界し、兄弟もいないことをつたえた。そのため、金銭的な理由からも、結婚式をあげる気持ちをもっていないと話した。 両親は、費用の負担はいとわない。なんとか、ここで式をしてほしいと懇願した。結婚後の暮らしについても、持参金代わりに東京に新居を提供する。月々の生活費も、彼が大学を卒業するまで送金を約束するといった。 山岡は、両親の相次ぐ好意的な発言をうけ、加納家で挙式をすることに同意した。 結婚式は、盛大にとりはかられた。 そのおり、山岡は、桂子といっしょに三十三所巡りをしてみた。石づくりの聖観音は、素朴だった。しかし、それなりにひとつひとつが味わいをもっていた。巡礼地を背景に、観音の声がきこえるという湖もみた。 「観音菩薩は、なにかいっているかい」 山岡は、ゆるやかな風が吹くなかできいた。夏の日だった。 「きこえるわよ。聖観音菩薩をうみだしてくれる彫刻家と、結婚しなさい。その人を、幸せにしてあげなさいってね」 桂子は、笑ってこたえた。 「ご両親は、誤解している。なれても、高校の美術教師くらいだが、かまわないのだろうか」と山岡はきいた。 「あなたが、気のすむようにすればいいのよ。私が看護資格をとれれば、生活費くらいつくれるのだから。だまっていればいいのよ。喜んでいるのだから。ひとり娘を、こんな遠くから東京にまで送りだしてもらって、両親には感謝しているのよ。あなたに巡りあう機会を、つくってくれたのですからね」 「そうなのか」 山岡が困惑した表情でだまっていると、桂子はまたいった。 「どっちだってかまわないのよ。あなたが、気がすむようにしたらいいのよ」 鳥海山がみえた。修験者たちは、結婚しないのだろうか。もし、本気ですきな女性がでてきたばあいは、普通の生活にもどるのだろうか。彼の知りあいたちも、結婚することでノミと木槌をすてていた。 山岡が四年になったとき、桂子は看護師の試験に合格してつとめをはじめた。夜勤が多かったが、「あなたが納得できるまで、私がはたらく」と彼女はいい、どんなに疲れて帰ってきてもやさしかった。 山岡は、彫像を専門としていた。一年留年したが教職課程はとっていたので、高校の美術の教師になることはできた。しかし、芸術に打ちこみたかった。ノミを揮うと思うままの形になって、自由自在だった。 「あなたには、才能があるわ。私がはたらけば、ふたりが暮らすお金はできる」 桂子は、彫像をみていってくれた。彼女の選択は正しく、才能はいずれ開花すると、山岡は疑いもしなかった。 「愛しているのなら、教師になるべきだった。誰もが、天秤にかけて生活の安定をえらんだのだから」 しかし、山岡には、みとめられる自信があった。ある程度の時間が必要かもしれないが、疑う余地はなかった。世間が彼の才能をほったらかしにしておくなど、微塵も考えられなかった。 春の日の午後、東京の鈍色の空には淡い雲がかかり、弱い陽光がさしていた。汚れた泥田の不忍池の弁天堂で、「子供ができた」と桂子はいった。「うみたい」とすき通る目で山岡をみつめていった。彼が卒業し、一本でいくと決めた年だった。 桂子はつわりがなかったが、初産は心配の種だった。 母親の明子も、愛娘の妊娠はたいへんな気がかりだった。秋田から一六時間もかけて、幾度も上野の家を訪問した。そうしているうちに、山岡が定職をもたず、一銭も稼がないばかりか、芸術家気取りで暮らしている実態を知った。彼は、家事もいっさい手伝わず、幾日も家をあけていた。ぶらりと帰ってくると飲み食いして、桂子から金をもらっているだけだった。ほとんど、紐状態だと知った。 桂子は、秋に娘を出産し、名前は山岡が「恵」とつけた。めぐまれていると思い、そう信じたかった。恵は、とんでもなく可愛かった。農家の仕事が一段落すると、父親の実男も一六時間の道程をいとわず幾度も上野の家にきてくれた。くりかえすうち、しだいに山岡への視線はつめたくなっていった。 明子は、「子供をうむのは女の仕事で、金を稼ぐのは男の役割だ」と再三いった。 山岡は、美術スクールの講師になった。下手糞な絵で、モチーフもテクニックもなく、アドバイスの仕方も分からないほどで、うんざりとした。やる気をださない彼に、五〇歳くらいの頭が禿げて眼鏡をかけた、商売上手にみえるスクールの校長は小言をいった。 「才能のない者は、駄目なんだ」と山岡はこたえた。 「それなら、ひきだしてやればいいではないか」と校長はいった。 「無から、有は出現しない」 そう山岡はこたえて、首になった。 「あなた。半年、我慢してくれたわ」 山岡がその話をしたとき、桂子はいった。それから彼女は、恵を病院の保育園にあずけて、またはたらきはじめた。 山岡は、あせっていた。 「なんとか、みとめられたい」と心から思った。 そもそも彫像は、きわめてマイナーな部門で、それを仕事として生活している者などほとんどいなかった。日本のばあい、仏像彫刻は、先達の仏師に教えを請わねばならなかった。発願する人と、仏を製作する者のあいだをとりもつ導師が不可欠で、さらにおかれた仏像を崇めてくれる衆生がそろう必要があった。フリーの仏像彫刻は、たとえ、つくられても設置する場所もなかった。 山岡は、この誰にも、どうにもならない現状こそ開拓してみたいと思った部分だった。生活のためには、教職につかねばならないのはよく分かっていた。だが、もうすこしという気がした。「甕」は、九分まで満ちていると思った。もうすこし足せば、いっぱいになり、そしてかならず溢れてくる。 「溢れでた部分は、芸術だ」と山岡は思った。 しかし、溢れなかった。なにが足りないのか、山岡は追いつづけた。そばにある、すこし手をのばせばいい。すぐにつかめるほどちかくだが、つかんだと思うと煙になって消えてしまう。手がとどかない、遠くのものならあきらめられる。しかし、そうではないのだ。目の前にみえ、ふれた感覚もある。到達はしているのだが、つかむことができない。幻なのか、なぜなのか。 山岡は、しだいに酒におぼれていった。泥酔していれば、これでいい気がした。待ってさえいればいいと思い、あせりを解決してくれるように感じた。やがて、酒があれば、どうでもいい気がした。なによりも必要になり、桂子の稼ぎはみんな気狂い水にかわった。 「これでは辿りつけない」ことは、分かっていた。 桂子といっしょに幾度、泣きながら一升瓶を水槽にながしたか。 「何度、誓ったか」 言葉は、いくらでもでる。山岡がそのとき、心の底から思った文言だが、すぐに分からなくなってしまう。言葉を忘れたわけではないが、現実には無力だった。何回、不忍池に酒をながしたか。弁天堂で許しを請い、「もう、やめる」と何度いったか。 「力になるわ。あなたの気持ちは、分かるのよ。悲しいほどに。でも、これでは解決しないのよ」 すべては、桂子のいうとおりだった。誓うのは簡単だし、決してその場かぎりのつもりではなかった。心から思っていたことだが、勝てなかった。ほんとうの問題を解決しないかぎり、無意味だった。しかし、なにが核心だったのだろうか。桂子を愛する以上の問題など、どこにあったのだろうか。山岡には、分かっていた。充分に理解しているつもりだったが、すくわれなかった。 「仏なんぞ彫って、どうする気だ」 室生寺の住職、慧信は、三道を穢した山岡に何度もいった。 「円空は、邪道なのだ。規範にしたがって、はじめて仏像になるのだ」 「典籍に則るとは、そもそも衆生のためではなく、権力者の命に応じ、つくられたことを意味するのではないのですか」 山岡は、真剣な表情でたずねた。 「仏像に、独創性など必要がない。仏には、個性があっても、製作者の自己表現の場ではない。おまえが仏像をつくりたければ、仏法に帰依し、規範にしたがい、職人になる以外に、どうして彫れるのだ。我をすてるのが、仏道なのだ。いったい、なにが芸術だ」 慧信は、道兆の弟子になり、仏を彫りたいという山岡に罵声をあびせた。 「彼岸に辿りつくことは、目的ではなく結果なのだ。悟るのは、勝手だ。どう覚悟してもかまわないが、大切なのは、その悟りでなにをするかだ。悩み苦しむ衆生のために、菩薩行をめざさねばならない。仏道では、生きているかぎり修行なのだ。おまえは、なにさまのつもりなのか。観音仏にすくってもらう以外の術が、あると思っているのか。仏道に帰依しないで、仏はつくれない」 慧信は、山岡を決してうけ入れてはくれなかった。彼の慢心をなじり、自分がいるかぎり仏像など彫らす場をあたえないと明言した。 道兆は、山岡の知る工匠のなかでもっとも優れた作品をのこしていた。彼は、女と酒からのがれることができずに、慧信に会うたびに罵倒され、泣きながらノミを揮っていた。 山岡は、道兆の刻んだ像には仏がやどっていると思った。だから慧信よりも、破戒僧だった彼に傾倒していた。 「そんな材木の塊が、なんだというのか」 住職の言葉は、道兆を嫉妬しているとさえ感じた。 そのころ山岡は、仏師をさがしていた藤井日達と出会った。 黄金色輝くながい僧衣を身にまとった日達は、苦悩する彼にむかって「インドで、仏像をつくったらどうか」といった。 「そうすれば、おまえの望みは叶う。私は、世界で百の仏舎利塔を建てるつもりだ。その寺には、本尊が必要になる。おまえがつくった仏像を、安置する場所ができる。仏は、ただおかれるのではない。おまえがうみだした聖観音は、衆生の礼拝の対象になるのだ。妙法寺にこい。望んでいるすべてが、そこではできるのだ。日本では、おまえはくずだ。インドの仏教は、いまは壊滅状態だ。私が考えているのは、西天開教だ。仏教を、源郷であるインドに再興することだ。そここそ、おまえが制作した仏像がおかれる場所だ」 山岡は、仏教がうまれたインドについて、なにも知らなかった。興味もなかった。彼は、このどうにもならない日本で評価されたかった。 山岡は、思った。 ほんとうの問題とは、なんなのか。モチーフと、テクニックがあればいいのか。才能とは、なんなのか。もしかすると、はなから「甕」は存在しなかったのかもしれなかった。モチーフもテクニックも、ないほうが幸せだったのだろうか。美術スクールの生徒たちは、ずっと「増し」だったのか。中途半端なものを、あたえられた気がした。才能とは、みとめられ、讃えられることだ。 「おまえは、すごい。みたことがない。素晴らしい作品だ。いくらでもいい。もう、お金の問題ではない」 それが才能で、人をつきうごかし感動をあたえ、迫り、追いつめていく激しい思いだ。しかし、逆なのだ。みとめられることを才能とよぶのだ。結局は運で、「甕」は関係がない。必要なのは、チャンスなのだ。では、自分がやっているのはなんなのだ。どこにむかえばいいのか。「甕」を信じて足していくのか、それとも運を待つのか。考えるのはむずかしい、酒が必要だ。これだけは間違いない。酒がなければ、この問題をもち切れない。あまりの重さに、つぶれてしまう。 そんなとき一枚の写真を、バッグからみつけた。 桂子は、夜勤から帰って、となりの寝室で眠っていた。山岡は、枕元にあった彼女のバッグをもって居間にもどり、財布をみつけて逆さまにしてみると、いろいろな小物が落ちてきた。どれもつまらない代物で、興味をひく品物はなかった。空のバッグにはファスナーがついた小物入れがあり、あけると一葉の写真が入っていた。そこには、桂子と恵がうつっていた。しかし、それがすべてではなかった。娘は真ん中で、となりに知らない男がいた。嬉しそうな恵は、背広をきて黒い眼鏡をかけた若い男性の手を、しっかりとにぎっていた。 「そういえば、ちかごろ夜勤が多すぎる」と山岡は思った。 彼は、酔っていた。どちらかといえば、「しらふ」のときのほうがすくなかった。となりの寝室にもどると、ふかく寝ている桂子を起こして写真のことを追求した。しばらくいい争い、それで彼女が泣いた。それでも、山岡の罵倒はつづいていた。ポケットに入れたウイスキーを飲みながら、罵詈讒謗はやまなかった。罵声をきくまいと布団をかぶって泣く桂子に、雑言をはきつづけた。 昼すぎに帰ってきた恵は、小学一年生だったが、いまここでなにが起こっているかは理解した。桂子の布団にいくと母親にしがみついていっしょに泣き、それで山岡をにらみつけた。 財布から金をすべてぬきとり、有り金をみんなもって盛り場にいった。それで一週間飲み歩いた。酔いがさめてくると、自分の言葉が思いだされた。それは、口にだすのも恥ずかしい文言だった。その言葉を思いださないために、また酒を飲んだ。そして金もつきたころ家に帰り、明子の書き置きをみつけた。 そこで、緊急入院したことを知った。 「面会謝絶」という札が病室にかかっていた。 一週間も飲みつづけて、頭部がガンガンしていた。頭をかかえていたとき、ひとりの医師が声をかけた。七分袖の白衣をきた、背は山岡とおなじくらいの、黒い眼鏡をつけた写真の男だった。 医師にうながされて、桂子をみた。 「助かってもらいたい。自分の命にかえても」と彼は思った。 目頭を押さえた山岡は、酒はさめ、枕元で罵倒した言葉がありありと思いだされた。にぎった彼女の手は、氷みたいにつめたく、もう二度と暖めてやれないと思えた。 桂子が自殺未遂をしたのは、口論になった三日後だった。 発見したのは、仲がよかった同僚だった。彼女は、桂子が病院を無断欠勤したのを不審に思った。はじめてのことだったし、前日の様子もおかしかったので、気になって家をたずねた。幾度ベルを鳴らしても、物音はきこえなかった。扉はあいたままで、玄関には靴があった。奥で水音がひびいているのに気がついた。不審に思って音にむかってすすむと、浴槽が真っ赤に染まっていた。 桂子は、つとめていた病院にはこばれた。最善の処置がなされ、一命をとりとめた。彼女は、二ヵ月ほどで退院になった。 主治医の村井は、桂子が精神的に非常に不安定だといった。東京ではなく、秋田の実家にもどって静養することを、熱心にすすめた。 桂子の両親は、相談した。そして、恵も一時的に実家にひきとり、地元の小学校に通わせようと考えた。 山岡は、明子といっしょに家族をつれて、夜行列車の「おが」に乗車した。夕方の六時に出発した急行列車が仙台についたのは、〇時だった。ボックス席にすわっていた山岡は、席を立ち、桂子たちが寝ているはずの寝台にいってみた。桂子は、すっかり疲れたらしく寝息を立てていた。うえのベッドに横になっていた恵もよく眠っていた。桂子のむかいには明子が寝ていたが、カーテンをのぞく気は起こらなかった。彼は、ボックス席にもどると暗い外をみた。夜行列車はすいていた。車内灯も暗く調光され、周囲はぼんやりとしていた。列車は、山のなかを走っていた。三日月が侘しく照らす荒野は、彼の心象とかさなっていた。さまざまな出来事が、脳裏に浮かんでは消えていた。彼は、つくしてくれた桂子に対して、なにひとつ考えてこなかったと思った。自分自信のことに夢中になり、妻にも娘にもなにもしてやらなかった。家族がいる事実すら忘れていた。こんな業のなかで彫られた仏像に、仏がやどるはずがなかった。公開したところで、衆生の礼拝の対象になどなるのだろうか。妻子はもちろん、おのれさえすくえない仏をつくってどうするつもりなのだろうか。慧信のいうとおりだった。 三日月は、地平線のすこしうえに浮かび、周囲に木がしげる場所では隠れ、なにもないところでは世界を侘しげに照らしていた 山岡は、まんじりともしないで、秋田についた。 羽越本線に乗り換え、桂子の故郷に到着すると、車をつかって実家にいった。昼食を終え、疲れはてた彼女は自室に横になった。 明子は、恵を息子の嫁に面倒をみてもらうようにたのむと、山岡を玄関につれていった。実男もやってきた。 山岡は、靴をはかせられ、すぐに帰るように命じられた。躊躇していると、明子がいった。 「おまえの顔など、二度とみたくない。なにが芸術家だ。私たちが大切に育てた娘を、こんなに惨めにさせて、人間なのか。なにが、仏像彫刻だ。おまえには、仏など彫る資格がない」 明子は、涙をながし、にらみつけながらこらえてきた感情を爆発させた。 山岡は、じっと口をつぐんだ。土間で正座になり、頭を床にこすりつけた。 「申しわけありませんでした。すべて、私のせいです。これからは心を入れ替え、桂子さんを幸せにするよう、尽力します。申しわけありませんでした」 「おなえは、幾度、おなじ文句をくりかえした。なにが芸術家だ。おまえはろくでなしで、人間のくずだ。ここまでつくした桂子を、自殺未遂にまで追いやった。恵に、なにひとつ父親らしいことをしてこなかった。この鬼め」 明子は、泣きながらいった。 「おまえには失望した。桂子の紐になって、お金ばかりか、命まで奪おうとした。私たちは、おまえを許せない」 普段、穏やかな実男も、山岡をにらみつけていた。 「申しわけありませんでした。桂子さんのことを、なにも考えてやらなかったのは、事実です。もう一度,機会をいただきたいです。かならず定職をみつけます。夫としての義務を果たします。許していただきたいです」 「ここまでくりかえして、とんでもないやつだ。もう二度とくるな。桂子とは離縁しなさい」 実男も明子も、くりかした。 「もう一度、チャンスをください」 土下座した山岡は、絶叫した。 「この馬鹿者め。なんてやつだ」 明子は、ちかくにあった杖をつかみ、彼を打ちすえた。 山岡は、額を床にこすりつけながら、泣いた。 そのとき、寝間着の桂子がでてきた。 「お母さん、お父さん。許してあげて。この人は苦しんでいたのよ。私よりも、ずっと」 そういうと、山岡に覆いかぶさった。 明子は、杖をすてると、床にしゃがみこみ泣き崩れた。 実男は、娘を寝室につれていった。 山岡は、明子からわたされた金をもって桂子の家をでて、東京にもどった。どのように帰ってきたのか、もう記憶になかった。幾度か電話をしたが、電話口にでた明子は、「二度とかけるな」とだけいって受話器をおいた。 山岡は、藤井日達と会い、今回の事件をつたえた。もう、日本には、いる場所がなくなったと話した。 「これは、因縁だ。一度、インドにいってみろ。今後のことは、そこで考えて決めたらいいのではないか。時間はある」と日達はいった。旅費をわたし、ラージギルの日本寺を紹介した。 「私に、仏像をつくる資格があるのでしょうか」 山岡は、沈痛な面持ちできいた。 「善人では、仏は彫れない。仏像は、聖人がつくるものではない」 日達は、山岡の瞳をみいってこたえた。そして、「インドで、自己のダルマをみつけるのだ」とつげた。 追いつめられていた山岡は、その言葉にしたがった。彼は、仏教がうまれたデカントラップをあてもなくさ迷っていた。そして、大河ワゴラーで覚醒した。 帰国した山岡は、桂子に会っていった。 「このままでは、ふたりとも駄目になってしまう」 山岡は、村井とのことは、なにもきかなかった。なにがあっても、誰が悪いのか、それだけははっきりしていた。 「離婚してほしい」 山岡がつげると、桂子は泣いた。 「あなたは、青春のすべてだった。私が、ここまで追いつめてしまった」 桂子は、最後に涙ながらにいった。 「妙法寺で出家する。妻子をすてる必要がある。日達の教えにしたがい、インドで仏教をひろめる」と彼は話した。 桂子は泣き、離婚届に判を押した。 四、仏陀の弟子たち 異変を最初にみつけたのは石黒だった。 部屋にいた彼は、窓から一台の黒塗りのセダンが、この寺にむかってくるのに気がついた。石黒は、眼鏡をはずした。「なにごとが起こったのか」と思いながら、二股を右にまがり、あきらかに日本寺をめざす乗用車をしばらくみていた。それから我にかえって階下におり、玄関のまえで待った。セダンは、ちかづいてくると石黒の目の前でとまり、恰幅のいいインド人の運転手がまずドアからでると、後部座席の扉をあけた。後ろの席から中折れの帽子をかぶり、淡い緑の背広を着用してネクタイをしめた五〇歳くらいの男性がおりてきた。みじかい髪で金縁の眼鏡をかけた紳士は、石黒のちかくまでやってきた。 「こちらに、山岡さんは、いらっしゃいますか」とたずねた。 「おりますが、なんの御用でしょうか」と石黒はきいた。 ネクタイの男は、その言葉にうなずき、車にもどると痩せた女をつれてきた。男性にかかえられた女性は、ぐあいが悪そうにみえた。まえの助手席のドアから二〇歳くらいの若い女がおりてきた。ネクタイの男は、浅黒いインド人の運転手になにかを話した。ターバンを巻いたドライバーは首をかしげて、「理解した」という仕草をみせた。 「お邪魔させていただきます」 ネクタイの男はそういい、痩せた女をかかえてゆっくりと歩いて伽藍に入った。 石黒は、小走りにすすみ「山さん」と叫んだ。そして、いちばん奥の部屋の扉をあけた。 ノミと木槌をもっていた山岡は、あわてた石黒をみた。 「どうしたんだ」と彼はたずねた。 「人が会いにきています。山岡さんに。山さんくらいの年の男と女の方です」 石黒の狼狽をみて、山岡はノミと木槌を片づけて立ちあがった。 慎司は、二階の廊下にモップをかけていた。不意に、伽藍の入り口でざわざわする声がきこえてきた。そのとき、石黒が山岡をよぶ大声が響きわたった。彼が階段の上部にいくと、入り口に年輩の男女の姿をみとめた。男には、みおぼえがあった。そのあとから若い女が入ってくた。彼はおどろき、すぐに階下にむかった。階段をおりると、伽藍の通路に立ちどまっている女性に背後から声をかけた。 「恵さん」 慎司がいうと、女は振りかえった。 「どうしたの」と彼はきいた。 若い女は、慎司をみると、「ええっ」とひどくおどろき、幽霊にでもでくわしたように、二、三歩、あとずさりした。 「なにをしているの。慎司さん」と信じられない表情できいた。 みんながおどろき、一様にシンとなった。そのとき山岡が部屋からでてきて、伽藍に入ってきた男女をみて、驚愕の表情を示した。 「山岡さん」 ネクタイの男が、大きな声でいった。 山岡は男性をみつめ、かかえられている女をみた。 「村井さん。なにがあったのですか。桂子さん。どうしたのですか」 山岡は、押し殺した声でいった。 「桂子」とよばれた女は、彼をみて泣いていた。 山岡は、後ろからでてきた若い女性に釘づけになった。姿をみた途端、唇が震え、声をつまらせた。 「桂子は、末期の胃がんだ。死ぬまえに、どうしてもあなたに会いたいというので、つれてきました。恵も賛成したので、いっしょにきました」 村井は、すこし考えてつづけた。 「もう、三ヵ月は無理なのです。最後になりますが、桂子の話をきいてやってほしいのです。医者としては、もう、なにもしてやれないのです。いまできることは、これしかなかったのです」 村井は、沈痛な面持ちでいった。 山岡は、口を真一文字にとじて、大きくうなずいた。 「分かりました。それでは、桂子さん。私の部屋にきていただけますか。すぐそこですが、歩けるのですか」 「大丈夫です」 山岡は、心配そうに桂子をみた。村井がうなずくと、いっしょに自室にむかった。「集会室におつれして。茶でもだしてあげなさい」と石黒にいった。 「はい」と彼は緊張した声でこたえた。 石黒は、村井と恵を集会室につれていった。 「おかけになってください。いま、お茶をおもちします」といった。 石黒は、慎司をうながしていっしょに厨房に入った。 「なにが、どうなっているんだ。知りあいなのか」 石黒は、色しかつかないチャイを入れながら慎司にいった。 「そうだけど。どうなっているんだろう。なにも分からない」と慎司はこたえた。 村井は、ひどく疲れた様子で、溢れる汗をハンカチでふき、ネクタイをゆるめた。石黒が用意した生ぬるいお茶を飲んで、ぼうぜんとした表情で慎司をみた。 「君は、慎司君だよな」といった。 「はい」 慎司は、緊張しながらこたえた。 「そういえば。恵から、慎司君が海外を旅行しているときいたな」 村井は、ひとりごちた。そして、慎司をうつろな目でみつめた。 「しかし、若いというのは、いろいろ思い悩むということだな。ぼくも、君くらいの年には、なにをしていいのかいつも考えていた。貧しい農家にうまれて、学生時代は生活するのにたいへんだった。旅行なんて、思いもつかなかった。自分が何者で、なにをするべきか分からないまま年をとってしまった。いまは仕方がないから、もう考える必要もなくなったが。そういった意味からは、若いというのは、つらいことでもあるよな。ああ、この暑さで、頭がおかしくなりそうだ」 吹きでてくる汗をふきながら、つぶやいた。 「慎司さん。外国って、ここにくることだったの」 恵は、慎司にいった。 「いや、旅の途中で。いまは、この寺に厄介になっている」 「これが、日本寺なのね」と恵はいった。 集会室は、二列のテーブルがならんでいるだけだった。 「お寺のなかを、案内してくれる」と恵は慎司にきいた。 「なにもないけど。みてみますか」と慎司はこたえた。 恵がうなずくと、いっしょに集会室をでた。まるい伽藍は、回廊でかこまれた吹きぬけの空間だった。薄紫のモルタルがしかれているだけで、なにもおかれていなかった。西洋の伽藍には礼拝用の椅子がならんでいたが、そうしたものもなかった。入り口と反対側が祭壇になっていた。そこは一段たかい舞台で、護摩壇がおかれているだけだった。 恵が希望したので、慎司は階段をのぼり、殺風景としか表現できないモルタルの床を回廊からみおろした。そこには、灰色をした房室の扉がつらなっていた。 「どこで寝泊まりしているの」と恵はきいた。 慎司は、彼女のもとめに応じて自室に招き入れた。そこは、ちょうど祭壇の真上にあたっていた。 「どうやって寝ているの」 ベッドも寝具もないコンクリートの箱のような部屋をみて、恵はきいた。 慎司は、石の床に自分のもっている布をしいて寝ていると説明した。 扉の反対側には、こわれかけた観音びらきになった木製の窓がつくられていた。もともとは黒色だったのだろうが、日にやけて茶色に色あせていた。 ふたりは、ラージギルの大地をながめた。 そこは、仏陀の時代には王舎城とよばれ、マガタ国最大の首都して栄えた場所だった。釈迦がもっともながく滞在した地としても知られ、竹林精舎があったいわれる。仏陀入滅後には、仏典の結集が行われたことでも有名な場所だった。王舎城を盆地としてとりかこむ五つの峰をむすんで五〇キロにもおよぶ外壁がつくられていたといわれる。当時は、インドでも最大級の城壁だったに違いなかった。そのひとつ霊鷲山は、法華経の舞台にもなっていた。 しかし、いまは不毛の原野だった。一様に赤茶け、大きな岩が意義をうしなって放置されていた。どこも、ごろごろとした錆びた色の玄武岩は、首都をかこむ外壁の一部だったのだろうか。遠くに丘がみえた。わずかな灌木が申し訳なさそうに生えるだけのデカントラップが、山並みのはてまでずっとつづいていた。 「いつまで、インドにいるつもりなの」と恵がきいた。 「そろそろ、帰ろうと思っている。帰国したら、教職をめざすつもりだ。高等学校の先生になって、生徒に国語を教えようと思っている」 その言葉に、恵は慎司をじっとみつめた。 しばらくして、「それが、いいわね」と彼女はこたえた。 山岡は、桂子とふたりだけになった。 仏像によってとりかこまれた部屋には、椅子がなかった。 山岡は、「いま、あなたがすわれる腰掛けをもってきます」といった。 そして桂子に、構想を練るテーブルの端に腰をおろして待っているようにつげた。 山岡は、部屋の中央にあった丸太を隅にもっていき、小物を彫るときにつかう背のひくい台座をはこんできた。桂子のまえまでもってくると、周囲をみまわした。それから奥のほうから、やや背丈のたかい蓮華座をはこんできて中央におき、彼女にすわるようにいった。彼は背のひくい台座に腰をおろして、むかいあった。 桂子は、すっかりやつれ、白く痩せこけて弱々しかった。もうながくは生きられないのだろうと、山岡は思った。 「死ぬまえに、知っていてほしかったのよ。私は、あなたの才能を信じていたわ。それに、疑われることはなにもなかったわ。それだけは、知っていてもらいたかったの」 弱々しい声で、桂子はいった。 「分かっている」と山岡はこたえた。 目をとじると、病室が浮かんだ。ワゴラーの大河がながれ、泥色の不忍池に純白の蓮華の花が咲いていた。湯島天神、春の桜、上野のアパート、芸大のアトリエ。ひとつひとつの光景が、山岡の脳裏を走馬灯になってかけ巡った。 「おれには、才能がなかった。それを、みんな人のせいにしただけだ。恥ずかしい。みんな、はじめから分かっていたことだった。許してもらいたい」 山岡は、桂子をみつめていった。 「いいえ。あなたには、才能があったわ。自分で、信じなかっただけよ」 桂子はいうと、溢れた涙が頬をつたい乾いた床に落ちた。それから、まわりにある彫像をみまわした。 「どれも、素晴らしいわ」 桂子は、いった。 「駄目だ。仏は、おれのまえには姿をみせない」 山岡はいって、自分の作品をあらためてみながら思った。 広大なデカン高原は、どこも洪水玄武岩からできている。ラージギルの周辺には、香りたかい白檀はもとより、仏像を彫るのに適した巨木など生える場所はない。痩せて、貧相で、節くれだった木しか育たない。雄大な大地でありながら、溶岩がつみかさなってうまれたデカントラップには、実るべき植物がない。とぼしい痩せた土地に住むのは、貧しい者だけだ。これがインドだ。 山岡は、蓮華座にすわる桂子をじっとみあげた。 彼女は、白っぽいワンピースをきて、髪はみじかくしていた。若いころの輝きはなかったが、以前とおなじ、やさしい表情だった。痩せて、やつれた桂子の顔の輪郭が、山岡の脳裏で昔の場面とかさなった。最初に出会った芸大の学園祭で、個展にきたときの表情だった。「あるものをうみだすって、たいへんなことなんでしょうね」といった彼女の伏し目がちな、真剣な面持ちを思いだした。 桂子は、部屋のなかにおかれた、ひとつひとつの仏像をゆっくりとながめていた。その姿をみたとき、山岡は思わず目をそらした。床にはたくさんの木屑が散乱していた。山岡は目をとじ、右の指先で額を支えた。その右肘を、左の手のひらで保持した。 どんな者でも、ダルマをもってうまれてくる。不遜で傲慢であったのもまた、役割だったのかもしれない。なにかをのこそうと考えること、自分が朽ちはててからも、つくった作品だけは生きつづけさせようとする気持ち。それは、誰のためにもならない行為だった。「ひとりよがり」と「情念」と「妄想」だ。しかし、「真理」とは、ほんとうのところはなにが違うのだろうか。山岡は、芸大のアトリエを思いだしていた。 彼の肩に、桂子の右の手のひらがふれた。 「あれから、一五年も彫りつづけてきたのね」 頭をかかえて考えこんでいる山岡をみて、彼女は囁いた。 「頑張ったのね」 弱々しい声だったが、どこまでもやさしさが溢れていた。 「一五年か」 山岡は、そうくりかえした。 こうした生き方をしろ、といわれただけだと思った。この日本寺で一〇年ちかくも布教し、仏像を彫りつづけてきた。「なぜ」という問いは、ずっと過去のものになっていた。 「大河ワゴラーで、夜空をしめた煌めく星々、輝く無数の星、小さく弱々しく、あるだけの代物。普段は、みえない。意味をもつとしたら、ただ存在するだけ。しかし、それだけで充分な意義だということ。それ以上の価値が、もともと人にはない」 山岡は、思った。しかし、言葉にはならなかった。 「村井は、いい人よ。真面目で誠実で、やさしくて思いやりがあって、どんなときでも私と恵を大切にしてくれた。だからおおぜいの人にしたわれている。こうして、会いにいきたいという話もきいて、いっしょにつきそってきてくれた。あなたは苦しめただけだったけれど、よく知っているわ。私以上に苦しんだのを。誰よりも知っているわ。村井は、人生に成功し、名をのこした。あなたは、思いどおりの名声をえられなかった。満ちることを、知らなかった。ものは溢れるところによっていく。あなたは、なにが満たすのか。どんなものが溢れさせるのかも、分からなかった。でも私は、あなたが勇者だったことを知っている。勝った者だけが、つよかったのではない。負けた人びとは、誰にも知られずに歴史のなかに埋もれていく。でもね、敗北を恐れず、勝てそうもない戦いであっても、信念をもって戦った人たちがいたのよ。誰にも顧みられず、栄誉もうけず、尊敬もされず。仕方がないわ。勝者と勇者は、べつの人だわ。あなたは、誰よりも愛する者たち、すべてを傷つけた。無垢で、純粋で、傷つきやすい魂を、自分で切り刻んでいた。その苦しみや悲しみを、私はずっとみてきた。魂が血まみれになり、それでも、胡麻化せずに、あなたは、戦わなければならなかった。私や恵を、村井とおなじくらいに愛していたのも、よく知っているわ。結果はどうであれ、あなたは決して逃げず、敵と正面からむきあい、戦った真の勇士だったのよ」 桂子は、涙と嗚咽のなかでいった。真珠の輝きが頬をつたい、止め処もなく溢れでて、つきることもなくみえた。 桂子が山岡といっしょに部屋からでてくると、 「もういいのかい」と村井はたずねた。 「ええ」と彼女はいった。 「仏像をみたいわ」と恵がいい、山岡といっしょに部屋にもどった。 「気に入ったのがあったら、もっていってもらいたい」と彼はいった。 恵は、壁一面に幾層にもなっておかれる仏像をしばらくみていたが、手前の小さな聖観音菩薩像を手にした。 「これが素敵だわ。でも、ほんとうにもらってもいいの」と恵は山岡にたずねた。 「もちろんいくつでも。どれも値うちもない、ただの彫像だが」 「ひとつで充分」 「もう、いいのかい」 彼女が部屋からでてくると、村井はたずねた。 桂子も、恵も「いい」といった。 「それでは、山岡さん。私どもはこれで」 村井は、山岡にいった。 「ありがとうございます。こんな遠いところまで、ありがたいことで、ございました。お気をつけてお帰りください」 山岡はそういい、三人にむかって深々と頭をさげた。 村井と桂子と恵は、待たせてあった黒塗りのセダンにのって寺をあとにした。わずか、三〇分くらいの出来事だった。 山岡と石黒と慎司は、セダンが二股になった角の店で左にまわって地平線に消えていくまで、外でずっとみていた。それから寺のなかに入り、なんとなく三人で集会室にいった。 「分かったよ。慎司がきてから、山さんがおかしかった理由が」 石黒は、この幾日かに起こった、さまざまな出来事がすこし分かった気になっていた。 牧田も瀬川も、なにかを感じたのかもしれなかっが、寺から去っていった。しかし、彼は、ここにのこった。だから、この再会をみることができた。それが、役割だったからではないのか。 「おれの、ダルマだったのだろう」 石黒は、慎司が石だったと思った。 静かな湖水に投げられた小石で、それは、かすかな波紋をつくった。小さな揺らぎで、感じられる者だけが知ることができた。あの日、山さんは気がついたのだ。慎司と出会った瞬間に、これから起こることを理解したのだ。それが、なんであるのかは分からなかったのだろうが、揺らぎだとは感じたのだろう。だから、急にあんな話をしたのだ。それがあたらしい波紋をつくり、牧田が感じた。そして、その波を今度は瀬川が感じとった。しかし、彼には、分からなかった。なぜ、だったのだろう。 石黒は、思った。 きっと、役割だったのだろう。自分には、違うダルマがあたえられていたのだ。こうした邂逅があるのを知っていれば、牧田も瀬川も寺にのこっただろう。むずかしい。異変に気づいた者から、いなくなったのだから。しかし、もっとふかくまで気がつけば、牧田も瀬川ものこっていただろう。仏陀のすることは、なんと巧みなのだろう。ひとつひとつが偶然にみえるが、全部がつながっている。かならず起こることで、慎司がきたときには、もうすべてが決まっていた。だから山さんは、彼を使者としてむかえ入れ、あつかおうとしたのだ。 「なにか、おかしかったかい」と山岡はきいた。 「そうですよ。だから、みんないなくなりました」 その言葉をきくと、山岡は「そうだな」といった。 「この寺で一〇年暮らしてきたが、日本人がふたりしかしないのは、いまがはじめてだ。どこか、おかしかったのかもしれない」と誰へとはなしにいった。 「きっと山さんは、揺らぎを感じていたのですね」 「そうかもしれないな」と山岡は額に手をあててこたえた。 「恵は、なにをしているんだろう」 しばらくたって、彼はたずねた。 「絵をかいているみたいです」と慎司はこたえた。 「そうなのか。どんな絵画なのだろう」 意外そうに、山岡はきいた。 「油絵です」 「なにを、かいていたのかい」 「風景画が多かったです。去年の秋、二〇歳の誕生日のころ、恵さんの家をたずねたことがありました。そのとき彼女の部屋に曼荼羅が飾ってあって、とても興味をもちました」 「君とは、どういう関係なの」 「ぼくは、たんなる友人です」 「恵は、大学生なのかい」 「そうです。恵さんは、横浜大学の医学部の学生です」 「そうか。恵は医学科にいったのか。女医になるのか」 山岡は、おどろいてたずねた。 「ええ、そうですよ。彼女はとても優秀で、現役で入ったんです。高校でもいちばんだったみたいで、将来は小児科の医者になりたいといっていました」 「そうか」 山岡は、大きく息を吐きだし、なにかを考えていた。 「村井先生は、ちかくで開業でもしているのかい」 「先生ですか。村井先生は、横浜の村井総合病院の院長先生ですよ。六〇〇床もある大病院です。山さん、ご存じなかったのですか。恵さんは将来、あの総合病院の院長をつぐのだろうと思っていました。てっきり」 それからしばらく、三人はだまってすわっていた。 「山さん。思ったこと、いってもいいですか」 慎司が真面目な表情できくと、山岡はかまわないとこたえた。 「最初にこの寺にきたとき、山さんの部屋に入ってしまったでしょう」 「そうだったね」 「それで、山さんの彫った仏像をみましたよね」 「そうだったな」 「あのとき、誰かに似てるって、話したのを覚えていますか」 慎司は、きいた。 「そんなことを、いっていたね」 「分かったんです。あの仏像。恵さんに、似ていたんですよ」 「いつも、足りないとばかし思っていた。昔は、なにが不足なのか分かっている気がした。いつのころからか、それも不明になった。足りないことだけが分かった。しかし、実際には、もちすぎていたんだ。すて去るべきものがたくさんあったのに。実際には、なにもすてられなかったのだ。仏陀は、彼岸にまで辿りついたのだから、比較は無理だが、なぜ辿りつけないのかすこし分かった。一擲もできない自分が、すべてから解放された次元にいきつくなどありえない」と山岡は思った。 「昼飯の支度をします」 慎司は、立ちあがった。 「手伝うよ」 石黒も、立ちあがっていった。 山岡は、部屋にもどって中央のまるい小さな椅子にすわった。いままで彫ってきた、たくさんの仏像をみた。たしかに恵に似ていた。それは、若いころの桂子だった。 「おれの彫っていたのは、彼女だった」と山岡は思った。 そのとき、一筋の閃光が脳裏をかけぬけた。それは暗い天空を一瞬、耀い彩るながれ星だった。その星は、山岡の左上から右下へとかけぬけていった。ながれ星が落ちた右の床には、道具箱があり、なかにはノミと木槌がおかれ、手垢で真っ黒になって光っていた。星が去っていった箱には普段とは違う不思議な感じがただよっていた。彼は黒ずんだ道具箱をとりあげ、しげしげとながめた。 山岡の脳裏は真っ白になった。そこには、かすかな斜めの線が入っていた。まがうことのない亀裂で、いつそうなったのか、皆目、見当もつかなかった。山岡は、道具箱の割れ目をみつめ、ゆっくりと定位置の右の足もとにもどした。中央の椅子に足をひろげてすわり、両手の前腕を腿のうえでくみ、まえかがみになって目をつむった。 夜行列車に、ひとりでのっている光景が脳裏をよぎった。〇時をすぎた列車は車内灯も暗く調光され、周囲はぼんやりとみえた。外はもう真っ暗で、灯ひとつない原野を車両は走っていた。 山岡は、列車のすすむ方向にたいして、左のやや前がわの席にすわっていた。車内からみると、デッキの扉の窓硝子だけが光ってあかるくみえた。ぼんやりと車窓から外の暗闇をながめてみると、そこに硝子が輝いていた。光っているが、じつは列車の窓硝子に反射した実体のないものだった。実在する扉のあかるい硝子。どこまでもそっくりな虚構の窓硝子。ふたつは、対をなし、暗闇のなかで輝くのがみえた。どこの扉がうつっているのか、前方なのか。それとも後方のデッキのものなのか、よく分からない。振りむいてみると、後ろの扉口にも硝子が嵌まり、あかるく光っていた。しかし、後部の扉のほうが距離があるために幾分か小さくみえる。山岡が暗闇にみるあかるい扉口は、前部のものを映していると思われた。 ふと気づくと、右前方の座席にいる女がほとんど灯のない暗いなかで立ちあがっていた。髪がみだれ、やや太った四〇歳くらいの女性で、黒っぽい服をきて立ちつくす姿は闇にとけこんでみえた。その女が列車の右の壁によりかかり、深夜になぜ立ちつづけているのか分からなかった。女性が立ちあがっているのに気がついて、ふとまえの座席をみた。通路がわの女が、おなじ格好で起立していた。ふたりはただだまって立ち、車内は線路を走るガタゴトという騒音に満ちていた。座席がきしむ音もひびいたが、人が会話する声はなく、さわがしくうるさかったが、同時に、とてもひっそりとしていた。 山岡は、とつぜん寒気を覚えた。振りかえると、ちょうど真後ろにあたる座席の男が立ちあがっていた。べつになにをするでもなく、そこに立っているのだった。目はどこか彼方をみつめ、山岡が振りかえっても、男はまわりにはなにも興味がないらしく沈黙したまま起立していた。あらためて列車のなかをみまわしてみると、夜汽車は空席が多く、ふたりがけの座席にも乗客はひとりずつしかいなかったが、旅人たち全員がほの暗い車中でぼんやりと立ちあがっているのだった。なにかの理由があるはずだと思った。車内の全員が知っていることが、山岡ひとりだけが分からないのだった。 列車は、どこにむかっているのだろうか。山岡は、はじめてそのことに気がついた。地獄にいく車両に違いないと思われる、そんな夜汽車にのっていたのだった。 ワゴラーの大河が、脳裏に浮かんだ。 アジャンタの石窟院とは、なんだったのだろうか。窟院は、ときの王侯や貴族、あるいは大金もちの寄進により掘りすすめられた。依頼者の金や寿命がつきたせいで資金が枯渇し、放置されたのだ。だから、三〇にものぼる窟院のほとんどすべてが、未完成のままなのだ。 ジャータカの説話とは、なんだったのだろうか。仏陀は、象になって、なにをいいたかったのだろうか。象王も、父と母をもち、もしかすると妻もいたのかもしれなかった。あの水牛は、龍は、大猿は、なにをすくうために、仏陀は命をかけたのだろうか。ジャータカ説話集は、知識をもたない民衆や子供によびかけ、菩薩思想をうみだし。大乗仏教が、市民権を得ようとした運動だった。 仏陀は、ほんとうに衆生のために生きたのだろうか。それなら、我慾、エゴとどう違うのだろうか。彼は、自分の解脱のために生きたのではないのか。どこに、大慈悲があったのか。すくおうとしたのは、ほんとうは誰だったのだろうか。しかし、仏陀が辿りついたのは彼岸だ。 自分は、なにを考え、どこをめざしていたのだろうか。螺旋階段をゆっくりとのぼり、いま、おなじ風景がみえたのなら、それでいい。すくなくとも一周して一段うえの階層に辿りつき、その分は視野がひろがり、遠くの世界までが目に入るのならかまわない。しかし、いるところは円筒ではなく平面のとじた円で、まったくおなじ場所だ。つまり、目標すらも見誤っていたのだ。なにが真実で、どれが偽者なのか、基礎的なことすら分かっていない。 真と偽があるとすれば、このときの山岡にとって、境界はきわめて曖昧だった。どこにどう線をひいたらよいのか、なにひとつ分からないものだった。 あのとき、夜空に輝いていた満天の銀河は、衆生の存在ではない。ひとつひとつが、じつは自分がこれからなすべき、たくさんの輪廻だったのだ。虫、魚、鼠、猿、蝙蝠。あの星の数ほどもある輪廻転生を、しなければならないのだ。彼岸に辿りついたなど、飛んでもない。ふれたことがある、そんな気持ちがどこから起こったのだろう。自分がみていたのは、幻のあかるい扉だ。どんなに鮮明にみえても、あの輝く扉口は車外にあり、暗い闇のなかに浮かぶ偽物だったのだろう。ありえない扉にふれようとし、実体のない空間をつかみ、だからそんな気になっても、なにもつかめなかったのだ。それは、幻であり、虚であり空なのだ。 気がつくと、列車にはもう誰もいなかった。さきほどとまった駅で、のりあわせた人たちは、みんなおりていた。どこへむかうのかも分からない夜汽車に、山岡はひとりでのっていた。外には鮮明な幻の扉がずっとみえていた。満月は、地平線のすこしうえに浮かび、周囲に木がしげる場所では隠れ、なにもないところでは世界を侘しげに照らしていた。 月が消えると、かんぜんな闇がやってきた。薄暗い列車に揺られながら、ボックス席の山岡は目の前に観音菩薩がすわっているのに気がついた。定朝様式と思われる聖観音は、右手に蕾の蓮華をささげていた。上半身に条帛(じょうはく)を、下半身には裳(も)を巻き、天衣(てんね)とよばれるうすい帯を、ながれるようにまとっていた。首と胸には瓔珞を、腕と手首にはブレスレットをつけていた。頭部は髪を束ね髻(もとどり)として、正面に阿弥陀如来の化仏があった。静かにすわる女性にもみえる聖観音は、じっと彼をみつめていた。 そのとき、山岡は両手で口を押さえた。観音菩薩の首には、三道がまぎれもなく四本つけられていた。目の前にいるのは、なんと、室生寺で一本の榧材から彫りあげた聖観音に違いなかった。桂子をむすびつけてくれたのも、アジャンタの石窟院で出会ったのも、この聖観世音に間違いなかった。首につけられた四本の皺は、彼の不遜を証明していた。 山岡は、両手で顔を覆った。 そして、はじめて気がついた。六道から解脱できないかぎり、人は輪廻をくりかえさねばならない。だから、どこであってもすくいが必要だった。地獄ならば、千手観音が役割を果たしてくれる。畜生道なら馬頭観音、修羅道に堕ちているなら十一面観音が。人道なら不空羂索観音、そして天道ならば如意輪観音が担当している。 冥府にむかう列車にのりあわせてくれたのが、一面二臂の南無大慈大悲救苦観世音菩薩ということは、山岡は飢餓道に堕ちていたのだった。いくら食べても満たされないのは、彼が餓鬼になっていたからだ。誰かに施餓鬼会をして供養してもらわぬかぎり、この空腹を癒やせないのだと知った。 「甕」は、間違いなくあったのだった。ただそれには「ひび」が入り、どんなに貯めてもみんなこぼれていったのだ。溢れるはずがなかった。どうあがいても、一歩もすすむことはできなかった。山岡の胸は、はりさける寸前だった。なぜなら、「甕」がどんなに傷つき、どれほど亀裂が入っていたとしても、なおかつ溢れでるものの正体を、いま、はっきりと分かったからだった。 「なぜだ。なぜなんだ」 山岡は、頭をかかえた。 「こんなに多くの人が、くりかえし教えてくれていたのに、どうして気がつかなかったのだ」 つめたい石の部屋にひとりすわる彼の脳裏に、やつれた桂子の横顔が浮かんだ。 いつのことだったか、彼女は聖観音菩薩をシヴァ神だといっていた。その話をきいたとき、桂子は仏教についてなにも知らないのだと思った。しかし、彼女がうまれた町は、出羽三山や鳥海山のちかくにあった。山岳信仰は、一般人の生活からかけ離れた他界で誕生した。山伏たち修験者は、険しい山の霊力を吸収しようとした。修験道は、山岳信仰に密教や道教を混交しながら成立している。山へこもり、きびしい修行から悟りを得ようと考えていた。山岡が暮らしていたのも、おなじような場所だといえた。 釈迦が説いたのは、間違いなく世俗をすてた個人の解脱だった。その教えは、小乗仏教としてひきつがれた。しかし、インド世界では、世俗と共生するヒンドゥー教のまえに布教活動が制限され、東南アジアに脱出しなければ生きのこれなかった。大乗は、インドという土地になんとかして根づこうと試みた仏教の変質運動といってもよかった。圧倒的なヒンドゥー教に対抗するために世俗にもどろうと考えたのだから、釈迦の教えとは根本的に違っていた。それでも大乗は、インドに根づけなかった。仏教は、さらに変質し、ほとんどヒンドゥー教に先祖返りして成立したのが密教だった。護摩を焚き、権力のために呪詛をかけるのは、釈迦の教えからはかんぜんにかけ離れていた。 シヴァは、ヒンドゥー教の三神のなかで、もっとも力づよい神だった。修験者が観音信仰にむすびつくばあい、最強の神さまを思いえがくのは自然だった。弱い神を信仰しても、ご利益はすくないに違いなかった。だから、密教では、大日如来も本体はシヴァ神だといわれる。 仏教は、時代とともに変遷し、民衆にとり入ろうとして仏陀の教えから逸脱していったのだ。大乗も密教も、釈迦は決して説いてはいない。難解な論理をもてあそぶ小乗の一部も、彼の思想とはまったく無縁だ。釈迦の教えは、世捨て人になれ、欲望をすてろといっただけだ。うまれた国が戦いに敗れていくことを知らされても、世俗だと割り切っていた。仏陀は、後世の弟子たちによってさまざまに潤色されている。しかし、もっと素朴な人間だったのではないか。悲観主義だったのだろうが、苦行をすすめ、超越者をめざしたわけでもない。ただ静かに、自己実現をはかった人だったのではないのか。 山岡は、桂子がきた意味が分かりはじめていた。今日こそ、世俗とつながっていた最後の糸が、はっきりと断ち切られたのだった。 山岡は、思った。 藤井日達が創設した妙法寺によって、彼は、はじめて自分のスタジオをもてた。そこで、仏像彫刻に専念できた。つくった仏像を公開し、安置し、礼拝の対象にできた。こうした行為は、インドではじめてなし得ることで、日本では不可能だった。日達が仏舎利塔を世界で百つくりたいと誓願したのは、あきらかに欲望にすぎなかった。世俗をすてたさきにある諸行無常とは、まったく無縁だった。彼が仏像をつくりつづけるのも、構造はそっくりだった。つまり、大乗仏教は、欲を肯定しているのだ。しかし、解脱は、欲望をすて去ることからしかはじまらない。彼も日達も、大きな矛盾をかかえて生きていた。 山岡は、無限に、溢れるものが存在するのだと思った。どれほどふかく亀裂が入っても、どんなにこぼれ落ちても、そんな傷など関係なく無尽蔵に湧き出している。ほんらい溢れるべき事物は、割れ目によりながれ落ち、とどまれることができなかった。そんな傷などものともせず、どれほどこぼれても、なお溢れでていた。 山岡のまえには、巨大な深淵がひろがっていた。ふれたと思い、辿りついた彼岸とは、硝子に反射した闇のなかで光る実体のない幻だった。 数え切れない輪廻のあとで、もう一度、人に転生できたなら、どんなことがあっても桂子をみつけだし、彼女のために生きなくてはならない。愛し慈しみ、やさしくつつみこみ幸せにしなくて、誰をすくえるのだろう。それ以外、どうして自分はすくわれるのだろう。命を賭してまで足りないものを教えにきてくれた桂子こそ、もっとも大事な人だった。自分以上に大切の女性だった。 夢であってもらいたい。今日あったことが一炊の夢であり、いまここで起こったすべてが邯鄲の枕、盧生の夢であってもらいたい。山岡は、そう念じた。そして目をあけると、そこはただの石の部屋だった。いま通りすぎた光景がなんであったのか、山岡はぼうぜんとして両足をひらいてすわっていた。そのとき、蓮華座のうえに、ながれ星が落ちているのに気がついた。それは、鈍く光るひとつの滴だった。時間とともに大気に消えていくはずのものだったが、まだそれほどのときがたたず、ながれ星はのこっていた。 すべてが現実だったことを、その滴が証明していた。 それは仏のながした星であり、間違いようのない菩薩の涙だった。 仏陀の弟子たち、一七七枚、了