詩集 由布木 秀 印度 そこには、みたこともない花がさき。 思ったこともない、動物がすんでいる。 地平の果てまでつづく、幅一キロもある大通り。 無数の不可触賤民が、うめつくしている。 道の中央に、 かがやく白亜の大理石からなる、広い舞台がある。 彫りのふかい、アーリアの女。 かがやく、漆黒の肢体。 背までしたたる、つややかな緑の黒髪、 はち切れんばかりの、半球の乳房、 狂おしくくびれた、ほそい胴。 おりしも、天空にあらわれた青にきらめく大鷲を、 みつめ、 ラピスラズリにかざられた、両腕を高くかかげ、 うけいれようと、している。 ああ、彼女こそ、この国の王の娘。 千年が、一日とおなじながさで、くりかえされ、 指をのばせばいつでも、神の衣がたれてくる。 あでやかに虜にし、夜ごとにくるしめたインド。 いかなければ、ならなかった。 なぜなら、彼女のシャクティーとその世界は、 だれの、ものでもない。 ただ、私のものだったから。 ヒマラヤ 空をみあげていた。そこは、天の川銀河。 風を感じる。 しかし、吹かれ、戦ぐのではなく、 そよ風と、大気と一つになり、流れ、動いている。 雲ではなく、風が、光が、棚引いてみえる。 月が、明るく照らしている。 光はダウラギリに差しこみ、かがやかせ、そして影をつくり、しずみこむことによって、山をもちあげている。 しかし、月だけではなかった。 天の川銀河は、照らし、差しこみ、かがやかせ、影をつくりしずみこんでいる。そして、ダウラギリをもちあげている。よくみると、さらに天の川銀河を形成する、億にものぼる星々の光、その一つ一つが、各々、照らし、差しこみ、かがやかせ、影をつくりしずみこんでいる。そして、ダウラギリをもちあげていた。さらに天の川銀河からこぼれる、兆にもなる星々の一つ一つの光が、それぞれに照らし、差しこみ、かがやかせる。影をつくりしずみこんでいる。 そして、もちあげていた。 ダウラギリ、月、天の川銀河、天の川をとりまく満天を彩る銀河、億、兆の星々。 かがやくもの。照らし、影をつくって、映えさせるもの。 銀河は、巨大なミラーボール。 全一の闇に、光が棚引く。 風を、感じる。 流れ星がみえる。幾つも。何個も。流れ星がみえる。先ほどまで乗っていた星が、流れていく。 分かる。判る。この関係。 神々の交信。 ダウラギリ、光、雪、月、星、影、そして風。 かわらなかった、宇宙。 ヴェーダが生まれてから、ずっと、 この大陸の、原風景。 風を、感じる。 ダウラギリの白い尾根は、世界の果てを示していた。 ARIADNE あなたにはじめて出会ったのは、十六のとき、 お茶の水駅の裏通りで、貴女をみつけた。 週に一度かよっていた、アテネフランセからの帰り道。 くりかえし裏にまわって、あなたをみた。 胸は、ときめいていたけれど、 かける言葉を、知らなかった。 それから、月日がながれて、 思いもよらず、あなたをみたのは、 札幌の丸善、十八のとき。 鼓動の音がたかまって、思い切って貴女をもとめ、 そのあと、二回、ひっこしをしたね。 海辺の、辺鄙な漁村にすんだときには、 二人のあいだを邪魔する者は、もうだれもいなかった。 函館本線のひなびた駅まえにあった、小さなアパート。 あのとき、ぼくらに、 どういう未来が、あったのだろうか。 天才 黄昏か、夜明けか、 だれも知らない。 いまから、黒いふかい季節が、 ほとほとと、戸をたたく、 透明な造花をかかえて、 やってくるのか。 しかし、まて、 あの海鳴りの音をきけ。 ごう、ごうという、ルシュフェルのさけびが、 おまえを、世界にいざなうのだ。 おまえは、こわれたファスナーにも似ている。 おまえの四方を、不安がとりまく。 いつでも、 かなしげな、碧空にむかっては、拡散していく、 汽笛が、ふゅるふゅると、 幾千年もつたわる魔法のしらべをかなでると、 船出だ。 帆をあげるのだ。 たかく。 もっとたかく、狂おしく。 なぜなら、 潮には、その心があるように。 風にも、その心があるはずだから。 赤は、紅いほうがよかった。 青は、碧いほうがよかったのだ。 だから、たかくへ。 もっと、たかくへ。 あの世界へ。 ただ、あの世界へ。 白い指先を、黄金のなかにうきださせた、 忘却のはるかな地平へ。 白いレモンをかみしめながら、 海の沈黙は、緑の藻が生えた。 すすめ、すすむだけだ。 おまえは、それにのったのだから。 すべては、 そうだ、涙の海も、血の大海も、 みな、おまえひとりのために、用意された。 帳がちれば、 今日もまた、おまえの。 そう、おまえだけの、運命。 道化は死んだ。 そうしておまえは、 白いレモン、血、夜、 そして、黄昏。 嘆き 寒い。冷たいわ、ディオニュソス。 この、心を凍らせるものはなに。 この、はげしい痛みをもたらすものは、なんなの。 なにが、私に起こっているの。 寒い。冷たいわ、ディオニュソス。 火桶をください。せめて火鉢を。 私を暖めてくれるのは。だれ。 抱いてくれるのは。だれ。 月もない。だれもいない夜。 さえぎるものもない暗い海を、 ふき抜けていく、 無意味な風、私。 姉を裏切り、父にそむき。 祖国をすてた私は、 愛される価値がない。 暖められる値打ちもない。 氷の矢、 それが、私の心臓を貫いている。 だれが、とかしてくれるの。 だれが、ひき抜いてくれるの。 寒い。冷たいわ、ディオニュソス。 だから火桶を。熱い火鉢を。 あなたには、できない。 たとえ、あなたが、神であっても。 心が、完全に凍りついてしまうまえに。 安らぎをください。 もえたはずの心を、すべて忘れてしまうまえに。 黄泉国に、つれていってください。 あなたにできるのは、 ただ、それだけ。 パイドラ 誇りたかき、女神、アルテミスよ。 聡明で、清らかな、 美しい乙女よ。 恥ずべき私は、 いまこの瞬間に、大地が裂けて、 迷宮の闇のかなたに、消えていきたい。 それが、かなわぬものならば。 せめて、小鳥になって、 空を、どこまでもとんでいきたい。 人もすまない、この世の果てまでも。 DAENA 私たちは一つの織物。 二つの方向から、布は編まれていく。 あなたが担っているのは、横糸。 私が紡いでいるのは、縦糸。 あなたは、儚い現象。 私は、不滅の真理。 あなたは、あなたであることを知っているあなた。 私は、あなたを生み、つつみこみ、帰っていく、 あなたが見知らない、もう一つの、あなた。 あなたと私は、いまという一瞬のなかで巡りあって、 百の世代。千の時代。万の年代をかけて、 混じりあい組みあわさって、一つの文様をつくっていく。 あなたは、私の内部のあなた。 さようなら、私のなかのあなた。 花嫁の歌 私の花嫁は、光の娘。 私の輝きは、彼女のもの。 その面、人をひきつけ、 美しき真珠にかざられる。 その衣、花に似て、 芳しいタイムの薫りも、また楽し。 ミルテがおおう頭上には、王が住み、 そのもとに暮らす者たちを、養いたもう。 その花冠には、真理がおかれ、 喜びは、われらの足をうごかす。 ふたりの愛は、天の七つの門をひらき、 新郎の部屋は、光に輝き、 救済の甘き匂いにみたされる。 そのとき、たかき天上からの威厳にみちた光をうけて、 わが王国は、栄光に輝く。 花嫁は、光り輝く上衣と深紅のトーガで着飾る新郎をみつめ、 わが王国は、栄光につつまれる。 テントの歌 あなたの言葉にしたがって、 み知らぬ、ひろい沙漠をさまよって、 明日にも死んでしまうかも知れない、私の命。 それでもあなたが喜ぶならば、 私は、立派に死にましょう。 私の命には、純白の翼が生えていて、 かるくて、風にながされて、 どこへでも、とびさってしまうに違いない。 そんな命でいいのなら、 私は、あなたにあげましょう。 あなたは、なにもきいてはくれないけれど、 最後に願いをひとつだけ、いわせてほしい。 私が命を、あなたのためにすてたのを、 そんな男がいたことを、 どこかにかいて、記録をのこしておいてほしいのです。 あなたには、それも、どうでもいいことで、 きっと、すぐにわすれてしまうでしょうから。 故郷 布一枚にくるまって、 妖しくゆれて漂う、ガンガーをながめていると、 ガートをかける足音がして、 少女の叫ぶ声がひびいた。 遠くで女がそれに応え、 そして波の音だけが残った。 とうとう、 空は一度も晴れなかった。 欄干に肘をつくと、 震えて浮かぶ、漁舟の影が頼りなくみえた。 なぜか、二年まえにいった、 母を思った。 今日のガンガーは、悲しすぎる。 エイモ 綺麗で、神々しかった。 昔むかし、あった気がした。 波が、ゆるやかな音をくりかえし、 海を、みていると思った。 白い防波堤が、ずっとつづいて、 やわらかいオレンジ色に、世界は染まっていた。 夕日がつくる、ながい影がみえ、 湿った潮の匂いに、つつまれていた。 小船が、あてもなく浮かび、 汽笛の高い音が、ひびいていた。 ゆるやかに、頬をうつ潮風を感じ、 かもめが、頼りなく漂っている気がした。 そして、だいいちに悲しかった。 リボン 殺意が、きらきらと光っている、 おぼろに輝くリボンにのりながら、 濃淡をもって、ゆっくりと回転しながら、 白い世界を満たしながら、空人の胸をつらぬいていく。 霊感 それは、まぎれもない霊感。 あなたが、ぼくを知るずっとまえ。 もう、ぼくは、あなたを愛していた。 あなたが北国の、輝く緑を知る、 そのずっとまえ。 あなたが、ぼくの目前にあらわれたとき、 釘づけした、あの衝撃。 ぼくが、霊感にしたがわなかったとしたら、 なんのために、うまれてきたのだろうか。 ぼくが信じる二つのものを、 いま、そっと、 あなたに伝えたい。 あなたの存在と、ぼくの霊感だと。 ぼくはあなたを、ながいことみてきた。 耀う霊感のなかで。 二つの魂は、やがて一つになる運命をもって、 いま、こうして、ふたたび巡りあう。 恍惚 存在の真実が、みのり豊かな出会いをうみ、 ここに、この星が誕生してから、はじめての愛がうまれ、 麗しい花嫁が、無垢な光明で輝く白い風に乗ってやってくる。 耀う恍惚にそめられた世界は、どこも光と優しさにあふれ、 生の喜びの気流にかわって、 いつまでも煌めく緑の田園を吹き抜ける。 滅び さあ、怖がらないで。 笑って滅んでいきましょう。 みつめあい、手をつなぎ、 波もみえない、王国にいきましょう。 さあ、怖がらないで。 一緒に滅びましょう。 輝く愛のなかで、抱きあって、 ふかい冥府に、しずんでいきましょう。