京都 由布木 秀 有楽町駅前のパチンコ屋にひっかかって、気がつくと九時にちかかった。外は、ざあざあとひどい雨がふっていた。濡れるのが嫌だなと思いながら山手線を待っていると、東京方面にいく車両が先にホームに入ってきたから、ついのってしまった。ほんとうは目黒から目蒲線にのりかえて、ふたつ目の駅でおりて一〇分ほど歩くと家につく。その一〇分間に、どれほど濡れることになるのかな、などと窓の外をみながら思っていると、京都の宣伝が目に入った。それで、つい夜行バスにのったのだった。そこで下車するには早すぎたから、そのまま大阪までいき、新快速で京都駅へもどった。 京都は晴れていたので、もういっぺん勝負だと思ってパチンコ屋へ入った。朝の一〇時から昼食も取らずに打ちまくって、景品に交換したら四時をまわっていた。外へでると、流石に無益だと感じた。思いはじめると、ますます詮無くなった。無闇やたらと徒爾だと感じ、新幹線にのって東京へ帰ろうかと考えた。八時まえにはつけるはずだから、雨がふっていれば、もう一度有楽町へいって昨日のパチンコ店に入り、九時になったら帰宅しよう。今日一日のことを、みんな忘れよう。そうすれば、虚しいものはなにもなくなる。 京都駅で所持金をしらべると、九〇〇〇円だった。パチンコでもういっぺん増やそうかとも思ったが、あまり自信がなかったし、セブンスターばかし四カートンもって歩くのはいささか気が重かった。仕方なしに、ぶらぶらと京都を西にむかっていくと、ボーイという小さな喫茶店が目についた。そうしたら急にお腹が空いてきて、そこへ入ってライスカレーを注文した。店では煙草を売っていたので、景品のセブンスター、一カートンを一二五〇円で売却し、五〇〇〇円増やしたので、有り金はしめて一万四〇〇〇円になった。 ライスカレーを食べ終え、コーヒーを飲みながら、今日の一日を反省していた。ぼんやりとレジをながめると、ふたりの客が、売ったセブンスターを二〇〇円で買っているのが目に入った。なんだかお腹が空いたときは忘れていた虚しさが、ふたたび湧きあがってきた。儚い、無足だ、と思いながら京都の町を歩いた。 だれから聞いたか忘れたが、虚しいうちがまだ花なのだそうだ。人間は年を取ると、先に悲しくなるのだそうだ。いまは純粋に不毛だと感じるから、まだ若いのだと思った。若輩者なのだ。だから、なにをやってもいいのだ。こんなことで、へこたれてたまるかと思いはじめると、まだ大丈夫な気がしてきて、すこし心が落ちついたのだった。 京都を、北にむかっていった。新京都でフラフラしてから、四条の大通りを歩いた。祇園にぬけ、八坂神社のまえの東大路通りをくだった。そこに府立病院があった。春にきたとき、水町といっしょにここで夜勤した。とはいっても、ただ泊まって寝ただけだが、京都府の条例で、府立の施設には部外者の当直をおかなくてはならないという項目があって、そのおかげでお金がもらえるらしい。まったく有りがたい一項なのだ。 正面玄関のわきの夜勤室にいくと、ベッドがふたつならんでいる切りだった。となりの職員室をみると、六時半をすぎたのに、幾人かの職員が仕事をしていて、なかに顔みしりがいた。ぼくより三つ下の藤田さんという男性職員だった。前回、水町につれられて泊まったときいっしょに夜勤した、食事だけを趣味にする面白い人だった。 藤田さんは、「ぼくは、ただ食べるために生きているんです」といった。あるとき、病気にかかって医者から絶食を命ぜられ、「ほんとうに目の前が真暗になった」そうだ。ぼくたちは、この人に「安くて、うまい店」を聞きだして食べにいった。 「やあ、こんにちは、水町はきてませんか」 ぼくがちかづくと、彼は思いだすのにしばらくかかった。 「ああ。いつかの東京の方でしたね。ふふふ。ははは」 なにしろ、笑いっぱなしだ。 「水町さんね。ははは。あの人はね、ふふふ。今日はこないんですよ。へへへ。そのかわりに、なんといってもね。あのね。今日は、沢田さんがね、くるんですよ。へへへ。ところで、あの人どうしたのだろう。ははは。もうきてもいいのに。ふふふ。どうしたのです。いつきたのですか」 「いや、とくに用はないのだけれど、ちょっと足がむいてね」と答えると、「学生さんは、いいねえ」といって、また一笑した。 この人は、笑うとひどく子供っぽい顔になる。好人物という感じだった。水町がここで夜勤をはじめてから一年以上たつが、はじめは、藤田さんと、「さんづけ」で話をしていた。彼は年うえの者に「さん」と呼ばれるのが嫌いだそうで、いまでは藤田君と「君づけ」しているくらいだった。 そこへいくと沢田君のほうは、ずっと気むずかしい人だった。なにしろ後輩に「沢田」と呼びつけられたのが癪に障って、クラブをやめたそうなのだ。部長だった水町は、理由を聞くため下宿に呼んで話した。すると、「なんでおれが、あんな奴に、呼びすてにされなきゃ、ならないんだ」といって涙までながしたという話だった。水町も、沢田君と呼んでいた。 「あいつの名前は、智也というんだ。絶対に、口にだすなよ。智也と呼んだら、あいつはほんとうに泣いて帰ってしまうからな」と生まれてはじめて、彼に「くぎ」をさされたのだった。「沢田君は、みょうなプライドをもっているのだ」と水町はいった。なんとなく、ぼくは試してみたい気もあったが、我慢していた。 夜勤室へいって、ベッドに横になってテレビをみていると、沢田君が入ってきた。彼は、ぼくを一見して困惑したらしかった。一瞬、自分が、やめさせられた気がしたのかも知れない。なにぶん首になるのは嫌なもので、ぼくにも覚えがあった。 以前、高校生の家庭教師をしていて、lookという単語がでてきた。そのとき咄嗟に、「lookをつかったイディオムを、知っているかぎりあげてみろ。競争しよう」と、つい口走ってしまった。つらつら考えてみるに、look forしか、脳裏に浮かんでこない。白い紙にただ、look forとばかしかいて、じっと睨んでいた。いわれた生徒のほうは、look into から、look at に look after や look backなどと、四つ、五つも記している。そのうち分からなくなってきたらしく、嫌らしくもカンニングをしようとのぞきこんできた。ぱっと隠したが一瞬遅かったらしく、生徒の顔に困惑の表情が浮かび、じっと自分のイディオムをみ入った。ここで負けてはいけないと思って、辞書を取りだし、まだまだlook aboutもlook in、look onにlook uponなどがあるとならべ立ててみたが、なんともいえぬ不信感がただよっていた。 この事件後、しばらくして、bucket という単語がでてきた。それを読むときに、まったく迂闊にも「ビューケット」と発音してしまった。すると、「これはバケツだから、バキットのはずだ」と生徒から反論がきた。いわれてみれば、もっともだった。しかし、ここで負けたら百年目と思うから、「おまえの習ったのは、イギリス英語なのだ。英語圏はひろくて、オーストラリアでは、ビューケットと発音するのだ」といってやった。そのつぎのとき、お母さんがでてきて、なんだとか、かんだとか、文句をつけられ首にされた。 あの日、ぼくも母親のまえで、あんな顔になったのだろうと、ふと思った。ひとりで思いだし笑いをしていると、沢田君が入ってきて「村木さん。いつ、いらしたのですか」とたずねられた。 「うん、今日だ。ついさっきね。君は、元気そうだね」というと、 「自転車のチェーンが切れちゃいましてね、まったく嫌になりましたよ。水町さんとは、今日、学校で会いましたよ。連絡は、取ってあるのですか。ぼくが呼びましょうか。電話番号、知っていますか。それとも、今日はここに泊まっていきますか。それもかまわないと思いますよ。風呂へ入るなら、道具もありますよ。コーヒーでも入れましょうか。夕食は食べたのですか」と矢継ぎ早に質問ぜめにあって、今日はここに泊まることにした。彼の意向を、さっしたからだった。 「それじゃ。今日はひと晩、碁でも打とうか」というと、沢田君はほっとした。 「いま、碁板をもってきますから、となりでやりましょう」と答えて、遊戯室に道具を取りにむかった。 ぼくは、彼の洗面道具を借りて風呂へ入った。ここは入浴も自由だし、麻雀も打てるし、ホテルなみなのだ。これで、お金をもらえるのなら、住みこんでしまいたい気がした。 沢田君と、碁を三番打った。はじめは六子で、勝負がつくたびに一子ずつ増減していこうという彼の提案ではじめたが、三つつづけて勝ってしまうと、「今日は不調だからやめよう」といいだした。流石に、沢田君のプライドが九子をおくことに反発したのだった。ぼくの碁は、高校時代から進歩していないから、特別につよいわけではなく、彼が弱すぎるのだ。まえに打ったとき、七子をおいて勝っていたので、今日は互い先までいく気だったらしく、沢田君のガッカリした様子が、あまりにあからさまだったので可笑しかった。 取り分け最後の一局は、かなり本気で考えていた。彼は自分が真剣なとき、相手が不真面目な素振りをするとひどく怒るらしいので、少々肩がこっていた。やめようという提案には、すぐに同意した。時計をみると八時をすこしすぎていた。ぼくは、水町の下宿へでもいってみようと思って病院をでた。沢田君も、とくに引きとめなかったから、すでに「用ずみ」になっていたらしい。 市電は、まだうごいていた。水町は、三宅八幡に住んでいたので叡電前でよかったのだが、加茂川がみたくなって百万遍でおりた。今出川通りを西に歩いて、出町まででた。出町橋の欄干によりかかって、べつだん、なんの気もなく、ぼんやりとしていると、とても静かで、折からの川風が頬を打った。川のながれの音に気がつくと、外燈の輝きが一瞬白く川辺にただよって、ぼくは唐津のことを思いだした。 札幌でいっしょに同人活動をしていた唐津省一は、風変わりな男だった。彼の父親は、京都の丹波で大地主だという話を聞いていた。唐津は三島にかぶれていたので、左傾化するいっぽうの同人の連中とは疎遠だったが、ぼくとは一年生のときには仲がよかった。北大に入って最初に知りあったのは彼だったし、同人募集をしたのも、いっしょだった。その同人がつぶれ、つぎに雑誌を刊行したときには、唐津はくわわらなかった。ぼくは、三年生の晩秋に大学を中退したが、札幌の友人の話によれば、彼も六年かけて「ついに」でられなかったそうだ。 二年生のとき、唐津は留年が決定していたので原稿をもって東京へいった。そのころかいた小説が北海道の雑誌社でほめられ、「文学をやる」とかいいだし、首都に赴いたのだった。札幌駅にみおくりにいくと、列車にのった唐津は網棚にボストンバッグをのせ、木刀が刺さった紙袋を股のあいだにはさんでいた。東京行きは、親にも話せなかったので、家財道具一式をあずかり、仕送りや手紙の取りつぎをしたのは、ぼくの役目だった。 唐津は帰ってくると、手間をかけた礼だといって、自分の蔵書印が入った簡易版の漱石全集をくれた。東京でなにがあったのかよく分からないが、その後は意識的にぼくと距離をおきはじめ、居所も教えなかったので連絡が取れなくなった。すっかり疎遠になり、会うこともなくなった。大学にもでてこなくなり、ぼく同様、本気で作家を目指して小説をかいていたらしい。唐津がこない理由も不明だったので、ぼくのほうから居所を探しだし、たずねる気にもなれなかった。彼とは音信不通になり、同人たちともつきあっていなかったから、どうしたのか分からなくなっていた。 唐津は、いつも気取っていたので友人がいなかった。彼は、自分のなかに遠慮なく入ってくる者を、はっきりと拒絶し、なんでも知っているという尊大な感じに思える部分が垣間見られた。ひどく自意識がつよかったのだ。なんにつけても大げさで、芝居じみたポーズをくりかえしたので、何度もみたまわりの者は不愉快に感じた。 「ぼくは、誤解されやすいのだ」 唐津は、そういったが、寂しさに耐え切れないという感じではなく、「普通の人とは違うから」という、どこか病的なプライドを感じさせた。彼は、ニヒルで甘えん坊で、我が儘で、それでいて不思議な魅力を秘めていた。まるで「薔薇十字団」に所属し、つねに背後に巨大な闇の組織をもっている感じで、謎めいたふるまいをつづけた唐津に、同人連中は嫌悪感をいだいた。だから男の友達はできなかったが、ととのった顔立ちをしていたので、彼を好きになる女はいたらしい。 唐津は、自分の荷物を引きあげていったあとで一度だけ、ぼくのアパートをたずねてきた。意外にも、酒を飲もうといって薄野につれていかれた。唐津は、裏通りのビルのなかにある小さなスナックにいき、店の女主人のヒモになっている話をぼくにした。なかなか感じのいい女性で、彼より一〇歳くらいはうえにみえた。水商売の女の年を正確にいいあてるほど、ぼくはその業界に詳しくなかった。八時ごろ入った店で一一時すぎまで飲み、場所を変えて飲みなおそうといわれた。酒に弱かったぼくは、頭も痛くなって辞退したのが、彼との最期だった。 唐津と会話して奇異に感じたのは、すっかり大作家を気取って、どこで聞きかじったのかも分からないが、札幌の文芸誌や作家について、ひどく親しげに話をしていたことだった。そのころも一向にほめられない小説をかいていたぼくは、彼にたいして、いままでとは、またべつの違和感をもった。嫉妬とはまるで違う、激しい妄想を感じたのだった。よく理解できないが、唐津のばあいは小説のでき映えをほめられたのでは決してなかった。文章の一部分が「才気ある」と、ぼくたちがみていた雑誌の編集者から賛辞され、そう記載されたのは事実だった。教えてくれないので理由は不明だが、首都に赴いたのも間違いなかった。話しぶりからすれば、東京までいった唐津は、すでにぼくたち同人の連中とは、べつの次元にいると勝手に考えているらしかった。彼の小説が売れて、人気がでたことはなかった。その後に、雑誌で文章を発表したとも聞いていなかった。だから彼の妄想としか思えない作家気取りに、不愉快を感じたし、頭が痛くなり、とてもつきあうことができなかった。 なぜ唐津が、ほとんどつきあいもなかったぼくに、パトロンの女をわざわざ紹介したのかも分からなかった。彼みたいな人は、周囲には、まるで「われ、関せず」という素振りでいながら、実際には自分が話題の中心になるのを好むところがあった。ぼくたちとはまったく違う彼の世界を、トピックにしてもらおうと思っていたのかも知れない。唐津は、同人のだれとも、ほとんどつきあいがなかった。彼に取ってぼくは異世界への扉で、仲間のあいだで起こった新しい出来事や異質な考えの提供者だった。同時に、彼の世界をみんなに知らせる伝達者ともみなしていたのだろうか。 もともと唐津は、雑文はかいていたらしいが、本格的に小説をはじめたのは、ぼくの影響だった。いまこうして考えてみると、たしかに彼の入り口だった。同時にぼくという扉をぬけて仲間から離れていったので、出口だったとも感じた。すべてを関連づけるつもりはないが、彼の取った行動を理解している気がした。唐津は、自分の過去を、同人誌にのせた最初の小説のなかでとても抽象的な形で展開した。ぼくは、生い立ちを聞かされていた。だからそれを読んだとき、彼の内面をだれよりも理解している自負をもった。しかしもしかすると唐津は、創作の過程でぼくが勝手につくりあげた幻想の可能性すらあった。 大学一年生の夏に、北大附属の植物園の芝生に寝そべって話をしていたのを思いだす。楢の木の下で若葉の照り輝く木漏れ日をみながら、唐津が「天才になりたい」と大声で口走ったのを忘れることができない。彼は、ほんとうに、そこにつづくと信じた道をひた走りにのぼりつめていったのだろうか。だれもが口にださずとも、心のなかで一度は思う憧れのひとつで、やがて人とふれあううちに自分の下らなさや馬鹿さ加減を知り、諦めるという情緒もなく忘れる、あやふやな思いなのだろう。唐津がひとりの世界にとじこもり、そこでは「木刀、一本をもって東京までいった英雄」であったからには、彼は天才でもある大作家でいられたのかも知れなかった。 ボケた頭で考えていると、とても眠くなってきた。河原にいきたい衝動に駆られ、加茂川べりにおりた。石垣に腰をおろして、じっと川面をながめているとサソリ座が目に映り、南天の低いところで輝くアンタレスが赤くみえた。七月だったから、肩をならべて歩くアベックもかなりいた。 しばらくたってすくっと立ちあがると、とつぜんひどい立ち眩みを覚えた。経験したことのない回転性の眩暈で、川に落ちてしまう気がして反射的に身をかがめると、そのままの恰好でうずくまった。低血圧のぼくは不眠症で、寝つきも寝覚めも悪かった。こんな脳貧血になったのは、過去に一度ある切りだった。充分に時間がたって、ゆっくりと立ちあがって首を二、三度ふってみた。そして、ふっと顔をあげると、唐津が立っていた。ぼくは、このあまりにも小説的な出会いに、思わず息を飲んだ。口がカタカタとうごき、声もでてこなかった。 浴衣をきた唐津は、右手に団扇をもったまま両手を腰にまわして、ぼくをみおろして笑っていた。その笑いは昔と変わらず、とても懐かしいものだった。髪が中央から五分五分に分けてあるのも以前のままで、浴衣の糊のはりぐあいも粋に感じられた。 ぼくたちはみつめあっていたが、どちらから声を発したのか、明瞭とはしない。ぼくのほうからだと思うのは、彼は劇的な場面では絶対に二枚目に徹する人間だった。 ふたりで川べりをならんで歩いていると、唐津はいった。 「ずいぶんと、大げさな芝居をするんだな。昔の君は、違っていた」 あきらかに彼らしい言葉は、ぼくに怒気をひき起こした。 「おまえは、ちっとも変わっていないな。当時の悪趣味のままで、昔から、不良少年に憧れていた。君は、身も心も堕落した人間になろうと、生真面目に必死にもがいていた。そうすることで、自分がまわりの者と違うと証明できると信じていた。ぼくらは、君の馬鹿さ加減を笑っていたのだ。どうしようもないポーズを、反感をこらえながら苦笑していた。格式張った儀式のひとつひとつをね。ぼくらは自由を望んだのに、君は自分の精神のなかにとじこもろうとあがいていた。まだ、その愚かさに気がつかないのかね」 唐津は、それを聞くと立ちどまり、じっとぼくを凝視した。大げさに、ぐいっと目をむいてみつめる、またはじまった「ニラメッコ」。 いつだったか、下宿にたずねてきた唐津は、激論をかわしたあと、いまとおなじぐあいにぼくを凝視した。それは、完全に意識的に試みるポーズのひとつだった。ぼくは、不愉快さを感じながら、「この野郎め」と思いながらまじまじとみかえした。睨みあっているとふっと唐津は目をそらし、金縁の眼鏡をはずすと両手で顔を覆って、人差し指と中指の先で目頭をつよく押す、お気に入りのポーズを演じたあとで、ぽいっとごみを投げすてる感じで、「ああ、嫌なものをみた」といった。 「そんなに嫌いなら、たずねてこなければいいのに。矛盾した行動だよな」というと、「とんでもない。君をじっとみつめているとね、黄金の像がみえたのだ」と応じた。 「ほう。そいつは凄い」また、なにかいいだすなと思っていると、 「ぼくには、人の心がみえるのだ。君のなかに、ゆらゆらとゆらめく紫の煙をみた」と唐津はつづけた。 「黄金の像と紫煙には、どんな意味があるのだ。金と紫なら、すこしは上等ってことなのか」 ぼくは、怒っていたから語気も荒かったし、挑発的だった。 「いや、必ずしもそういうわけではない。それは、嫌なものなのだ」 「ほう。どういうものなのか、はっきりと教えていただきたい」 「いいたくない」 「もう芝居は、おしまいだ」 それからほんとうの喧嘩になり、唐津は憮然とした表情で帰っていった。 それでもぼくたちは、たびたび会った。不思議に顔をみたくなった。唐津にたいして、好感よりも憎悪感をいだく割合が多かったが、彼はなんらかの明確な感情をひき起こしてくれた。だから、会うと詩ができた。帰ったあと、必ず詩作したいと思いはじめるのだった。彼もおなじことを、ぼくに話した。 睨みあっていると、ふいに唐津は笑いだした。 「どうだ。また、黄金の像でもみえたのか」とたずねると、 「いや。なにも、みえはしないよ。もうずいぶんながいこと、すべてが分からなくなっている」 「そいつは、可哀そうに」というと、 「ちょっと話そうか」とうながし、川べりにあるベンチにいっしょに腰をおろした。 「君は、以前とまったく変わっていない。大層な理解者のつもりらしいが、いったいぼくが、いまこの京都でなにをして、どんな暮らしなのか知っているのかね。我が儘で甘えん坊で、なんでも看破した風情を取るから、みんなが当惑し、接し方が分からなくなるだけだ。ぼくは、人生を諦めた。小説をかきながらしばらく髪結いの亭主みたいなことをやっていたが、完全に愛想をつかされた。いまはお袋の実家で塾の講師をしている。小説なんか、いくらやっても報われるはずがない。こんな手応えも不明なものをいつまでもつづけていられるなんて、なみの神経じゃないよな。君はいまでもかくらしいが、ぼくはどうでもいい気がしている。小説をかくのは、現実世界に暮らしながら妄想世界をつねに考え、入りこむことだ。世間に認められ現実にひきもどしてもらわなければ、妄想のなかで孤立し、結局は死んでしまうしかない。函館に知りあいのひとつ下の作家がいてね、どの作品も万年候補作にしかならないのだな。新潮新人賞でも野間文芸新人賞でも、最終選考にのこった。芥川賞でも候補にあがったのだが、そこまでなんだな。どうしても、賞までは取れないのだ。今年も芥川賞の候補になったが、前回とおなじくそこまでで、内容に派手さがなくて話題性に乏しいと判断されたらしい。電話をかけてきてね、死んでしまいたいと話していた。自分の主題を否定されているのだから、そうした気持ちになっても不思議でないよな。完全にノイローゼで、今回は危ないかも知れないな。がんらい君という人間は、自殺希望者なのだ。でも怖くて自殺なんてできないから、希望を破滅に変えたのだ。それだって恐ろしくて仕方がないから、崖っぷちまで自分を追いこんで、さらに火事場の馬鹿力を期待するんだ。北大であんな生活をした君が、なんでもいまは国立の医学部に合格して執行猶予期間をもらい、また小説家を目指していると聞いた。ほんとうに、やりとげるかも知れないね。みんなが、破滅教の教祖の迫力にたじろいだわけだ」 唐津は、かつて出会ったなかでいちばん普通の感じで話していた。自分がいま住んでいる家の電話番号をかいたメモをわたすと、「今日は、このくらいにしておこう」といって帰っていった。まるで、まえもって京都の加茂川で会うのを約束していたみたいで、まったく驚きがなかった。 一一時にちかかったが、おいてきぼりにされたぼくは、水町の下宿にいった。彼は、高校時代からの親友だった。ぼくが本格的に小説をかきはじめたのは、水町の影響が大きかった。三浪して京都大学に入り、四年留年して二年生だった。彼は二年つづけて、ある有力な雑誌社の新人賞の最終候補作になっていた。今年はどうだろうと思っていたら、三作中二作が共同で受賞したが、水町の作品だけが落選した。彼は、ぼくがくるのを沢田君からの連絡で知っていた。部屋は、寝られる程度には片づけられていた。お湯を飲みながら、唐津と加茂川で会って話したことをつたえて、信じられない再会だったといった。 「小説をかくのは、妄想世界にどこまで踏みこめるのか、自分の身体をはって試しているのはほんとうだと思う。だから評価してもらわなければ、とてもやっていけないものだ。多くの者は認められないとなった時点で筆を折るから、もう一回、現実世界にもどることができる。唐津は、もどれないのかも知れないな。おまえは、今度は卒業したほうがいい。大学はな。卒業して、はじめて意義のある場所なんだ」 「やはり京都は、違うな。東京で、こんな不思議な事件は起こらないよ。いまの大学でいっしょに雑誌をだそうと話していた奴が、工学部の学生なのだが、とつぜん京都で文学をやると宣言して行方不明になった。この街は、どこかが特殊で微妙な雰囲気があるよな。なんで、おれのまわりには落ちこぼればかりがあつまってくるのかな。考えはじめると、わけが分からないよ」 「おまえが破滅教の教祖だっていう唐津の話は、理解できる気がする。つきあっていくのは、勇気がいるんだ。距離をおいたとはいえ、大学もでられずに六年間、心の闇をのぞきつづけたのだから、唐津を勇者としてあつかってもいいのではないか。評価してやれ」 水町は立ちあがり、「もう遅いから寝よう」とつげて、洗顔し、歯をみがきはじめた。小説が中途のまま、かきちらかされた机をみていると、彼は自分がつかったタオルと歯ブラシをだして「おまえも洗いたいだろう」といいながら、ぼくにわたした。 「こんなにブラシがひろがっていたら、もう完全な寿命だ。買いかえなけりゃならないな」と思いながら、ぼくはそれを借りて歯をみがいた。タオルで顔をふいてもどってくると、ふたりが寝られるぐあいに布団が一枚、横向きにしいてあった。ぼくは、大型版の本のうえに、もらった枕をおいて、腰のあたりまで敷き布団に横になった。電気を消すと、暗闇のなかで水町は呟くみたいにいった。 「おれも、限界かも知れない。大学も、でれそうもない。おまえみたいに、もう一度入学する元気もでない。唐津とは、一時は相思相愛の間柄だったのじゃないのか。だから奴は、おまえを恨んでいるわけじゃないと思うよ。もう、おれも限界だ。たしかに、おまえの馬鹿力にはついていけないよ」 「なんとか、なりそうなのじゃないのか。買ってくれる編集者ができたって、いっていたじゃないか」 「今回は、ずいぶん叱られたみたいだ。書評欄を読んだら、名指しでおれの作品だけが滅茶苦茶に批判されている。押した奴は、つるしあげにあったみたいで、もう無理だといわれた。おまえの今回の話は、白昼夢みたいなものらしいな。電話番号は、間違いなく京都だよ。おまえ。おれの下宿の番号も、覚えてなんかいないだろう。そのメモをみなければ話は信じられないが、おまえの字じゃないよな。おれは、もう張りあうつもりはないから、唐津の気持ちは分かる気がする。その電話番号、どこに通じているのだろうな」 水町は、それからも闇のなかでぶつぶつと呟いていた。 不眠症のぼくは、前日からの疲れでぐっすりと眠っていた。 京都、三〇枚、了、