記憶と夢 由布木 秀 一、タンタロスの才能 海部翔司は、妻の弟、山部貴寿の子供が病気だと聞いていた。貴寿がやってきて、「いっしょにコンサートにいき、そのあとで食事をしませんか」といった。翔司は、すでに夕食をすませていたが、もう一度つきあってもいいと思った。 ふたりは、大きな食堂に到着した。中央にはながい食卓があり、すでに食事が用意されていた。ひろい部屋の周囲は、座席が円形劇場ふうに階段状にならべられ、どの椅子もテーブルに背をむけ、反対むきにおかれていた。翔司は腰をおろすと、貴寿に、なぜ奥さんの仁奈子をつれてこないのかと聞いた。それから彼は、貴寿夫妻の子供が病気だったのを思いだし、容体をたずねた。娘はずっとよくなり、いまではすこし熱があるだけだと貴寿は答えた。 場面が変わって翔司は、山部貴寿の家にいた。病気の子供は、二歳の幼い少女で、病状はかなり悪そうにみえた。だれかが、この子は翔司の妻の「ハルエ」という名前がいえないと教えた。彼は子供が真似できるよう、大きく口をひらいて春江の名を発音してみせた。ところが実際に発話したのは「ハル」までで、最後の「エ」の音はださなかった。結局、「ハルー、エー。エ」と溜め息みたいになってしまった。まわりにいた人びとは、「奥さんの名を、そんなふうに発音するべきでない」と非難した。 海部翔司は、今年の四月から幾度もみる夢を、ノートにかきだしてみた。妻の春江はふたり姉弟で、弟の山部貴寿は海部物産で事業企画部の部長をしていた。貴寿は仁奈子と結婚してふたりの子供がいたが、どちらも男児で年は二歳と四歳だった。だから彼には、病気の女児は存在しない。この娘がいったい何者で、春江の名前を覚えさせようと試みるのが、なにを意味するのか翔司には分からなかった。意味不明の夢は、週に二、三度あらわれ、執拗にくりかえした。 翔司は、春江とのあいだに、六歳の陽太という男児と、一歳の千春という女児がいた。考えても、まわりに二歳の娘は存在しなかった。しかし彼は、男児よりも女児のほうが、ずっと好みだと漠然と思った。 翔司は、春江とは大学のスキー部からのつきあいになる。義弟の貴寿は、学生時代にいっしょにスキーにいったから一〇年はつきあっている。音楽会にいくのは春江の趣味で、翔司も年に、一、二回、同行するばあいがあった。義弟は芸術にはまったく無関心で、コンサートにいった話を聞いた覚えはなかった。春江は定期演奏会のメンバーで、貴寿の妻の仁奈子と同行することがあった。もし義弟といくのなら、とうぜん妻たちもいっしょになるだろう。ふたりだけなのは、現実的ではなかった。 翔司は、自分が社交的な人間だとは思っていなかった。社長という役職柄、社交は仕事だと割り切って何事でも完璧を目指し、できる限り愛想よく対応する努力をしていた。義弟の貴寿は、翔司と違って外交的で人づきあいがうまかった。友人も多く、趣味のゴルフを通じて人脈もつくっていた。貴寿は、あきらかに人と会って、いっしょに行動するのを楽しんでいた。腕前はシングルで、時間があれば熱心に練習していた。社交辞令としてゴルフをするほうがよさそうな相手を翔司が何人かあげると、意向にそって貴寿がすべてを段取りした。こうしたことにかんして、義弟はかなり有能で頼りがいがあった。部下という関係以上の好感をもっているわけではなかったが、ゆくゆくは腹心の副社長にするつもりだった。できれば、こうしたつきあいの代替え可能な部分は、彼にまかせたいと考えていた。 翔司は、スキーが趣味で競技もやっていたから、いまでもいくことがあった。春江は、息子ができてからはほとんどすべらなかった。スキーくらいは邪魔されずに、ひとりで楽しみたいと思っていたから、とくに抵抗はなかった。周囲の人にとらわれずに、平日、思いのままに広大なゲレンデを疾走するのは、かなりの気晴らしになるレクリエーションだった。 翔司は、三五歳だったが、日本有数の大企業、海部物産の社長職をつとめていた。ここにいたるには、さまざまな経緯があったが、社会的に突出していたので親友とよべる者がいなかった。一般人と境遇があまりにも違うために、友人もひどく限られることになった。外国出張も多く、世界中のさまざまな場所に出向き、過剰ともいえる接待をうけ、名所旧跡はガイドがついて巡ったが、すべて仕事の範疇で、とくに個人的に旅行したいとは思わなかった。 スキー以外の趣味は、読書だった。翔司としては、静かな山荘でゆっくりとくつろぎ、暖炉に薪をくべながら、ロッキングチェアに揺られて、本でも読むのが理想だった。 彼は、二年まえに精神医学を中心とした人間の心の問題にひどく興味をもったことがあった。なぜ特別な関心が起こったのか分からなかったが、さまざまな本を読んで熱心に研究した。素人が忙しい仕事の合間をぬってしたことだから限られたが、自分ではある程度までは理解したと思っていた。とはいっても、とうぜんながら体系的なものにはならなかった。主に千里眼や念力などの超常現象をあつかうオカルト的な書籍や、フロイトの精神分析学。それに、記憶にかんする本は、かなり懸命に読みあさった。フロイト全集は全巻揃え、興味ある部分はずいぶん読んでみたが、道徳的には肯定できない胡散臭いところも併せもつ気がした。当時は書斎の本棚の大部分を、こうした種類の書籍がしめていた。著作に夢中になって半年たった二年まえの秋に、予期もできない両親の飛行機事故に遭遇した。その後、翔司は社長職に就任し、引き継ぎ事項の洪水のなかで麻布のマンションから親の住居に引っ越さねばならなかった。つぎつぎに生じる事態に、とても読書などできなかった。また、こうした非日常的な書籍を読んでいて、両親の事故が起こったことも不吉に思えた。麻布の邸宅に引っ越し、すこし落ちついてから段ボールをとき、一度は書斎に本を配置した。父の個人的な蔵書はすてたが、廃棄できなかった海部物産三〇年誌とか一〇〇年誌などといっしょに書棚にならべてみると、自分が蔵する図書は海部物産の社長職に相応しくないと思いはじめ、いまは納戸にしまってあった。 翔司は、経済問題をふくむグローバルな状況について知識をもつのが、仕事の一貫だとも考えていた。最近は、特定の経済誌については隈なく読むのを自らに課してもいた。財界の人たちと会って話題になったばあい、最新の知識をもつのは若輩者と侮られないためにも必要だと感じていた。陽太の子育てに忙しかった妻は、千春をうみ、さらに子供たちにかかり切りの生活をしていた。春江は日々の育児に疲れるらしく、子供といっしょにはやく寝ていた。彼は、なにもいわれないので一二時ちかくまで書斎で読書するのが日課になっていた。 夢のなかで翔司は、存在しない二歳の女児に春江の名前を発音させようとする。ところが、これがうまくいかない。この娘は、かなり不思議な存在だった。たんにいないばかりではなく、貴寿の家にいき夢のなかで会うと、みた目はとても二歳とは思えなかった。あきらかに少女で、年齢がいくつなのか見当もつかなかった。しかし夢では、周囲の者も翔司も、二歳だと考えていた。それに、この少女は彼のお気に入りだった。なぜ魅力を感じるのか分からないが、自分には幾分ロリコンの傾向もあるのかとも思った。この少女が病気なのは、夢のなかでくりかえし主張された事実だった。 貴寿とふたりでいくのがコンサート会場というのなら、かなり公的な場所を意味するに違いない。みんなが和やかに食事しながら歓談するはずのテーブルに背中をむけてすわるのは、コミュニケーションを、なんらかの形で拒絶していることを示すのだろうか。 場面が変わると、舞台は貴寿の家になるから、かなり私的な領域なのだろう。このふたつの場所には、明白な対立があると思われた。妻は子供を可愛がるが、翔司は彼女の名前を正確に発音できないだけではなく、あきらかに溜め息をついていた。それを、みんなが批判している。この事件が起こるのは、個人の家という、かなりプライベートな領域だった。 海部翔司は、二〇一〇年、二五歳のとき、おない年の山部春江と結婚して、今年六歳になる陽太と一歳の千春をもうけた。明治以来の国内有数の商社である海部家で、翔司は五代目にあたっていた。彼は、父、海部実と、母、爽子の一人息子で、二二歳で大学を卒業するとともに海部物産に入社し、三〇歳のときに副社長に昇格した。三二歳の秋、商用でウクライナにいった両親が旅客機の墜落事故に遭遇し、ふたりがともに死亡するという予期もできない不幸にみまわれ、その後は社長職をつとめていた。翔司が社長に就任してからも、業績は順調に推移していた。米中の貿易摩擦や、資源価格の暴落など不確定要素はあったが、長年にわたる好景気に支えられ、内部留保金は多く、今期の最終決算は創業以来の大幅な黒字になると予想されていた。 海部翔司は、日本を代表する青年実業家であるとともに、経団連(一般社会法人日本経済団体連合会)の最年少理事でもあり、さまざまな役職をもっていた。人格的には温厚な紳士として、まわりの秘書室をふくむ社員からも、接することが多い同業者からも尊敬をうけていた。彼は大学のスキー部の同期でいっしょに部活動を支えた山部春江と結婚し、愛妻家としても知られていた。六歳の陽太と一歳の千春というふたりの子供がいて、子煩悩としても有名だった。 翔司が、自身の異常に気がついたのは今年の春ごろで、ときどき頭痛がして眠りが浅く、夜中に目覚めることが多くなった。一度目が覚めると容易には眠れず、とくになにを考えるわけでもないが、ぼんやりとした感じでそのまま朝をむかえた。充分な時間は横臥しているので不眠は気にならなかった。しかし、睡眠不足が原因なのか、日中の仕事をつらいと感じはじめた。執務中にも集中力がつづかなくなり、部下のプレゼンをうける会議の最中になにかを質問されて、ぼうっとしている自分に気がついた。 いちばん問題だと感じたのは、夜に眠気が起こらないことだった。日中であっても眠ければ社長室の大きなソファーでうとうとしても、だれにも文句をいわれない。物事を考えつづけられず、頭がぼんやりとなるだけで、眠たくても眠りはおとずれなかった。帰宅し、今夜こそよく寝ようと、入浴して準備がすべてととのって横臥すると、はっきりとするわけでもないが、絶対に眠れないと思えてくるのだった。実際にベッドに横たわっても眠気がぜんぜん起こらず、これでは明日の仕事に差しつかえると思いはじめた。なんとか眠ろうとばかし考え、焦燥感に苛まれながら眠くもないの臥していると、今度はみょうに頭がさえてくる気がした。 がんらい酒は体質にあわず寝酒の習慣はなかったが、飲んでも眠れないのは変わらなかった。眠くもならないので深酒になり、気分がすぐれず、つぎの日がつらいだけだった。結局は寝床につく時間ばかしが増え、それでも我慢して横臥をつづけていると、なにかが聞こえる気がしてくるのだった。一定の音が鳴りつづけているわけではないので、耳鳴りとはべつものだろうと思われた。 聞こえてくるのは、不愉快な切れ切れになった言葉だった。明瞭な声ではないが、何者かが耳元でひくく囁く感じだから幻聴というべきものらしく、ちかくにだれかがいる不安でもある気持ちだった。 二年まえに翔司が興味をもって読みあさった本の知識から考えれば、それは精神障害を意味していた。たとえどんなに奇妙なものであっても、夢でみる分なら正常の範囲といえるのだろう。目覚めているときに生じるなら、病気の範疇になるに違いなかった。たんなる神経症より、多重人格症や統合失調症などの前駆症状の怖れもあるとかかれていたのを思いだした。 そうした囁きが執拗にくりかえされたので、知りあいの医師に幻聴とまではいわなかったが、軽度の離人症にも思えると症状を話し、CTやMRIなどのさまざまな検査をうけたが、特別な異常はどこにもみつからなかった。 「原因は不明だが、もしかしたら軽い鬱かも知れない。心の風邪という、だれにでも起こるごく普通の病気だから、気にしないのがだいいちだ。どうしても眠れない日がつづいたときに、服用してみたらいいでしょう」といわれ、抗不安薬を処方されたが、特別な効き目はなかった。 そうこうするうちに、翔司があきらかに変だと思いはじめたのは、自分が妻や子供たちに、愛情を感じていないのに気がついたからだった。まさに、離人症ともよぶべきものに違いなかった。一年ほどまえに長女の千春をうんだ春江が乳をあたえるのをみても、子育てのたいへんさに同情するわけでもなく、自分とはなんの関係もない気がしてくるのだった。 翔司が朝起きて、会社にいき、仕事をこなして自宅に帰ってくるのとおなじで、妻は妊娠して出産があり、業務に専念しているだけに思えた。 「あなた、ちかごろすこし変ね」 春江は、なにか思いあたることがあるらしく翔司にいったが、彼は「やはり、たがいにそう感じているのだ」と思いはじめた。 状況をひとつずつ整理し省みると、春に秘書課に配属された枝野桃子を、ふと考えているのに気がついた。なぜ思うのか、自分でもよく分からなかった。 枝野桃子は、海部物産の秘書課勤務を希望して会社関係者の伝手で入社し、秘書室に配属されたという話を聞いていた。翔司よりひとつ年うえの三六歳になる桃子は、以前はモデルだった素敵な女性で、春江ととても似ている気がした。容姿も申し分のない枝野桃子は、業界では有名だったに違いないと思えた。背が一七〇センチはあり、スタイルは素晴らしく、目鼻だちもととのった未婚の女性で、かなりの美形であるのは間違いなかった。三〇歳なかばでも美人なのだから、二〇歳のころの美貌はたいへんなものだったろう。秘書だから話をする機会は多いが、品がよく快活で、頭の回転がはやく機智にもとんでいた。英語、フランス語など数ヵ国語を自在に話せる才女だったが、自分が桃子になにを感じているのか、翔司には分からなかった。妻によく似ているとはなんとなく思うが、彼女と関係をもちたいとは考えなかった。 翔司にとっても、枝野桃子が性的にも魅力的な女性であるのは間違いなかった。彼は、不倫にたいして明確な忌避感があった。さらに会社の上司が、部下にたいして力学的な立場を利用して恋愛関係にもなれば、道義的ばかりでなく社会的にも大問題だろうと考えていた。たとえ当初はたがいの合意にもとづいていたとしても、いつまでもそうした感情がつづく保障がありえない以上、社長という地位がかえっていい逃れのできない不利な状況をうみだすだろうと思った。 酒をたしなまず酒宴も苦手な翔司は、とくに用がなければ、仕事が終われば帰宅するのが習慣になっていた。休日も、つきあいのゴルフ以外は妻子と外食にでるくらいだったが、春江が妊娠し出産したので、ちかごろはこうした機会も減っていた。周囲の者たちも、翔司をきわめて倫理観が高く、有徳な人物とみるのは充分に分かっていた。なによりも、社員四〇〇〇人を擁する日本を代表する大企業の社長職であり、業務によってつねに社会に益をもたらすのが、人生で最大の責務という認識をつよくもっていた。つきあいで綺麗な女性がいるクラブなどに臨席しても、酒が苦手な以上通うほどの趣味にもならず、彼にとって必ずしも自由な空間ではなかった。 若くして社会の頂点にのぼりつめた翔司は、不合理ともいえる個人的な羨望と嫉妬をうけることにくわえ、さまざまな社会的、道徳的規律にしばられていた。こうした激しいストレスにたいして、彼は山部春江との結婚当初から、だれにも知られてはならない秘密の憂さ晴らしの方法があった。それは、東京に出張するときに時間をつくって、SNSで知りあった若い女性と一夜限りの関係をむすぶことだった。 翔司は、テレビに露出するばあいもある自分の行動が、どんなルートから拡散するのか不明だった。性的不品行が公表されたら、人生を大きく変化させるに違いないと考えていた。彼にとって、こうした行動は、たんに女性を金銭で意のままにする以上に冒険的なものに映った。だから風貌も会話も、仕事に疲れたごく普通のサラリーマンを演じ、なるたけ隠密に振る舞う必要があった。 時間ができると、翔司は宿泊する高級ホテルからバッグをもって外出し、安いビジネスホテルにチェックインした。そこで、背広から普通はきない普段着にかえ、いつもは着用しないサングラスをかけて、待ちあわせた場所で女性と落ちあい、ラブホテルにいった。行為が終わるといったんビジネスホテルにもどり、スーツに着替えて宿泊する高級ホテルにタクシーで帰った。 もちろん翔司は、この方法以外にもさまざまな手段を考えた。いちばん容易なのは、ビジネスホテルに女性をよぶことだった。翔司は、こうした趣味をもつので潔癖症とはいえないだろう。仕事だから仕方がないが、あきらかにその日に何人もの男性と交渉したはずの女性と行為におよぶのには抵抗があった。もちろん事情を話してもっと高級な女を相手にすれば、状況は違うかも知れない。そうした女性が、どういう関係で翔司の経歴を知るかは不明だった。もちろん仲介に入る業者は、秘密をまもるのが仕事だから彼について聞くことはないし、だまっているに違いなかった。しかし、知られる可能性があるという現実は容認できなかった。 さらに翔司は、若干のフェチシズムをもっていた。女性には、行為に入るまえに、特別にセクシーな、ほとんど挑発的といって差しつかえないランジェリーをつけさせることがいちばんの楽しみだった。この趣味は、妻の春江にも要求ができないと感じていた。だから容姿が申し分がなく、さらにボリュームのある胸と臀部をもつに違いない魅力的な女性につけさせて興奮したかったが、こうしたマニアックな嗜好を始終もとめるなら、なんらかの方法によって翔司であると特定されるだろうと思った。 用意する下着は、普段は絶対につかわないアカウントをもちいて通信販売で手に入れた。くりかえすのは危険だから、一度に大量に購入し、自分が確実にいる休日に親展として郵送させた。一枚々々は非常に安価で、つかいすててもいいものだった。たとえ身につけた相手の女性が、ランジェリーを気に入っても決してわたすことはなく、もち帰り、目立たないところに廃棄した。だから翔司の個人的な金庫のなかには、麻布の一等地をしめる三〇〇坪の不動産の権利書といっしょに未開封の下着がたくさんしまってあった。 SNSを通じて巡り会う相手には、ひどく当たり外れがあり、満足できるばかしでは決してなかった。正直にいって、かなり不満足なばあいが多かったが、希望する額にいくらか上乗せし、ランジェリーをつけさせ、さまざまな姿態をとらせることで、女性であるならある程度の欲求が満たされた。充分に注意を払っても、こうした手段によって密会する同伴者は、すべてが著しく予期に反し、さらに男性でさえありえ、なにが起きるのかは運まかせというのが現実で、非常に冒険的だった。 三回に一度くらいだったが、許容範囲のばあいがあり、そのときにはひどく興奮した。どんなに趣味が合致する女性であっても、社会的な地位をまもらねばならないという怖れから、たいへん残念だったが、もう一度会うのは憚られた。彼にとっては矛盾に満ち、非常に厳しいルールだったが、ゲームにそうした制約があるのも、魅力のひとつだったのかも知れない。 もちろん行為が終わったあとで、高級なホテルのひろびろとしたベッドにひとり横たわると、自分でも残念で情けなく感じた。とりわけ、ひどい相棒にあたったばあい、遣り取りもふくめて思いかえすと、あまりにも惨めで「二度とやるまい」と思った。 こうした行為は、基本的には妻を相手にするものではないのだろう。しかし、伴侶なら、社会的にも道徳的にも許容範囲に違いなかった。翔司は、一度だけ、春江にランジェリーの話をしたことがあった。 「私は、いやよ。それは、悪趣味というより変態ね。そんな媚態を示すのは、特別な女だけだわ」と春江は素っ気なくいった。その後は、彼はこの類いの話をしたことはなかった。 翔司の秘書室には、現実に素晴らしい女性がたくさんいるのだ。どの女も、容貌がととのっているばかりか、プロポーションも最高なのだ。そのうえ、彼がSNSで出会う女性よりずっと知的で、確実に清潔なのだ。何者で、どういう日々をおくっているのかも定かでない怪しいものを相手にしなければならないことは、翔司にとってひどい矛盾だった。もし仮に枝野桃子に、あんな刺激的なランジェリーをきせてみたら、どのくらい自分の欲望は満たされるのだろうか。目の前には、美しい女性たちが輪になって彼をとり巻いているのに、どうしてなにもできないのだろうか。 翔司は、ギリシア神話で「タンタロス」という者の話を読んで、自分の境遇と似ていると思い、ひどく考えたことがあった。 彼は、ゼウスと、富の女神プルトの息子とされる。自らも小アジアの王さまで、母親が財産の女神なのだから、「タンタロスの才能」といえば、あふれる財宝をもつ大金持ちをさす言葉になるらしい。 彼は、あるとき、神々の全能性を試そうとした。宴会をもよおし、自分の息子「ペロプス」を切り刻み、肉をシチューに料理して供応した。神々は、もちろんこの不快な出来事をみぬき、彼に罰をあたえた。 タンタロスは、冥界のすんだ泉で暮らしているという。彼は、素晴らしく甘くて美味しい泉水に身体をつかり、頭上には数え切れないほどの新鮮な果物が芳しい匂いを発しながらたわわに実っている。しかしタンタロスが手を伸ばすと、その分だけ果実は移動して、食べることができない。綺麗な美味しい水につかっているのに、彼が唇をよせると泉の水位は低下し、どうしても飲めない。ありあまる恵みにかこまれながら、つねに飢えと渇きに苛まれている。タンタロスは、Tantalus と綴る。彼にあたえられた罰を意味する、英語の tantalize (じらす)という動詞になったといわれる。 切り刻まれた「ペロプス」は、神によって再生されたが、父、タンタロスの犯した罪によって子孫まで呪われた。彼は、成人するとギリシア南部全域を支配した。そこは、「ペロプスの島」に変わったので、ペロポネソス半島とよばれた。この半島を手に入れるために、彼はさまざまな策略を弄して、さらに恨みをかい、多数の者から子々孫々まで呪われることになった。だから「金の羊毛」の事件をふくめ、一族にはずっと呪いがかけられた。 こうした経緯から、ペロプスは、ペロポネソス半島に起こった王朝のすべての祖先となった。有名なスパルタもミュケナイも、例外ではない。トロイア戦争の原因をつくった絶世の美女、ヘレナは、ミュケナイ王、メネラオスの妻だった。彼の兄がトロイア遠征のギリシア軍団を率いたスパルタ王、アガメムノンになる。 トロイアを壊滅し、凱旋したアガメムノン王は、妻のクリュタイムネストラに、背後から刺殺される。そのヘレナの双子の姉にあたる、彼女の最初の夫が「タンタロス」という。 同名なのだろうが、なぜこんな不吉な名前がついているのか、翔司は不思議に思った。彼は、海部物産という日本有数の大企業の一人息子としてうまれ、「タンタロスの才能」に恵まれているのはあきらかだった。さらに、神からおなじ罰をうけているのではないかと、翔司は思った。枝野桃子をみるにつけ、そうした思いは彼を苛んだ。 翔司は、矛盾を感じ煩悶しながら、どうしてもこの不思議な魅力がある遊びからぬけられなかった。しかし、最近はこうした冒険もできないほどに、くたくたになっていた。 年齢はひとつ違いだが、翔司からみると妻の春江と秘書の桃子は、顔かたちがよく似て、どことは明確にはいえないが、雰囲気は不思議なほどにそっくりな気がした。 世の中には、生き写しの人がいるという。きっと自分に瓜ふたつの者も、どこかに暮らしているのだろう。話しぶりや、なにかの折りにみせる表情をふくめて、よく似ていると感じられる春江と桃子のふたりが、たがいに見知ることもなく、どんな娘時代をすごしたのだろうか。過去も、どこか似通った部分があるのだろうかと思いはじめた。そんなどうでもいいことを勝手に考えていると、自分自身の少年時代や青年時代の記憶がひどく曖昧で、ほとんどなにも思いだせないのに気がついた。 海部翔司は大学に入ると、スキー部に所属した。どこでだれに習ったのか思いだせないが、スキーは子供のころにずいぶんと親しみ、楽しい思い出があった気がしていた。大学でスキー部に入ってまでやる気に落ち入ったのは、上級生から強引な形で部活に誘われて新人歓迎会にでた折りに、山部春江に出会ったからだった。彼は一目みて心をうばわれ、彼女とともに競技スキーに夢中になった。 春江は怖がりでスピードを競うレースは苦手だったが、翔司は地区大会では何度か優勝したことがあった。全日本学生のアルペンはレベルが高すぎ、会をにぎわせるだけだったが地区では強豪のひとりに数えられていた。成り行きで、翔司は二年生の秋から一年間、部長をやり、山部春江は副部長としてふたりで部活動の運営を支えた。 恋人の春江とは、スキーに限らず、さまざまな楽しい思い出があった。三年生のころには、ゆくゆくは結婚しようと話しあっていた。彼女が、就職は海部物産でもいいといったので、ふたりはとくに就職活動の必要もなかった。四年になったときには後輩の指導ばかりでなく、翔司は春江と個人的にスキー旅行もした。彼がぞっこんだったのは、スキー部のだれもがよく知っていた事実だった。 ふたりは、二〇〇七年に卒業し、海部物産に入社した。その三年後の二〇一〇年の春、結婚し、二〇一三年には息子の陽太が、二〇一八年には娘の千春がうまれた。二〇一五年に、三〇歳になった翔司は副社長に昇格した。その二年後の二〇一七年、商用でウクライナにでかけた両親が日本に帰国するさい、のっていた旅客機に爆発事故が起こって墜落し、乗客、乗務員の全員が亡くなる痛ましい事故に遭遇した。 海部物産では、現役の社長夫妻がとつぜんに死亡するという前代未聞のあわただしいなかで、翔司は社長に就任した。だから大学に入ってからは、スキー、恋愛、就職、結婚、妻の出産、親の事故死、それにともなう社長職などの出来事が、つぎつぎに起こって忙殺されていた。両親が亡くなってから三回忌もすぎて、すこし落ちついて、余裕ができた翔司が人生を振りかえってみると、自分がどんな思春期や青年期をおくったのか、考えてもよく思いだせなくなっていた。 子供のころの思い出は、断片的だったがいろいろとある気がした。スキーはずいぶん、つれていってもらった記憶があった。うろ覚えだったが、両親とは日本各地の名所や旧跡を旅行した思い出をもつ気がした。なかでも中学生のころに、夏休みでもないのに学校を休んで、父母と一ヵ月ちかくも国内を旅した覚えがあった。 先代の執事だった村越悦男と、どこかの別荘にいき、ふたりで山にのぼった思い出ももっている気がした。村越については心覚えが多く、翔司は両親よりもなついていた。もうかなりの高齢で、賀状の遣り取りくらいで、しばらく会っていなかった。書面では、元気で暮らしているとのことだった。 アルバムを書棚からひきだしてながめても、ひとりで映っている子供のころの写真は幾枚かあるが、小学校時代から高校卒業までのものは、みあたらなかった。小学校をふくめて同級生の記憶はなく、どこに通っていたのかも不明だった。幼稚園もいったのだろうが、さらに分からなかった。中学校と高等学校は、いったいどこを卒業したのか、はっきりとしなかった。大学時代の友だちはいるが、小学校、中等学校、高等学校時代は、不明になっていた。 翔司は、自分の記憶にあきらかな空白が、ぼつぼつとあるのに気がつきはじめた。普通は就職をするのに履歴をかくのだろうが、彼のばあいは父の会社につとめたから、作成する必要もなかった。学歴としては、富士見中学校と、同名の高校を卒業しているが、ありふれた名称で、ネットで検索してみると似た名前の学校はいくつもみつかり、具体的に特定はできなかった。自宅は港区の麻布で、小学校は恐らくちかくに通っていたのだろうが、学童数が減少して廃校になった可能性もあった。しかし、中学、高校はどこにいったのだろうか。大学は自宅から通っていたが、高校生のときはどうだったのだろうか。なぜ、こんなことが分からないのか理解不能だが、書棚には自分の過去の記録に類するものはどこにもなかった。 翔司は、就職してからも麻布の家に住んでいた。結婚してから、ちかくにマンションを購入して妻とふたりで暮らし、三年後には待望の長男の陽太がうまれて三人で生活していた。とつぜんの両親の死にともない、麻布の家をすこし改装して、いまは移り住んでいた。だから、翔司の書斎は、がんらいは父親のものだった。つくりつけの立派な本棚があり、海部物産の創立三〇年誌、五〇年誌、さらに創業一〇〇年誌など、ほとんど興味がない大型の本もならべてあるが、父の個人的な蔵書類は処分していた。母についても同様で、両親の死はなにしろ予期もしていない、ただただ驚く事態で、会社としても現役の社長がいなくなったので混乱の極みで、翔司が引き継ぐべき事項も膨大だった。 麻布の家は、区内の一等地に位置する三〇〇坪をこえる平屋の豪邸で、だれも住まないわけにもいかず、どういうぐあいに遺品を整理したのかも覚えていないほど、ぞくぞくと起こってくる対処すべき事案に忙殺された。とはいっても、大切な過去の記憶がつまったアルバム類を、そのときに処分してしまうのはありえなかった。段ボールの箱に整理し、どこかにまとめた気もしたが、すべてを忘れているのは、納得できなかった。すくなくとも細々としたことを絶対に知っているはずの両親が、すでに死んでしまっているので、自分の過去をたずねるべき人はちかくにはいなかった。 翔司の二親の父母は、生きていればだれもが九〇歳以上にはなるのだろう。とうぜんだが、とっくに他界していた。そのときに、葬儀がどうであったのかも覚えていなかった。 海部家の墓地は日暮里にあり、周囲にならぶ墓より一段高くつくられていた。石の階段を三つあがると、四方を石造りの柵でかこまれた御影石の床のうえに、祭壇がついた立派な墓標が立てられていた。祖父と祖母が死んだのは、翔司が中学から高校の時代に相当した。がんらい海部家は係累が非常にすくなく、叔母とか叔父にあたる者が存在しないので、従兄弟もいなかった。祖父や祖母には、可愛がってもらった記憶もあった気もするが、確実にそうだったという具体的なエピソードとしては思いだせなかった。 肉親とよべる者は、この世にだれもいないから天涯孤独なのだと思い、急にそうなったわけでもないので、いままでこうした事態をなんとも感じていなかったのも、また不思議だった。結婚のときにも、両親の葬儀のさいにも、一度も考えたこともない気がした。 ひとつひとつの事情をつみ重ねていくと、翔司の過去を知る者はひどく限られ、のこるのは執事だった村越悦男しかいなかった。彼に会って聞けば、不詳な事柄を説明してもらえるだろうが、どういう理屈で分からないのだろうか。いままでなんとも感じなかった事態をふくめ、ひどく不思議だと考えはじめた。 整理した箱をどこかにおいたのだろうが、絶対に忘れているだけなのだろう。さがしてみても、みつけられなかったが、それさえ発見できれば、すべてを思いだせるに違いない。そう考えて、どこにおいたのだろうと真剣に思いだそうとすると、頭痛がはじまり、みょうな声が耳にとどいてくるのだった。 幻聴というのは、自分が頭のなかで思うことが、外から聞こえると間違って感じると本にはかかれていた。夜に眠りが浅く、うとうとすると、耳元でだれかが囁いている気になる。暖かい息が耳に吹きかけられる無気味な感じで、「てん」と聞こえるのだが、なにを意味するのか、さっぱり分からない。 そうしたことがくりかえされるうちに、次第に「てんど、う」という名前を聞かされているのだろうかと思いはじめた。どんな漢字をあてるのかも不明で、苗字なのか場所なのかも分からない。しかし、どうやらくりかえし囁く者は、自身が「てんどう」だといっていた。そのうえ自分というのは、海部翔司自身をさすらしいと思いはじめた。 奇妙で不愉快なうえに、人をえらばず、だれにでも相談できる話でもなかった。「てんどう」は、名前ではなく姓なのだろうと思われるが、そうした人物を耳にした覚えもないし、知りあいにはいない。山形県に将棋の駒づくりで有名な「天童」という地名があるのは知っていた。そこには、そういう姓が存在しても不思議ではないが、いった記憶もなく、自分と関係をもつとも思えなかった。 病院で、耳のちかくで囁く声が聞こえるなどと話したら、精神病と診断されるに違いないと翔司は思った。人には、「頭の内部で、私が考えている音なのです」と、はっきりつげねばならないだろう。もしかしたら、多重人格なのだろうかと翔司は思った。 二年まえに熱心に読んでいた本には、「うしわれた私をもとめて」。「シビル」。「私という他人」など、多重人格をあつかった書籍がいくつかあった。なぜ、あんな本を、夢中になって読んだのか。当時は、もちろん幻聴などは聞こえなかったはずだが、自分となにかを照らしあわせていたのだろうか。予兆とか、予感だったのだろうか。 そうした本にでてくる多重人格者は、だいたいが女性だった。典型的には、ある日、女が目を覚ますと、み知らぬ場所にいる。地下鉄の車両内や電車の駅、あるいはホテルの一室で、どうやってそこにきたのか分からない。自分がなにを考え、どうするつもりだったのかも不明だった。彼女は人の話し声ではなく、頭のなかによびかける他人の声が聞こえてくる。 多重人格者のばあいには、日常生活を支配する「ホスト人格」がいる。それに、知らないうちに行動をする「交代する人格」が複数存在する。複数が存在すると断定するには、ホスト人格と交代人格では、かなり明確な性格の違いが必要となる。前者が温厚で内気な紳士なら、後者は粗野で軽薄、しかも元気という感じだ。人格が交代することを、「スイッチ」とよび、交代人格が活躍している最中は、ホスト人格に思い出がないのが特徴らしい。 記憶は、理解を助け知識を探求するためには不可欠なツールとかかれていた。だいたいこうした書籍を読みながら、どうして思い出がないことに気がつかなかったのだろう。本によれば、人は目を覚ますごとに、自分を思いだしているらしい。そのとき想起された記憶が、前日とまったくおなじとは科学的にもいえないらしい。 つまり、人は毎日、思い出をかきかえているのだという。 SNSで知りあった女性とラブホテルにいくのは、ほんとうに自分なのだろうか。あれは、違う人格なのではないか。とても同一とは思えないが、記憶がはっきりあるから自分なのだろう。精神分裂的な要素をもっていても、病気というほどではなかったのだろう。 しかし幻聴が聞こえてくるのは、ついに分裂が本格的にすすみ、多重人格に変わる予兆なのではないか。家族への愛情が希薄になったのは、すでに相当に進行したからではないのか。 通常、多重人格は、幼児虐待とセットにして考えるらしい。そうなると、子供時代の記憶がないのと、この話はどこかで関連があるのではないか。 だいいち自分がしたことを全部、ちゃんと覚えているのだろうか。考えられないが、高校時代までの記憶もないのだ。そんなことにも気がつかないで、いままで暮らしてきたのだ。だから知らない場所で、なにか不明な行為をしている事態はないと、どうして断言できるのだろうか。ほんとうに大丈夫なのだろうか。 翔司は、相談する相手もなく悩んでいた。 さまざまな検査をうけ、どこにも異常をみとめないといわれたが、眠れない寝床で横臥しながら考えると、どうしても気になり、はっきりさせたほうがいいと感じはじめた。ほかに手立ても思いつかなかったので、執事だった村越悦男に直接会って話を聞いてみようと思った。村越は、長年にわたって海部家の用人をつとめ、二〇〇五年、翔司が大学の二年生のときに六〇歳で退職した。その後任が現在の執事、山岡啓吾だった。 村越は、二〇一〇年の翔司の結婚式には、身内として臨席し、「よかったですね」といって祝ってくれた。また両親の不慮の事故に遭遇したときには、七〇歳すぎだったが葬儀に参列し、通夜から告別式にいたるまでずっといっしょにいた。 現在、立川に住む村越は、七五歳にはなったはずで、ボケて、なにも分からないかも知れないと思いながら電話をかけてみると、かなり張りのある元気そうな声を聞いた。 「ひさしぶりに会って、話をしたい」と翔司がいうと、電話口ですこし考えていたが、「私から、うかがってもいいのですが」と答えた。 さまざまな場面で世話になり、両親をふくめて肉親とよべる者がまったくいなくなった海部翔司を知る、父親のかわりともいえる大切な人だった。どんな暮らしなのか事情もみたいと思って、自分のほうから村越の家をたずねる約束を交わした。 ある夏の暑い日、彼は中央線で立川にむかった。 どこへいくのも、おかかえの運転手におくられるのが常だったが、滅多にない機会だと思い、ひさしぶりに電車にのってみた。ひとりで車両に揺られるのは、どのくらいまえだったかと考えながら新宿駅でおりると、記憶をもちあわせなかったが駅の構造はよく知り、なにがあるのか分かっていた。乗り換えなんかできるだろうかと思ったが、どうするべきかは、自分でも驚くほど理解し、間違えてまよう場所はひとつもなかった。考えていたよりもずっとはやく立川につき、駅からタクシーをつかってマンションにむかった。部屋をたずねると、村越はしぶい紺色の和服をきて翔司を待っていた。 もともと、がっしりとした体躯の村越悦男は、背筋がピシッと伸び、豊かな銀髪を肩までたらしていた。背や腰がまがることもなく、眼光はするどく、昔ながらの精悍な感じだった。若いころの村越はスポーツマンで、背丈が一八〇センチくらいで、筋肉も隆々としていた。映画スターにも間違えられそうな男前で、女性にもてた話はくりかえし聞いた覚えがあり、翔司は昔からよくなついていた。三年ぶりの再会だったが、元気そうで、以前とすこしも変わっていなかった。 翔司が暮らしむきなどを聞いてみると、 「退職金もたくさんいただき、手厚い年金をかけていただいていましたから、月々に入ってくるお金も充分にあります。ありがたいことに、生活にはまったくこまってはいません」と村越はいった。 村越悦男は、はやくに妻をなくしたが、子女がひとりずついた気がした。娘が嫁いだと聞いた覚えもあったが、孫の話題は記憶になかった。息子についても、とくに耳にはしなかった。とはいっても、両親の葬儀の折りには、そんな身内の事情を聞く余裕もなく、退職してからは賀状で遣り取りするだけのつきあいだったから、いまでは孫もひとりくらいはいるのだろう。ひとり暮らしだったが、部屋も綺麗に片づき、心身ともに元気そうにみえた。 「社長職になってなんとか三年がすぎて、まだまだ戸惑うことはいっぱいあります。それでも慣れてきたらしくて、最近はいくらか余裕がでてきたのか、会社や家庭以外にも、考えるゆとりができはじめましてね」 世間話もひとしきり終わって、翔司は訪問の目的について話をはじめた。子供のころの記憶が消失しているのを、気づいた状況をふくめ、ていねいに順を追って五分ほども話した。村越がなにもいわないので、さらに翔司は、アルバムなどがみあたらず困惑している話を、自分でもくどいと思うほど詳細につげた。ひとしきり喋り終えると老爺をじっとみつめた。 「なにか、変わったことでも、あったのですか」 神妙な感じで翔司の話を聞いていた村越は、たずねた。 「どう、お考えになるのかはよく分かりませんが、私にとっては、村越さんは親父みたいな方だと、まえからずっと考えているのです。両親が死んでしまったいまでは、じつの父といっても間違いではないのです。それで甘えて正直に申しあげるのですが」 翔司は、まず断って検査をうけたこともふくめ、細々とした事情をさらに一〇分くらい話した。 「そうですか。翔司さんは、以前となにも変わっていませんよ。とても元気そうにみえますけれど」 村越は、翔司をみた。お茶を飲むと、なにもいわないので仕方なしに彼はつづけた。 「自分が何者なのかだなんて、子供じゃないのですから、いい年をしてなにを馬鹿げたことを話しているのかと、村越さんからは叱られそうです。私は海部翔司であり、それ以外の者ではないのです。しかし、翔司というのは、どこの小学校をでて中学に入り、なんという高校で青春時代をおくったのか分からないのです」 彼は、記憶がひと塊りまるごとないことをさらに説明した。 「なにか、覚えてはいないのですか」 村越は、テーブルのうえで両手をくんで、真面目な表情で聞いた。 「中学と高校は、富士見、という名前がかいてあるのですよ」 それ以上語らない老爺の対応に戸惑いながら、さらに翔司は事情を話した。 村越は、話を聞くと腕をくんで考えていたが、しばらくすると口をひらいた。 「どのあたりまでは、確実に覚えていますか」 「大学でスキー部に入ったのは、スキーを子供のころにかなりやっていた、懐かしい気がありました。だれにどこで習ったのか、分かりません。入部したときから、同期のなかではいちばんすべれたのですから、子供のころにかなりやり、よくいったスキー場があったはずだし、だれかに教わったに違いないのです」 翔司は、思いだせる限りの事件をさらに話した。 「先代の社長。翔司さんのお父上、海部実さんは、小学校時代や中学校時代の友だちに、大きくなってからいろいろとお金を無心されたり、就職を頼まれたりしてずいぶんとこまられたそうです。海部物産という大企業ともなれば、社長と知りあいで口をきいたことがあるだけで、人から信用をえられるわけです。それで息子の翔司さんは、ちかくの小学校には通わせなかったのですよ」 「そうですか。しかし遠くの私立の小学校に、毎日、運転手におくりむかえをしてもらっても、なにかしらのエピソードは覚えていてとうぜんでしょう。親友のひとりくらいはいてもおかしくないし、幼くてロマンスにもならないのでしょうが、初恋の相手の記憶くらいあってもいいと思います。なんにもないというのは、納得できないのですよ」 「スキーを覚えたのは、軽井沢にあった別荘ですよ。いまも建物はたっているかも知れませんが、社員の保養施設に改造したと思います。会社の設備表をごらんになれば、みつけられるでしょう。しかし、なぜ急に、そんなことを思いはじめたのか。理由になりそうな事件がありますか」 村越は、首をかしげながらゆっくりといった。 「なんだかよく分からないですけれど、村越さんのお話を聞いていると、率直に申しあげますが、ぐあいの悪いことが介在するみたいですね。いったい、なにがあったのでしょうか。具体的な固有名詞でもいいのですが、もうすこし周辺の知っていることを教えてもらいたいと思いますが。あなたが相手だから正直に申しあげますが、考えだすと頭痛がしはじめ、幻聴が聞こえてくるのですよ。医者には気にするなとはいわれましたが、本人にとっては、なかなかそうはいかないですよね。立場もあるわけですから、相手をえらばないで、簡単に相談もできないですよ。こんな話を聞いたら、だれだって変に思うのはとうぜんですからね」 「奥さんには、話したのですか」 「いや、それがまた問題なのですよ。家族にたいして、なにかいままでとはまったく違う感じがしてきて弱っているのです。妻にたいしても子供にたいしても、感情が鈍磨して、これも馬鹿ばかしいとしかいえないのですが」 海部翔司は、真面目な表情で、時折右手で頭を押さえ躊躇しながら話していた。 その様子をみた村越は、翔司の話は分かるといった。両親が他界する事態は、想定外だった。翔司は電車にのって、わざわざ立川まできたのだから、余程考えたのだろう。頭痛とは、どんな感じかと聞いた。 「頭痛薬をもらっているので、飲むことになるのです。考えだすと頭痛がはじまって、幻聴といいますか、だれかが耳元でなにかを囁く気がしてきます。軽い鬱などというより、本格的に精神科へでも受診したほうがいいのかとも考えるのです。なんとも変な感じで、神経科にいくのも、立場上、人の目を気にすることになりますので、順序としては、あなたからお話をうかがえばすむと勝手に思っていたのです。それが、こうまで申しあげても話していただけないなら、考えなおす必要があるのでしょうか。ほんとうに精神病院にでも、いくほうがいいのでしょうか」 「その囁きですが。なんて、いっているのですか」 「いや、弱りましたね。どうしたらいいのでしょうかね。ほんとうに、頭がおかしくなっているのでしょうが、人が聞いたら笑い話みたいなものです。なんだか、分からなかったのですよ。しかし、いまではだんだん、てんどう、といっているみたいに聞こえます」 「そうですか。翔司さんは、中学生になるころに大きな病気をしたのです。それこそ一人息子だったので、みんながたいへんに驚きまして、いろいろな病院につれていって、結局、自宅で療養生活に入ったのです。転地をすすめる先生もいらして、軽井沢の別荘でもしばらく療養したこともあります。海部実社長は、仕事がお忙しかった。奥さまの爽子さんも、実さんに同伴しなければならない用事もありました。ずっと東京を離れてはいられなかったので、ほとんど私といっしょにすごすことになりましてね」 「ほう、病気ですか」 翔司は、だまった。村越もずっと沈黙していたので、彼はまた口をひらいた。 「それは、隠しておかなければ、ならないものなのですか」 「そうですね」 村越は、腕をくんで首をかしげながら神妙な感じでいった。 「村越さんは、ずっといっしょにいてくれたのですから、かなりくわしい事実を知っているわけですよね」 「そうですね」 「私には理解できない話ですが、相当ぐあいの悪いことなのでしょうか。知らないまま一生を、すごせるのでしょうか。今日、村越さんとこうしてひさしぶりに会って、お元気で暮らしているのが分かって安心はしたのです。しかし、たぶん私は、あなたよりながく生きることになるのでしょう。縁起が悪くて失礼ですが、万一亡くなったあとで、その病気というのを、ずっと知らなくてすごしていけるものなのですか」 村越は、翔司の話がよく分かるといった。一五年以上、なんとも感じないで暮らしてきたから、病気は回復したのだとばかり思っていた。歯切れが悪いのは承知するが、この件は追究しないほうがいい。こう話せば、考えろというのとおなじだから、納得できないだろう。翔司がわざわざたずねてきてくれ、再会するのは嬉しかった。身内といわれるのは、喜ばしい。彼にとっても翔司は、ほとんど孫だ。電話があったときの声の調子から、こんな話題かなとは思った。こうした説明にもならない不明瞭な話に、満足しないことはよく理解しているといった。 「すこし時間をください。考えるあてがありまして、一週間か二週間ほど待ってください。私のほうから、あなたにメールをします。翔司さんは、いったいどんな経緯で、いままでなんともなくすごしてきた、こうしたご自分の過去を知りたいと思いはじめたのでしょうか。家族への気持ちの変化をふくめて、状況を、くわしく話してくれないでしょうか。差しつかえなければ、気がついたこと、すべてを正直にいっては、いただけないでしょうか」 村越は落ちついた調子で、言葉をひとつひとつえらびながらゆっくりと語っていた。しかし、いろいろな事態を考えながら平静を装っているのは、対面で話す翔司には分かった。それで今回の思いがどうしてはじまったのか、妻や子供たちへの気持ちの変化がどうであるのか、気がつくすべてを、時間の経緯をふくめて、なるたけ明確に話をした。村越は、それをうなずきながらじっと聞いていた。 八月の中旬、村越悦男から、当時治療していた医師と面会する約束ができたから、時間を調整したいとの連絡をもらった。 ある金曜日の昼すぎ、会社から運転手をつかって立川の村越の自宅にむかい、彼を同乗させて市の郊外の、かなり大きな精神科病院に出向いた。沢井精神病院とかかれた施設に入り、村越悦男にうながされるまま院長室にいくと、六〇歳くらいの半袖の白衣をきた小柄な男がいた。 翔司と悦男は、すすめられた机のまえにおかれたソファーに腰をかけ、医師はむかいあってすわった。お茶をはこんできた秘書が扉をしめると、男は「沢井正弘」とかかれた名刺をさしだし、院長だと名乗った。頭部が禿げて腹がつきでた、黒い枠の眼鏡をかけた医師は、彼をみつめていった。 「私のことは、忘れているのでしょうね」 海部翔司は、沢井をまったく覚えていなかった。そういうと、医師はうなずきながら経緯について話しはじめた。 「海部さんは、自転車にのっていて転倒し、頭をつよく打ったのです。それで記憶喪失になりまして、なにも思いだせなくなったのです。小学校の六年生のときです。ご両親をふくめてひとりも思いだせなくなって、学校にいっても自分がだれだかも分からないのですから、不都合な事件も起こるだろうという話で、中学時代は自宅で療養しながら家庭教師に勉強を教えてもらっていたのです」 院長は、意外なことを話しはじめた。 翔司は、事故で記憶障害になり、当初はすぐにもどると考え経過をみていたが、ながびいたため、高校進学をひかえた中学の三年生が終わるころ沢井精神科を受診した。当時、頭痛と痙攣の発作が断続的に出現していたが、脳のCTでもMRIでも異常がなく、脳波も正常で器質的な障害は考えられなかった。彼が成長し、体力もついてきたため自宅では管理が難しくなり、入院することになった。 翔司は、ぐあいのいいときは施設内で個人的に授業をうけたが、特定のクラスがあって同級生がいたわけではなかった。記憶の回復が思いのほか難しく、このままでは社会生活上の障害になると考え、高校三年生の時点で、手術ではないがすこし積極的な治療を行った。その効果がみとめられ幼少時の思い出はある程度とりもどしたが、後遺症が出現し、覚えていた中学以来の出来事が思いだせなくなった。しかし中学、高校の記憶は、ほとんどが病院生活で、思いださないと生活に不便なものでもなかった。万全ではなかったが、発作がおさまった事実に満足して退院になった、と院長は話した。 翔司は、納得できなかった。なぜ、こうした話を隠しておかねばならないのか。そうした事実があるなら仕方がないことで、村越に聞いたときに話してくれてもいい内容だった。大学に入学時、両親から経緯について聞かされたとしても了解できる話だった。むしろ過去になにがあったのかは、本人がどう思うのかとは関係なく、話さねばならない事件だろう。 翔司は、カルテの閲覧を希望した。村越からは病気だったと聞いたから、院長の話とは合致しなかった。また秘密になった理由も不明だった。 沢井院長は、記憶喪失は病気だが、原因は事故だったといった。秘密にしていたのではなく、つらい過去だったから思いださせることを避けただけだろうと話した。また肝腎の診療録は、電子化にともない旧来の紙媒体は倉庫に保管されている。今回、調べてみると、紛失しているのが判明したといった。 「カルテの保存期間は、医療法では五年と決まっておりまして、医療過誤は、一〇年が時効となります。現実的には、最低一〇年は保存するべきものです。もちろん当院でも基本的には診療録をすてることはありえません。開院当初の五〇年まえのものも、倉庫にはしっかりと保存されているのですが、事務の者が昨日も総出でさがしてみたのですが、どうしてもみあたらないのです」といった。 村越がくわしい陳述をしなかったのは、当時の翔司が錯乱していたことによる。過去の話を蒸しかえすと、混迷した記憶がよみがえる可能性を危惧し、相談にきた。沢井も村越同様、本人が事情を知ったほうがいいと考えカルテをさがしはじめたが、みつからなかったといった。 翔司は、長期にわたっての入院なので、物的証拠ともいえる診療録は閲覧したいと思った。沢井のいう混迷がなにをさすのかまったく分からなかったので聞いた。 「意識の混濁なのですが、あなたは、奇妙な想像を働かせて、錯乱というより仕方がありません。当時を思いだすと、またあんな混乱した事態が発生したら、どう対処したらいいのかと思います。私たちは、それをくりかえしみておりますので、村越さんがお考えになったのは、親心であって他意はないのです」 「その錯乱が、てんどう、という方と関係があるのですね」 翔司の言葉に、沢井は唇を噛みしめ、すこし考えてからいった。 「そうですね。なんで、そんな根拠のない想像をもつに至ったのか、まったく分からないのですよ。最終的には、あなたは妄想をすてることができ、こうして何事も起こらず、大きな会社の社長さんとして立派に社会的な活躍をなさっているのです。いまの海部さんにはおおぜいの社員がいて、そのご家族の生活も支えています。錯乱の状況を知る村越さんや私が、あんな状態にふたたび落ち入るのは避けようと考えるのはとうぜんです。あなたは自分が海部翔司さんとは違う、べつの人間だと思いはじめ、そうした記憶に苦しめられたのです。いくら状況を説明しても、どうしても納得することができなくなり、混乱し、錯乱して苦しんだのです。もちろんご両親や村越さんは、ひどく心配し、ほんとうに気が狂ってしまうのではないかと思ったのです。しかし治療が奏功して、その記憶が消滅したのです」 「分からないことだらけなのですが、てんどうは、どんな漢字をあてるのでしょうか」 「どうやら、天皇陛下の天に、道徳の道みたいですね」 「私の過去の記憶とおなじで、証拠となるカルテも一切ないとのことですか。これで人を納得させるのは、先生と立場が逆であっても難しいと思いますね。村越さん、どういうことなのですか。あなたが分かるというから、ここへきたわけですよね」 「カルテがみつからないというのは、はじめてうかがった話です。院長が今日までに必要なものは揃えておくといってくれたので、翔司さんに連絡したのですよ。沢井先生。これでは、翔司さんが納得することはないと思いますよ。なにか手掛かりが、のこっていないのですか」 沢井は、困惑した表情になった。現実に、みつからないといった。再度、さがすが、自信をもって、すぐにみつけられるとは確約できない。カルテが発見されない以上、記憶から当時の全体像を再現するしかない。彼の覚えも万全ではない。カルテがないと思いだせない固有名詞などが、どうしてもあるといった。 海部翔司は、自分の過去が故意に隠されているとしか思えなかった。二〇年まえのカルテがないという事態は、まったく考えてもいなかった。村越にいわれて病院にきたときには、自分の過去が、すべてあきらかになると勝手に思いこんでいたので、落胆は大きかった。そもそも、高校時代にここにずっと入院していたともなれば、相当ながくいたと考えられたが、玄関をぬけても元主治医の沢井という院長に会っても、なにも感じなかった。自分の記憶は、いったいどこに、おきざりにされているのだろう。どうしたら空白を埋められるのだろう。 「私の思い出は、それほどぐあいの悪いものなのですか。二〇年まえのカルテを紛失しても医療法上の責任はないと、院長には最初に予防線を張られています。しかし、一時、テレビで問題になった優生保護法下での強制不妊の事件でも、昔の資料は部分的であってもあるべき場所にのこされ、大筋については事実を公的に証明できるわけですよね。それが医療法上では、争点がないと正当化されても、とても納得不可能です。具体的には、どうしたら事実が分かるのでしょうか。あとは、明確でないと、まえもって宣言された、あなたの記憶によるのでしょうか」 翔司は、考えながらいった。 「ご満足いただけないのは承知しておりますが、私が思いつく限りかきだしたものがこれです」 沢井はとりだしたノートをひろげ、それをみながらつづけた。 海部翔司は、一九九九年の春ごろ、一五歳で来院した。記憶が消失し、そのために強迫的な妄想に支配され、天道という人物の思い出があるという話だった。実際の過去とは、まったく関係がなかった。くりかえして事実を話しても、翔司はどうしても納得しなかった。天道は、実在しない人物であったのはもちろん、話の内容も支離滅裂だった。復讐を果たすためにうまれたので、怨恨の相手をさがしだして殺さなければならないと叫び、ひどく興奮して暴力的になった。はじめは、鎮静剤の投与でおさまったが、体力がついてきて、暴れるのをとても押さえることができなかった。拘束衣をきせて、自傷行為につながらないよう経過をみていた。最初の病名は、頭部打撲による記憶障害、記憶喪失だった。やがて、多重人格障害も疑われた。若年性の統合失調症もつよく示唆され、カルテにはそうした疾患名が記載された。若年発症統合失調症は非常に予後が悪く、一般的には社会復帰はきわめて困難だ。やがて廃人に変わるのが、ナチュラルコースという難病だ。妄想をもつに至った経緯は、不明だった。そう思いこんだ翔司は、そばでみる者がだれでも、ひどく可愛そうに思えるほどに錯乱していた。彼は、落ちついたときに、妄想をとりのぞきたいと望んだ。それで、翔司の承諾をえて、電気ショックによる治療をした。この治療法が奏功したが、これほど効果をみとめたのは、沢井院長の経験でもはじめてともいえた。どうして妄想がなくなったのか、それも、院長にはよく分からないといった。 「私は、過去になにが起こったのか、知る権利があると思います」 「医者の立場から考えるなら、あなたにとって必要だとはとても思えません。基本的には、いま元気で生きていることに、疑念をさし挟むべきではないと思います。日々は、楽しむためにあるのです。真実とはなにか。自分とは何者か。などと、哲学者や宗教家が考えても答えがみつからないものをさがしはじめても、つきつめれば生きている意味を問うことですから、あなたの周囲の世界は崩壊するばかりで、やがてはとどまる場所もうしない、なにもかものこらなくなります」 沢井院長の人を馬鹿にしているともとれる発言に、翔司はいささか、むっとなった。沢井の人間性にも、疑問をもった。しばらくだまっていたが、また翔司はいった。 「統合失調症というのは、精神分裂病ということですね」 「そうです。しかし、あなたは完治しましたから、普通に社会生活をおくっていられるのです。統合失調症の方が、会社の社長をつとめることは不可能です。だから仮につけた保険病名で、あきらかに間違いです。診断を確定できなかったために、疑っただけです。ほんとうに統合失調症だったなら、こんなになおるはずがないのです」 海部翔司は、院長が知っていることが、これですべてだとは、とても思えなかった。ただ説明された内容は、翔司が分からないと漠然と考えた記憶とは違って衝撃的な話だった。これ以上は知らないという院長を責めてみても仕方がなかったが、納得するにはまったく程遠かった。すこし考えたが、当時自分が入院していた部屋をみせてもらいたいと話した。 「たしかあなたは、この病棟の三階の個室にいましたが、その後に改装しましたので、現状は以前とはだいぶ違っています。それでもいいですか」と沢井は翔司に聞きかえした。 なにからなにまで記憶がよみがえる術がなくなっているらしいと思いながら、案内してもらいたいというと、院長はうなずきながら立ちあがった。ふるびた階段をのぼってつれていかれたのは、三階のいちばん端の個室で、四畳半ほどの汚れた感じの光の入らない薄暗い部屋だった。金属製のベッドがひとつポツンとおかれ、洗面所とユニットバスがついていた。戸外にむかって切られた大きな窓のほかに、通路がわにも小さなものがつけられていた。通路のほうは、高さとの位置関係からは廊下から部屋のなかをのぞく目的で備えられ、どちらにも冷たい鉄の格子がはまっていた。一〇年まえくらいに改修した個室で、以前は窓にも鉄格子はつけていなかったと院長は話したが、いかにもそらぞらしかった。一見して、ぞっとする寒さを感じる部屋で、懐かしい気持ちはまったくなく、はじめてみるものだった。 なにかあったら、電話でもいいから相談して欲しいという沢井の言葉に礼を述べながら、翔司は村越とともに病院をでた。車で彼を自宅におくり、部屋に入れてもらい話をした。 「結局、富士見中学校とか高校とかというのは、実際には存在しないということなのでしょうか」 「まあ、そういうぐあいに名前をつけたのですね。ご両親をふくめて、なるだけ翔司さんがいやな記憶に悩まされるのをみたくなかったのです。もちろん、いまだってそうですよ。それで当時を思い起こさせる話は、できる限りけずったのです。正直いって、あなたがこんなに元気になって活躍し、子供さんをつくって海部実さんの後継者になれるとは、そばでみていた者たちには考えられないほどの、ひどい混乱だったのです。ただ私たちがだまっていたのをふくめて分かっていただきたいのは、周囲のみんなが翔司さんの味方だったという点です。ご両親は残念なことに他界されてしまいましたが、私も院長も、おなじ考えなのです」 「分からないことだらけなのですが、天道さんの名前は、なんというのでしょうか。あなたは、院長よりもずっとくわしく私をみていたのでしょう。もっといろいろ知っているのでしょう」 「名前は、麻薬の麻に、守衛の麻守でした。私が、院長はもとより、ご両親よりも、ずっとあなたのそばにいたのは事実ですよ。しかし沢井院長がいったのがほとんどすべてで、つけくわえる事項はすぐには分かりません。当時のあなたがさかんに話していた、天道が何者なのか、だれにも理解できませんでした」 「天道麻守は、いったいなにが問題だといっていたのですか。村越さんは実際に、そばで話を聞いていたのでしょう。錯乱は事実だったとして、どんな混乱で、そのときに私がなにを感じていたか、もうすこし具体的に教えてもらいたいと思います。さっき病院で話したら、院長は必要がないといいましたが、どう考えてみてもおかしいですよ。重要かを決めるのは、沢井院長でも村越さんでもありませんよね。私自身の、非常に個人的な問題ですよ。本人の私が、具体的にもっと把握したいと考えるなら、もう子供ではないわけですから、事実を教えてもらう権利があります。このあいだも村越さんとの話で、すっきりしなかったのは、子供あつかいにされて、知らないほうがいいからといわれたことです。そうしたいいまわしは、家長が家族の構成員に話すとか、父親が息子に諭す言葉だと思うのですよ。村越さん、私の話はおかしいですか」 「いや、その通りだと思います。私の知っていることを、もうすこしお話させてください。ようするに、翔司さんが自分は天道麻守だといいだして、その記憶を語りはじめたのですよ。しかし、私は、うまれたときから知っているのです。なにをどう主張されても、あなたは海部実さんの息子さんで海部物産の跡とりですよ。天道麻守という方は、年は翔司さんのお父上の実さんとおなじくらいで、復讐のためにこの世によみがえったというのですよ。現在の社会に、設定としてもありえない話で、どう考えたって妄想としかいえないですよね。それで意識の混乱という表現をつかうことになったのですが、いまでもそうとしか思えません」 翔司は、だまった村越をじっとみつめていった。 「村越さんがいう通り、間違いがなく妄想なのでしょうし、ありえない話なのでしょう。それは、よく分かりました。しかし、それでお終いではないのでしょう。もっと具体的な妄想がつづいていたのでしょう。あなたは聞いていたはずですから、そのおかしな迷妄を話してください。私にとっては、なにかのヒントになるのかも知れないのですから」 「もう、よくは覚えていません。なんでも天道麻守さんは、自分の子供さんもいっしょに殺されたらしく、相手に激しい恨みをもっていました。翔司さんは、殺しにいくといって騒ぎはじめるのですよ。だれが聞いてもひどく物騒な話で、凶器となりえる危なそうなものは、そばにおくこともできないわけですよ。興奮なさったときには、なにを起こすかも分からない状況で、箸でも紐でも、みんな危険に思えたのですよ。さらに妄想がこうじてきますと、私どもも天道家の一員にみえるらしく、喚きはじめて、不穏で暴力的にもなるので、そのままにしておけなくなったのですよ。それこそ自傷行為といいますか、自分をきずつけないともいえない状況で、ひどく危険だったのです」 「分かりました。私がひどい妄想をいだいて周囲の方がたに攻撃性をもち、かなり不安な気持ちにさせたのは、村越さんのお話でよく理解しました。治療が必要だと、みなさんが感じたのも分かります。しかし天道麻守は、どこの人で、どういう経緯で、それほどふかい恨みをもつに至ったのかという話が、そこにはつづいていたのでしょう。私は妄想の虜になって、その物語をくりかえし、大声で喚き、叫んでいたのでしょう。村越さんは、驚きながら聞いていたのでしょう」 村越は、両手をくんでじっとしていたが、やがて口をひらいた。 天道麻守には、妻と息子がいたらしい。支離滅裂だったので、なにがほんとうかは分からない。ばらばらの言葉をつなぎあわせて考えるなら、彼の妻は若い男といい仲になった。麻守は、だまし討ちにあって、ふたりに殺害されたらしい。惨いことに、彼は自分の息子を殺す羽目に落ち入り、妻と情夫を、ひどく恨んでいた。どこで、いつ、起こったのかは不明だった。村越は、この事件について調べてみた。新聞の記事にならないのは、法の裁きもうけないで殺した者が、のうのうと生きているから復讐したいのだろうと考えた。ネットをつかって調べたが、該当するものはみつけられなかった。完全な妄想で、翔司が頭のなかでつくりあげたのだろうと思った。べつの人の思い出をもっている意味が、分からなかった。多重人格という病気も、まったく違う記憶を保持するわけではないらしい。断片的な思いをかかえる者たちが、たがいに分からずに存在しても、自分はひとりだという。翔司は、こうした話を喚いて、妄想のなかで復讐を遂げるつもりになって、くりかえし暴れた。想念がどこから由来したのか、だれにも分からなかった。天道麻守が実在したかどうかも、たしかめられなかった。いまの翔司は、すべてが分からないのだろうが、当時の村越たちがよく事情を飲みこんでいたかといわれても、そうでもなかった。だから院長は錯乱という言葉で表現したし、両親も村越も、そう思っていた。なんとかしなければ、社会復帰もできないと、真剣に考えていた。不充分だろうが、こうした事実しか分からないといった。 「翔司さん。また変わったことがあって、なにか考えるなら、できれば行動にうつすまえに、ぜひ相談してください。当時を知る私は、力になれるかも知れません。特別な出来事があったら、こんな爺ですが、ご両親が亡くなられたあなたを孫みたいな者だと勝手に考えているのですから、ぜひひとこと相談してください。どんなことでも、迷惑だとは絶対に思いません。これだけは約束してください」 村越悦男は、くりかえしいって翔司に承諾させた。それで彼は約束し、村越に礼を述べて別れ、車で自宅に帰った。 帰宅し、書斎にもどった翔司は、自分の過去に壮絶な事件があったのだと理解した。まったく記憶がなく、はじめて会ったとしか思えない沢井医師が、どの程度誠意的な応対だったのかは判断できなかった。非常に不思議な話だったが、まだもっとさまざまな事件が隠されている気がした。沢井医師の名刺を、机を覆うビニールシートのあいだに入れ、電話番号とメルアドを携帯に登録した。 村越については、「天道麻守」についてのかなり切迫した話を聞かされ、こうした事実を話しがたかった事情も、すこしは分かる気がした。だから彼なりに、よく対応してくれたのではないかと考えた。とはいっても、整理できるほどまとまっていたわけではなかった。「混乱」という言葉をずいぶんつかわれたが、まだまだ聞かねばならないことがたくさんあると思った。いちおうは自分が忘却した過去の一部が、あきらかにはなったのだろう。すっきりとしたわけではないが、手掛かりはあるらしい。話された内容は驚きではあるが、自分の記憶とつながりがなく、あまりにも断片的で、漠然としすぎていると思った。 月曜日、海部翔司が会社に出向くと、枝野桃子がいないのに気がついた。秘書室長の浅野由美に聞くと、先週末に辞表がだされて一身上の都合で退職したと知らされた。とつぜんの話に、翔司はほかになにか知っているかと室長にたずねた。浅野は、特別な心あたりがなく、後任をさがしていると答えた。 その日の夕方、翔司の携帯に枝野桃子から、「話しあいたいことがあるので、連絡して欲しい」というメールがとどいた。それで彼は、金曜日の夜にいっしょに夕食をとる約束をした。 その日、海部翔司が予約したホテルのレストランで待っていると、枝野桃子が紺色のシックなワンピースに、コーディネートされた淡い茶系の鍔のひろい帽子をかぶり、紺のサングラスをかけてやってきた。さすがにモデルだっただけのことはあり、スタイルのいい彼女があらわれると、室内はそれだけであかるくなり華やかになった気がした。レストランにいた客の多くが、興味をもってみつめていた。フランス料理のコースを頼み、艶やかな桃子を魅力的な女性だと思い、脳裏には刺激的なランジェリーをつけた裸身がちらつき、興奮しているのが自分でも分かった。 翔司が、まえから一度食事をしてみたかったから、いい機会をもらったというと、誘ってくれるのをずっと待っていたと彼女は答えた。 料理を口にはこびながら、とつぜんの離職について彼はたずねた。 「あら。私は、やめさせられたのよ。話もそのことなのだけれど」 桃子はいった。 それは、すこしも知らなかったと翔司が答えると、彼女はすこし笑った。 「社長命令だっていわれたわよ。しかし、あなたがそんな命令をださないのはよく知っていたわ。だれが考えたのかしら。あなたは、お分かりになるの」 「いや、心あたりはないが」 翔司は、村越のことが頭に浮かんだ。 「そうなの。でも春から秘書として勤務をはじめて、毎日こうして会って、そばでずっと仕事をしてきたのよ。それで、あなたは、私にたいして、なんとも思わないの」 桃子は、上目遣いに翔司をみつめた。 「それは、君が最初に秘書室に配属になって一目みたときから、とても不思議な気がしていたよ。個人的な話で失礼だけれど、桃子さんは、家内に雰囲気がそっくりなんだ。なにかの拍子に、ふと浮かべる表情なんかが、とてもよく似ていると思って驚いたんだ。でも今日、こうしてふたりきりになって実際に会って話をしてみると、家内とはだいぶ感じが違うね」 「そうなのね。やっぱり奥さんは、似ていたのね。私は、結婚もせずに物心がついたころから懸命にあなたをさがしつづけていたのよ。モデルになっていろいろなメディアにのれば、必ずみつけてくれると、思いこんで待っていたのよ。でも、あなたのほうはなにもかも忘れて、春江さんが赤い糸でむすばれた恋人だと思って暮らしていたわけだったのね。私を、よくみて。あなたがほんとうにさがしていたのは、山部春江ではなくて、枝野桃子だったのじゃなかったの。間違えたのじゃないの」 彼女は、サングラスをはずすと、翔司をじっとみつめた。薄く化粧がされただけのととのった容貌は、ほとんど蠱惑的で彼の心はうごかされた。 「なんの話をされているのか、申しわけないけれど、ぜんぜん分からないよ。ただね、君と出会ってから、みょうな気持ちになったのは、ほんとうだよ。とはいっても、べつに口説こうとか、そんなつもりはなかったのだけれどもね。家内と間違えたというのは、どういう意味なのだろうかね。さっぱり事情が分からないが」 「思いだしてごらんなさい。春江さんとは大恋愛をしたって聞いたけれど、私と会ったいまでも、そう思っているのかしら」 彼女は、じっと彼の瞳をみいった。 翔司は、スープを飲んでいたスプーンをおくと、みつめる桃子から目をそらし、両肘をテーブルにつけて両手で顔を押さえた。 「ちかごろ、調子が悪くてね。眠れなくて、すこし気持ちが塞いでいるんだ。医者には調べてもらったのだけれど、原因はよく分からないが、働きすぎで軽い鬱ではないかといわれてね。薬はだされたのだけれど、ときどき飲んだりで。薬物でなおるものでもないと、考えていたのだよ。気分転換が必要なのは間違いがないので、君みたいな美人とふたりきりで食事でもすれば、すこしは気持ちも変わるかも知れないと思ったのだが。でも、いま話された内容は、なんだかさっぱり分からないね」 「私は、あなたにどうしても出会えなくて。どこかにいるはずなのに、どうしてなのだろうってずっと考えていたのよ。会いたいとばかし思って、物心がついてから二〇年もさがしていたのだから。でも、あなたは、春江さんを私だと考えて満足していたわけなのよね。そういうことも、あるかも知れないって思いはじめたのは、一年まえね。ホームページをみて、あなたのうまれた日を知ったのよ。それで確信してモデルをやめて、一年間、秘書課の研修をうけて、資格をとって海部物産につとめたのよ」 翔司は、意外な桃子の話に戸惑いを隠せなかった。しばらく首をかしげて考えてからいった。 「君は、妻の春江のことを、なにか知っているのかい」 「あなたの奥さまの、春江さんとは会った記憶はないわ。しかし山部春江さんとは、従姉妹の関係なのよ。もともとの苗字は天道だから、天道桃子になるわ。春江さんのお母さんと、私の母親はおなじ宮森家で、姉妹だわ。母は、麗子というのよ。麗しいとかくのだけれど、分かる。春江さんのお母さんは、芳江さんでしょう。彼女は、麗子のじつの妹になるわ。しかし、春江さんが、私にそんなに似ているなんて考えなかったのよ」 「そうか。君が、てんどう、なんだ。どういう漢字をかくのだろう」 翔司は、桃子をじっとみて、ゆっくりといった。冷たい風が心のなかを吹き、気が動転していた。平静さを装いながら、翔司は桃子をみつめなおした。 「天地の天に、道路の道よ。なにかを覚えてはいないの」 「なんだか、昔のことをよく思いだせないのだ。いままでは考えてもいなかったのだけれど、ちかごろになってはじめて気がついたのだよ。なんだか記憶が不明瞭で、まとまらず、断片的にも不完全なのだよ。つまり物覚えがないみたいで、ぼつぼつとぬけて、正確にいうと穴ばかりでつながってもいない感じでね。なんなのだろうと考えはじめて、憂鬱になっているのは間違いないのだ。病院でよく調べる必要があるかも知れないのだけれど、でもね、君の話はさっぱり分からないことだよ。まるで、私についてなにかを知っているとでもいうのかい」 「天道までは、思いついているわけね。それで、そこからなにかを思いだすことはないの」 「すこし、頭痛がしてきた」 翔司はスープをさげさせると、考える素振りになって、じっと桃子をみつめなおした。 「そうなのね。みんな忘れているのね。なにひとつ思いだせないのね。いろいろな事実を、あなたに思いだしてもらわないと、私がひとつひとつ説明したって仕方がないことなのだから」 「つい最近知ったのだが、子供のころに事故にあって記憶喪失になったらしいんだ。頭をつよくぶつけたらしい」 「いいわけをしてもらっても、仕方がないのよ」 桃子は、いった。 「これは、弁明なのかい」 「私にだって、いろいろなことがあったのよ。そんな話をひとつひとつしたって、仕方がないでしょう。肝腎な点は、私は、自分とおない年くらいのあなたがいるのを信じて、二〇年も待っていたのよ。それなのに社長は、そのあいだに結婚して、子供をふたりもつくって、人生に満足していたのでしょう。自分の役割をすっかり忘れて、春江さんにとりこまれていたのでしょう」 桃子は、あきらかに非難していた。 「まったく、わけの分からない内容で困惑するけれど、君と結婚することになっていたとでもいうのかい」 「それは、私がする話ではないのよ。あなたは、自分がだれで、なんのためにこの世に生をうけたのか、しっかり思いだす必要があるのよ。記憶喪失だなんて逃げないで、隠された部分をとりもどして、はじめて、私たちの問題になるのよ」 「ちょうど一週間くらいまえに、病院にいってみたんだ。どうやらそこに、記憶を喪失して入院していたらしいんだ。しかし、カルテもなくてね。院長が主治医だったというので、記憶を頼りに話をされたのだが信頼できそうな感じでもなく、納得するにはまったく不充分だった。それではじめて、自分に物覚えがないことが客観的にも明確になってね。いままでは、さらに不明だったからね。しかし、それが分かったときと、君が退職勧告をうけた時期が重なるのは、きっと偶然ではないのだろうね」 翔司は、両肘をテーブルにつけてくみ、右手で顎を押さえ考えながらいった。 「もしかするとあなたは、記憶喪失になったのではなく、思い出をうばわれたのとは違うの。そのまえには、もっとしっかりとした記憶があったのかも知れないわ」 翔司は、桃子をみつめた。たしかに彼女とは、秘書室ではじめて会ったという気がしなかった。既視感というか、懐かしい感じをもっていた。考えてみると、今回いろいろなことが彼のまわりで起こりはじめたのは、桃子に出会ったのが契機だった気もした。春に彼女が秘書室にきてから、青春時代の記憶がぬけ落ちているのを思いだした。 「先週会った病院の院長はともかく、昔から面倒をみてくれた執事は、信用がおける人物だと考えている。君を解雇させたと思われる者は、私にとってとても大切な人で、両親がいないいまとなっては、ほとんど親同然だといってもいい。どういう意図で解職したのか、どんな権限があってそんなことができたのかも分からない。こうして直接、私の指示だと耳にしたから、週があけたら調べてみようとは思うけれどね。病院で聞いた話にもひどく驚かされたが、君のいうことのどれにも、それ以上に驚いている。いったい、なにを信じるべきかも、分からないね。どうしたら、いいのだろう」 翔司の言葉は、呟きに変わっていた。ふと視線を感じて桃子をみつめると、彼女は涙をながして泣いていた。その様子をみて、翔司は「どきり」とした。両肘をテーブルにつけ、ハンカチで鼻を押さえ、涙がぼろぼろとながれるのがみえた。桃子はとつぜん、一〇歳くらいの幼い少女になっていた。その目からながれる真珠の珠がつらなる涙は、室内の弱い光にあたり、すき通り、にぶく光りながらこぼれていた。変貌に気がついた翔司は、声もなく驚いて桃子をじっとみつめていた。 「しかし、会ってくれてありがとう。嬉しかったわ。もしかしたら、会ってもくれないかも知れないと、思っていたから」 桃子は、とぎれとぎれにいってハンカチで目頭を押さえた。 翔司は、その言葉でもう一度彼女をみた。そこには、トップモデルの枝野桃子しかいなかった。悲しんでいるのか。喜んでいるのか。なにひとつ分からない彼女の表情をみると、翔司は胸に刃物をつきさされた感じがして言葉もなかった。その後のふたりのテーブルは、葬式会場に変わっていた。もう話しあうという状況でもなく、言葉もなかった。でてくる皿にすこし手をつけると、ウエイターにさげさせるのをくりかえした。シャーベットもつついただけで終わらせ、珈琲を口にして、「今日は、これでお帰りになりますか」と翔司が聞くと、桃子は小さくうなずいた。すっかり腫れた目を、紺色のサングラスで覆うと帽子をつけて席を立った。 屋敷に帰って一息つくと、ひどく疲れた気がした。風呂からあがってソファーで休んでいると、妻が心配した様子で、 「なにか、いやなことでもあったの」とたずねた。 「春江は、天道桃子って分かるかい」と翔司は聞いた。 「知らないわ。でも天道って苗字は、どこかで聞いたかも知れないわ。それがどうしたの」 「秘書室に枝野桃子という女性が春からきているのだが、今日、話す機会があったんだ。もともとの苗字は天道で、春江とは従姉妹同士だっていうのだよ。彼女も、会ったことがないと話していたけれどね。驚いてね。聞いたことも、なかったからね」 「そういえば、母の旧姓は宮森で、姉がひとりいたはずだわ。だから、その娘さんかも知れないわね。どこに嫁いだのかは分からないけれど、もしかしたら天道家といったかも知れないわ。ほかには、まったく考えられないわね。母に聞いてみれば、もうすこしは分かると思うけれど」 たったひとりの従姉妹なのに、なぜ知らないのかと翔司は彼女にたずねた。 春江は、桃子の母親の苗字は天道かも知れないが、麗子は再婚しているはずだと話しはじめた。たしか東野と聞いた気もする。いずれにしても麗子は、春江の母、山部芳江とは五歳離れた姉だが、ふたりは仲が悪くて、つきあいがまったくないといった。芳江の実家は宮森で、ふたり姉妹なのだが、それぞれが結婚したあとで事件があって大喧嘩になり、それ以来、両家は絶縁状態なのだと説明された。義母の両親は、すでに他界していた。 「結婚式のときに、つきあっていない親族がいることは話した記憶があるわよ。事件の内容は、なにも知らないのよ。母も話さなかったし、興味もなかったから、私もたずねなかったわ。伯母の麗子さんは、再婚して東野麗子さんになり、娘さんがひとりいたとは聞いたことがあるわ。私とおない年くらいの従姉妹にあたるわね。実際には、なんの面識ももっていないわよ。子供のころにも、いっしょに遊んだことはないわ。年賀状の遣り取りもしなかったから、従姉妹がいるなんて、すっかり忘れていたわ。桃子さんという名前を聞いても、なんのイメージもないわ。枝野桃子さんなら、東野でも天道でもないから、さっぱり分からないわ。もちろん、とつぜんに天道桃子とか東野桃子とかいわれても、不明だったと思うわ。私と従姉妹なら、ほかには考えられないわね」と春江は答えた。 海部翔司は一人息子だったので、姉妹も兄弟も、どんなものなのか分からなかった。血がつながる肉親の関係は、一度こじれると修復が不能になるばあいも多いと聞いたことがあるから、そうした例なのだろうと思った。 ふたりが従姉妹同士にあたるのなら、雰囲気が似ているのは不思議ではなかった。義母の山部芳江は、今年六四歳だが静岡に住んでいた。春江は子供たちを実家で出産したので、芳江には一方ならぬ世話になり感謝していた。義母は、テニスや旅行を趣味とする社交的で元気な主婦で、妻は年に二回くらい子供をつれて山部家に帰るので、翔司もいっしょに出向くこともあった。 春江の話から考えると、山部芳江の姉になる東野麗子は、五歳離れているので、今年六九歳で、娘が枝野桃子なのだろうか。桃子は、独身だといっても、枝野という男性と婚姻をむすんで離婚したのかも知れない。しかし、彼女は結婚もしないで翔司と会うのを二〇年待ったと話していた。そうなると、なぜ枝野という苗字をもつのか、皆目分からなかった。 春江とは大学に入った年に出会って、人生の半分ともいってもいい一七年間、ずっとともに暮らしてきた。彼女はあかるかったし、いっしょに生活するのに疑問をもったこともなかった。しかし、じっと妻をみいると、桃子の華美とは違って春江は清楚だった。ふたりは、すこしも似ていない気がした。瓜ふたつだなんて、なぜ、ずっと感じていたのかも分からなくなっていた。そっくりだと考えたから、自分の過去があやふやであるのに気がついた。だから、いまになってふたりが似ていないと感じるのは、そもそもなにを思ったのかも分からなくなっていた。さらに、桃子から違った人生があったはずといわれても、戸惑い以上のものはなかった。 書斎でひとり、今日の出来事を思いだして考えていたが、やはり枝野桃子の話は気になった。彼女は、結婚もしなかったといっていた。だから、天道桃子から東野桃子に変わったのは母親の再婚によるのだろうが、さらに枝野になるには特別な事情があったに違いなかった。天道麻守が、妻の裏切りで息子を道づれに殺されたという村越の話は、そこだけは辻褄があう気がした。しかし彼は、娘とはいっていなかった。死後に若い男と天道の妻が結婚したのなら、東野桃子になるのはごく普通のことだろう。しかし桃子は、東野とはいわずに、天道桃子だと名乗っていた。 この不思議な話を考えると、また頭痛がしてくるのだった。桃子の陳述によれば、天道麻守は結婚相手だったのだろうか。しかし実父にあたるともいっていたわけだから、翔司が麻守なら、どういう関係になるのだろうか。生年月日についても、なにか聞いた気がした。年回りからは、桃子と結婚することもありえる話だと思われた。それで、どうして天道という苗字がついているのだろうか。桃子は、いったいなにをいったのだろう。姉弟だといったのか、従姉弟といったのか、発言内容がそもそもよく分からない。結婚するはずだったとすれば、血縁関係はないのだろうから、なにをいいたかったのだろう。ただ桃子は、天道という家の出身で、翔司が何者なのかを知っていると話した。続柄は分からないが、彼女と結婚してなにかをしなければならない、ということなのだろうか。 途方もない話だった。記憶が不明瞭な以上、なにがほんとうであるかの判断基準をもちあわせていなかった。桃子に、もっとくわしく事情を聞いてみたいと思った。さらに重大な点は、村越悦男が枝野桃子を知っていてやめさせた事実だった。翔司は、村越にあたらしい秘書がきてから、自分の過去を考えはじめと話した。名前をつげたわけではなく、春江に似ているという話をした。村越以外にやめさせる者はいないが、翔司が知らない方法で実行している。会社のガバナンスの問題にもつながる権限を、どうして村越がもっているのか。これは、翔司に解決できる疑問だった。村越以外に該当者は思いあたらないが、なぜ調べればすぐに分かることを敢えてしたのだろうか。彼が、重大な秘密をにぎっているとしか考えられなかった。 村越は、四月にきた秘書が天道麻守の娘だと知ったのだ。さらに、春江と桃子が従姉妹だと知悉していたのではないか。翔司は、妻に似ている秘書としか話さなかったのだ。 不明となった過去の記憶を、埋める手伝いをしてくれるはずの村越は、もっと詳細に事情を語ってもいいと思うが、不都合なことがあるのではないか。そうでなかったら、彼のとった行動を説明できない。部屋ですこしずつ飲みだした酒量も増えて、深夜にベッドに倒れこんだ。 翌朝、一〇時になっても寝室からおりてこない翔司に、春江はそばまできて、「どうしたのか」と聞いた。 彼は、全身が怠くてとてもベッドから起きあがることができなかった。背筋に、くりかえし悪寒が走っていた。何回はかっても、熱はなかったので、昼になってようやくベッドから離れた。なにを考えようとしてもまとまらず、すこしうごくのもひどく怠く、いままで経験しなかった症状だった。すくなくとも、記憶にはないことだった。翔司は、このままでは、ほんとうにぐあいが悪くなってしまうのではないかと思いはじめた。 翌日は、ゴルフの約束があったがキャンセルした。一日、家でひさしぶりにのんびりとすごしてみたが、子供たちはただうるさく感じられた。そうそうに書斎にもどったが、様子をみにきた春江の話は、声を聞くだけでひどく疲れた。 「ちょっと、ひとりにしてもらいたい」と翔司がいうと、彼女は驚いて怪訝な表情に変わった。 夜になってから、村越悦男に電話をかけた。電話口にでた村越に先日の礼をいい、話をはじめた。 「本来は、会って話すべきことなのでしょうが、村越さんとは、すでにもう二度面会しました。正直に申しあげてあなたへの信頼は、急速に冷えつつあります。敵なのか味方なのかも、いまではさっぱり分からなくなっています」と前置きして枝野桃子の話をした。 「調べれば、方法はあると思いはじめたのです。すこし、大ごとにはなるかも知れませんが」 「枝野桃子さんのことは、申しわけありません。常務に社長命令として辞表をかいてもらえと話しました。私は、彼とも長年の知りあいなのです。正直に申しあげて、桃子さんが何者なのかは、まったく知りませんでした。あなたが自分を天道だといっていたときにも、枝野桃子さんの話は聞きませんでした。復讐の妄想じみた物語を、くりかえし耳にした記憶がありますが、枝野という姓ではありませんでした。今回ぐあいが悪くなったのが、あたらしい秘書がきてからだとうかがいました。考えはじめると、偶然とは思えなかったのです。原因がそこにあるなら、枝野さんにやめてもらうのがいちばんだと、私の一存でした次第です」 「すると、枝野という姓は、妄想として天道麻守が話していた一部としては、存在してないわけなのですか」 「はい。枝野桃子さんの話は、聞いたことがありません。桃子さんという名前も、覚えはないです。だから、天道桃子もありません。そうではなくって、その方がきてから翔司さんがぐあいが悪くなったと聞いたので、不吉に思ったのです。そうした人とは、顔をあわせないほうがいいだろうと勝手に思いこんだのです。私も翔司さんといっしょに、妄想的になっているのかも知れません」 翔司は、村越と話しても仕方がないと思った。 常務がしたのなら、彼が直接に話を聞き、事情をはっきりと知ることができるといった。先日の村越の態度は、完全な味方とは思えなかった。最後に天道麻守の妄想の話を聞かされたのは、沢井からはえられなかったあたらしい情報だった。それなりに驚くもので、翔司のために、いろいろと考えてくれていたのだと思った。村越のいう通り、妄想の全体像を知っても仕方がないのだろうが、それを決めるのは、彼だ。この話はなにかが介在し、意思疎通にされている。沢井の陳述から考えれば、受診したのは、中学生の終わりか高校生のはじめころだろう。そのあいだ、だれが主治医だったのかも不明だ。こうしたことをいちいち村越にたずねなくても、分かる方法はあると思いはじめた。桃子の話を聞いて、すっかり気になってきた。明日、弁護士に話してみようと考えている。人をみないで相談できる話題ではないが、だれからもほんとうのことが聞けないのなら、外に漏れるのも仕方がない。小学校や中学校も、住民票からある程度わりだせるだろう。地区の教育委員会にいけば、なにかしらの資料がのこり、部分的なことでも分かるのではないか。この状況で村越と話しても、確固たる文書のひとつもでてこない。弁護士なら興信所に委託して、ある程度確実な情報をえられるだろう。学校へいけないほどの精神疾患をもつのなら、証明した医者がいたはずだ。資料ものこっているだろう。先日、別れるときに、なにかをはじめるまえには連絡する約束をしたから、おつたえするだけだ。翔司が村越との合意をまもったということを、覚えていてもらいたいだけだと話した。 「ほんとうに失礼しました。もう一度、機会をください。そんなにいろいろなところにあたらなくとも過去を証明できます。あなたが、中学生のときにみてもらっていた主治医がいます。その人に連絡をとってみます。明日の朝いちばんでやろうと思いますが、すぐにコンタクトがとれるかどうかは分かりません。何日か、猶予をください。もし時間がとれるなら、もう一度、翔司さんにお目にかかって話をさせてもらいたいのですが」 「私は、あなたをたずねて立川にいってお話を聞きましたよ。信頼して、正直にすべてを申しあげ、相談をしました。それで、あまり誠実とも思えない沢井院長の話をうかがい、それからまた、あなたに私の疑問を話しました。そうした出来事がつみ重なって、今日の電話の趣旨になったのですよ。あなたがなにを心配しているのか、ほんとうのところ、私にはよく理解できないのですよ。とても不都合なことがあるのは、分かりました。しかし、こんな形で処理されると、ぐあいが悪いのは私にだけではなく、村越さんにとってもあまりよいものではないらしいと思えてくるのは仕方がないですよ。こうした状況で、ただあなたと会って、あたらしい資料ももたずに話しても不毛でしょう。それから、また根まわしみたいなことをされても、ますます不信がつのるだけでいい結果には、つながらないと考えますよ。ただね、信頼のおける弁護士に話して、隠密にやるとはいっても、いろいろと隠すうごきがあれば、その分だけ、騒ぎが大きくなるのは、覚悟しなければならないとは思っています。だから考えて、最初に村越さんに聞くことにしたのですが」 「翔司さん、すこし待ってください。もう、こうなったらお話しますが、じつをいうと私は、当時ですね、あなたを悩ませていた天道という人を徹底的に調べてみたことがあるのですよ。あまりに、くりかえされるものですからね。私だって気になりましたよ。そうしたら、あなたのいう通り実在していたのです。天道麻守は、他界しています。この方が亡くなった日に、あなたがうまれているのですよ。どう考えたって、偶然です。いったい、こうした事実に、どんな解釈があるのでしょうか。まるで、オカルトの世界ですよ。それ以上は、考えられないですよ。天道さんの奥さんが再婚したのは、東野さんという方でした。そのつれ子で、名前は不明でしたが娘さんがひとりいるらしいのも知っていました。でもね、それが枝野桃子さんで、春江さんの従姉妹だなんて、あなたの話を聞くまでまったく考えてもみませんでした。いまうかがって、心底驚いているのです。結婚式にも出席しましたが、そんな話は一度も、春江さんのご家族から聞いていませんでした。ひどく驚いたのもそうですが、あなたが苦しんだ事実を知る私には、信じられないほど不吉で、枝野桃子さんという人がどういう経緯でやってきたのか思いはじめたら、わけが分からなくなってきたのです。結婚したりすれば女性は苗字が変わりますから、いても立ってもいられなかったのです。とても、偶然とは思えなかったのですよ」 「ちょっと、待ってください。私は、秘書の名前をあなたに話していません。いちいち個人名をあげる理由がありませんからね。あなたは、どうして桃子であると知っているのですか」 「部長に名前を聞いたのです」 「この話、変ですよ。私は、秘書について妻に似ているとしか話しませんでした。それで、どうして急に桃子という個人名がでてくるのですか」 「だから、部長に聞いたのです」 「どうも、納得できません。春江と似ているから、四月からきた秘書の名前を聞いたというのですか。従姉妹だと知っていたってことではありませんか」 「翔司さん、そんな話はしていませんよ。誤解していますよ」 村越は、慌てた口調で答えた。彼は、翔司がぐあいが悪くなったのはあたらしい秘書がきてからだと聞いて、部長に電話して名前を知った。天道麗子には、娘がいた。それが、枝野桃子だとは知らなかった。いま聞いて、驚いている。村越は、天道麻守に翔司とおない年くらいの娘さんがいたのは知っている。桃子が秘書としてきてからぐあいが悪くなったのなら、なにか関係があるかも知れないと思った。それで、常務に退職させて欲しいと頼んだ。軽率で、なんでそんな要求をしたのか、彼にも分からない。村越は、海部物産の大株主にもなっている。彼は、翔司の父親、海部実の人柄をよく知っていたから、会社がつぶれるはずはないと思った。それが何度もただの紙きれみたいな値段に変わって、そのたびに買い増しした。気がついたら、けっこうな株主になっていた。いまゆうゆうと暮らせるのは、配当ももらっているからだ。常務は、大株主の意味不明な意向ということで、彼の個人的な希望を処理してくれた。天道麻守は、海部実とおない年だった。妻、天道麗子は、翔司の母、海部爽子と同年だった。無気味なほど似ているが、偶然以外に考えようがない。村越も話せて、幾分かは気持ちが楽になった。こんなオカルトじみた話をしなかったのは、勘弁して欲しい。沢井院長には電話したが、カルテの紛失は事実らしい。管理が悪いが、そんなにたくさんの事項がかいてあったとは思えない。院長は、事実と若干違うことを話していると感じたが、全体は、あんな内容だ。この話には、たしかに微妙な部分がある。翔司が、そうまでしても知りたいのなら、分かる限りで協力する。希望にそえなかったのは事実だから、最初の主治医をみつける。もう二〇年もまえだから、いまは開業しているはずだ。カルテをみるといっても、難しいかも知れない。事情を話してみるから、一週間くらい待ってもらえないか。ご期待にそむくことはないと思うといった。 海部翔司は、村越悦男の提案をうけた。彼が元主治医と連絡がとれるまで、メールを待つことにした。天道麻守が、麗子の前夫で桃子の父なら、いったい彼女の話はどう理解したらいいのだろうか。父親と結婚するといっているのだろうか。天道麻守が死んだ日と、翔司の誕生日がおなじ。これが、なんの意味があるのだろうか。たしかに村越のいう通り、二年まえに研究したいかがわしいオカルトの世界だろう。偶然の一致以外にありえないが、なにをどう考えると、記憶がないことが「いいわけ」になるのだろう。桃子の話は、一から一〇まですべてが破綻していた。 しかし彼女が涙をながしたのは、翔司が確認した事実で、心から悲しんでいた。すくなくとも、そんなふうにみえた。あのとき桃子は、まるで一〇歳くらいの少女の顔に変わっていた。その表情は、すぐにいつもの彼女にもどったけれど、あれは、なんだったのだろうか。自分は、なにをみたのだろうか。そうしたこともふくめて全体を考えてみると、桃子は狂っているとしか思えなかった。 村越の話には、妥当な部分もあった。どうやら彼は、もっといろいろなことを知っているらしい。しかしふせているのは、不都合だからに違いなかった。だれにとって、どう都合が悪いのか、考えだすと頭が痛くなってくるのだった。 桃子とは、何者なのだろう。都合が悪い真実とは、なんなのだろう。どうして、自分はなんにも覚えていないのだろうか。いったい、過去になにがあったのだろうか。 九月二日の月曜日に出社した翔司は、手のすいた午後に常務取締役の定平をよび、直接に枝野桃子の件を聞いた。常務は、村越が話したのと、まったくおなじことをいった。 「うちの会社では、昔からこうした慣行があるのかね」 「飛んでもありません。直接電話をうけたのは今回がはじめてで、村越さんは、社長の後見人というか、いまとなっては父親みたいな方だと勝手に認識しておりました。それで、枝野桃子さんの個人的な都合ということにして、穏便に処理したのです。彼女には、退職金として半年分の給与を払ってあります。これも、村越さんの提案を、そのままおうけしたのです。村越氏は、うちの大株主でもあるのです。社長に不信感をもたれる行為は、今回がはじめてです。これを肝に銘じ、最後にします。たいへん、申しわけございませんでした。たしかに、社長の意向もうかがうことなしに頭越しにうごいたのですから、規則違反を行ったことになります。翔司社長にはだまっていろといわれて、その通りにしたのですが、勘弁してください」 「村越は、どのくらいの株を保有しているのかい」 「当社の〇・二%をもつ、個人株主です」 「それは凄い」 「しかし、申しわけありませんでした」 定平は、平身低頭になっていった。 二、夢と解釈 「どうかしましたか」 高橋巡査は、男性にちかよると声をかけた。 「真ん中のデッキに、不審な男が雨に打たれながら立っている」 若い女性から通報をうけた高橋信久巡査は、ビニール製の合羽をまとって階段をのぼり、ペデストリアンデッキにでてみた。三〇代なかばと思われる男性が、駅まえの大通りにかかるデッキの中央部分で立っていた。小雨がふりそそぐなかで、ほとんど車もない国道をのぞきこむ格好のまま、ぼうぜんとつっ立っているのがみえた。 日中は残暑も厳しい一〇月だったが、台風の接近により足をはやめてきた朝六時の雨は冷たく、ひとりぬれネズミになりながら、人通りもすくない通路の柵をつかんで、下の道路をじっとみる男の姿はなんとも異様だった。淡い茶系の三つ揃いの背広をき、ブランド物にも思える小型の茶色い手提げバッグをもっていたから、浮浪者にはみえなかった。高橋巡査は、五年ほどまえにデッキのちょうどこの部分から、走ってくるバスにむかって飛びおり自殺をはかった男性の事件を思いだした。足音を立ててちかづいても振りむかない男に、巡査はもう一度声をかけた。 「あなた。どうしました」 なんの反応もない肩を軽くたたくと、男は振りむき、ぼうぜんとした表情で高橋巡査をみつめて「なんですか」と聞いた。顔には霧状の雨がふりしきり、一部は頬をつたってこぼれ落ちていた。 「あなた、寒くはないのですか。なにをしているのですか。あなた、ここの人ですか。それとも、遠くからきたのですか」 「ここは、どこなのですか」 ぼんやりとして雨にぬれている男は、不審げに巡査に聞いた。 「どこだか、分からないのですか。あなたは、どこからきたのですか」 その言葉で、男は頭をまわし周囲をゆっくりとみながらいった。 「ひどい雨だ」 「そうですよ。あなたは、ずっと立っていましたから」 「寒いですね」 「雨のなかで、ずっと立っていましたから。あなた、どこからきたのですか」 「ここは。どこなのだろう」 男は、そういうとふたたび周囲をみまわした。 「あそこにかいてある、字がみえますか」 巡査は、左手をあげて大きな建物を指さした。 「仙台。せんだい、なのですか。ここは」 「そうですよ」 巡査がそう話したとき、男は右の手でつかんでいたバッグを落とし、両手で頭をかかえて、とつぜん顔を雨がふってくる天にむけると、大声で「ウォー」と絶叫した。 デッキを歩いていた幾人かの歩行者が、いっせいにふたりをみた。 高橋巡査が駅まえ交番につれていくと、男は寒いといいだした。熱があれば風邪をひいたのかも知れず、背広をぬがせるとシャツのなかまで、しめっているのが分かった。タオルをかし、雨にぬれた髪や身体をふかせながら経緯を聞いてみたが、男の話は要をえなかった。男性は、とくに隠しだてをする素振りもなく、東京に住んでいるといったが、どうやってここへきたのかについては、自分でもよく分からないらしかった。 身分を証明するものを要求すると、男はハンガーにかけた背広の内ポケットから紙入れをとりだして高橋巡査にわたした。交番には高橋とふたりの巡査がつめていたが、厚い札入れをうけとった山本巡査がなかをみてみると、一五、六枚の万札と、さまざまなカードがあった。海部翔司とかかれた免許証には顔写真がつき、本人に間違いなかった。 「このままでは、風邪をひいてしまう。ちかくのホテルにでも入って服を乾かしたい。それに風呂で暖まりたい」と海部はいった。 高橋巡査が、雨の滴がたれてくる、ハンガーにかけられた背広を調べてもいいかと聞くと、彼はうなずいた。ポケットをみると、ごく普通のハンカチ、ポケットティッシュにまじって東京発仙台行きという夜行バスの半券がでてきた。 「東京からバスできたのだね。そうすると、ここには五時半ごろについて、この交番のまえを通って、いまおりてきた階段をのぼってデッキにいき、雨に打たれていたことになるね」 「よく覚えていない」 「なぜ、仙台にきたのか。分からないのですか」 「まったく覚えていない」 男は、ちかくのホテルに入って服を乾かしたいとまたいった。 高橋巡査は、淡い茶色い小型のバッグの中身をみてもいいかとたずねると、海部はかまわないと答えた。それで高橋が革製の洒落た鞄をあけると、なかには携帯電話や文庫本のほかにピンクのタオルにつつまれた、あきらかに不審物と思われるものが入っていた。とりだして、幾重にも巻かれた布をとりのぞくと、刃渡りが一〇センチほどの先端部が尖ったステンレス製の鋏がでてきた。いあわせた巡査たちは、たがいに顔をみあわせて唾を飲んだ。 海部は、鋭利な鋏をみると顔面が蒼白になったが、 「なぜ、入っていたのか分からない。理由は、まったく思いつかない」といった。 タオルにつつまれていた鋏は、刃体が八センチあり、ごく普通の文具ともいえた。もちろん血痕などは付着せず、管轄内で殺傷事件の報告はなかった。所持する本人が人事不省ではないにしても朦朧としており、さらに鋏をわざわざタオルでくるんでいたのは、解せないことだった。覚醒剤服用の症状とも違っていた。そこで、高橋巡査は念のため署に連絡して巡査部長に対応をたずねた。 部長は、任意で身元の確認が必要だといった。 高橋巡査が、海部物産の社長とかかれた、海部翔司という名刺をもっていて、免許証の写真と本人は一致すると話した。 刑事は、「それがほんとうなら、丁重にあつかったほうがいい。身元が確認できれば、任意で話を聞くしかない」といった。 高橋巡査は、海部の携帯で自宅に通話をしてもいいかとたずねると、彼はかまわないと答えた。高橋が連絡すると女がでてきて、早朝の不審な電話に、あきらかに動揺しているのが分かった。妻だと名乗る女性に様子をつたえると、電話口の相手は夫に変わって欲しいといった。 海部は、事情はいま刑事さんが話した通りで、自分の身は心配ないが、下着にいたるまですっかりぬれネズミになっている。着替えの服が一式、必要だという話をした。 海部から携帯をうけとった高橋が、巡査であるといい、状況を把握してまた追って連絡するから待っていて欲しいと話した。身元の確認が終わり所持品を調べたが、そのほかに特別なものはなかったので、携帯電話をふくめてバッグについては証拠品として交番で一時的にあずかることにした。海部がくりかえし主張する通り、このままでは風邪をひいてしまうのがあきらかだった。免許証をのぞいた札入れはかえし、ずぶぬれの上着をもたせて、駅に併設されたホテルの受付まで高橋巡査は同行した。海部がチェックインをすませてカードキーをもらうと、高橋は五階の部屋までついていった。それで別れるときに、 「あなたには、はなはだしく不審な点があります。あくまで任意ですが、今後については交番に帰って方針を決めて、すこし落ちついてから再度とり調べをしたいと思います。部屋からは、無断で外出しないでいただきたい」と話した。 昼まえに、海部の妻が中年の男をともなって駅まえ交番をたずねてきた。海部春江は、三〇代なかばの上品な女で、シックな空色のツーピースをまとっていた。細身で背が高く、金のネックレスが魅力をひきたたせる、雰囲気をもつ女性だった。つれだってきた男は、大柄で恰幅がいい背広を羽織った四〇代なかばの紳士で、山岡啓太と名乗り、名刺をさしだした。そこには、「執事」という肩書きが名前の右上にあった。高橋巡査は、駅まえ交番に併設された、椅子と小さな机がおかれた狭い部屋に、彼女と男を招じ入れて話を聞いた。 「主人は、昨夜、なにもいわずにとつぜんにひとりで、でかけていったのです。こんなことははじめてだったので、なんの連絡もなく、もどってこないので心配していました。こうした形で、みなさまにご迷惑をおかけしていたとは、考えてもみませんでした」 「仙台には、お知りあいがいるのでしょうか」 「主人から、知人の話を聞いたことはないです。仕事柄、仙台の方ともつきあいがあるとは思いますが、とくに懇意にしている親しい人を存知てはおりません。なぜ、とつぜんこの街に、それもわざわざ夜行バスにのっただなんて、とても私には考えられないことです」 高橋巡査は、雨のなかでぬれネズミになっている海部翔司をみつけた簡単な経緯を話し、問題の茶色の小型バッグをみせた。 「これは、ご主人のものですか」 「主人のバッグです。間違いありません」 「ご主人と話をしても、ご自身でも今回の件はまったく分からないというので、こまりましてね。どうやって仙台にきたのかも、不明でした。いろいろ不審な点もあったので、なかをみせてもらったのです。そうしましたらね。こんなものが、でてきまして」 高橋巡査は、ピンクのタオルにつつまれた、先端部が尖った鋏をみせた。 「はあ」と春江は絶句して、山岡啓太と顔をみあわせた。 「ごく普通の鋏であるのは間違いないのですが、凶器ともなりえると考えられます。とくに管内では事件は起こっておりませんし、もっていても咎められませんが、お宅のものでしょうか」 「とりあげて、みても、よろしいでしょうか」 山岡がいった。 「物騒ですから、手はださないでください。あなたの目の前におきますから」 高橋はそういって、タオルを下にしいて鋏をみせ、裏もみるかと聞いた。 「これは、恐らく翔司社長のものだと思います。巻いてあるタオルを、みせてもらえますか」と山岡は聞いた。 それで、高橋は鋏をとって机の抽斗にしまい、「どうぞ」といった。 「このタオルは、家のものでしょうか。みた覚えがありますか」 山岡は、春江にたずねた。 「たぶんの家のものだと思います。見覚えがあります」 春江は、山岡にいった。 「ご主人に、なにか変わったことは、気づかなかったですか。不審な行動がつづいているとか、仕事上のトラブルがあったとか」 「いいえ、とくにそういう事件はございません。とり調べをなさったのでしょうから、ご存知とは思いますが、主人は海部物産の社長で、ちかごろはいろいろと気が滅入ることがあるらしく、それがなんなのかはよく分かりません。帰ってきても家では書斎にこもっているばあいが多く、そばにいって聞いても邪魔者あつかいにされて、私にはなにも話をしてはくれません。春から調子が悪いと話して、いろいろな検査をうけましたが、お医者さまからは特別には異常がないとつげられています。心の風邪、軽い鬱ではないかという診断で睡眠薬を服用しておりました。ちかごろは、家では怠いとくりかえし申しまして、とくに休日は、一日中、寝間着のままで寝床で横になってすごす日が多くて心配していたのです。たしかに朝はひどくつらそうでしたが、出勤は毎日しておりました。よく眠れないとばかしいいましたが、私がみる限りは夜は眠っていました。本人の申告ほどではないと、勝手に考えておりました。怠さを訴えますので、病院で診察をうけたほうがいいとすすめてはいましたが、私の話はほとんど聞いてはくれませんでした。なにが問題なのかは、まったく心あたりがないのですが、毎日塞いでいて話すことさえ億劫な感じで、ひどく心配はしておりました。しかし、自殺する理由などは、とても思いつきません。夜行バスにのって仙台まできて、それも鋏をもってなどとは、どう考えたらいいのかさっぱり分からない、信じられないことで、お話をうかがって、ただただ驚いている次第です」 「ご主人は、ひどく寒がっていました。雨のなかでぼうぜん自失となって、デッキのうえから下を走る道路をじっとみていました。恐らく三、四〇分のあいだずっとぬれていましたので、寒いのはとうぜんです。あまりに寒がっていましたので、ちかくのホテルで暖をとって休んでもらっています。ですから、とり調べは、まずは奥さまから事情をうかがって、という手順になります。もしかして海部物産というと、あの新聞やテレビなどでよくみかける大企業ですか」 「これが、主人の名刺になります」 春江は、海部翔司とかかれた紙片をさしだして、高橋にわたそうとした。 「私も、おなじものをもっています」と巡査はいった。 「ちょっと主人が心配です。ちかくにいるなら会いたいのですが、知らない街でこんなものをもっていたなら、みなさまにはたいへんご迷惑をおかけしたのだと、いま、はじめて分かりました。よく事情が飲みこめないのですが、差しつかえなければ主人に面会させていただけないでしょうか」と聞いた。 高橋巡査は、山本巡査と話しあい、交番に巡査ひとりをのこして、執事をつれて四人でホテルにいって、とり調べをつづけることにした。高橋がフロントに電話して、海部の部屋につないで欲しいと話すと、係がいくら連絡しても、なんの返事もないとつたえてきた。それを聞いて、四人はすぐにデッキをのぼってホテルにいき、フロント職員をひとり同伴させて五階の個室にいった。チャイムを幾度か鳴らしたが返事がなかったので、マスターキーをつかってあけてなかに入った。室内は真っ暗で、電気をつけるとツインルームの窓がわのベッドに、海部翔司が横になって眠っているのが分かった。 「あなた、大丈夫」 春江は、足早にちかづくと、大きな声でよびかけて翔司の肩を揺すった。 「社長、どうしました」 遮光カーテンをあけた山岡が、大きな声をかけ、まったくなんの反応も示さない海部翔司の反対がわの肩を軽く揺すった。 「あなた」 春江は、悲鳴をあげた。高橋巡査と、山本巡査、さらにホテルのフロントの職員も、一向になんの反応も示さない海部のベッドのまわりをとりかこんだ。彼は息もしていない感じで目をつむったままうごかなかった。窓からは、どんよりとした弱い光がさしこんでいた。 「あなた」 春江は、もう一度大きな声で叫んで、海部の両肩に手をかけて揺さぶった。 「どうしたんだ」 海部は、ようやく目を覚ました。それをみると、春江は、「あなた」といって海部翔司にだきついて、涙をながしはじめた。しばらくして彼女は立ちあがると、ハンカチでぬれた頬をぬぐい、高橋巡査と山本巡査、フロント職員のひとりひとりに、ふかく頭をたれ、ていねいに礼を述べた。顔をあげて、職員をじっとみつめる春江は、素晴らしい美人だった。 海部翔司は、ふと気がつくと自分の過去について考えていた。睡眠が浅くなり、寝たのかどうかよく分からないまま朝をむかえた。出社して仕事をつづけていたが、業務は睡眠不足によって次第につらいものになった。夜の会はできるだけ避け、終業すればすみやかに帰宅することにしていたが、なかなかそうもいかない日もあった。疲れているのに、床に入ると目がさえて考える自分がいた。 天道麻守が死んだ日に海部翔司がうまれたというのは、なにか理由があるのだろうか。父の実と、麻守がおない年。母の爽子と、天道麻守の妻、麗子が同年。これが、どんなつながりがあるのだろうか。こうした出来事に理由をつけ解釈するのは、オカルトの世界ではありえるのかも知れないが、現実的にはおよそ浮き世離れしている。偶然以外の何物とも考えられなかったが、桃子が「うまれた日で分かった」と真顔で話していたのは、異様としかいえなかった。結婚する相手が彼女だとしたら、麻守の子供にあたる。桃子がなにを話したかったのか、想像すら困難だった。しかし、彼女が真剣だったのは間違いないと思われたから、考えだすとおかしくなりそうだった。 ふと気がつくと幻聴がつづき、天道麻守は、麗子という妻とその夫である東野にたいしてふかい恨みをもっているらしかった。 「殺さなければならない」 「もう、これ以上、待つことはできない」 「天誅を、あたえなくてはならない」 くりかえし囁くのが聞こえた。もう一度、桃子に会って事情を聴取してみたいとは思ったが、果たして理解できる話をしてくれるのか分からなかった。「二〇年も待った」といったから、話題はたくさんあるに違いなく、聞けば、べつの視点からこの問題をみなおせるかも知れない。とはいっても、彼女の話は、「海部翔司」ではないのだ。「天道麻守」の記憶を思いだすことにつながるのだろうか。自分が天道だったなら、海部翔司はどうなるのだろう。彼女の話をよく聞けば、周辺の事情がいくらかは理解できたとして、そのばあい、どういう結果に落ち入るのだろう。 普通に考えるなら、桃子は狂っているとしかいえないだろう。あんなにプロポーションがよくて美人でセクシーなのに、結婚もしていないらしい。望めば、いくらでも良縁があったはずだ。翔司を待って婚期を逃したというのは、相当につよい思い入れをもつに違いない。彼女は、モデルとして充分な仕事があったはずなのに、わざわざ秘書の専門学校で資格をとって、海部物産につとめたという。考え方によっては天道麻守の怨念とも、どこか似ているのだろうか。桃子が妄想の虜なのだとしても、芯の通ったゆるぎのない信念をもっているに違いなかった。いっぽう翔司自身は、確固たるものがなにもみつけられないのだ。 いってみれば、翔司は蝉のぬけ殻であり、中途半端な状態で別人の身体で暮らすという叙しがたい感覚に苛まれていた。もし仮に外皮だとするならば、本体が天道麻守ということは、ありえるのだろうか。話しあえば、桃子によってさらにひどい妄想の世界にひきずりこまれるに違いない。ただ笑って、「そんなおかしなことは、ありえない」ともいえないほど、海部翔司としても充分ではない気がした。桃子の出現によって、天道麻守がよび覚まされているのだろうか。こうしたすべてが、彼女が秘書室にあらわれてから起こったのは間違いがないことだった。 一週間ほどたって、村越から連絡があり、「来週の土曜の午後に、時間がとれないか」というメールがきた。内容では、当時の主治医が埼玉県でクリニックを開業し、そこにいけば翔司のくわしい話をしてくれるということだった。 土曜の午後、彼は車で、さいたま市にむかった。大宮駅まえで村越をひろい、市内の川村メンタルクリニックとかかれた看板がある施設までいった。駐車場に運転手をのこし、ふたりでおりた。医院の二階が医者の住宅になっているらしく、村越は翔司をつれて裏がわにある自宅のベルを押した。やがて医師がでてきて病院の扉をあけるから表にまわって欲しいといわれ、玄関にむかった。ゆったりとしたパジャマみたいな普段着で、五〇代のなかごろと思われるやせた男が、表玄関にかかるカーテンを移動させ鍵をはずし、翔司と村越を招き入れた。 スリッパに履きかえたふたりは、男性の後ろについて、いくつかのベンチがおかれた待合室をぬけた。診療室とかかれた部屋に入り、ソファーに、うながされるままに腰をおろした。男は、診察室のクーラーを入れると、自分の椅子に無造作にかけてあった長袖の白衣を身にまとった。 村越が挨拶すると、医師は、「ずいぶんと、おひさしぶりですね」と返事をして、翔司をみて名刺をさしだした。そこには、精神科医、川村力男とかかれていた。 「二〇年ぶり以上になりますが、私のことは覚えていませんか。海部翔司さんが、ときどき新聞などのメディアにでてきて、青年実業家としてご活躍するのをみて、昔の患者さんだったのだと思って、ひどく懐かしい気持ちがしていました。お元気な姿を拝見し、いろいろとあったのによくなったのだと、感慨にふけっていたのです。お会いしたのは、あなたが少年時代から思春期にかけて以来ですが、容姿にはいまでも面影がのこっています。自分のみた患者さんが、元気で活躍されているのは、医者としては、たいへん嬉しいことのひとつですよ」 「申しわけありませんが、私は、先生にたいしてなんの記憶もないのです」と翔司がいうと、川村医師は小さくうなずいた。 川村は、最初に診療録が手に入れられなかったと話した。 川村医師が翔司を診察していたのは広尾にある総合病院で、一五年まえに改築になり、そのさいカルテは電子化された。連絡してみたが、ふるい紙の診療録は院内の倉庫におかれ、基本的にはすててはいないがもの凄い数で、一枚をとりだして調べるのは容易ではないといわれた。川村は、病院が改築するころに、さいたま市でクリニックを開業した。広尾病院は、六〇〇床もあり、カルテの数は四〇万をこえる。一部については、ふるい紙の記録も復元したが、すべてはとてもできない。カルテ置き場の倉庫室には、年度ごとに分けられたカルテが段ボールに入れられて隙間なくおかれ、どうするかについては大きな課題になっている、といった。 「入院の要約とか、そうしたものも手に入らないのですか」と翔司は聞いた。 入院要約は、カルテにつけてあるので、最低その部分だけでも入力したいが、保険制度ではコストとして計上できない。それで診療録は、シュレッダーにもかけられずに保存している。病院にかかった患者さんが事件に巻きこまれて訴訟が起こったばあい、証拠としてどうしても必要になれば、職員が一週間か二週間かをつかってさがすことはありえる。病院がわとしてはカルテがないとは公的にはいえないために、こうした対応がとられている。一五年以上もまえのふるい紙のばあいは通常、閲覧は不可能で、最終的には病院長の決裁をあおぐことになる、といった。 「川村先生が、沢井病院に私を転院させたのですか」と翔司は聞いた。 「海部翔司さんのばあいは、広尾病院に入院はしていません。通院治療だったのですが、病状が変わらず、ご家族のつよい意志で、あちらの施設に紹介した記憶は、朧気ながらもっています」 「私は、大学に入学してからのことは覚えているのですが、子供のころをふくめて不鮮明で、なにがあったのか、まるで分からないのです。先日、入院して治療をうけたという立川の沢井病院をたずねて、主治医だったという院長から経緯をうかがったのです。やはりカルテはなくて、記憶を頼りに話を聞かされました。しかし、院長の物覚えにも限界があるらしく、具体的にはなにも分からないのです。どうしたら、私の明確な素性を知ることができるのでしょうか」 「いい逃れる気持ちはありませんが、過去の記憶は、あくまで思い出で、真実かどうかは分かりませんよ。かかれたものもおなじで、記載されているからといってすべてが事実では決してありません。なぜ採録されたのか、どうしてこうした記述になるのか、考える必要が起こってきます。なんらかの意図をもって記されている、と思うべきです。そのときの事実であっても、振りかえってみれば違うばあいもありますし、すべてを鵜呑みにするものでもないでしょう。問題は、あなたがなにを希望し、回答に納得できたのかどうか、ということになります。つまり私たちが話しあってもとめようとしているのは、事実とか真実とかではないのかも知れないのです。レベルがまったく違う、ある種の納得なのでしょう。結局、お話を聞くところでは、了解がつかなかったのでしょう」 川村は、上品な物腰の人物だった。やせて目つきがするどく、眼鏡をかけていたから、インテリにみえた。 川村は、自分の記憶から話をはじめたいといった。 「あなたが考えていたほど過去がずんずんと解明しないので焦燥感に苛まれるのでしょうが、二〇年以上もまえの物語だと、まずよく認識してください。いちばん身近にいらしたご両親もたいへんな不運にみまわれ、現在は聞くこともできないのですから、すぐに辿りつく道はないです。あせっても、どうにもならない事態はいっぱいありますよ。緊急的な出来事で、一刻を争って対処しなければならない状況ではないことを、もう一度確認しましょう。あなたがこんな気持ちになったのは、過去を思いだしはじめた可能性が高いですよ。なにかの示唆で、視界がひらけるばあいもたくさんあります。だから、私が話すつまらないことでも、あなたにとっては重大なヒントになりえるかも知れないのです」 「分かりました」 「私の記憶では、あなたはひどいショックをうけてノイローゼになったのです。翔司さんは、ご家族でハイキングというか登山にいかれて、すこし急な尾根道を歩いていました。ご両親は先にいたのですが、あなたは小学生だったのでそんなに体力もなくて、みんなのペースについていけなかったのです。とはいっても、おいてきぼりにされたわけではないのです。平日で、人もほとんどいなかったらしいのです。ご両親は一〇メートルだか二〇メートルほど先で、あなたがへばってすわったので頑張らないとおいていくよ、と声をかけたのですね。それでもうごけなかった翔司さんをみて、いっしょに歩いていたお兄さんが、助けてやろうと思って走っておりてきてくれたのですね。それで、あなたの手をつかんでひき起こそうとしたとき、運悪く足をすべらせて尾根から転落してしまったのですよ。はずみがついてゴロゴロところがって、みているまえで、いちばん下の谷底まで落ちていき、そのまま亡くなられたのです。この事件は完全に事故だったのですが、翔司さんは、なぜだかご自分のせいだと考えたのです。それで、自分を責めはじめたのです。ひどいノイローゼになり、学校はおろか、外にもでれなくなったのです。驚きましたか」 川村は、翔司をじっとみつめていった。 「私には、兄がいたのですか」 「そうですよ。雄一さんというお名前で、ふたつほど年上だったと思います。村越さん、そうですよね」 「そうです」 「それで、思いだすものは、みんな処分したのではないかと思います」 「アルバムなどがないのは、そのせいなのですね。そうすると、どこかにおかれているのではなくて、すてられた可能性があるのですね。それで、どこをさがしてみてもみあたらないわけですか」 「実際にどうなさったのかは、具体的には分かりませんが、そうした直接的に記憶につながるものは、なんらかの形ですべて処分したのではないかと思います。すくなくとも、あなたの目につかない、簡単にはみつけにくいところにおいてあるのでしょう。翔司さんの名前は、もともとは翔二さんでしたが、一人息子になったのに翔二ではおかしいから、二を司になおして翔司に改名したと記憶しています。子供だったあなたは、不可避の事故だったのに、どうしても納得されなくて、自分がお兄さんを意図的につき落としたという妄想に悩まされ、なにもできなくなったのです。学校へ通うことも、外出も不可能になり、思いだしては激しく動揺して騒ぎはじめるのです。軽い鎮静剤をあたえていましたが、興奮にも波があって、ときどき発作的にひどい罪の意識がぶりかえし、自分がつき落として殺したといって大声で喚きだすのです。それで泣きはじめ暴れて、そんな発作が幾度もくりかえされたのです。まだ中学生になったばかりだったので、激しいこともできませんでしたから、私たちは様子をみていたのです」 海部翔司は、あまりの話に声もでなかった。兄がいたのも死んだのも、はじめて聞くものだった。だまっていると、さらに川村医師はいった。 「様子をみていたのですが、やがて発作の回数が増してきて、家で管理ができなくなり、立川の沢井先生に紹介したというのが、私の記憶です。なにか、ご不審な点とか、気になることがあれば、分かる範囲で答えたいと思いますが、いかがですか」 翔司は、しばらく考えていたが口をひらいた。 「先生は、天道という人の名前は知っていますか」 「どんな字を、かくのですか。かなり珍しい苗字ですね」 「天地の天に、道路の道です」 「天道さん、ですか。記憶にはありませんね。私の知りあいにも、患者さんにもいないと思います。その方が、どうかしたのですか」 「私は、いま先生からうかがった話の記憶はなにひとつなくて、ただただ驚いているのです。ちかごろ、面識も覚えももっていない天道麻守という人物が、ほんとうの自分だという幻聴をくりかえし聞くのです。ちょうど、思い出がないと気がついた時期と重なるのです。そうした幻聴が聞こえてから、自分の記憶について考えはじめたのか、順序ははっきりとしないのですが、執拗にくりかえされるので、なんであるのか、とても気になりましてね」 「それについては、分かりませんね。政治家の答弁みたいでお恥ずかしいですが、まったく記憶にないですね」 「村越さんの話では、私は当時、この天道麻守という男の物覚えにひどく悩んで、葛藤に苦しんでいたらしいのです」 「沢井病院にいってからですね。あなたが海部翔司さんであるのは間違いのないことで、どうしてそんな記憶があるのか、それは気になってとうぜんですね。だいいち、わけが分かりませんからね」 「村越さんは天道さんについて調べたことがあるそうで、そうしたら話の通り存在していたらしいのです。その方が亡くなった日に、私がうまれているのが分かったそうです」 「翔司さんが、なにか雑誌とかで読んだか、テレビで偶然みて、頭の隅に入ったものが、あなたの脳裏でつながったとしか考えられません。妄想に間違いないと思います。海部さんが、いまみたいに客観的に変だと考えていられるのなら、いいのですが。迷妄と現実が、本格的にまざりあうと、たいへん面倒ですね。沢井先生は、このことは知っているのですよね」 川村は、村越にたずねた。 「はい。この天道さんについては、さまざまな物語がつけくわえられまして、沢井先生もひどくこまりまして」 「そのときは、事故の記憶はどうなっていたのですか」 「それは、消し去られて、なくなっていたのです」 「どうやって、消えたのですか」 「翔司さんも、いまは立派に成人なされ、大企業の社長をなさっているのですから正直にいいます。あそこでは、電気ショックをかけたのです。それも何回もくりかえしかけて、みている私たちがひどいのではないかと真剣に思ったくらいです。子供のあなたに、なんでこんなことまでしなければならないのかと、私はどうしていいのか判断できなかったのです。先生のところに相談にいこうと、何度考えたか分かりません」 「そうですか。それでひとつの、思いだしたくもない過去の記憶は消えたわけですね。それから、どうなったのです」 「しばらくして、今度はまったくべつの妄想にとりつかれたのです。なぜそうなったのか、理由は分からなかったのですが、それが、天道さんの記憶です」 「そうすると、電気ショックでは、海部さんの子供時代の思い出がすべて消失し、そのうえに、まったくべつのあらたな妄想が入りこんできたというのですか」 「そうなのです。この天道さんの妄想も、以前の事故のものよりさらに激しく、なにがなんだか分からないほどひどかったのです」 「沢井病院では、それも電気ショックで、なんとか消したわけですね。しかしいまは、海部さんの過去の記憶ではなくて、天道さんのものがよみがえりつつあるということなのでしょうか」 「そうらしいのです」 「海部さんは、どんなことを思いだすのですか。すこし待ってください。さっきから変だと思っていたのですが、この話、ちょっとみょうですね」 川村医師は、そういって考えこんだ。しばらくして、村越にむかっていった。 「なんで、沢井病院に転院をうながしたのでしたっけ。村越さん、私は沢井先生とはあまり遣り取りがなくて。そうした、激しい治療をするのを聞いて知っていましたから。こちらからは、転院させないと思います。海部さんのご家族から、そこへいきたいとのつよい依頼があったのでなければ、私からは紹介はしないでしょう。どうだったか、村越さんは覚えていますか」 「よく分かりません。私はいわれてついていっただけで、先生とどういう遣り取りがあったのかは、よくは覚えていません」 「そうですか。うろ覚えですが、村越さんから沢井病院へいきたいという話をうかがった気もしますが」 「私が、海部実さんの意向をつたえたのかも知れません」 その言葉を聞くと、川村はだまった。しばらく、沈黙があった。 「まあ、いいでしょう。それで海部さんは、いまはどんなことを思いだすのですか。なにか具体的な内容が、ふくまれているのですか」 「漠然とした不安感みたいなものですが、すべてがそらぞらしい感じで、妻や子供にたいしても以前みたいな愛情が湧かないのです。あらゆる出来事が断片化し、まるで感情がないのです。沢井先生から、当時の私につけられた病名を聞きました。若年性の統合失調症だったそうで、多重人格障害も疑われたといわれました。この天道という方は、まったく無関係だと思うのですが、それでも私のべつの人格である可能性もあるのでしょうか」 「関係がなさそうですが、その意識が、ご自分をあなただと執拗にいうのなら、けっこう面倒なことかも知れませんね。幻聴というのは、頭のなかで感じた事柄を自分の耳で聞いた気がすると考えられています。だからくりかえされるのは、海部さんがご自分で思っていることになります。そのほかは、思いださないのですか」 「いま、先生からうかがった話は、私も聞いたことがあります。だから、ひどく不審に思ってしまうのです。いまは、すべてが忘れられている記憶なのでしょうか。こうしてお話をうかがううちに、またそうした一部を思いだしたりするのでしょうか」 「それは、ありえることですね。なんであっても取捨選択なしに患者さんにつつみ隠さず話していけば、ある種のカタルシスがうまれて、解決につながると考える精神科医は多いですよ。どんなものであれ、情報をあたえつづけることが記憶の回復をうむというわけですね。海部さん、こういうぐあいに話すと、なにかすべてが分かっているみたいに聞こえるでしょう。でもね、この話をよく考えてみてください。つまり、これをべつの言葉でおきかえるならば、なにが記憶を復元するきっかけとなるのかは、事実上、まったく分からないといっているのとおなじです」 「無理やり思いだそうと試みると、頭痛がしてくるのです」 「なにかをきっかけとして、妄想をふくめたさまざまなことが、思い浮かぶ可能性もあります。しかし思い起こしたとしても、どれがほんとうで、自分にとって間違いのない記憶かどうかを判断するのは、必ずしも容易でないばあいは数多くあります。ここが難しいところですよ。慰めにならないことは承知して敢えていうのですが、思いださないですむのなら、そのほうがいいとするのもひとつの考えです。つまり記憶は、なにがほんとうかという基準がないのです。脳科学からいっても、脳のある場所にまとめて保管されているわけではないのです。大脳のいろいろな部位に別れて、一部は、言葉として、映像として、音として、あるいは匂いや味として、さらに感触として、保持されているらしいのです。それにまたべつの部分で、そのときの感情とからめて連合して保存されますから、なにを、どうむすびつけて思いだすかは、心理状態にもよると考えられます。正確な記憶は、脳科学的にはありえないことになります。ですから、あらたな創造、あるいは想像、ともいわれるのです。多くのばあいには、思いだしたくもない記憶で苦しんでいるのが人間という生き物です。そうした多くの人びとにとって、思い出がすべてなくなってくれれば、こんなに楽なことはありません。それだから、記憶こそが個人であるという考えも成りたつわけです。つまり、思い出はなくてもつらいが、あっても苦しいもので、うまくつきあっていくのは、海部さんが考えているよりずっと難しいことなのです」 翔司は、川村医師の話をだまって聞いていた。それで、いろいろと考えていたがしばらくして、 「私は、いままでなんとも思わないで暮らしてきたのに、とつぜんに自分に記憶がないのに気がついて、こうしてお話をうかがうことになったわけです。それについて、先生は過去はともかく、なぜこうした気持ちに落ち入ったのか、よく考えるべきだと仰いましたよね。ほんとうに、その通りだと思うのです。それで、私もずっと考えているのですが、それもなんだか、さっぱり分からないのです。そうした気持ちが整理できる、なにかヒントみたいなものはあるのでしょうか」と川村をじっとみつめて聞いた。 「そうですね」 その言葉に、川村もじっと翔司をみた。たがいにしばらくだまっていたが、やがて川村医師はいった。 「なにか、ちかごろ、気になる夢はみませんでしたか」 「そうですね。四月から気になる夢を、ずっとみていました。最近はよく眠れないので、はっきり分かりません。ただ、先週みた気になるものがあります」 彼は首をかしげていたが、奇妙な夢を話しはじめた。 翔司は、自分が病気だと知っていた。左半身が麻痺し、手も足もうごかなくなっていた。なおしてくれる医者をさがしていたが、東北のいちばん北方、青森県の恐山に名医がいるという話を聞いた。それで、いってみようと思いたち、北にむかってすすみはじめる。左半身が麻痺しているが、歩くのにはとくに問題がなかった。北にむかってすすんでいると、何人かの人びとといっしょになった。彼らも、やはり恐山の名医にかかろうと考えていた。左足をひきずっている者。頭に大怪我をして血をながしている人。心臓に病気があって、ずっと胸を押さえている者がいた。おなじくらいの年の男ばかり四人で、いっしょになって北にむかって歩いていると、恐山から帰ってくる人びとに出会った。幾人かいたが、みんなぐあいがよくなって、そこの医者は名医だと口々に話していた。それで北にむかって歩くのだが、仙台をぬけて三陸海岸のちかくまでいくと、海が素晴らしく綺麗なのに気がついた。あまりに素敵なので、翔司は一行から離れて海岸ぞいにおりていった。浜辺は綺麗な砂浜で、対岸の岬がつきでて大きな入り江をつくり、湾になっていた。静かな太平洋から、湾内に海水が入りこんでいた。波は、美しい砂浜に、よせてはひく、リズミカルな反復運動を、音を立てながらくりかえしていた。その穏やかで綺麗な光景を、彼はずっとながめていた。あまりに素晴らしいので、ふと太平洋もみてみたい気持ちになった。対岸は岬で、大きく海にむかって張りだしていた。彼のいるところからは、崖がみえるだけだった。岬にのぼればよく分かりそうなのだが、いくには大きくまわりこまねばならず、かなりの距離があった。彼の前方に岩肌をあらわにした高い崖がみえ、その頂上なら太平洋がみわたせると思った。それで断崖にむかってあがっていくと、とつぜん大きな音がひびいた。驚いて振りかえってみると、視線をさえぎる岬をこえて海水が飛びちっていた。岬角に直接あたる太平洋の波が、猛烈に激しいのだろうか。もしかしたら、いますぐにでも津波がくるのかも知れないと思った。こんなちかくだったら、ながされてしまうに違いない。そう考えたら、飛んでもなく恐ろしい気がしてきて、いても立ってもいられなくなり、懸命に海から逃げていった。そこで目が覚めた。 「面白い夢ですね。さまざまなヒントがありそうです」 川村は、うなずきながらいった。 「たいへん興味ぶかい夢だといえるでしょう。もうすこしあなたの背景が分かれば、コメントを述べられると思います。私の専門は、夢分析なのです。いままでに大人から子供まで、一〇〇歳から五歳に至る、万というドリームを分析してきました。人は、日中でも夢をみているのです。しかし意識が介入しますから、昼間は気づくことができないのです。夢は、潜在的な問題を提起するばあいがあります。課題が重要でないか解決されてしまえば、すみやかに記憶から消えていきます。案件が放置され理解もされなければ、おなじ内容が執拗にくりかえされ、人は夢をみたと思うのです。もし、そうした気になるものがありましたら、お話しいただければ専門的な観点から分析することが可能です」と川村はいった。 「先生に、定期的にみてもらうわけにはいかないのでしょうか」 「遠いとは思いますが、ちかくを希望しない方もけっこういます。私は、かまいません。あなたが忙しいのも知っていますから、日曜日の午後に診察してもいいですよ。なにか特別な事情がない限り、あけておいてもかまいません」 「それでは、日曜日の午後には重大な用事があるということにします。休日の診療になりますから恐縮します。その分は、特別な診察費を払わせてください。どうすれば、私も気兼ねなく話すことができます」 そういって、翔司は用意してあった白い封筒に入ったお金をさしだした。川村はいちおうは遠慮したが二度目にすすめられたときには受領し、日曜日の午後に一時間から二時間の枠をとり、時間につき一万円の保険外診療とすると話しあった。最初は一週間後のおなじ曜日で、いままでの経緯をよく話してみることになった。海部翔司は、川村医師に礼を述べてクリニックをでて大宮駅まで村越をおくり、家に帰ったのは六時をすぎていた。 翌週の日曜日、約束の午後一時に診療所をたずね、翔司はいわれていた通り、住宅がわにまわってチャイムを鳴らした。川村がでてきて、病院の玄関にいくことをうながされ、表にむかった。しばらくすると、川村医師がカーテンをあけて、施錠されたクリニックの扉をひらいて海部翔司はなかに入った。診察室にいくと翔司のカルテがつくられていて、面談内容は守秘義務を厳守するとつげられた。さらに、面談では録音をとりたいといわれた。これについても当事者間の合意のもとでなされたと確認したいから、疑問がなければ署名をいただきたいとつげられ、相応する書面をみせられた。翔司は内容に目を通して、特別に不審を感じなかったので空欄に名前をかいた。 今回、川村の診療所を二度にわたってたずねてくるまでの経緯を、できれば経時的に、なるたけくわしく聞きたい。それに、奥さんとの出会いや家庭のこともよく知りたいといったので、翔司は順を追ってありのままに話した。 妻とのロマンスや、結婚の経緯。子供たちの話。秘書課に枝野桃子がきてから、なんとなくみょうな感じがして、妻の春江とおなじくらいで、容姿も雰囲気も、年齢もよく似たふたりが、どういう青春時代をすごしたのかと思ううちに自分の記憶をもっていないのに気がついた。考えはじめると、大学に入学する以前の思い出がほとんどない。だれに聞いたらいいのか分からずに、かつての執事で、子供のころからよく翔司を知る村越の自宅をたずねた。彼につれられて沢井病院にいった。そこでの遣り取りや、実際に入院していたという部屋をみた。また、その印象。帰りにもう一度、村越の家で話しあった内容。さらに、知らないうちに解雇された枝野桃子からメールをもらい、レストランで会ったこと。そのときに、彼女が話した内容。桃子が辞表をかかされた経緯。また、春江や子供たちにたいする自分の感情の変化など。さらに、枝野桃子が妻の従姉妹にあたること。かなり多岐にもわたり、情報量としても充分な大きさだったが、なるたけ順を追って話した。 翔司の談話を、川村はときどきメモをとりながら聞いていた。ひと通り話が終わると、川村医師がいった。 「海部さんも、ご自分の不明になった過去を知りたいと考えて、うごかれてよく理解したと思います。相手がなにかを隠していると感じはじめると、どんどん不信感がつのってきますよね。それは、仕方がないです。最初に申しあげますが、私はできる限り自分がほんとうだと考えることを率直に話します。たがいに、そうしたらいいのではないかと思います。これは健康保険をつかっても、自費で診察しても、医療行為の一部ですから、とうぜんですが守秘義務は厳守されます。たがいに相手に不信をもちながら、この作業をつづけるのは無理ですし、だいいち不毛です。ですから疑問があれば、あなたも率直に教えてください。先日、広尾の病院に電話でカルテがだせないかどうか、たずねてみました。その必要性が刑事事件や裁判にかんするばあいには不可能とはいえないが、それでもすぐには無理だそうです。カルテは大量にあるそうで、どう処分するかについては手立てがなくなっているらしいのです」 「私は、いまの状態は自分でも病気だと思うのですが、ノイローゼとは違って、沢井先生からはいろいろな病名を聞かされました。多重人格の可能性も、あるのでしょうか」 「一九九四年に、アメリカ精神医学会が発刊する手引書に改訂が行われ、多重人格障害、MPD、Multiple Person Disorder、という病名は、それまでとは若干内容が異なって、現在では、解離性同一性障害、Dissociated Personality、という名前に変更されています。かつての多重人格は、日常生活を支配するホスト人格がいて、多くのばあい、その周囲にホストが気がついていない、ある程度のまとめ役をふくむ、たくさんの交代人格が存在するという概念でした。いっぽう解離性同一性障害は、ある個人が多数の人格断片をかかえ、正当なひとつの人格すら所有しない状態という考えを念頭において表現が変更されています。つまり多重人格障害という診断名は、もしかすると、非常に複雑な交代人格がからみあうのではない可能性をもっています。医者が患者と協力して、多数の人格断片をつくりあげる行為かも知れないと考える研究者も多いのです。げんにアメリカでは多重人格と診断される者が多発し、ひとりの患者さんが平均一六ほどの交代人格をもっているのです。お話しすると、あなたは、かなり精神分析の知識をおもちのようですが、大学で習ったのでしょうか」 川村は、翔司をみつめていった。 「二年まえになりますが、ひどく興味をひかれてフロイトの全集をほとんど全部読んだのです。記憶とか、超常現象とかにも非常にひきつけられて、周辺の本をかなり読了しました。とはいっても、素人ですから、ほとんど分からないといってもいいと思います」 「精神分析は、記憶とオカルトと同列で興味をもたれたということですね。なぜ、そんな気になったのでしょう」 「私も、なぜだか不明なのです。そのうえ、記憶の本を懸命に読みながら、自分が思い出をもっていないのに、まったく気がつかなかったのです。いったいなんなのだろうと、振りかえるとますます不明になります」 「面白い話ですね」と川村はいって幾度もうなずいた。 「いまの段階では、まだあなたの病名については分かりません。分裂症では、論理や現実にかんする感覚が歪むわけですから、幻聴をふくむさまざまな妄想が出現することになります。私がみたときにも、あなたは想像をかかえて苦しんでいました。しかし妄想とまではいえないものだったので、記憶障害とみなしていました。今回、あなたはだいぶ時間をかけて考えられたのでしょうから、私が知っていた事実をまず話させてください。 翔司さんは、村越さんにたいしてすこし不思議な気持ち、若干の不信感ともよべる感情をもっていると思います。お話のなかでも、ちょこちょことでてきていました。それは、あなたがお兄さんの事件を自分のせいだと思いこんだことによるのですが、最終的に警察では事故として、とりあつかわれました。すでに、二〇年以上もまえに完結しています。これをいまさら、どう疑ってもはじまらないことだけは、ご理解してください。いくら考えたって、もう決着がついていて、それ以上はだれにも分からないのです。 ただ当時のあなたの思いは、故意につき落としたという考えにとどまらず、自分が村越さんとお母さまの不倫による子供ではないかという疑いに発展したのです。お父さまは、大きな会社の社長さんでしたから出張することが多くて、留守は奥さまと執事の村越氏でまもっていたのです。村越さんの夫人は、最初は麻布にいっしょに住まわれていたのです。子供さんたちがうまれたので、立川に家をたてて引っ越していました。お兄さんの事故が起こったのは奥多摩なのですが、そのときのメンバーは、お父さんではなくて村越さんがいっしょだったのです。村越氏は、山登りとかスキーとかがご趣味のスポーツマンでした。海部実社長が家をあけることが多かったので、家族のレクリエーションにつきあったとしか思えないのですが、不幸な事故はこのときに起こったのです。 あなたは、兄が亡くなれば財産が翔司さんのものになるから、お母さんからも、村越さんからも、お兄さんをつき落とせという指示をうけたという考えにとりつかれたのです。なぜ考えたのかは、もうだれにも分かりません。ただ、あなたがそう思っていることを知って、まわりのみなさんがひどいショックをうけたのは事実です。村越さんは、この話を思いだしてもらいたくはないでしょう。それで、対応がなんとなく後手々々にまわっていたのですよ。きっと、そうだと思います。最初に沢井病院にあなたをつれていったのは、たぶんそのせいでしょう。沢井先生が事情を、どの程度知っていたのかは分かりません。ずっとそばにいた村越さんは、子供さんのあなたに電気ショックをかけるのをみてはいられなかったのでしょう。普通は、あまりやらないことなのです。いずれにしても、あなたがそうした考えをもっていたのは、たいへんにこまった事態ではあったのです。自分が、お兄さんを殺害したと信じこんだ翔司さんが、さらに行為を合理化しようとした可能性はあります。なにが真実なのか分かりませんが、周囲の方がみんな、とてもこまったのは間違いがないのです。興奮したときに、鎮静剤をあたえて眠らせましたが、次第に体力もついてきて、押さえきれなくなって、海部家としてもなんとかしなければと考えたのは、自然な話です。それで、ショック療法でぐあいの悪い記憶を消し去ることができると、さかんに宣伝していた沢井先生の病院にいったのです。その後の経緯についてはよく分かりませんが、村越さんの話から総合すると、そうした治療を実際に何度かくりかえしたのでしょうね。それで効果がでたのでしょうが、今度はききすぎて、ほんとうの記憶喪失になってしまったらしいですね」 さらに川村は、さまざまな検査をしたから脳に病変がないのは信じてもいい。その後にあらわれた天道麻守という人物については、すぐには答えることができない。さらに枝野桃子の話は、普通の医師には信じられない。辻褄がまったくあわない、ほとんど妄想の世界だろうと話した。 「私がつきあいますから、すこし休んで、ここからはゆっくりと考えてみませんか」 川村はそういうと、じっと翔司をみつめた。 「妄想と想像は、どう違うのですか」 「前者は、突拍子もないことですね。ありえないとだれでもが分かる言明で、自分は宇宙のどこからかやってきた宇宙人であるとか、脳のなかにチップが埋めこまれ、ある有名な人物から操作をうけているとか、いうものです。理路整然としなくて、辻褄があわない陳述です。たとえば、いまうかがった、死亡日と誕生日がおなじだから同一人物だ、という枝野桃子さんの主張は、だれが聞いても合理性に欠けると思います。あなたの話からすると、桃子さんは完全な妄想をもっていると、考えて差しつかえないでしょう。そうした迷妄によって、意識が現実から解離すると不安がうまれます。不安神経症状や気分変調、癇癪、自分にたいする違和感や分裂が起きて、その識閾下に物騒な者が存在することになります。それにひきかえて、子供のころの海部さんの話は、絶対ないとは当事者以外には分からないので、一概に妄想とはいえず想像に該当します。だから、海部家はひどくこまったわけですよ」 「しかし、記憶がはっきりしないのは、なんとも頼りがいのないものですね。自分が何者であるのか不明だなんて、なにをどう考えたらいいのか分からないです。まったく納得がいきません。そう話したら、沢井先生は、そうしたことを考えるのは、宗教家か哲学者にまかせておけばいいといったのですが、ずいぶんと乱暴な発言だと思いましてね。医者って、そんなふうにしか患者に接してくれないのかと、とても残念だったのです」 翔司は、考えながらいった。その言葉を聞くと川村は立ちあがり、自分の机の抽斗から「脳のモデル」をもちだしていった。 「日常生活のなかで、私たちが合理的な推論と、それにもとづいて意志を決定できるのは、感情をもつからです。なにかの話を聞かされても、なんの情感も思いつかないなら、自分もそこにいないのです。記憶をうしなうのは自己の喪失につながるのですから、耐えがたいですよ。思い出は、私たちが存在することによって起こる無数の現象をむすびつけてくれる唯一の接着剤です。個人史をつなぎ、自分の成長や変化を知る、たったひとつの手掛かりといっても差しつかえのないものです。記憶をなくすのは、過去を再現する能力をうしなうばかりではありません。自分自身も、またまわりの者たちとのつながりをもすべて手放すことです。結合のよりどころをうしなうのですから、私たちの認識は、生きてきた時間とおなじ数の断片に分かれてしまうわけです。ようするに個人とは、意識と記憶によって構成されているのです」 そう話すと、もってきた「脳の模型」をひとつひとつとりだして話をはじめた。大脳皮質を領野に分け、四つの部分がどんな機能を担っているのか、さらに海馬の役割について講義をしだした。また、長期記憶と短期記憶、陳述性記憶と非陳述性記憶の違いを説明した。ノートをつかって図をかきながら、思い出がどのように蓄積され、記憶痕跡からどういう経路で想起されるのか、懇切ていねいに小一時間も話した。 「つまり忘れることが、私たちの生活を豊かにしてくれるともいえるのです。さらに記憶は、あたらしい情報によってかきかえられます。だから驚くほどもろく、歪められやすいのです。回想とは、想像力によって再構築する行為です。してきた活動全体のなかで、イメージとか言葉とかという形で浮かぶ、そのときに目立った出来事にたいして、それを考慮しながらふたたび構成されるのです。いいかえれば、過去は再解釈され、組織化され、現在の自分にうまくつながる形式となって、かきかえられているものかも知れないのです。すこし専門的な話を、勝手にながい時間お話して申しわけございませんでした」 川村は、ながながと喋ったことを翔司にわびた。 彼は、川村医師は信じるに足りるのではないかと思いはじめた。この日は一連の話をしただけで、すでに三時間ちかくもたっていた。翔司が医師に眠れないと話し、今後の予定を聞くと、川村は、 「死にたくなることはないか」とたずねた。 「不眠がつづくと、考えるばあいはあります。なにしろ朝が怠くて仕方がないのです。その怠さが夕方までつづいて、家に帰るとすこし楽になるのですが、待っても眠気が生じないのでこまるのです。横臥して眠りたいと思った途端に今度は目がさえて、いつまでたっても眠くはなりません」と翔司は答えた。 「仕事は、休めれば休んだほうがいいですね。診断書はかけるのですが、どうしますか。今後は、あなたがなにを記憶し真実と思うのか、考えていくことになります。先ほども申しあげた通り、すこしゆっくりといっしょにやってみましょう。ストレスがいちばんの問題です。睡眠薬を処方しますが、疲れないようにするのが大事です。ここは、通院するのに遠すぎませんか。今日は、タクシーできたのでしょう。運転手つきで精神科に通院するのを、どうかと考えるのは普通です。もし、もうすこしちかくの病院を望まれるのなら、信頼できる方に紹介しますよ」 「たしかに、通うと遠いです。でも子供のころを実際に知る川村先生には、いろいろと聞きたいことをもっています。そうした先生でなければ分からない事実が、きっとあるのでしょう。いまのところ会社を休もうとは考えていませんが、あまりにつらくなったら相談したいと思います。なにかとつぜんに変わったことがあったら、電話をしてもいいのでしょうか」 「それは、かまいません」 翔司は、川村の携帯番号を教えてもらった。服用したら横になることと、アルコールを併用しては絶対にいけない、という指示とともに睡眠薬を二週間分もらって、医師に礼をいった。 そろそろ今日の診察は終わりかなと思っていると、川村は翔司が前回話した夢についての話をはじめた。先日の会話もすべて、録音をとっていたとつげ、事後承諾になったことをわびた。くりかえし夢の話を聞きながら、いろいろ考えたのだが、今日は翔司をとり巻く状況がある程度理解できたので、いくらかイメージがある、といって話しはじめた。 「あなたは、病気であるのが分かって、治療するために患者さんといっしょになって北にむかってすすんでいましたね。その道が正しいのは、名医にかかってもどってきた人が、なおっていますからあきらかです。あなたは、病気をなおしたかったのですよね。それなのに、北にむかう治癒の道から一時的に外れても、太平洋がみたいと思ったのですね。それほど興味があった、この海は、いったいなんだったのでしょう」 「そうですね。太平洋は、ひろいという感じですかね」 「非常に面白いことを、話していましたよ。そのひろい海を、あなたはみたいのです。でも、看取できてはいないのです。あなたがみたのは、大海原とつながる、入り江、湾です。そんな気持ちにさせたのは、波の反復運動です。海は生命がうまれた、あらゆるものがはじまった起点です。いってみれば、あなたをとり巻いている大きな無意識なのでしょう。しかし、みたのは岬と崖と入り江、そして波くらいですから、海の全体からすれば、ほとんど無意味なほどに小さい部分です。つまり、あなたが意識できているのは、広大な無意識の、ほんの一部分だということなのでしょう。それが分かっているから、太平洋をもっとしっかりみたいと思うのでしょう。海は、母の胎内みたいに穏やかな場所でしょうが、優しいだけではありません。それこそ津波にでもなれば、なにもかも破壊してしまうのでしょう。 これは、いったいなんなのでしょうか。つまり、あなたの意識世界にながれこんでくる、無意識の強力で破壊的な大きな波があるのです。それを、どこかでつよく感じているのでしょう。だから、そこには情動と恐怖があります。あなたは、左半身が麻痺しています。自分では歩けるみたいですが、じつは左の半身は思い通りにはならず傷害があり、普通ではないのです。つまりあなたは、内部ではなく、外部世界にたいして充分に適合ができていないのです。 人格の分裂を、起こしているのではありません。こうして、私と普通に話しあえるのですから、正常な認識をもっています。記憶をうしなっているのは、たいへん悲しい事実ですが、大学を卒業してから、たくさんの出来事があったのに、あなたは海部物産の社長として、さまざまな事件に対応できたのです。それで、とくにこまったことも起こらなかったのです。つまり、あなたのいまの希望と違うのはあきらかですが、必ずしも過去の記憶を消失したからといって困惑する事態ではないのです。いつか思いだすのかも、思いだせないのかも知れません。でも、とくにこまりはしないのです。自分が分からなくて不安でしょうが、生きているのは現在です。生活に必要なものはみんな、あなたは覚えています。もちろん過去を思いだせないで、心配するのは正常な反応です」 川村は、翔司をみてつづけた。 「夢のなかであなたは、反復する波を美しいと思い感嘆します。規則的にくりかえす波動は、リズミカルにゆっくりと循環しています。これは、なにを象徴しているのでしょうか。いまのあなたにかけているのは、セクシャリティーではないのでしょうか。その情動をうながす、ゆっくりとした反復運動、これは性的なまじわりですが、それが欠落しているのでしょう。だから、本体である大海原をみたいとつよく思うのです。うごかない麻痺した左半身とは、奥さんのことではないのですか。あなたは、春江さんとなにかがうまくいってはいない。よくは分からないけれど、しっくりとこない。すくなくとも、性的には、うまくいっていないのではないのですか。それで、あなたはばらばらで、断片のよせあつめにすぎないと考えはじめたのだと思います。奥さんと、よく話しあうことが必要でしょう。これは、左半身を構成している春江さんの問題でもあるのです。たがいに充分に現在をみつめなおし、なにがトラブルなのか話しあうことが必要です。それが不安の解消にどこかでつながっていくのだろうと、あなたの夢、つまり無意識は語りかけている、みたいですよ」 川村は、翔司をみつめながら話した。 「はあ」 翔司は、溜め息とも、感嘆ともとれる息をはきだした。 「それでは、また来週お待ちしています」 「ありがとうございました。ところで、先生。先日、夢ときがご専門だとうかがいました。じつは、今年の春からずっとみつづけた夢があるのです。ちかごろはおさまっていますが、週に二、三回はみました。気になって実際にかきだし、ずいぶん考えてはみたのですが、さっぱり不明なのです。もし差しつかえなければ、つぎの週にでも、なにを意味しているのか、ヒントでももらえたらと思って持参したのですが」 翔司は、印字された紙面をとりだした。 文書をうけとりながら、川村は「みてみましょう」といった。 海部翔司は、妻の弟、山部貴寿の子供が病気だと聞いていた。貴寿がやってきて、「いっしょにコンサートにいき、そのあとで食事をしませんか」といった。翔司はすでに夕食をすませていたが、もう一度つきあってもいいと思った。 ふたりは、大きな食堂に到着した。中央にはながい食卓があり、すでに食事が用意されていた。ひろい部屋の周囲は、座席が円形劇場ふうに階段状にならべられ、どの椅子もテーブルに背をむけ、反対むきにおかれていた。翔司は腰をおろすと、貴寿に、なぜ奥さんの仁奈子をつれてこないのかと聞いた。それから彼は、貴寿夫妻の子供が病気だったのを思いだし、容体をたずねた。娘はずっとよくなり、いまではすこし熱があるだけだと貴寿は答えた。 場面が変わって翔司は、山部貴寿の家にいた。病気の子供は、二歳の幼い少女で、病状はかなり悪そうにみえた。だれかが、この子は翔司の妻の「ハルエ」という名前がいえないと教えた。彼は子供が真似できるよう、大きく口をひらいて春江の名を発音してみせた。ところが実際に発話したのは「ハル」までで、最後の「エ」の音はださなかった。結局、「ハルー、エー。エ」と溜め息みたいになってしまった。まわりにいた人びとは、「奥さんの名を、そんなふうに発音するべきでない」と非難した。 川村は翔司がみているまえで文書に目を通すと、「あなたは、まだ時間はいいのですか」と聞いた。 「とくに予定はありません」と彼は答えた。 「あなたは、天涯孤独というわけですよね。貴寿さんは、奥さん、春江さんの弟さんになるのですか」 「春江よりふたつ下で、いまは事業企画部で部長をやっています」 「貴寿さんの奥さんが、仁奈子さんですね。この病気の娘さんというのは、貴寿さん夫妻の子供さんなのですか」 「それがみょうなのです。貴寿のところには、ふたり子供がいるのですが、どちらも男児なのです。二歳と四歳になります。私の子供は、まえにお話しした通り六歳の男児と一歳の女児です。ですから、二歳の女の子は存在しないのです。どう考えても、私のまわりには該当するものがいないのです」 「夢にでてくるのは、間違いなく娘さんなのですよね。二年まえというと、あなたがフロイトを読みあさり、記憶やオカルト文献を研究していたころですよね」 「まあ、そうです。それに不思議なのは二歳の女の子供だと分かっているのですが、みた目はずっと大きく、少女でもいいくらいで、すくなくともそんな年には思えないのです。でも貴寿も私も、間違いなくふたつであるのを知っているのです」 翔司が答えると、川村は幾度もうなずいてからいった。 「この不思議なお子さんが、病気なのですね。あなたがみると、どんな感じなのですか。二歳の少女ということですが、かなり魅力的なのですか」 「そうです。よく分からないのですが、私はこの子供を気に入っている感じなのです。どんな顔立ちなのかは、不明です。大人の体つきでも、素敵な服をきているわけでもないのですが、雰囲気は二歳というよりは美少女ですね。でも、病気なのは知っているのです。やつれているのかも不明ですが、重態だとは分かるのです。すべてが矛盾して、ずいぶん気になるわけですね」 「なるほど」と川村はいって、右手を額にそえた。 「それでは、少々お時間をいただいてこの夢を考えてみましょう。珈琲でも、飲みませんか」と彼にたずねた。 翔司が時計をみると、もう四時間も話しあっていた。 「医者とは、患者にこんなにもつきあうものなのか」といささか驚きながら、お茶を飲むのに同意した。 川村は、机におかれた受話器をとり、電話の相手に珈琲をもってくるようにいった。しばらくすると診察室の扉がたたかれ、川村医師は立ちあがった。扉口のところで珈琲が入ったカップをうけとり、机にもってきた。 翔司は、恐らく自宅の奥さんが入れてはこんできたのだろうと思った。長居をして、申しわけないと感じた。できれば休日に延々といすわる非礼をふくめて挨拶しようと思ったが、女性は扉から診察室には入ってこなかった。 翔司が珈琲を飲み、トイレからもどってくると川村はいった。 「非常に面白い夢です。あなたの話をだいぶ聞いたので、イメージがあります」 川村は、翔司をみすえて話しはじめた。 「結局これは、ご家族にかんする非常にプライベートな夢ですね。こうした範囲が限定された夢物語が問いかけているのは、家族に問題があるということなのでしょう。それも、よび方にひどくこだわっています。二歳の女のお子さんが非常に重要なのは、あなたも分かるだろうと思います。実際には存在しないのは、意義のある事実です。彼女は、あなたの心のなかにいるのでしょう。二年まえというと、自分でも理由が分からずにフロイト全集や、記憶やオカルトの本を気のむくままに読んでいたころですね。この時期に、ご両親が飛行機事故に遭遇しています。ここの関係は、どうなっているのでしょう」 「興味をもって読みはじめた時期は不明瞭ですが、約二年まえだと思います。秋に不慮の事故が起こって、それからは後始末に忙殺され、読書どころではありませんでした。だから、春から夏にかけて読みふけったのだろうと思います。それにオカルトの本を読んでいて、こんな飛んでもない事件が起こったので、すこし不吉な感じがしたのも事実です。それから時間があったときに、書棚を整理して書籍を段ボールに入れて片づけたのだと思います」 川村は、腕をくんでしばらく天上をみつめていた。やがて考えがまとまったらしく、翔司にむきなおるとテーブルの端にあった小型のテープレコーダーをとりあげた。彼の目の前におくと、「もう録音は、やめましょう」と川村はいってスイッチを切ったので、機械はとまった。 「これからするお話は、すこし不愉快に思うかも知れません。夢分析のひとつの解釈だと考えて、聞いてください」と断って話しはじめた。 人間は、陽と陰からできて、釣りあって生きている。だから、陽部分が大きければ、陰部分も、おなじだけあると考えるべきだ。全体がプラスになるのは、世界で数人いるかも知れない限られた聖人くらいで、普通はありえない。ある人物が優秀で品行方正に思えるのは、仮面をつけたから、そうみえるだけなのだ。四六時中、ずっとやっては、いられない。だから、背後で、非常に馬鹿々々しい補償行為をすることになる。仮面が性的にひどく品行方正なら、その分だけいかがわしい事柄に、かなりの興味をもつと考えられる。 現実に存在しない二歳の魅力的な女性は、自分と解釈するのが分析では常道になる。その子は、奥さんの名前をよぶことがない。教えようと思っても、夢をみた者にとって、妻は考えただけでも溜め息がでてくる存在なのだろう。しかし奥さんのほうからすれば、配偶者は余程つまらない人物に映るに違いない。そんなに品行方正な人といても気が休まらないし、面白いはずがない。だから、つきあって退屈するより、はやく寝たほうがいいと普通は思うだろう。こうした事態は、おたがいということになり、非常に不幸といえる。 フロイトがいかがわしく感じられる部分は、間違いなく性的なものだろう。そう思って書棚から全集を排除して隠すのは、まさに自分の性的不道徳さを自覚し、隠蔽しているのと寸分も変わらない。意識が夜の寝ているあいだでも働くのだから、無意識も日中の生活に顔をだしてくる。そうしたものの内容は、周囲の環境にたえず投影される。つまり、夢見は正直で、ほんとうのことをいうのが普通なのだ。 この夢をみた段階で、いまの事態を真剣に考えるべきだった。これを無理くり放置したので、あたらしい状況をむかえているのだろう。それが、記憶喪失をもの凄く重大事ととらえる理由になっているのではないか。 アメリカでは、幼児の虐待を原因とする、さまざまな疾病が報告されている。しかし、幼児期の不明確な出来事をさぐりだすのを強いられて、患者が不幸になるケースは枚挙にいとまがない。医療としての課題は、現在の困難な状況を改善することだ。はっきりしない過去の出来事をあらいだすのは、目的には決してならない。記憶から真実をみつけだすのは、科学的にまったく不可能なのだ。極端にいえば、たとえ虚偽の思い出であっても、それで患者が健康に生きられるのならば、そのまま放置するのがいちばんいいのだ。医師は神さまではなく、医療行為は正誤を判断する裁判官の仕事とは役割が違う。沢井院長の発言は、配慮にかけ、幾分かぞんざいで、翔司にとって失意と失望をもたらしたに違いない。しかし、医者の立場からすれば基本的には正しい。 いまの状態は、総合的にいえば、社長という地位に完全に負けてしまったといえる、と話した。 「自分の社会的な役割と同一化する人は、幕の背後で補償として奇妙きわまりない行為をするように強いられる。つまり、高尚ではない、下位の神々にたいして税金を払わされる、と高名な心理学者がいっていますよ。とはいっても、これはひとつの解釈にすぎませんから、あまり気になさらず自分を大切に考えることが必要です。いっしょに手助けしますから、この先は来週にしましょう」 川村は、ぼうぜんとする翔司をみながらいった。すでに六時だったから、五時間以上つきあっていた。 「ありがとうございました」 翔司は生唾を飲みこみながら、クリニックをあとにした。 外にでると、もう完全な夕方といってもよかった。翔司は猛烈に胃が痛くなってきて、駐車場でうずくまった。素人とはいえ、六ヵ月間、悩みつづけた夢にたいして、有能なプロだとはいえ、珈琲一杯を飲む時間で答えをだされたことは、言葉にならないひどい衝撃だった。いわれた話も冷や汗がでてくる内容で、専門の医者とは飛んでもない存在なのだと、しみじみと感じた。五時間も話して、ずいぶんつきあうな、時給一万円はそれなりのものなのだろうかと翔司は勝手に思っていたが、川村は専門的な見地からその時間分の情報を仕入れたに違いなかった。どこまでみやぶられたのかと推しはかると、胃はきりきりと痛んだ。ここまで川村が理解するとは予想だに考えていなかった翔司は、五時間のあいだに自分が喋った内容がどうだったかと思いかえした。まったく無防備に、尻尾をつかまれる話をしていた可能性もあった。 たったひとつのすくいは、最初に川村医師ととりかわした文書だった。守秘義務の遵守という項目で、たしかにここまで心のなかに侵入するなら、この文言は不可欠なのだろうと思った。痛みは容易にはおさまらなかったが、翔司は駐車場にタクシーをよんだ。 しばらくしてきた車に、「麻布まで」というと、運転手はだまってうごかしはじめた。のっていると、ようよう胃の痛みもおさまりだした。なにかのきっかけから世間話になると、運転手は「お客さんは、病院のまえでお待ちでしたが、あそこにかかっているのですか」と翔司にたずねた。 「いや、そうではないのですよ。ちょうどちかくに病院があるのを目にしたので、目標になりやすいだろうと思って、あの場所を指定したのですよ」 「ああ、そうですか。それならよかった。あの病院は、やけに評判が悪いですからね。何度いっても、すこしもよくならないって、みんなが話しているのですよ。どんな仕事でも、腕の違いはあるのでしょうかね。もう、地元の者はほとんどいっていませんよ。いつでも待合室はがらがらで、そろそろつぶれるんじゃないかって噂です。そうでしたね。たしかに、今日は日曜で、休診日でした」 「そうなのですか」 翔司は驚きながら、平静を装ってうなずいた。 「病院の経営も、たいへんだって話を聞いていますよ。いったん駄目になると、もう修復ができないのですってね。われわれの商売も波がありますが、景気がよければもっと人を雇わなければ、ひとりとりのこされてしまうと思いますし、悪くなれば人員を整理しなければ、つづけてやっていけないと考えます。どのみち、混乱するわけですよね。すくないならそれでかまいませんから、一定なら、こちらもおなじことをすればいいのですよ。対処の仕方もあるのですが、ここが世の中の難しいところで、自分ひとりでやるのではありませんから手立てをもっていません。つまり事故を起こさず、健康に気をつけるしかないのです」 「趣味や道楽ではなく、仕事となれば、なにをやっても、お金をもうけるのはたいへんでしょう」 「なにもしなくても、金の入ってくる人たちがいるのは、この世の矛盾です。これをみとめなければ仕方がないのですから、私はずっと、死ぬまでタクシーを運転することになるのです」 「あなたのいう通りですね。事故を起こさないことと、健康がいちばんになりますね」 翔司は、運転手の言葉に相槌を打ちながら、麻布の自宅の三〇〇メートルくらいまえでおりて、タクシーが去るのを確認してから歩いてもどった。いろいろな評判があるのだなと思うと、ひどい頭痛がしてきた。 タクシーの運転手は、なんであんな話をはじめたのだろうか。考えはじめると、川村医師と別れるときまでは、「これでいいのだ」と思って、ひさしぶりに凄く爽快だったのに、完全に水をさされた形になって、自宅についたころには、すっかりまたすべてが分からなくなっていた。頭痛は悪化するいっぽうで、すぐに薬を服用した。 その日の夜に、処方された睡眠薬を飲んだ。きかないこともあるといわれたので、横になって「どうなのか」と考えていたが、気がつくと朝で、ひさしぶりによく眠った気がした。 眠れたせいで、かなり元気に月曜日は出社した。はやく帰宅して、その晩も睡眠薬のお陰でよく睡眠でき、火曜日もちかごろにはなかった軽快な気持ちで出勤した。午前中は会議があり、てきぱきと話をまとめることができた。午後に、定平常務が翔司の部屋をたずねてきた。用むきを聞くと、「先日の、ご報告です」と定平はひどく畏まっていった。怪訝な顔をすると、「枝野桃子さんの話です」と考えながらいった 「それが、なんだい」 不審な表情で、翔司はたずねた。 「どうしたって。ですから枝野桃子さんは、社長のご命令通り再来週の月曜日から、秘書室にもどることが正式に決まりました。ご報告にきたのです」 怪訝な顔をする翔司に、定平は困惑していった。 「社長。昨日、私をこの部屋によんで厳命しましたよね」 「うん」と彼が小さくうなずいた。すると、定平はまたいった。 「ああ、よかった。今度間違えたら、どんなに怒られるかと思って、あれからすぐに人事課にいって話をしました。どうなったのかと、ひと晩中心配していました。先ほどもう一度出向いて、正式に決まったと聞いたので、おつたえしようと報告にきたのですよ。いいのですよね。これで」 「そうだね。ありがとう。しかし、再来週の月曜日は旗日だね」 すこし戸惑ったあとで、カレンダーをみながら翔司はいった。 「ああ、そうでした。いや、社長すいません。なんだか私、どうかしていますね。それで、意味が分からなかったのですね。昨日はいままでみたこともない、人が変わったように、こちらが震えあがるほど、きつく社長から厳命されたので、もし桃子さんにいやだといわれたら、どうしたらいいのかとばかり考えていました。快諾だったと聞いて、つい嬉しくなって。年がいもなく私は、ひとり相撲をとっていたみたいですね。ですから、桃子さんがまた秘書室にくるのは、再来週の火曜日ということになります」 定平は、頭をかきながら部屋をあとにした。翔司は、秘書室長の浅野由美に、 「昨日、常務は何時ごろ、ここにきたのだったかな」とたずねると、「午後の三時一〇分ごろです」と彼女は答えた。 「だいぶ、きつくいったのかな」と彼は聞いた。 「かなり大きな声でした。あんなに感情をあらわにした社長を、私もはじめてみました」と浅野は答えた。 この事件を嚆矢として、海部翔司は自分に自信がもてなくなっていった。会議があっても集中できず、プレゼンする部下がだまって翔司をみつめると、 「私が話したことが、分かっているのですか」 「社長、どこかおかしいのではありませんか」 「変ですよ。ほんとうに、大丈夫なのですか」といわれている気がした。 飲んだ睡眠薬をネットで検索して副作用を調べると、「健忘」という言葉があり、どうやらこういう事態をさすのではないかと思った。その晩から薬をやめてみると、横にはなっていたが、まったく眠れずに朝をむかえた。 「ぐあいが悪そうね」と春江はいった。まったく眠れなかったと答えると、「寝ているみたいでしたよ。寝息も聞こえました」と春江はいった。その口ぶりは、なんだか翔司が、ひとりで勝手に妄想の世界に入りこんでいるとでもいいた気に感じた。 会社にいっても、一日中ぼうっとしていた。なにをやっているのか、自分でも分からなかった。天道麻守という男になっているのかと考えると、「いまは違う」、「まだ大丈夫」とくりかえした。 その夜は睡眠薬を服用したが、寝入ることができずに、まえの病院でもらった抗不安薬を併用した。朝は、さらに身体が怠くて、起きるのが、ひどくつらくなっていた。ふらふらしながら車で出社すると、みんなが翔司の不調を知っている気がした。 社長室でも業務に集中することができず、決裁すべき書類が机のうえにつもりはじめていた。会議は、緊急性のないものはのばしていたが、それにも限度があった。昼に眠りたいと思って社長室のソファーに横になっても心が落ちつかず、金曜日は早退した。 先日のったタクシーの運転手の、「評判が悪い先生」。「いくら通っても、なおらない」。「つぶれそうな病院」という言葉もひどく気になってきて、自分の判断がみんなとはまったく違っているのだと思いはじめた。 「正しい評価ができない」 「考えていることが、正常ではない」 「このままでは、ほんとうに気が狂うのかも知れない」とばかり思えてきて、なにがどうなっているのか、分からなくなりはじめていた。土曜日は、終日パジャマ姿で寝たり起きたりをくりかえした。居間にいく気力もなく、書斎でぼんやりとしていた。 「兄の雄一を、谷につき落としただけなのだろうか。もっとひどいことも、しているのではないのか。両親が死んだ事件とも、なにか関係があるのではないのか。村越がとても口にできないことを、もっとしているのではないか。解離した自分が、なにをしでかしたのかは分からない。老爺が、ひとつひとつ尻拭いをやっていたのではあるまいか」 おなじ考えがくりかえし翔司の脳裏に想起され、それが去来するたびに悪寒が走り、胸がしめつけられた。 春江が心配して、お茶をもってきてくれても、「いまはひとりにしておいて欲しい」というと、彼女はひどくびっくりとした表情で部屋をでていった。日曜日は、朝はまったく起きられなかった。 「風邪をひいたらしい」と川村医師には電話して、診察を休んだ。 つぎの週は、さらにひどかった。 月曜日はとても起きられず、会社にも風邪ということで火曜日まで休みをとった。寝ていると、そばにいる「天道麻守」が「出社するな」と囁く気がした。社員全員が、翔司のぐあいが悪いことを知っている。死んだ天道麻守の妄想にとりつかれて、狂って、なにをしでかすのか分からないと考えている。そんなことばかりを思っていた。 春江は、食欲もなく、話すのさえ怠そうにする翔司を心配した。医者にいくことをすすめたが、何度測定しても平熱で、「風邪とは違うみたいね」といった。 妻の春江も、自分が狂いはじめているのに気がついているらしいと翔司は思った。 「村越が、常務に宣伝しているのではないのか。いくつもの精神病院を毎週まわるのを、社員が気づいたのだろうか。運転手は、何度も精神科をたずねるのをみていた。もう翔司は駄目だと、みんなが話しあっているのではないのか。休むとますます、役員会でもひらいて、今後の社長人事について決めようとしているのかも知れない」 そんなことばかりが、脳裏をかすめた。食欲もなく終日ベッドに臥せっていると、春江がやってきて、翔司にとつぜん聞いた。 「弟の貴寿を、副社長に昇格させると正月に話していたけれど、具体的にはいつごろの予定なの」 そんな話を、したことがあった。山部貴寿は春江のふたつ下で、いまは事業企画部の部長だった。やがては腹心の副社長に昇格させるつもりだった。春江にいま、そんな話をされると、 「あなたは、もう引退しなければならないかも知れないわね。ちゃんと後継者を準備しておかなければ、たくさんの社員が路頭にまようことになるのよ」といわれたように思った。 水曜日は、ようやっと起きて、出社して、なるたけ元気そうに挨拶した。やつれているのは、だれでもすぐに分かり、奇妙で不審なのは、あきらかなのだろう。机におかれた決裁するべき書類の束をみて、もう一枚も片づけることもできない気がした。すべてが限界で、引退はともかく長期の療養が必要なのだろう。春江のいう通り、貴寿を副社長として入院するしかないのだろう。 秘書の浅野には、「会議は、緊急要件以外にはしばらくやらないつもりだ。風邪がながびいているので、遅刻や早退をするかも知れない」と話しておいた。 「分かりました」という浅野は、「もう、社長は駄目なのですね」と目で語りかけているように思った。それでも、水曜日は終わりまでいた。 木曜日は、頑張って起きて、一日机にむかっていたが、なにひとつはかどらなかった。 金曜日は、朝なんとか出社したが、どうしても怠くて午後のはやくに帰宅した。それからすぐにパジャマ姿になって、ずっと寝床に臥せっていた。 このまま、起きあがれないかも知れないと思い、激しい悪寒を背筋に感じながら、得体の知れない霊が自分にとりついている気がした。「いまは、まだ海部翔司」。「海部、翔司」とくりかえし寝床のなかで呟いていた。 意識と記憶が、個人をつくっているのだ。つまり、思い出がなければ、人格もありえない。人とは、ある一定の連続性と整合性をもつ事実なのだ。多重人格障害の特徴は、記憶と時間を消失することだ。ホスト人格である翔司は、過去の思い出をもっていないのが客観的にも証明された。だから、あきらかに大学生以前の時間をうしなっている。その基礎には、幼児虐待があるはずだ。解離性同一性障害が、男性よりも女性に多発するのは、幼少時に性的な対象になりやすいからだと本にはかかれていた。翔司のばあい、あきらかに電気ショックという治療をしたのだ。この手技は頭部に電極を張りつけ、七〇ボルトから一三〇ボルトの電流をながすらしい。大人であっても、通電すれば必ず気絶すると記述されていた。翔司のばあいは容易に奏功せず、何度もくりかえしたことは、沢井や村越がはっきり証言している。反復というのは、おなじ処置を重ねるのではない。最初は七〇ボルトであっても、効果がえられないのならば徐々に電圧をあげ、最終的には限界の一三〇ボルト、あるいはそれ以上の負荷をあたえたに違いない。こんなことをくりかえすのは、される理由も分からない子供にとっては、あきらかに虐待だといっていいだろう。それが原因となって、人格の解離がひき起こされたのではないのか。電気ショックをふくむ脳の打撲や損傷により、ある程度の人格変化が起こることも知られているのだ。きっと、解離を起こしたのだ。意識が現実からひき離されると、「解離現象」が生じるのだ。それによって「不安」が起き、不安神経症状、気分変調、離人症が起こる。自分が分裂し、その識閾下に、物騒な第二の者が出現するのだ。それが、いまよみがえっているのだ。 いかがわしいフロイト全集、オカルトの本や記憶の書籍を読んでいたのは、ほんとうに自分なのだろうか。なぜそのとき、思い出がないことに気がつかないのだろうか。すでに、自分ではなかったのではないか。その時期に飛行機事故が生じたこと。これは偶然ではなくて、もうひとりの自分が望んだのではないか。理由は不明だが、心の片隅で願っていたのではないのか。SNSをつかって、あんないかがわしい行為におよび、それをくりかえしたのは、もうひとりの交代人格がやったのではないだろうか。なにかの本に、虐待された者は、秘密をもつ癖がつくとかかれていた。そして禁秘をかかえるほどに、人は孤立するのだ。おれは、虐待され分裂を起こしているのだ。 過去より現在が厳しいのだ。きっと、未来よりもいまが過酷なのだ。つまり、現在がもっとも厳しいのだ。未来には助命の望みがあるし、過去は許されていたから、いままで生きてこられたのだ。だから、つらすぎる現在という現実を、もう否定すべきなのではないだろうか。未来に生き、過去を懐かしむだけが正しいのだろう。神が助けてくれないのならば、もう生存しつづけられないのではないか。 ふと翔司が気がつくと、どこかのふかい穴の底に落ちていた。直径二メートルくらいの幅がある円筒状の冷たい場所で、周囲はつまれた石でかこまれていた。とてもふかい穴らしくて、上部を目で追いかけても、どこまでもずっと石壁がつづいていた。だから幅が二メートルあるとはいっても、せまる石の威圧感は壮絶で、すぐにでも自分は押しつぶされそうに思える。光もない真っ暗なふかくて冷たい場所なのだが、翔司はここを知り、どんな構造なのか分かっていた。とりかこんでいるのは、つまれた石で凹凸をもち、とっかかりになるから、手や足をつかえば、ある程度まではのぼれるかも知れない。しかし上部までは、どう考えても四、五〇メートルはあるに違いなく、とてものぼりきることなどできそうもなかった。それどころか、石とはいってもかなりふるいらしくて、つよくつかむと一部はぼろぼろとくずれてくる。強引にのぼろうとするなら、構造自体がつぶれてしまう事態も、想定しなければならなかった。 足元には、冷たい水がしみでていた。ずっと足がぬれ、指の感覚はなく、凍傷になっているに違いない。腰をおろし、両足だけでもあげていたいと思った。底はほぼ水平で、一様に冷水がしみでて足首までたまっているから、幅があるとはいっても、すわれも、横にもなれなかった。無理やりやれば、身体中が水につかり、今度は全身が凍傷になるに違いなかった。だから足の指だけですむのなら、いまの状態のほうが、「まだ、まし」に決まっていた。 構造から考えるのなら、ふかい井戸の底ともいえる場所で、周囲は漆黒の闇がつづいている。それでいて、みえないはずの上部のつくりは分かっている。この円筒状の先は、石がずっとつまれ地上部までつづいている。出口には、重い木製の蓋がしっかりとしてある。だから、光がどこにもないのだ。たとえ、のぼれたとしても、不安定な足場で、重い上げ蓋をもちあげることは絶対にできない。 蓋がされた円筒状の石の壁は、周囲を木で造作され四角い形になっていた。この立方体に似た部分には、さらに屋根がつけられ、小屋がつくられている。四本の柱でできた粗末な建物には、太い梁がわたされている。その横木の、ちょうど重い蓋がかぶ去る上部には、金属性のみょうな形のものがつるされていた。 自分の力では、ここから這いだすことは絶対にできない。ただ凍えるほどに冷たい感触があり、漆黒の闇に満たされたなかに、ひとりで、限りのない絶望感につつまれているだけだった。 海部翔司が、なんでこんな場所にいるのだろうか。ここは、翔司と関連している地点なのだろうか。とても、そうとは考えられない。海部翔司は、兄を殺したのだろう。それで、沢井精神科病院に入院して、鉄格子のついた暗い一室に閉じこめられていたのだろう。しかし、こんなにふかい暗闇ではなかったはずだ。冷たい一室だったのだろうし、ひとりで閉じこめられていたのは間違いがないが、こんな場所ではない。ここは恐らく、天道麻守がいるところで、彼が押しこめられているふかい穴なのだ。おれをこうした者たちが、生きているのだ。殺さなければ、ならない。おれは、天道麻守で、復讐のためにうまれてきたのではなかったか。それをすべて忘れて、いままで、のうのうと暮らしてきたが、そのあいだ、こんな目にあわせた妻の麗子と東野の倅を、成敗しなければならないのではないのだろうか。 おれは、海部翔司ではない。翔司が、こんな場所にいるはずがない。天道で、復讐のためによみがえったのだ。ずっと、おれは天道麻守だったのだ。それなのに、その記憶をうばわれたのだ。それも、東野がしくんだのだ。復讐を怖れて、沢井に金でもつんで、子供のおれにくりかえし電気ショックをうけさせて、思い出をすべてうばったのだ。この記憶は、それでものこっているのだから、容易にはとれなかったに違いない。だから沢井は、おれが死にそうになるまで電気ショックをかけつづけたのだ。それを村越がみて、このままでは、記憶がなくなるまえに、天道でも海部でもいいが、本人が死亡してしまう。それで、川村に連絡をとりたいと考えたのだ。 沢井は、治療という名目でおれを殺してもよかったのだ。天道麻守があらわれ、よみがえって、復讐に出向くことがなければ、それで充分だったのだ。そのために、東野と麗子から金をもらっていたのだ。しかし、そうこうするうちに、天道の記憶もうしなわれたのだ。 おれは、天道麻守だったのだ。 三、金衣 天道清一朗は、山形県北部の凍河郷に居城をもつ大名の末裔だった。現在の凍河には、かなり大きな城址がのこり公園となって整備されているが、そこから北に一〇〇メートルほど山ぞいにすすんでいくと天道家の菩提寺「甘露寺」がある。山門をぬけると、右手にひろい駐車場がつくられている。未舗装の中央の道をすすむと、うっそうとした林を背景にして本堂と庫裏が立てられている。山門から右は山寺らしいゆるい傾斜になり、多くの墓がつらなってならんでいる。平坦な左がわには小径がある。雑草が繁茂する林のなかを、七、八〇メートルほどすすむと、高さが三メートル以上の御影石でできた天道家の墓碣がみとめられる。真ん中からうえは波状に造形が施され、外を背のひくい石でかこまれて、立っている。両脇には、これほど大きくはないが、やはり外縁をとりかこまれた墓石がふたつばかりある。ひとつは天道家、もうひとつは東野家とかかれている。 あきらかに庶民の墓とは違う雰囲気をかもしだす、この立派な墓碣の由来を聞いてみても、土地の者はなにも教えてはくれない。凍河では、天道家と東野家についての話は、ほとんどタブーとなっている。市内でふるくから営業する店の主に聞いても、「凍河城主に縁りがある者だろう」という曖昧な言葉しか帰ってこない。 だいいち、すでに天道の本家は絶え、現在は分家筋にあたる東野本一朗がこの墓石を管理しているらしい。天道家には、もともとは分家があった。しかし本家で起こった度重なる内紛のため、その人びとは首都圏に転出し、墓がのこるだけの状態らしい。いまは、凍河郷で天道と名乗る一族は、ひとりもいないのが現状らしい。 もともと天道家は、伊達藩に属し家老職もつとめた名家ではあるが、度重なる血縁の抗争が憶測をまじえて語られつづけたので、こうした事情に精通する凍河の人びとは、敢えてよそ者に話をしたいとはだれも思わないのだ。 概略を述べれば、現在の当主、東野本一朗の三代まえ、天道清一朗からはじめなくてはならない。清一朗には公家からくだった君乃という妻女がいて、ふたりに、清十朗、仁紀子、理志子、栗志甫、という二男、二女がうまれた。妻は末子をうんだのち、産褥で他界した。一年ほどして清一朗は、血のつながりもある東野家から、一五歳も年の違う東野遙夜を後妻としてめとった。当時、一九歳であったが、すでに妖艶ともいえる美貌の女だった。 清一朗は、すっかり遙夜に夢中となり、愛斗と栄男の二児をもうけた。彼女は、愛憎が激しく、気がつよく、残酷な女だった。清十朗、仁紀子、理志子は、つぎつぎと他界したが、遙夜にいじめ殺されたのだろうと噂されている。新妻にぞっこんだった清一朗は、君乃とのあいだにもうけた三人の子供が、食事もあたえられずに折檻されるのを、みぬ振りをしたといわれる。 前妻との末子になる、栗志甫は、再婚時には主人の父にあずけられていた。子供たちが相次いでなくなるのをみて、祖父の家では遙夜のいる実家に帰すのも憚られ、自分たちで育てていた。結婚して一五、六年もたつころ、主人の父親のぐあいも悪くなり、栗志甫をどうしたらいいかという問題がうまれた。 女盛りになった遙夜は、清一朗の目をぬすんで、奉公人をふくめた数人の者と密通していた。いまや正体を充分に知った主人は、君乃との子供、三人が哀れな最期をむかえたことに自責の念がうまれ、悔悟して、離縁し家督を栗志甫につがせようと考えた。これを察知した彼女は、愛斗、栄男とともに一計をあんじた。 遙夜は、清一朗にいままでの継母としての行為と自分の多淫を懺悔し、離縁を思いとどまるよう話し、天道家をつがせるために栗志甫を帰宅させる話をした。主人は、妻が涙ながらに悔恨の情を示すのをみて喜び、浦志甫をよび、愛斗、栄男に合意させるつもりで祝宴をひらいた。その夜、かねて計画した通りに、遙夜の息子たちは末子を撲殺した。深夜、泥酔してふかく眠っていた清一朗を彼女が起こし、栗志甫の様子がおかしいといった。深酒のために真っすぐに歩くこともできない主人が、せかされて地階にまでおりると、末子が布団に横になっていた。 「どうした」と清一朗が聞いた。 「こうなっております」といって、遙夜が掛け布団をのけた。そこには、全身がうち傷で覆われた栗志甫が、骸に変わって横たわっていた。 「なんと」 清一朗は、叫んでうずくまった。 「あなたも、おなじになるのです」と遙夜がいうと、木刀をもった愛斗と栄男があらわれた。 「おまえたち、なんということを」と口ばしったときには、ふたりによって清一朗はさんざんに打ちすえられていた。両人はまだ一四、五歳の子供ではあったが、身体はかなり大きく、手加減も知らずに思いのままに打ったから、主人の肉は飛び骨はくだけるという凄まじい現場となった。 「恨みは、忘れない。おまえたち一族は、永遠に死ぬこともできずに、この世でたがいに殺しつづけるがいい」 清一朗は、いまわのきわに、妻と息子たちに呪いをかけたのだった。 天道家の中庭には、ふかい涸れ井戸があった。この井戸は、掘った当初は素晴らしく美味な清水が湧きでるが、やがて涸れてしまう。さらに掘りすすむと、またしばらく冷水がでるが、やはり湧かなくなる。井戸から湧きでる水は、一度飲んだら病みつきになるほど甘くて冷たく、「天道甘露」とよばれていたので、清水をもとめて天道家ではくりかえし掘り、ふかさは地下四〇メートルにも達しようかというほどだった。しかし、そうして掘りすすんでも、当初に湧いた冷水は、結局は涸れてしまった。さすがに請けおった人夫も、「いくらお金をもらっても、これ以上掘るのはとても危険でできない」と訴えて拒否したので、「天道甘露の涸れ井戸」として有名だった。 地上部分は、二メートル四方、高さ一メートルほどの檜製の枠が造作され、さらに重い木製の蓋がつくられ、子供があやまって落ちるのをふせいでいた。また、井戸をかこって立派な小屋がもうけられ、中央には大きな滑車と、桶のついたながい綱がたれていた。重い蓋をあけてなかをのぞいてみても、ただ暗いだけで底はとてもみえず、なにがあるのかまったく分からなかった。 清一朗と君乃との息子、栗志甫の死体は、この井戸に投げこまれ、うえから充分な土をかけられた。主人、末子、ともども行方知れずということになった。かねてより病をわずらっていた育てた祖父も、あとを追う形ですぐに死んでしまったから、この件にふかく立ち入る者はなかった。事件から七年の歳月がたち、家庭裁判所の調停をへて、清一朗と栗志甫は失踪の宣告をうけ、法要が菩提寺の甘露寺でとり行われた。そのさいに、ふたりの骨壺には骨ではなく、それぞれの遺品がおさめられ、天道家の墓碣に収容され、戒名も彫られた。 こうして法律上でも、清一朗は死亡と認定され、天道の財産は、遙夜の息子ふたりに分けられることになった。その後、愛斗は三〇歳のとき、村越霧子という美貌な女と結婚した。霧子は二〇歳だったが、名の通り、つかみどころもない怪しいまでに妖艶な肌の白い女性だった。おなじころ、次男の栄男は、母、遙夜の実兄の娘、東野美津子と結婚した。東野家は、代々天道家の家老をしていた。遙夜のたったひとりの兄、東野慎一朗はがんらい病弱で、結婚した妻も美津子をうんだのち他界していた。彼女は、東野家のひとり娘だった。栄男は東野の養子に入り東野姓を名乗り、ゆくゆくは家督をつぐことに決められていた。美津子の兄は、ふたりの結婚が決まるとすぐに他界したから、東野栄男は東野家を継承し、名実ともに天道家の分家となった。 こうして、天道愛斗と霧子のあいだには、麻守という長男がうまれた。東野栄男と美津子は、美江と栄一という男女をさずかった。 愛斗と栄男は、生来仲が悪く、たがいに天道の財産をひとり占めにしようと考えていた。天道家は、もとより一国一城の大名家であり、伊達藩の家老で、藩の財政を担当していた。その過程で、巨額な藩財政を掠めとり、私的に蓄財をしていた。これには、東野家も関与していた。資産の内容は、主に金貨であり、時価に換算すれば数一〇〇億の金塊が蔵に眠っていた。こうした財貨については、一族のわずかな者しか知らない極秘情報であり、なかでも「金衣」とよばれる、細い金糸でぬわれた縦横六〇センチほどもあるという「タペストリー」は、芸術品としても高い価値を有し、家宝とされていた。 これだけの財産をもっていたので、年子の天道愛斗と東野栄男は、とうぜんだが家督を巡って激しく争うことになった。当初は長男の愛斗が天道の跡目をつぐのが好ましいと宣言していた遙夜は、次男が実兄の娘をめとり、正式に分家に変わると、次第に栄男に肩入れをした。 「天道家と東野家をひとつにまとめて、東野が吸収するべきだ」という話をはじめた。 遙夜は、がんらい移り気で、考えがころころと変わり、それにあわせて周囲の者が振りまわされるのをみては喜ぶ性癖があった。そうこうして家督問題が混乱するうちに、彼女が行方不明になるという事件が起こった。 確執していた愛斗が母の遙夜を殺害して、「天道甘露の涸れ井戸」に投げこんだのは、事情をよく知る者には、捜索をする必要もないほど明白なことだった。しかし彼女の遺体は、思いもかけない、街からはかなり離れた人跡のとだえた山中の滝のちかくでみつかった。事故か他殺か、判断がつかなかったが、死後、時間がたって発見された死体は、野犬に食われ、なにがなんだか分からないほどに毀損されていた。残存した衣服と遺品などから遙夜であると判定されたが、損傷の程度はひどく、検死官も顔をしかめるほどだった。 やがて、甘露寺で天道遙夜の葬儀が行われ、遺体としてのこされた骨が骨壺に入れられて天道家の墓碣に収容され、戒名をあたえられ、墓石にも彫られた。 こうした事件があって、天道の家督は長男の愛斗がつぐことになると思われた。そのとき、栄男が「家宝の、金衣をもつ者が天道家を継承するべきだ」といいはじめた。タペストリーは蔵に厳重にしまわれていたので、愛斗も異議なく合意した。ところがあらためて調べてみると、金衣をもっていたのは次男の東野栄男だった。 栄男は、愛斗が結婚した当初から、このつかみどころのない美貌で妖艶な白い肌の霧子に、激しい愛執をいだいていた。天道の家督をつぐ気になって、母の遙夜のすすめで東野の血筋の妻をえたのだったが、彼女とは一方ならぬ親密な仲だった。愛斗の変質的な振る舞いなどについて、よく相談にものる間柄だった。天道愛斗は激高しやすく残酷だったので、霧子は栄男が殺してくれれば、いっしょに暮らしたいと考えていた。東野栄男が天道の家督をつげば、たとえ死んでいなくとも、愛斗はこの地からさらねばならない約束だったので、蔵から金衣をさがしだし、わたしてあったのだった。 栄男がタペストリーをもっているのをみて、驚いた天道愛斗は土蔵を徹底的にさがした。とうぜんのことだが、ふたつとあるものではなかったので、どこにもみあたらなかった。 霧子が裏切ったのを知った愛斗は、東野栄男の妻、美津子にひそかに会った。天道愛斗が去った折りには、栄男と彼女はいっしょに住みはじめ、邪魔になった東野美津子はすてられるばかりか、恐らく殺されるに違いないと状況を説明した。愛斗自身も霧子には愛想をつかしていたから、「ふたりをおい払って、ともに暮らそう」ともちかけた。美津子も、両人がかねてから不倫状態にあり、なにかにつけ栄男が彼女を庇いたてするのをよく知っていた。それでいわれるままに、東野栄男の蔵に隠されたタペストリーをみつけだし、愛斗にわたしたのだった。 「この地を去るまえに、もう一度、家宝の金衣をみせて欲しい」という天道愛斗の話で、栄男は土蔵をさがしまわった。しかし、タペストリーはなかった。それで、栄男は美津子の裏切りを知った。 「さまざまな事件があったが、すべて水にながし、東野栄男を主とする東野家をみとめよう。財産を半分ずつに分けてもいい」 愛斗の寛大な話に、栄男は、妻の美津子と四歳の栄一と、二歳になったばかりの美江をつれて天道家に出向いた。そこで四人で用意された酒を飲み肉を食べていると、彼はいきなり包丁をとって霧子を刺殺した。 愛斗は、ぼうぜんとする栄男にむかっていった。 「おれは、美津子とここで暮らすことにする。この女には愛想もつきたから、欲しければやるから、骸になった霧子といっしょにどこへでもいけ」 今度は、嫉妬に狂った美津子が、「あんたの子供だから、つれていきなさい」とつげ、幼い美江をひきわたした。「栄一は、どこにいる」と栄男が聞くと、「もう、おまえが腹のなかに、大事にしまいこんだではないか」と愛斗が答えた。 東野栄男が不審な気持ちでだまっていると、彼はさらにいった。 「おまえが食った肉は、栄一だ」 栄男が驚いて調理場にいくと、息子の死体がのこっていた。それをみた美津子は仰天し、包丁で首をさして自死した。 「のこりも、もっていくか」と愛斗がいった。 血の涙をながす栄男は、呪いの言葉を浴びせ、天道愛斗への復讐を誓い、美江をだいて、その場をあとにした。東野栄男は、娘をつれて凍河郷を去った。 とうぜんのことだが、死んだ東野美津子と東野栄一、さらに天道霧子は、「天道甘露の涸れ井戸」にほうりこまれ、充分な土がかけられた。彼らは行方不明のあつかいとなり、七年後、天道霧子らは、家庭裁判所から失踪の宣告をうけた。 こうして三人の死亡が確定したので、天道愛斗は甘露寺で法要を営み、それぞれの骨壺にはなにかしらの遺品を入れた。天道霧子の形見は天道家の墓におさめられた。東野美津子と栄一のものは東野家の墓碣に収容され、戒名がそれぞれの墓石に彫られた。東野の墓は、こうした経緯から本家の天道家が管理することになった。 東野栄男は、幼い美江をつれて東京にでた。警備の仕事をしながら娘を育て、どうやって復讐するかだけを考えて暮らした。しかし、都会での生活が手いっぱいで報復の機会はおとずれなかった。彼にとっては、ただずるずると生きるよりも、天道家に復讐することが大切だった。現世で敵討ちの見込みがないのなら、生存は無意味だった。暮らしは貧しかったが、美江は美貌だった遙夜の孫にあたり、女優になっても不思議でないほどの美しい女に育った。いいよる男も多かったが、娘が一八歳の誕生日をむかえたとき、栄男は自分たちがおかれている状況をくわしく話した。 「復讐するには、息子をうまねばならない。さまざまな理由で、どうしても男児をもてなければ、血がつながっているなら女児でもいい。ただ、娘しかえることができないのなら、どんな手段をつかっても、意志のつよい男性と結婚させねばならない。その男に、思いをたくすしかない。しかし、現実にはおまえがだれと結婚しても、いまの時代に、私たちの復讐をしてくれる者をみつけられるのだろうか」と栄男は聞いた。 この話に、娘の美江は、「どんなに頑張っても、そんな男をさがすのは不可能だ」と答えた。 「しかし、たったひとつだけ方法がある。分かるか」 東野栄一が美江の顔をじっとみつめていうと、娘は泣きだした。 ふたりは、その唯一の方法を実行したのだった。美江は、うまれた男の子供を本一朗と名づけた。息子の出生後、一年もたたないころ、栄男は東京山手線のある駅のホームから転落死した。混雑したプラットホームで起こった事件だったので目撃者はおおぜいいたが、事故としか考えられなかった。しかし、だれもが不審と思われるほどの多額の保険金がかけられ、夜間の警備だった栄男が、その日に限って、なぜ朝の混みあうホームにいきあわせたのか、理由がつかめなかった。保険会社はかなり執拗に捜査したが、自殺とする証拠がみつからず、最終判断としては事故と認定された。その結果、多額の保険金が東野美江に支給された。 美江は、息子の本一朗に、彼がこの世に生をうけた使命を充分に教えた。天道愛斗の一人息子、天道麻守が宮森麗子という美貌の女と結婚し、時価数一〇〇億ともいわれる天道家の蔵に山づみにされた金貨と、家宝の「金衣」をふくめた家督をついで、幼い新太朗という子供をもうけて、のうのうと暮らしている噂は耳に入った。 「復讐するのは、ただ殺害するのでは、まったく意味がない。それなら、私たちにでもできたのだ。父、東野栄男がうけたのとまったくおなじ徹底的な絶望と屈辱をあたえて、東野家が総力をあげてこの結果に至ったことを、天道麻守が死ぬまえに充分に分からせる必要がある。そのうえで、殺害するのだ。もともと東野家と天道家の争いは、祖父にあたる天道清一朗の呪いをうけてはじまった。これを終わらせるためには、どちらかの血筋を完全に消滅させる必要がある。だから、もし天道麻守の血脈の者をひとりでものこしたら、今度は、おまえが復讐される番になる。これだけは、よく覚えておかなければならない。両家の争いは、終わりにしなければならない。もともと東野家の財産だったすべてを、天道家からうばいかえさねばならない。そのためには、麗子を誘惑し、狂わせ、共犯にさせるのだ。何人子供がいようとも、天道麻守に自分の手で息子や娘たちを全員殺させ、血筋が完全に根絶やしされたことを分からせてやらねばならない。また愛する麗子をつかって、麻守の息の根をとめねばならない。妻が自分を殺害するのを、天道麻守に確認させてから死なせ、そのうえで再婚して天道家の財産をうばい、東野家のものとするのだ」 母は、息子に話した。 復讐のために麗子を籠絡させる方法を、美江は自らの身体をつかって本一朗に徹底的に教えこんだ。彼が二〇歳になった年、東野美江は東京から室蘭にむかうフェリーに乗船し、甲板より転落死した。秋の台風のシーズンで、強風が吹き、船はひどく揺れていた。早朝のだれもいない甲板で突風が起こったのと、フェリーが大きく上下にうごいたのが重なって生じた事故としてあつかわれ、多額の保険金が本一朗にのこされた。 二二歳の年、東野本一朗は凍河郷にもどり、当時三五歳だった天道麗子を誘惑したのだった。麗子は一三歳も若い本一朗に籠絡されて惑溺し、すでに邪魔者になった麻守を殺害し、ほとぼりの冷めたころに再婚する計画をいっしょに立てた。両親の遺志をついだ東野本一朗は、できるだけ惨めな形で天道麻守を殺してやりたいと物心がついた時分から、ずっと考えていた。 ある夜、麗子は麻守に睡眠薬が入った酒を飲ませて寝床につかせた。さらに、八歳の新太朗にも薬を服用させ寝かしつけた。本一朗は、夜半、彼女の手びきによって家に忍びこむと、昏睡状態の天道新太朗の身体に毛布をぐるぐると巻きつけて紐でしばり、口輪をつけて声をだせなくし、首に丈夫な縄をかけた。こうしてミノムシ状にさせた新太朗を、麻守の寝室があるとなりの部屋にはこびこんだ。ふすま一枚をへだてて、縄の一端を天井の梁に通して寝所にたらした。さらに、麻守の両足にガムテープを幾重にも巻きつけうごけなくしてから、頭をつよくなぐって目を覚まさせた。 天道麻守が気がつくと、若い男性が寝室に押し入り、ほとんど裸になった妻が、両手をしばられ床にすわらされていた。男は刺身包丁をもち、麗子の首にあて、「女を殺されたくなかったら、天井からたれている縄をひけ」と命じた。 わけが分からない麻守は、両足にガムテープが巻かれ、自由がきかないことに気がついた。いわれるままに縄をひくと、けっこう重いものだった。 「しっかりひけ。さもなければ、麗子を殺す」 麻守はおどかされて、力いっぱいに縄をひいた。しかし、なにがついているのか、かなり重量のあるもので、ひきずりあげるには、相当な力が必要だった。 「もっと、しっかりもちあげろ」と男は命じた。 麻守がさらに力をこめて縄をひくと、ずるずると重い物体がもちあがってきた。 「手をはなしたら、女の首を切る」と男はいった。 やがて、麻守の両手はしびれてきた。 「これ以上、もちあげていることはできない」と天道麻守がいうと、 「縄を身体に巻きつけろ。それで、ひきつづけろ。もしも手をはなしたら、この女を殺す」と男はくりかえした。 天道麻守は、脂汗をたらたらとながしながら、いわれるままに縄を身体に巻きつけて、必死にこらえた。しかし、一〇数分もたつと手が完全にしびれ、ついに把持できなくなって、「これ以上は無理だ」とつげて両手をはなした。 「この馬鹿野郎が」と男はいって、麻守の頭をけとばし、さんざんに身体をなぐりつけた。天道麻守は、両腕を後ろ手にしばられた。 「金ならやる。いったい、なにが望みなんだ」と麻守はいった。 「金はいただく。おまえのもつ、すべてをもらう。でも、なにが全部なのか、分からないだろう」と男はいった。 「暴力はやめろ。妻をはなせ」 天道麻守は、いった。 男は、背後から麻守をけとばした。 「冥途に旅立つまえに、いい土産をみせてやる」 男は、いってとなりのふすまをあけた。そこには、毛布にくるまれた子供の新太朗が横たわり、首には縄がかけられていた。 「おまえが、自分の手で殺害したのだ。それも徹底的に、息子が死ぬまで、ずっと首をしめてしばり殺したのだ。おまえの一族は、おまえ自身の手によって完璧に滅亡したのだ」 そういわれた麻守がもう一度よくみると、毛布にくるまれたのは紛れもなく息子の新太朗で、完全に縊死していた。天道麻守は、わが目を疑った。縄の先にあった重いものが、新太朗だったと分かると涙が頬をつたっていた。そのとき、背後から鋭利な刃物が刺さった。振りかえると、麗子が包丁をもって麻守につき立てていた。血が噴出するのをみ、妻をぼうぜんとしてみると、男は頬かぶりをとり、東野本一朗だと名乗った。そして、東野栄男と娘の美江の息子であり、天道愛斗の子供である、おまえに復讐し、天道一族を根絶やしにするために生きてきたといった。そうして男は、麻守の腹部を刺身包丁でつらぬいた。 麗子がそばにきて、「私は、本一朗と再婚するから、邪魔なあんたは死ねばいい」といって、包丁をふたたび背後につき刺した。 「桃子がいる。おまえたちは、彼女も殺したのか」 麻守は、凄まじい形相で本一朗と麗子をみていった。 「桃子は、殺しはしない。殺す必要がないからだ」 本一朗は、麻守にいった。 「桃子は、あんたの子供じゃないのよ。分かったら、新太朗をかかえて死になさい」と麗子がいった。 「なんと。この恨みは、死んでも忘れない。是が非でも、怨念を晴らすために生きかえり、おまえたちを殺してやる」 いまわのきわに、天道麻守はいった。 「だれがやるんだ。おまえの血脈は完全にとだえているのだ」 「おれは、だれかにのりうつってでもよみがえり、おまえたちふたりを殺してやるのだ」 そういって、天道麻守は果てたのだった。 本一朗は、まだ一歳だった桃子の命は助けた。慈悲の心からではなく、楽しみをのこしておこうと考えたからにすぎなかった。 とうぜんのことだが、天道麻守と新太朗は、「天道甘露の涸れ井戸」にほうりこまれ、うえからは充分な土がかぶせられた。こうして、ここには、すでに投げこまれていた、天道清一朗、天道栗志甫、天道遙夜、東野美津子、東野栄一、天道霧子、の六名のほかに、二名があらたにくわわり、いまや総勢、八名の死体が折り重なった。それでも、蓋をとってなかをのぞいても、ただ真っ暗なだけで、なにもみえないほど井戸はふかく、まだまだ半分も埋まっていなかった。これから先、どれほどの者の骸が投げこまれて、井泉を埋めていくのか、だれにも見当もつかないことだった。 この天道家の恒例と化した失踪事件が起きて、一年もたたないうちに天道麗子と東野本一朗は同棲をはじめた。麗子は、本一朗にさらに夢中になった。彼は、母から身をもって教えられていた性技に長け、彼女を完全に虜にしたのだった。しかし、天道麻守が行方知れずという状態で、いくら本一朗に狂った麗子ではあっても子供をうむことはできなかった。彼も実子をえて、財産を東野家の血筋に確定したかったが、しばらくのあいだは我慢しなければならなかった。 天道麻守と新太朗が、謎の行方不明を遂げて七年がたち、家庭裁判所は、家人から提出された失踪の宣告を受理した。それにともない天道麗子が喪主となり、法要が甘露寺で夏の暑いころに行われた。このときに、失踪した天道麻守と、息子、新太朗の遺品が入った骨壺が天道家の墓碣に収容された。 同時に、本一朗は、東京から持参した、東野栄一と、その娘でもあり伴侶でもあり、さらには東野本一朗の母でも妻でもあった、東野美江の遺骨を東野家の墓に納骨した。 不審死だった美江は検死され、子供をやどしているのが分かった。胎児は、いうまでもなく本一朗の子だった。美江の死亡保険金の受取人は、私生児である息子になっていた。検視官は、胎児の父親がだれであるのかについては分からなかったが、職務上隠すわけにもいかず、本一朗に義務としてつたえた。彼は、火葬場で母である美江の骨をひろうことしかできなかったが、こうした事実にたいして自分の切った髪をたばねてなかに入れた、もうひとつの骨壺をつくり、俗名を本二朗として、都合、三名を東野家の墓に納骨して、それぞれの戒名を墓碣にきざんだ。 万事は首尾よくすすめられ、かねてより同棲状態だった東野本一朗と天道麗子は、晴れて結婚して入籍をすまし、つれ子の桃子は東野桃子となった。本一朗は、事実上、天道の資産をすべて継承した。こうして天道家は血脈がとだえ、墓碣は東野本一朗が管理することになった。またさらに、すでに妊娠していた麗子は、この年に男児をうみ、総一朗と名づけた。 東野桃子は小学校に入る以前から、本一朗によって性的な虐待をうけていた。麗子は、この事実を知っていたが、みぬ振りをした。入籍を果たしたあとに、母親が総一朗をうむと、虐待は常態化した。麗子が、夜に息子にミルクをあたえる時間がくると、八歳になる桃子の部屋に、人間の姿をした悪魔があらわれた。それは父と名乗る男で、彼女に意味不明な行為を強要した。 こうした虐待を母に訴えても相手にされず、「我慢しなさい」としかいわれなかった。こうして日常的にくりかえされる暴虐にたいして、助けてもらう相談もできなかった桃子は、なんでもうけ入れる虚ろな部分と、怯えながら考える自分に分裂した。びくびくする彼女は、夜に自室の扉がたたかれて父親が入ってくるまでは存在するが、実際に身体をふれられた瞬間からは、素直に振る舞う人格にすりかわった。 小学校の担任の教師は、容姿がととのった、かなりの美人の桃子が、みょうに大人びた部分と、なされるままになる、ほとんど幼児ともいえる一端が、分離しながら混在しているのに気がついた。なにかの話をする最中であっても、彼女の人格はとつぜんに入れ変わった。いままで話していたことが、なんにも分からなくなるという不明な事態に落ち入った。担任は、彼女が精神的な病気にかかっているかも知れないと考えて、ふるくからいる地元の教諭にいろいろとたずねた。どんなにくわしい者たちからも、「東野の子供だから、仕方がない」としか話してもらえず、充分な説明をうけられなかった。 「凍河郷に所縁をもたない者は、知らないほうがいいのだ」と解説をくわえる教諭もいた。何代にもわたって、度重なる不審としかいえない失踪事件が起きているのは、噂として聞くことがあっても、くわしい内容までは充分な説明をうけられなかった。 桃子は、おかれた状況をだれにもつげられずに成長した。小学校の二年生、八歳のとき、自分にとってなにが問題なのかを知るきっかけになる事件に遭遇した。この年、天道麻守と息子の新太朗の法事が、菩提寺の甘露寺でとり行われた。桃子は、父の麻守の死をはじめて悼むことになった。天道家の墓石のまえで目をつむって合掌していると、「私は、ここにはいない」という声が耳元で聞こえた。彼女には意味が分からなかったが、幻聴はくりかえされた。 それから何日語った雨の晩、桃子は気づくと真夜中に、「天道甘露の涸れ井戸」のまえに立っていた。月もない真っ暗の闇のなかで、自分がどうやってきたのかも分からず、気がついたときには恐怖が支配していた。なにが起こったのか不明な彼女が震えていると、「私は、ここにいるのだ」という声が耳にひびいた。そのときは、恐怖のあまり、自室に逃げ帰って寝床のなかで身震いしていた。 桃子は、この事件について母の麗子にも話さなかったが、それから、天道家の井戸に気をつけはじめた。彼女が、じっと「天道甘露の涸れ井戸」をみると、時刻に関係なく、たとえ夏の暑い日盛りであっても、そこには冷たい妖気が漂い、何人かの大人や子供の幽霊が、いつでもさまよっているのに気がついた。だれもが恨めしそうな表情でだまって母屋をみつめていたが、桃子以外の者にはみえないらしかった。 母の麗子は、桃子がなんでもうけ入れる人格のときには優しかったが、おどおどし、物事に不信をいだくばあいには文句をいったから、こうした不思議なことをたずねる相手はいなかった。 彼女は友だちもできなかったが、日中にひとりで、井戸のちかくですごす時間が多くなっていた。そこには、父と名乗る特徴をもたない男の霊がいた。桃子が味方もなく、たったひとりで悲しい目にあっているのをよく知り、慰めてくれた。そして、この井戸にまつわる人びとの秘密の話を聞かされたのだった。 桃子は、現在の事情につながる経緯を、こうして知っていった。それは、驚くほど悲惨な物語だった。男の霊は、彼女の悩みや苦しみを聞き、話し相手にもなってくれた。 本一朗は、桃子が井戸のそばにいるのをしばしば目撃した。彼が天道麻守と新太朗を投げこんだ涸れ井戸には、天道家と東野家が三代にわたって死人をつみ重ねた、おどろおどろしい話を母の美江からよく聞かされていた。本一朗がみると、桃子は普段と違って嬉しそうに笑い、まるで会話でもするみたいに独り言を呟いていた。彼は、その様子を不愉快に思い、「井戸にちかづくな」と命令したが、彼女の奇妙な行動を制限することはできなかった。 本一朗は、桃子が一〇歳のころには、すっかり夢中になり、毎晩、部屋をたずねていた。母親は、娘の件で喧嘩をはじめた。もちろん麗子は、彼女がまったく望まないのをよく知っていた。それで、「もう子供ができても不思議ではない年なのだから、どうするのだ」と彼にせまった。 しかし本一朗は、 「おれは、天道家からうけた東野家の恨みを晴らすために、じつの父と娘がまじわって、悪魔としてうまれたのだ。その母をさらに妻として、大悪魔になって子供までつくったのだ」といって一向に気にすることはなかった。 小学六年の夏に初潮があった桃子は、母親につげて、本一朗が晩にたずねてくるのをやめさせて欲しいと懇願した。夏休みの夜、彼女の話から、両親は喧嘩になった。麗子は、若い本一朗にさんざんになぐられてうごけなくなり、それでも打ちすえる父親に、幼い総一朗が泣きながら母にしがみついて離れないほどの惨さだった。 その夜に、桃子が井戸のちかくで嗚咽していると、父と名乗る幽霊がでてきていった。 「私は、いままで残念ながら、麗子と東野本一朗からうけた恨みを果たすことができなかったが、あきらめたわけでは決してない。殺されたとき、ある人物に転生している。生まれ変わったのだが、その者は自分が私であるのを知らない。桃子が男に会って教えてやらなければ、残念ながら、なぜ転生したのか思いだすことができないだろう。おまえは、恋いこがれて結婚した麗子に似ている。桃子をみれば、私は愛して裏切られた彼女を思いだすに違いない。そして、自分を知るだろう。私は、息子の新太朗の分もふくめて、麗子にも東野本一朗にも復讐がしたい。おまえが本一朗に玩具にされるのを、ただ、みつづけねばならなかった。桃子の助けがなければ、せっかくよみがえっているのに、私は自分がだれなのかも分からず、復讐ができない。ぜひ、助けてもらいたい」と懇願された。 そして、小学校の担任のところにいき、義理の父親にあたる本一朗から、夜ごとに虐待にあっている事実をつたえろといわれた。 保健教育を担当する受け持ちだった女性教諭、枝野晴恵は、桃子が時折みせる人格解離にも似た症状を不思議に思っていた。彼女は、家庭内暴力や幼小児の性的虐待にもふかい関心をもち、啓発活動をしていた。 父の霊の言葉にしたがって、桃子は担任の枝野晴恵を学校にたずねた。すでに夜の八時にちかかったが、小学校には仕事でのこっている教師がいた。 「どうしても、枝野先生に会って話さねばならないことがある」と訴える、衣服も髪もみだれた桃子の切羽つまった様子をみた男性教諭は、すぐに枝野晴恵に電話して状況をつたえた。晴恵ができる限りはやくいくから、それまで彼女をひとりにしないで欲しいと希望をつげると、教諭は快諾した。 枝野晴恵は、すぐに学校に出向き、桃子を自宅につれてきて話を聞いた。彼女は虐待をうけつづけてきた事実を話し、初潮があったことから両親が喧嘩になり、母が暴力をふるわれた事件をつたえた。 耳にするのもおぞましい話に、枝野晴恵は、このまま桃子を家に帰せないと考えた。麗子よりも一三歳年下の夫による虐待は、執拗で長期にわたって行われていた。母親が黙認していたのは明白で、保護の道をさがした。児童相談所や教育委員会とも相談になったが、虐待の事実は、桃子の詳細な証言からあきらかで、家庭環境を変える以外、手立てはないと判断された。 麗子の実家の宮森は、天道家と東野家の激しい血族の因縁を聞いていたから、そもそも結婚に不賛成だった。それが、天道麻守と息子の新太朗の失踪におよび、その不審を彼女と話しあって口喧嘩に進展していた。ところが行方不明になって半年もしないうちから、一三歳年下の東野本一朗との同棲に至ったのを知って大騒動に発展し、麗子は宮森の家から完全に絶縁されていた。 枝野晴恵から連絡をうけた宮森良文と露子の夫妻は、天道の血をひく桃子とは一切関わりたくないといって、ひきとる意思はまったくないとつげた。 さまざまな案がだされたが、凍河郷から離れるのがいちばんよいと考えられた。結果的に、桃子は枝野晴恵の両親がひきとることで決着がついて東京へいった。もちろん東野家からは、彼女を帰宅させるよう執拗に話があったが、晴恵は友人の弁護士を立てて家庭裁判所で調停をはじめた。桃子が枝野晴恵の両親、透と紗枝を養父母とする養子縁くみを法的に成立させ、東野からひき離すことになった。晴恵は、東野本一朗が彼女と接触をたてば、これ以上の騒ぎにはしないと約束した。本一朗は、この提案を最初は拒否していたが、条件を飲まねば、ありのままをすべて公表するという枝野晴恵の話に、最後には自説を引っこめたのだった。 枝野桃子には、父、天道麻守からの充分な遺産があり、そのお金は、家庭裁判所の指示によって指定された銀行口座に振りこまれた。蔵に隠された数一〇〇億にものぼる金貨については税務署の職員も知らなかった。天道麻守が名義人の土地や株式などが多数あったことから、相続税をひいたあとでも、桃子が引き継ぐべき遺産は五〇〇〇万にもなった。 枝野晴恵の両親は、どちらも教諭で東京の立川に暮らしていた。春江の父、透と、母、紗枝はともに退職していたが、不幸せだった桃子を養子としてひきとり、実子同然に慈しみ育てた。彼女は、小学校から中学、高校までを、立川の枝野夫妻といっしょに暮らした。一八歳で卒業すると、東京の都立大学の英文科に進学し、都内でアパート暮らしをはじめた。 桃子は、自分の財産を自由にできる年齢になり、春江の両親に謝礼を払った。彼女としては、お金ですまない恩をうけたが、できる限りのことはして、ひとつの区切りをつけたいと考えていた。もちろん、枝野夫妻もそんなつもりで養育を助けたのではなかったが、希望する立場も考慮し、月に一〇万円という金銭で最終的には話がついた。 七年間世話になったので、かなりまとまった金額だったが、「これで縁が切れはしないから」という桃子の言葉に、夫妻は、意思を尊重したいと考えて金をうけとった。透と紗枝は、彼女が支払った養育費、総額八〇〇万円を虐待防止にたずさわる娘の晴恵が関係するNPO法人に匿名で全額、寄付した。 桃子は、過酷な過去をもったが、身長は一七〇センチ以上あり、容姿は麗子の血をひいていたので類まれな美貌だった。大学生時代から、街にでるとモデルや女優の勧誘をくりかえしうけたが、ひたすら学業にはげんだ。英語は得意で、海外旅行も経験した。ミスインターナショナルにも応募をもとめられたが、両親はいないのと同然だったから、有名になって世間からとり沙汰されるのも過去を思い起こすのにつながり、静かに暮らす道をえらんだ。卒業後は、つよく勧誘するプロダクションの推薦で、モデルとして本格的に活躍をはじめた。しかし、子供のころにうけた傷跡は大きくのこり、恋人はもちろん、友人とよべる者もみつけることができなかった。 桃子は、立川の枝野の家に暮らしてから大学を卒業するまでの一〇年のあいだ、現実の社会に目をむけて、そこに馴染もうと懸命に努力をした。しかし、彼女の心の一部に、ぽっかりとあいた大きな穴を埋めることはどうしてもできなかった。そうした自分に気がつくたびに、すくってくれた父、天道麻守の言葉が気になった。 「私は、転生を果たしている。生身の身体になって、おまえと同時に生きているのだ。しかし、私は自分であることを思いだせなくなっている。なんとか、おまえに助けてもらい、天道麻守だと思いださせて欲しい。そうして、復讐をなしとげたい」 桃子は、一度も凍河郷にもどらなかった。菩提寺には父の遺骨はなく、「天道甘露の涸れ井戸」のなかにあるのだろう。そう思いつつも、実際に父親がいうからには、すでに現世に転生を果たし、彼女を待っているのではないかと信じはじめた。 桃子は、モデルとしてはかなり有名な存在となり、さまざまな雑誌のグラビアをかざった。ただ芸名は、西城桃子だった。とうぜんのことながらファンには男性が多く、さまざまなシチュエーションで多数の男がちかよってきた。彼女は、自分の身体にふれられるのに、極端な嫌悪感があった。とくに男性とは、握手して相手の肌を直接、感じることさえ、トラウマにつながる苦痛だった。 こうした彼女にしか分からない皮膚感覚を、男嫌いとかレスビアンとか世間はいったが、自分ではどうする術もなかった。実際、男は威圧と暴力の象徴で、恐怖から生じる嫌悪しかうまれなかった。男性に魅力を感じないことから、媚びる部分が一切なく、だれのあいだにもつねに一線をしく彼女の姿勢が、真面目で気取っているともみえたので、いっそう魅力的な女性に映った。 桃子は、そうした環境のなかで必死で自分の父、天道麻守をみつけようとした。よってくる男から麻守をみわけるのは、たぶん、会った瞬間に分かるのではあるまいかと考えていた。男性恐怖症であっても、父とはごく普通の会話ができ、自分の忌憚のない思いを聞いてもらえたのだった。 桃子が二七歳のころには、世界で毎年つくられるランキングでも、つねにベストテンを維持できるトップクラスのモデルに成長した。パリコレクションや、ミラノコレクションなどには、かかせない常連となっていった。 もしかすると天道麻守は、外国人に転生している可能性もありえた。そう考えて海外を拠点として活躍した時代もあったが、彼女はそこでも多くの人びとを知ったが、麻守と思われる者には出会うことができなかった。一一歳のときの出来事を思い起こし、外国人に転生したばあいは、日本独特のしきたりや、葬儀の作法ひとつも分からないに違いなかった。わざわざ外国にうまれる利点は、ほとんどないというより皆無だろう。世界はひろすぎて、みつけられる範囲をはるかにこえていると感じはじめた。 桃子は、外国で活躍する場をすてて日本にもどり、転生するとすればいちばん多いはずの首都圏を中心に探索を再開した。天道麻守が、彼女が一一歳のときにすでに復活を果たしたといったことや、自分がだれなのか分からないといった話を考えつづけた。恐らく転生したのは麻守が死んだ日以降で、桃子の年より、いくつか若いに違いなかった。具体的な、なにかの印をもっていなければ、さがす目安もないだろうから、分かるためには印象的な特徴があるだろう。そう考えていくと、いちばん自然なのは天道麻守が非業な死を遂げた、その日に転生を果たした可能性がつよかった。また、どうせ生まれ変わるなら、地位の高いものを対象とするに違いなかった。さらに発見しやすいことを考えるなら、天道家の血縁関係者であれば、相当数にしぼりこまれると気がついた。 天道麻守だって、転生するだけのエネルギーをもつなら、対象をしぼり、いちばん有利な者を標的にするに違いなかった。麻守の幽霊が井戸端で語った話では、天道清一朗の呪いをうけて、天道と東野は血縁者がほとんどすべて死んでいるので、のこる家系があるなら、この発端の一部を担う「村越家」くらいしかいないことになる。 村越霧子は、天道麻守によるなら、清一朗が万感の恨みをこめて天道家と東野家におくりこんだ、あらゆる因縁の起爆剤だったとも考えられた。だから村越家にも系譜があるはずで、その係累が対象となっているのは、いちばん理解しやすい構図だった。 村越という苗字は、天道よりもはるかに多いのは間違いがなく、どこが発祥の地であるのかは、不明だった。がんらい「村をこした」という意味あいからつけられたなら、この姓を名乗る者が、それほどたくさんではないにしても、全国のどの地域でも起こりえる。どこが元祖で、ルーツとして正しいのかについては、ほとんど解明ができないに違いなかった。 こうした点をつみ重ねて考えていくと、天道麻守の死亡日、一九八五年の夏に転生したとみなすべきだった。墓碣には八月二一日とあったから、その日か、翌日の二二日あたりにうまれた男が該当するに違いないと桃子は思った。 一九八五年に日本で出生した子供の数は、おおむね一五〇万人で、これを一日になおすと四一五五人となる。復讐のためにうまれるのなら男児をえらぶだろうから、最低でも二〇〇〇人と思わねばならなかった。したがって、この情報だけで麻守をみつけだすのはあまりにも至難の業だった。 桃子は、強力な霊術を有する者とか、必ずあたるとかいう易者、売卜者、さらに「いたこ」にも、たずねてみた。とうぜんながらすべてを話すわけにはいかなかったものの、世間でかなり有名な者たちが、まやかしで、なんの力ももっていないのを知っただけだった。 そうこうするうちに、桃子にひとつの考えがひらめいた。天道麻守が、彼女が母親に似ているといった言葉だった。麻守と名乗る男の霊によれば、麗子に一目惚れして夢中になって結婚したという話だった。桃子はその考えにそって、だれでもがみるグラビアなどの表紙をかざれば、いつかは彼の目にとまるとばかし考えていた。 しかし麻守は、そうした必要がなくなっているのではないか。つまり、すでに麗子に似た者をみつけだし、平和な家庭をきずいているのではないか。三〇歳もすぎれば、結婚してあたりまえで、子供の何人かもつくって、けっこう幸せに暮らしているのではないか。 こうした風に考えるのが、いちばん自然だろうと感じはじめた。それまで麻守が必死になって桃子をさがしているとばかし思ったのは、重大なあやまりだろう。つまりこう考えてみると、一方的に彼女が探索しているだけではないのか。彼は必要がすでになくなり、理想の妻をえた気になって、安穏としている可能性が高かった。 そうすると、麗子に似ているというのがキーワードだった。彼女の旧姓は宮森で、両親が東京在住なのは知っていた。麗子は一三歳も年下の本一朗に狂い、不必要になった麻守と息子の新太朗を巻きぞえに殺してさえも、そいとげたいと願った。その経緯を、すべてではないにしても宮森の両親は認識し、これを機として縁が切られたという話を聞いていた。 そもそも宮森家は、天道家と東野家の不吉な縁故を充分に知り、結婚から大反対だった。結婚後も別れたほうがいいのではないかと気をもんでいた。二児を麗子がうんださいにも、母の露子は凍河郷に手伝いにきて、天道家の不吉な話をくりかえし耳にしていた。そこに起こったのが飛んでもない事件で、天道麻守が生死も不明で、なんの解決がされないままに東野本一朗と暮らしはじめた彼女にたいして説明をもとめた。充分な返答がえられなかったことからはじまって大喧嘩になり、ついには完全に縁を切られるという形まで進行したという話だった。 麗子に妹がいたのを、なにかの折りに桃子は耳にしていた。もちろんすでに結婚して、違う姓になっていた。その妹に娘がいれば、桃子と似ていても不思議でなく、麻守がうまれた生年からは、夫妻としても自然な年齢だろう。そうはいっても、こうした考えに、どのくらいの妥当性があるのか分からなかった。また彼女の旧姓が宮森であるのを知っているだけで、妹の苗字が確定できないばかりか、その娘ともなればさらに違う姓だろうから、この道から探索していくのも相当に困難に思われた。 麗子にたずねてみれば分かるに違いなかったが、過去の行為は鬼畜としか考えられなかった。生きていれば、いまは六〇歳もすぎ、一三歳も違う本一朗が彼女と結婚したのは復讐のためだったから、とても幸せであるはずがなく、かなり惨めな生活なのは容易に想像できた。母にたずねても、ふれられたくもない過去を思いだすだけだったので、これもひかえられることになった。東京に住む麗子の父親は、宮森良文と聞いたが、相当に高齢のはずで、死んでいるかも知れなかった。興信所をつかって、こうした名前の者を調べさせても、意味をもつかも不明だった。 そんな桃子に転機がおとずれたのは、仕事の関係からある酒席で接待していたときだった。大手の商事会社の役員と話をするうちに、男がつとめる会社の若社長の妻に、彼女がどことなく雰囲気が似ていると話しはじめた。興味をもった桃子がよくたずねてみると、社長と奥さんはおない年で、ひとつ年下だった。もちろんこの言明を聞きだすためには、彼女は自分の年を正直につげ、役員のご機嫌を、ある程度とらねばならなかった。桃子がひとり身で、二〇代に外国でモデルをしていたころの面白い事件などを話し、男がいったパリやニューヨークでのつまらない談話に相槌を打つ必要があった。 部長は紳士的に振る舞い、「恋愛は、いろいろな形をもつから、結婚しないでつきあうのもいい」とか、しきりに口説いた。 「今日は、忙しい」という桃子に、「機会があったら電話して欲しい。ゆっくり飲みなおしたい」といって名刺をわたした。そこには、海部物産、常務取締役、定平孝蔵とかかれていた。 彼女は、その会社についてネットで検索してみた。どこかで聞いた記憶があった名前は、二〇一七年にウクライナで起こった飛行機事故のニュースだったと思いだした。 旅客機には、海部物産の社長と奥さんが同乗し、ふたりをふくめて約二〇〇名の全員が死亡した悲惨な事故だった。当時、ウクライナで石油施設にかんする大型の案件を受注し、その完成ひきわたしのために夫妻は来訪して、日本に帰る途上に飛行機事故に巻きこまれた。上空に入ってから、爆薬が破裂して大惨事が起こったといわれていた。原因については不明だったが、ロシアの諜報機関が仕掛けたとも噂されていた。この海部物産の事業は、たぶんに国際貢献的な要素がふくまれ、夫妻は国賓級でまねかれた。それが暗転しての大惨事に発展し、事故にともない息子の翔司が、急遽、社長に登用されたことなどが話題になった事件を思いだした。 新社長に就任した海部翔司は、弱冠三四歳で名実ともに日本の大企業である海部物産の責任者に昇進したので、とつぜんに生じた不幸とあわせて、彼の写真は当時、さまざまなメディアでとりあげられた。テレビのニュースなどでも被害者の息子という立場であつかわれて登場し、コメントをもとめられていた。 桃子は、海部物産についてかかれた記事を読んでネットで検索をしてみた。ホームページには、翔司の生年月日が記載されていた。それは、天道麻守が死んだ一九八五年八月二一日だった。さらに調べてみると、彼には子供がふたりいた。スキーを介して出会ったという、翔司とおない年の春江という名前の妻をもつのも分かった。さまざまに検索してみたが、この部分については完全にプライベートだったので、それ以上の情報をえることができなかった。 海部翔司が天道麻守の死去と同日にうまれているのは、桃子には、とても偶然とは思えなかった。どうしてもこの件をくわしく知りたいと考えた彼女は、興信所をたずね、ひそかに翔司の妻、春江の現在の、あればもっと若いころの写真、それに実家のご両親や、家系図などを調べて欲しいといった。個人的な興味であり、理由はないし、いろいろと問い質さないのを条件にメルアドだけを教え、けっこういい値段で依頼した。 ひと月くらいたって興信所から、資料を手にすることができた。「追加の調査が必要なら連絡する」と話し、封筒を自宅にもち帰り、あけてじっくりとながめた。 海部春江は、翔司とおない年で、大学の同級生で、おなじスキー部だった。そこで知りあった春江は、海部物産に入社したのち二〇一〇年に二五歳で結婚した。子供は陽太という長男と長女の千春のふたりがいて、家庭的には問題がないとかかれていた。春江の旧姓は山部で、実家は静岡にあり、山部雄太と芳江は健在だった。雄太の両親は、すでに他界し、父は山部治一、母は妙子という。死亡原因は、調査していない。いっぽう山部芳江の旧姓は宮森であり、父は宮森良文、母は露子だった。父親は他界して、母親は認知症で現在、東京の立川市の養護老人ホームに入居している。また山部芳江には、麗子という五歳うえの姉がいる。彼女は結婚しているが、嫁ぎ先は分からない。調査は可能だが、そのばあいには別途料金が必要となる、とかかれていた。さらに、山部夫妻、山部雄太の両親、および宮森夫妻の写真はない。しかし海部春江の画像は同封され、現在の様子と、二五歳の結婚式の二枚がつけられていた。 春江の写真をみてみると、自分ではよく分からないが、たしかに麗子と雰囲気が似通っている感じがした。だから、桃子とも似ているのだろう。海部物産の御曹司が夢中になって結婚したのだから、美人であるのは間違いがなかった。春江の母が麗子の妹であるのは、偶然とは思えなかった。翔司が、彼女を桃子だと考えて結婚したのは、間違いがないと思った。 こうした事実から推しはかると、海部翔司はかなり幸せな人生をおくり、自分が天道麻守であるのはすっかり忘れているに違いなかった。だから雑誌のグラビアをかざる桃子をみても、美人で好みだと思っても、せいぜい妻と似ているとしか感じないのだろう。 考えてみると、かなり厄介な状況になっているのが分かった。翔司に会って、こうした事実をいくら懸命につたえても、絶対に相手にされず、下手にうごけばストーカー行為と認定され、二度と面会できなくなるに違いなかった。自然な形で接近し、まず愛人にでもなってから、ひとつずつ教えはじめる必要があった。 この経緯から考えて海部翔司が天道麻守であるのは間違いがなく、事情を充分につたえ、麗子や「天道甘露の涸れ井戸」の写真をみせて時間をあたえれば、どれほどふかく隠されていても、真実はやがてあかるみにでるだろう。 桃子は、翔司の秘書室に勤務しようと思った。秘書としてつとめれば、日常的にちかくにいて自分の存在をあきらかにし、事実をつたえ、きっかけをつくる。それから誘いをかけて彼に気に入られ、ねんごろになれば過去を思いだす助けができるに違いなかった。 桃子は、知りあった海部物産の定平孝蔵に電話で秘書課につとめたいと話した。「どうしたら可能なのか」と聞いた。定平は会って話すことを提案した。口説かれるのは承知して、桃子はあるホテルのレストランで待ちあわせた。 定平は、海部物産で秘書になるには、秘書課をでているのが採用の条件だと説明した。どうして、モデルとしてすでに地位もある彼女が、こうしたことを希望するのかとたずねた。 桃子は、そうしたキャリアをつんでみたいとしか、いいようもなかった。 定平は、この話が彼と会うための口実としか思えなかったから、かなり強引にホテルにいこうとくりかえし口説いた。彼女は、今日は生理中だと話して誘いを頑強に断り、「秘書課の講習をうけて秘書資格の認定をえたら、海部物産に勤務するのを紹介してくれるか」とたずねた。 定平は、もとより桃子ほどの美人が物産につとめれば、社長室の花にもなるだろうと考えた。翔司社長は奥さんに首ったけで、彼女が相手でも浮気をするとは思えなかった。定平が桃子に恩を売れば、おかえしもあるかも知れないと考えた。だいいち、そんな面倒なことを実際にやるとも思えず、生理中ならば、なんでわざわざこの日をえらんで彼と会おうとしたのか、皆目、見当がつかなかった。美人とレストランで食事するだけでも、いあわせた人びとが、まぶしいほどの彼女の美貌に嫉妬するのを感じて満足した。 定平は、自分を誇示するうえでも、「そのときは、必ず私の力で秘書課に籍をおくことができる」と大見得を切った。そして、どうしても今夜は応じないと知った彼は、「就職できたら、また食事につきあってもらえるか」とたずね、桃子もそれについては確約した。 定平は世界のトップモデルと会食し、依頼をうけて懇談したのに満足してレストランで別れた。美しい桃子とふたりだけでの食事を堪能し会話をしたことは、素晴らしい思い出としてのこっていた。ただ定平にとって、海部物産の秘書課を希望した理由がなんであるかについては、まったく分からなかった。がんらい彼女に気紛れなところがあるのは人伝に聞いていたから、それ以上については理解のしようもなかった。 定平は、すっかり忘れていたが、一年して桃子からふたたび電話をうけ、実際に「専門学校へ通って、卒業証書をえた」と聞かされたときには、さらにいっそう、不明な話になった。 「海部社長の秘書室に就職させて欲しい」と彼女はいった。 がんらい桃子は、英語はもちろんフランス語もスペイン語も堪能だった。海部物産でなくとも、手づるをもとめれば、外務省関係にだって応募先はあるに違いなかった。物産にくるというのなら、彼女がいる窓口としての宣伝効果を考えれば、特別枠をもうけてもうけ入れることは容易だった。一年まえは気紛れで相談したのだろうと思ったから、秘書検定の話をしただけだった。ひどく驚いたが、メールには東京の秘書専門学校の卒業証書と、検定証書が添付され、断る理由もなく人事に採用する旨をつたえたのだった。 二〇一九年の四月から、枝野桃子は浅野室長の部下として秘書室に勤務をはじめた。彼女は、特別な落ち度もなく、ごく普通の秘書としてつとめた。室長の浅野は、モデルとして有名だった桃子についてよく知っていた。美貌もさることながら、その分、わがままであつかいにこまるだろうと考えていたが、思いのほか素直にあたえられた仕事をするので好感をもった。秘書室は一面に花がさいたようにあかるくなり、交渉相手のトップが翔司をたずねてきても、桃子をみて、さしだすお茶を飲むと、事前には難しいと思われた交渉ごともすんなりと決まっていった。実務面でも、給与に合致する以上の仕事を果たすことになった。 ところが海部社長の親がわりともいうべき村越悦男から、桃子をやめさせる指示が定平にでた。彼女について悪い評判は皆無だったが、村越のつよい意向で、「社長からの希望」と話して解雇することになった。文句がでないよう、半年分の給与を退職金としてわたしたが、その話を桃子はだまってうけ入れた。それで一件落着したかと思われたが、定平はこの件について翔司社長から厳しく追及され、頭越しに行った人事について平謝りをしなければならなかった。 それで終わったかと考えていると、今度は社長によばれて、じきじきに「桃子を秘書として、すぐによびもどせ」と普段とはまったく違う、ひどくつよい口調で指令をうけた。村越の話は内密で、たしかに疑問の多い人事だったが、復職については社長命令だった。職員の雇用や解雇については、基本的には人事部が裁量権をもつ。しかし、社長室の秘書の人事については、社長にも采配があった。定平は、桃子に自分で電話した。先日のとつぜんの解雇という非礼をふかくわび、「前回の処置がまったくの間違いであり、どうか気分を害さないで、ふたたび社長室に勤務していただきたい」と内心びくびくしながらいった。 桃子は、特別な難癖をつけることもなく、提案をあっさりとうけ入れた。ただこのときに、「前回に社長采配での解雇とつげられたが、実際にはだれの指示だったのか」と聞かれた。それで定平は、「個別の人名については、会社としての守秘義務でいうことはできないが、ある大株主の意向でなされた。しかし、社長にはこの件ではひどくお叱りをうけた」とだけ話した。それで、「あとは人事の者から連絡があるから、ぜひよく相談して欲しい」とつたえた。 定平の話を真にうけて、一年間も秘書の専門学校に通い、秘書資格をとって正当な方法で秘書課に勤務した桃子が、「理由のない解雇を、恨んでいるのではないか」と思って担当者に聞いてみた。そうそうに復帰する旨の返事をえたのが分かり、彼は冷や汗をかきながら、さっそく社長に報告しにいった。すると翔司社長は、わざわざよびだして、叱責するつよい口調で命令したにもかかわらず、なんの話だか不明な感じで対応した。 定平は、自分がなにをしているのか、さっぱり分からなくなった。こうしていろいろあったことから、桃子には今後はふかく関わらないほうがいいとだけ思って、この件を終了させたのだった。 海部翔司は、土曜日の早朝に仙台駅のデッキでずぶぬれになる事件が起こって夕方に春江と山岡といっしょに帰宅したが、終日怠くて仕方がなかった。夜に入浴し、ひどく疲れているので眠ろうと思って横臥すると、かえって目がさえてくるのだった。なにかを考えられるわけではなく、実際にはぼんやりとなって、眠れないだけだった。妻の春江は心配して医師への診察をすすめたが、翔司はとくに熱もなかったから寝られさえすればいいのだろうと思い、眠剤を飲んで横臥していた。 眠れたのかどうかも不明な夜をすごして、翌朝、起きあがると怠さがつづいていた。時折身体の内部を猛烈に冷たい風が吹きぬけ、ひどい悪寒を感じた。日曜日は川村医師の診察の日だったが、寝床を這いだす気力もないほどに疲れ切り、また風邪をひいたという断りの電話を入れた。ベッドで横臥しながら、怠いだけで眠ることもできない自分が、この先どうなるのかまったく分からず、休み明けには春江のいう通り医者にいき、入院でもするほうがいいだろうと考えはじめていた。 翔司は、凍るほどに冷たくてふかい奈落の底にしずめられ、だれにも助けてもらえない場所に閉じこめられていると思った。 具体的なイメージとしては、直径が二メートルにはとても満たない円筒状になった狭いところで、周囲には石がつみあげられていた。漆黒の闇が支配し、なにもみえないはずなのだが、みあげると、どこまでもつみあがる石壁がつづいていた。どう考えても、その位置からは分かりようもないのに、構造についてだけは知っている気がした。石づみの壁は上部までつづき、円筒状の地上部分には木製の四角柱が覆う形で造作されている。さらに出口には大きくて重い蓋がつき、しっかりととじられている。そこをとりかこんで小屋がつくられている。屋根があり、太い梁がわたされている。横木には鉄製の大きな矢じりみたいなものがつるされ、黒くなった滑車がひとつたれさがっている。そのほかにはなにもない。これがなんなのか、なにをあらわすのか、さっぱり分からないが、もうずいぶんとながいこと彼はここにすてられていた気がした。 翔司は、自分が天道麻守なのかも知れないと思いはじめていた。仙台になぜいったのか、さらにどうやって夜行バスをつかまえたのかまったく覚えていなかったが、そこに麻守の復讐の相手がいるに違いなかった。彼が存在したのは、桃子ばかりでなく、村越も証言している、もううごかしがたい事実だった。生死は不明だったが、いたのは間違いなかった。自分が海部翔司であるという前提に立てば、天道麻守ではない。しかしながら、そもそもこの仮定が不明瞭であるのは、いまやはっきりとしていた。思い出がないのだから、どうして海部翔司であるとか、天道麻守であるとか、確信できるのだろうか。記憶こそが自分であり、個人を識別するアイデンティティーの証明ではないのだろうか。ずっと海部翔司という前提に立って過去をさがしてきたが、はっきりとした写真もなく、一枚のカルテもみつからないのが現実だった。 レストランでの桃子の話を思いだすと、理解できる部分は皆無だった。彼女のモデル名、西城桃子をネットで検索すると、本名が枝野桃子であり、トップモデルであるという紹介記事がのっている。立川市出身という情報よりほかは、公表をしていないのか、プライバシーに言及したものはみあたらなかった。しかし彼女には、海部物産の秘書課に応募するために提出した履歴があるはずだった。だから、会社にいけばさがすこともできる。 海部翔司という人物の履歴がつくれない以上、存在しているともいえないのではないか。大学入学後は思いだせるが、そこまでの一八年間にかんしては闇のなかに隠され、だれにも分からないのだ。桃子の話は荒唐無稽であるのは間違いないが、いくつか興味ぶかいことをいっていた。ひとつは、翔司の思い出がなくなったのではなく、消去された可能性がある。電気ショックによって、それまでの記憶が消されたのは、村越と沢井が証言していた。それに村越悦夫がなにも分からないというのにたいして、桃子はよく知っているという。そうであっても、彼女は、自分が話しても解決にならないから仕方がないと語っていた。 つまり、記憶はどこかに隠れているのだ。そのあいだに、べつの思い出を吹きこまれるばあいもありえるのだ。いままで翔司は、記憶をさがして、村越から沢井、さらに川村に話を聞いたが納得できるものではなかった。なぜなら、ある思い出をいくら呈示されても、自分のなかで断片的にちらばっているだけで、ひとつひとつがばらばらなのだ。示された過去と、いまの翔司をつなぎあわせることができない。だから、もしかすると自分は海部翔司ではない可能性もある。 海部は、わけの分からない妄想に支配されはじめていると感じた。若いときも、こうした迷妄にコントロールされ、周囲の者から狂ったといわれたのだろうか。旗日の月曜日は終日、パジャマ姿で起きたり横になったりしていた。聞こえてくる子供たちの声も、ただうるさく感じられた。 火曜日の朝は、どうしても起きられなかった。会社には遅れると連絡を入れて、入院するにしても、すこし自分の身のまわりを整理する必要があると思って、昼ちかくになって出社した。社長室で事務書類をながめていると、「おはようございます」といって枝野桃子がお茶をもってきた。そのときの桃子は、翔司には輝いてみえた。 「ひさしぶりだね」 「社長、ずいぶん、お疲れみたいですね」 「いや、そうなんだ。それで、君とすこし話がしたい」 翔司はいって、桃子をみた。彼女は、素敵な笑みをたたえた。それで翔司は今夜、いっしょに食事をしようと誘ったのだった。そう決めてしまうと、なにかひとつ目標ができた気持ちになった。翔司は、先週から決裁できずに、机のうえに、堆くつまれていた書類を整理しだした。 どうせなにもできないとばかし思っていたが、やりはじめると考えがまとまった。書類を読んで理解し、適切に決裁できた。午後いっぱいをかけて、ずっと夢中で整理した。机におかれた最後の一枚まですんでしまうと、さすがに疲れたが、ひさしぶりにすっきりとした気持ちになった。 翔司は、待ちあわせたホテルのロビーで桃子に会った。 「なにを食べようか」と彼がいうと、 「静かなところで、ゆっくりと話がしたい」と彼女は答えた。 それで、翔司がいくつかのレストランと、そこででてくる料理の種類を具体的にあげると、桃子は首を振った。 「話したいことがあるのでしょう。私もそうなのだけれど、人がいるところではできないわ。もしよかったら、自宅がいちばんいいと思うのよ。だれにも邪魔されないし、なんでも話すことができる。帰りに適当な総菜を買うから、ご馳走にはならないけれど、食事は目的ではないわ。どう」 「そうだね、ぼくらには秘密があるかも知れない。女性の家にいくのははじめてだけれど、君とは昔からのふるい知りあいなのかも知れないね。もし、かまわないのなら、それでもいい」 桃子は、地下鉄にのると二駅くらいでおりて、地下街で適当な総菜を買った。 五分くらい歩くと高層マンションがあり、ロックを解除してなかに入るとエレベーターで最上階までいった。ホテルのロビーみたいな、綺麗に清掃された廊下をすすみ、いちばんはしの部屋の扉をあけた。玄関で靴をぬいで桃子にうながされてなかに入ると、感知式の電灯が自然についてあかるくなった。深紅のカーペットがしかれたひろい廊下を歩いて、大きな居間にいくと、そこからは二面の壁がすべて窓になり、大都会が眺望できた。海部物産のビルもちかくにみえた。 「君が、お金のために物産の秘書室にきたわけではないのは、よく分かったよ」と翔司がいうと、桃子は笑った。 それは素敵な微笑で、思わず心の奥底で望む、何者かに出会った気がしてくるものだった。上着をぬいで、ネクタイをはずして緑色の大きなクッションに腰をおろすと、桃子は料理をはじめ、翔司に洗面所で手をあらうようにすすめた。 彼が食堂にいくと、買った総菜がならべられ、ふたりでなんの違和感もなく夕食を食べた。世間話をしながら食事を終えると、「話は居間で」と桃子はいった。翔司が先ほどのクッションにすわっていると、彼女は紅茶を入れたポットをもってきた。それでふたりは話をはじめた。 最初に、翔司はつい三日まえの土曜日の早朝に起こった、仙台での事件を話した。 「それが、なんにも覚えていないのだよ。だれにも彼にも話せる出来事ではないが、人もまばらな朝の六時ころに、仙台駅のまえにわたされたデッキのうえでぬれネズミになりながら、その下を走る道路をみていたんだ。巡査が不審に思って声をかけてくれてね。とり調べをうけてからホテルに入って、入浴して暖まって、余程疲れていたのだね。ぐっすり、眠ってしまったらしい。巡査が持ち物を調べると、ぼくのバッグのなかから刃渡りが八センチもある鋏がでてきて、すっかり騒動になってね。自分でも、なぜそんな物騒なものをもち歩いていたのか分からない。そのときには、天道麻守になっていたらしい。夜行の仙台バスが、あるのも知らないからね。ただポケットから新宿発の深夜バスのチケットがでてきたから、それにのったとしか考えられない。なにが自分なのかも分からなくて、恐ろしくなってね」 「私にも、似たことがまえにあったわ。そういうのは、精神科の専門用語では、遁走っていうらしいわよ。私はその事件を契機にして、自分が何者なのかが分かったのだけれど」 「そうか。それでね、もうすっかり分からなくてね。ぼくは、いままで自分をまず海部翔司として考えてきて、過去を思いだそうとして、若いときにみてくれたという医者をたずねて事情を説明してもらっていた。どうやら、この前提自体も怪しいらしい。それで今度は、天道麻守として経緯を知っている君から解説をうけてみたいと思いはじめたのだ。普通の人が聞いたら、妄想を完成させようとするみたいで理解できないのだろう。君なら、ぼくのイメージを分かってもらえると考えてね。毎晩よく眠れないし、でも今日は、桃子さんの顔をみたらすこし考えが整理できて仕事もできたけれど、先週はひどかった」 翔司が右手で額を幾度もさわりながら、ひとつひとつゆっくりと話すのをだまって聞いていた桃子は、それに答えて真面目な表情でいった。 「たいへんだったわね。朝、お目にかかったら、ひどくやつれた表情をなさっていたから、なにがあったのかと思って心配したわ。あなたは、思いだそうとしているのね。つらいのでしょうけれど、ほかにも気づくことはないの。漠然としたイメージでもいいと思うのだけれど」 「なに分、いままでは、海部翔司の過去を考えていたのだ。そこにもうひとりの、べつの人物の素性をさがそうなんて、思ってもみなかった。土曜日の事件があって、混乱しているのは間違いないんだ。 子供のころに、ぼくはじつの兄を、いっしょに登山をしている途中で谷につき落として殺してしまったらしい。結局、この事件は事故としてあつかわれた。混乱して、自分が父親の息子ではなく、執事と母の不倫の子で、ふたりの命令だったと主張したらしい。どうしてそういったのか分からないが、父は出張ばかしで、まるでいまのぼくとおなじで、ほとんど家にいなかったらしい。それにしても、相当に兄を憎んでもいなければ、つき落とすなんてできないと思うが、そんなに仲が悪かったのでもないらしい。すっかりわけの分からない話なのだが、ようするに過失の説明をもとめられて、だれかに命じられたとして合理化したのかも知れない。この事件を起こしたのは、本心ではなかったということだね。それで、家族はたいへんこまったのだね。もしぼくの子のひとりがとつぜん不審な状況で死んで、生きのこったほうから、事故が妻から指示されたと強硬に主張されれば、どうだろうね。子供の話だからといって、そのままほうっておくことができるだろうか。信じるかどうかよりも世間体を憚って、まずはだまっていて欲しいと思うに違いないね。妻とは大恋愛して結婚したのだから、不倫するなど考えたこともないが、もしくりかえし子供に主張されたら、ぼくだっていやになるし、もしかしたら確証をとろうと、なにかをするかも知れない。その場でないと、考えつかないだろう。子供がひとり死んだだけでも激しい苦しみに違いないのに、のこった子に事故だったと説明してもうけ入れられず、頑強にこんな主張をくりかえされたら、周囲で喜ぶ者がだれもいないのは理解できる。それでその記憶を消し去って欲しいと、家人が総意として考えるのは充分に納得可能な話だよ。 ぼくは、そうしたことができるという施設に入院して電気ショックをくりかえしうけた。執事の説明では、ひどいものだったらしい。それで、記憶を消し去って、そのあとに天道麻守という人物が、海部翔司ではないと主張して、とつぜんにあらわれたらしい。執事は、あまりにいいはるから、言葉にしたがって調べた。その人物が、ぼくのうまれた日に死んだという事実を確認したと話していた。この話も海部物産をつぐべき人間がもつには都合が悪くて、電気ショックで消し去ったらしい。こうした陳述は、証明するべきカルテの一枚ものこっていない。こんな言明をいくら聞いても、そうだったのかと納得できるものではなくて、いまの自分と、どうつながるのか何度考えても分からない。それで、記憶とはなにかと思いはじめた。人から自分の思い出がこうでしたと整理され呈示されても、合意するのはぼく自身だ。だから充分に納得できなければ、教えてもらい説明をうけたとしても、同意するのとはべつの次元なのだよね。過去は、変えがたい事実だ。なんであれ、未来にむかって歩みだすしかない。こうした話にとらわれるのは馬鹿げたことで、極端にいえば過去がどうでも変化しないから、それで了解したい。納得するというのは、いまの自分とおなじ人物として継続する、確信まではいかなくとも理解できるというのか、うまくいえないが、しっくりこないのだよ。 このことをずっと考えていたら、朝に目が覚めてみると、雨のなかで鋏をもって、ひとり仙台駅のデッキに立つ事件が起こった。なにを思っていたのか不明だが、そこにいたのを巡査が気づいてくれてね。これはたんなる記憶でなく事実だって、ぼくにも分かることなのだ。どんなに突拍子がない話であっても、一部は無意識ではあっても、自分がやったのは理解できる。さまざまな人から聞いた談話は、たとえ事実であったとしても、分からないことだ。ぼくの話は支離滅裂で、こんな会話は妻にもできない。気が狂ったとしか思えないから、病院へいけといわれるだけだ。先日の、レストランでの桃子さんの話は、あとで考えてみて、滅茶苦茶で納得できる部分なんてほとんどない。でもね、ぼくがいま思うことを話す相手は、君しかいないのだ」 紅茶を飲みながら、だまって聞いていた桃子が口をひらいた。 「私はね。知っているあなたについて、話しても仕方がないと思うのよ。私が語れば、情報になる。いくらメッセージをつみあげても、自分に関係しているのかどうか判断できるのは、あなたしかいないのよ。過去は、説明される情報とは違うのだろうと思うわ。私は、きっかけをつくるのであって、あなたの思い出をいくらたくさん教えても、聞いただけでは納得しないわ。自分で思いついて、そうしたもの同士が連結されて、ひと塊りにならない限り断片的な情報にすぎないわ。多くのメッセージは、かえって混乱するだけで、納得はできないわ。過去は出来事のあつまりで、ひとつではないわ。 たとえばどこかへいった思い出があるなら、いっしょにいった友人のことや、その日の天気や、みた景色。そこで出会った人。食べたものの風味。そのときに吹いていた風の様子など、そこにいたあなたをとり巻く、さまざまな事物があって、はじめて過去の情景になるのだと思うのよ。ひとつの光景が存在しない記憶は、どんなにあつめられても断片にすぎないわ。 そうした過去の情景をつなぐのは、きっとあなたの感情だわ。その断片に思いがなければ、情報がただ漂っているだけで、関連する事項を時間的に順序立てて、ひとつにならべて物語にするなんて、できないのよ。私たちは、どんなことでもみんな忘れてしまうから、すべてはとても思いだせないわ。偶然に思いだしたひとつの出来事をたどっていくと、ある程度まで芋づる式につづいて、その情景のどれをとっても、自分が関与している。頭のなかには、カレンダーなんかないのよ。あなたが、出来事や対象物を関連させられなければ、なんの意味ももたない情報なのよ。自分が関与しない過去の知見なんて無意味だわ。たとえば社会で起きたオウム真理教のテロ事件でもいいけれど、このひどい出来事を覚えているのは、そのときに私が感じた部分の記憶なのだわ。自分の感受したオウムの事件があるだけなのよ。オウム事件が、私と無関係に記憶にとどまっているわけではないわ」 「そうだね。君のいうのが、正しいのだろうね。ネットで、かかれたオウム事件を読んでも、そのとき自分がどう考えたかは、なにひとつはっきりしない。だから、今回、分かったことは、教えられたところでお終いになってしまう。さぞ両親はたいへんだと考えたに違いないとは思っても、自分がそこにいないのだ」 「私はね。今日は、あなたとはまったく関係がない、自分の過去を話そうと考えているのよ。そこには、ほとんど翔司さんは、でてこないわ。でもね、私の過去を聞いてもらいたいのよ。ほんとうは、あなたには、その義務があるのだけれど、それが分かるかどうかは、どうでもいいのよ。ながい話だけれど、かまわないかしら」 桃子は、考えながらいった。翔司がうなずくと話をはじめた。 「私は、自分がだれで、なにがどうなっているのか、ずっと分からなかったわ。東野桃子だってことは、あなたには話したけれど、それを理解したのは事件が起こったからよ。小学校六年生のときに、初潮があったの。排卵が起こったから、保健の授業で妊娠すると聞いたので、母に父の本一朗が私の身体にふれないようにして欲しいと頼みにいったのよ。 それで、母親と義理の父親は大喧嘩になった。母は、ひどくなぐられていた。私はいたたまれなくて、いつもの通り井戸のちかくで泣いていたのよ。そうしたら、父の幽霊がでてきたのよ。しょっちゅう、この霊とは話しあっていたからべつに怖くはなかったわ。 その男がいうのよ。担任に相談しろって。すぐに学校にいって、先生をみつけて話をしろって。でも、なにを話していいのかも分からなかったし、もう夜だったから小学校にむかっても無駄だと思ったのよ。いわれた通りにいくと、男性の教諭がまだのこって仕事をしていたわ。私が担任の先生に、いますぐに会って話したいと頼むと、連絡をとってくれた。教諭は、すぐにむかえにきたわ。それで先生の自宅につれていかれて、私は話をしたのよ。なにを、どう話したらいいのか分からなかった。でも、そのとき自分のおかれた状況を、はじめてつたえることができたのよ。何度、母にいっても聞いてもらえなかった話だったわ。とても整理ができて、自分が義父によって毎日どんなふうに虐待されていたのか、くわしく話せたのよ。 担任の先生は、そうした児童虐待についてふかい理解があり、全国組織の団体に所属していたのよ。それで教育委員会を巻きこんだ大騒動に発展し、家庭裁判所によって東野本一朗は親権を放棄して、枝野先生の祖父母が養女としてひきとってくれたのよ。 だから私は、天道という姓にうまれて、母の再婚により東野になり、このときに養子にされて、枝野桃子に変わったわけなのよ。小学校は、枝野の両親が住む立川にうつって、そこで卒業したわ。中学、高校にいかしてもらい、大学は都立大の英文科にすすんだわ。祖父母は、もともとどちらも教師だった。満足に勉強もできない私に、各教科について、毎日、根気よく教えてくれた。だから、塾にもいかないですんだわ。 私は、普通に、人とつきあえなくなっていたのよ。人格は分離し、枝野の家にひきとられて立川の精神科に通ったのよ。そうして高校二年生になった春に、とつぜん自分がだれだか分かったのよ。通院中の立川の精神病院で院長先生と話しているとき、絵美がいるのに気がついたのよ。彼女は、ずっと私のつらい役割を肩がわりして、身がわりになっていたのよ。そう行動することで、麗子ともうまくつきあって、叱られるのをふせいでくれたわ。母は、絵美を凄く気に入って、なんでも我慢するいい子だって話していた。不平をいう私はひどく嫌われて、いつでも彼女になるのをすすめられていた。そのいやなことを、なんでもひきうけ、無慈悲にあたえられる、すべての悲しみを担って、ただひとりですくってくれた絵美。それが、じつは私自身だったって、はじめて分かったのよ。それから絵美はだんだんいなくなったけれど、私の男性恐怖症はなおらなかった。枝野の義父とも、ふたりだけでいっしょの部屋には、いられなかった。だから、恋もしたこともないし、親友もいないわ。男嫌いのレスビアンだって、ずっと噂されてきた。いまも、自分勝手だっていわれつづけているわ。卒業してからは、モデルになって外国を中心に活動したけど、やっぱり男にはひとりも馴染めなかった。芸名は、西城桃子だったけれど、枝野桃子で、東野桃子で、天道桃子だったのよ。これが私の履歴なのよ。分かったかしら」 桃子が話すと、ふたりはしばらくだまっていた。彼女はポットを入れかえて、熱い紅茶をもってきて、翔司のカップにもそそいだ。 「立川にいて、精神科に通っていたんだ」 「そう。名前は、沢井精神病院だったわ。大きな病院で、かなりの入院施設ももっていたわ」 「そこで、君と会った可能性はあるのだろうか」 「あなたも、そこにいたの」 「中学三年生の終わりごろから高校卒業くらいまで、入院していたらしい。よくは分からないが、院長の話ではそうらしい」 「あなたは、私よりひとつ年下になるわよね。高校二年生の春まで月に一回通っていたのよ。すこし、重なるかも知れないわね。でも、なぜとつぜん絵美が自分だと気がついたのか、いくら考えても分からないわ。そのとき私は、院長に天道家について話していたような気がする。なにかをいわれて、ふっと絵美が自分だと分かったのよ。あなたの入院期間と重なっているから、会った可能性はあるかも知れないわね。面会しても、たがいに分からないと思うわ。すくなくても、私は覚えていないけれど」 「たとえ会っても、そんな話を交わす機会はなかっただろうね」 「私は、しないと思うわ」 それでふたりは、まただまった。翔司は熱い紅茶を飲んだ。 「ぼくが、その精神科の院長から、そうした過去を吹きこまれても、おかしくはないのだろうか」 「あなたが天道麻守だと、洗脳されたという意味かしら。もしそうだとしたら、なんのためかしらね。天道麻守については、私は、実際には名前くらいしか知らないといっていいわ。ただ、井戸端で男の霊から天道家に起こった悲劇については、たくさん聞いたわ。ほかの人から、つたえられたはずはないわ。語られた事件は、外国から帰ってきて事実と照合して正しかった。勝手な、思いこみではなかったわ。父と話すのは、絵美ではなくて私の役割だったから。そうした可能性は、皆無だとはいえないでしょうね。理由は分からないけれど、できるのかも知れないわ。私の話はかなり断片的だから、統合してひと塊りにつくりなおすのは、小説家でも難しいとは思うわ。凍河郷の人間は、よそ者にこんな談話はしないでしょうし」 「ひとつ、教えてもらいたいのだが」 翔司はそういって桃子をみた。彼女がうなずくのを待って話をはじめた。 「君がいつもいた井戸端って、なんなのだろう。ちかごろ、自分が穴のなかに落ちている気がするのだ。もの凄くふかくて真っ暗で、石の壁でかこまれている。もしかしたら、君のいう井戸のなかかも知れない。そんな気がする。上部にはかなり立派な大きな木製の枠が嵌められて、屋根がついて滑車があったから、井戸なのだろうか。いままで、なんだか分からなかったが、あれは井泉なのかな」 桃子は、右の手で額を押さえた。それから立ちあがって紙とペンをもってきて、その様子をかいてみろといった。翔司は、自分に頭に浮かぶ石の壁と、井戸をかこむ小屋を絵にした。みると桃子は、また立ちあがって、A4サイズのタブレット端末をもってきて、画面をひきだしていくつかめくっていたが、やがてお目あての写真をみつけ、彼にみせた。それは、ふるい井戸の画像だった。石でつくられた地上部分は造作され、木製の正方形の箱によって覆われていた。上部には厚い木の蓋がつき、そのうえに小屋があり、中央から滑車がたれさがっていた。まさに翔司が、脳裏にえがいた情景だった。 「これだ。このなかに、ぼくがいたのだ。ながいこと、ここに閉じこめられていた気がする」 桃子は、両手で顔を押さえた。 「なんなのだね、これは。井戸なのだろうか」 「これはね。天道家の中庭にある、ふるい井泉なのよ。天道甘露の涸れ井戸、とよばれているわ。甘露に似た甘い清水が湧きでる井泉で、一度飲んだら病みつきになるのだそうよ。でも、しばらくすると涸れてしまう。それでこの場所を掘りすすむと、冷たく素晴らしく美味しい水が湧きでてくるのよ。しかし、やがてまた涸れてしまう。それがくりかえされて、天道家ではこの井戸をどこまでも掘りつづけることになったのよ。掘進すれば、必ず冷たい清水が湧きでてくるのよ。それで涸れてはさらに掘りすすみ、ついに井戸の職人がもうこれ以上は怖くていやだ、というふかさまで掘ったのよ。最後には干上がったまま打ちすてられた、天道甘露の涸れ井戸、というわけなのよ。いまは、底部は土で埋まっているらしいわ。それでも、うえからみても、底がみえないほどふかいのよ」 「ぼくは、ここに埋められていたわけなのかい」 翔司は、真剣な眼差しで桃子をみつめた。 「分からない。でも、もしそう思うなら、あなたは間違いなく、私が物心がついたときからさがしていた人なのよ」 桃子は、泣いていた。涙が頬をつたわり、ぼろぼろと床に落ちていた。じっと翔司がみつめると、桃子は自分もさがしていた女性だった気がした。ずっと昔から彼女を愛していたと思った。ふたりは、みつめあった。手をとりあい、やがて唇をあわせた。もう、とどまることなく愛しあっていた。 いまや桃子は、海部翔司にとって、唯一の信頼できるパートナーだった。どんなことでも忌憚なく話しあえる、たったひとりの味方になっていた。 海部翔司は、その夜、桃子の部屋にとまった。それから、天道家の話を聞くために、土曜日と日曜日の朝から晩まで、彼女とすごした。 ふたりで系図をかいて検討してみると、天道愛斗の妻で、この確執が起こった中心的な存在である霧子の旧姓が、村越だということに気がついた。理由が分からないが、偶然ではない気がした。桃子を翔司の頭越しに退職させたのは村越悦男だった。彼は、天道家について調べ、天道麻守が死んだ日に海部翔司がうまれたのを把握していた。枝野桃子が東野桃子であるのを知り、解雇の処置をとったとしか考えられなかった。いままでの話で、なにが不審なのか分からないが、村越は雄一の存在を隠していた。まだまだ、さまざまなことを知りえる立場で、もっと説明してくれてもいいと思った。だから、ほかにも翔司について知っていて、話せない事件があるに違いなかった。それで、彼女がまえにつかった興信所を通じて、村越の家系図を至急調べてもらい、霧子との関係を調査してみようということになった。 翔司は、自分が海部翔司なのか天道麻守なのかは不明だったが、桃子と会って、気が狂ったのでも、人格の解離が起こしているのでもないと自信がもてた。不倫関係になり、妻の春江には申しわけなく思った。桃子は、必要な人に変わっていた。もちろん彼女は、一一歳から待ちこがれた翔司と巡り会えたのだから、幸せだと話した。天道麻守と桃子が、父と娘であっても、彼とは、男と女の関係でしかありえなかった。 翔司も、こうした関わりが異様だとは思えなかった。 四、ペルソナ 一〇月二一日の月曜日、海部翔司は、一ヵ月でていなかったロータリークラブの例会に出席した。そのときメイクアップにきた広尾総合病院の院長が、偶然となりにすわった。たがいにまったく面識がなかったので、ふたりは名刺を交換して世間話をした。院長の添田輝樹は、六〇歳をすこしこえた、恰幅のよい、金縁の眼鏡をかけた知的な紳士で好感がもてた。 「広尾病院は、ずいぶん大きな施設らしいですね」と翔司がいった。 「いまは、六〇〇床ほどありますから、お陰さまでそれなりに忙しいですね。海部さんの企業とは、比べものにはなりませんが」と添田は答えた。 「それは、大きいですね。カルテは、みんな電子化にしたのでしょう。ふるい大量の紙の診療録が、倉庫に山になってつまれていると聞きましたよ」 「そんなことは、ありません。もう、ずいぶんまえにすっかり整理がついて、ふるい紙のカルテは溶解処分にしましたよ」 「診療録は、溶かすのですか」 「個人情報が満載ですから、アクシデントでも起きて人手にわたったらたいへんです。カルテの処分は業者に溶解させる特別な指示をだして、そのあとに証明書を発行してもらうのです」 「そうはいっても、電子化されるまえの紙の診療録は、整理ができずに大量に倉庫に保存されているのでしょう」 「そんな、中途半端なことはしません。電子化するのは、たんにいまつかっているカルテをなおすだけではありません。なにしろ紙の診療録はつもるだけですから、倉庫がいくらあっても足りません。ちょうど、東京電力の福島原発の汚染水みたいなものですよ。もとから断たなければ、なくならないのです。昔のカルテを調べなければならない症例は、たくさんあるのです。以前は診療録を倉庫からさがしだして、必要がなくなったらおなじところにもどすことをやっていたのです。どちらも相当にたいへんで、どうなるかと思っていました。いまは、この手間がはぶけたわけです。電子化するとは、つまるところ昔の紙のカルテを電子媒体に復元するということです。かなりたいへんな作業ですが、そう決めて、職員の協力をえなければ困難です」 「それは、数万枚以上にもなる膨大な数なのでしょう。なにかの基準をもうけて、復元するカルテを決めるのですか」 「数万なんていう単位では、ないですよ。ひと桁、違う数ですよ。どれが大切なカルテなのかは、あとになってみないと分からないので、選択の基準はどこにもありません」 「そうすると先生のお話では、過去の診療録はすべて入力して電子化したということなのですか」 「そうですよ。とは申しあげても、細々とかかれている一部のカルテは、正直にいって文字が判読できないものもすくなからずあります。それに、なにかの事情でもちだして、行方が不明になっている診療録もまったくないわけではありません。もちろん全体の数からみれは、非常にすくないですがね。そうした紛失という事故を今後未然にふせぐためにも、電子化はなんとしてでもする必要があったのです。なくなったカルテは、復元できません。なにがかいてあるのか分からないばあいは、スキャンをしてとりこんだだけのものもあります。検査データはすべてとはいきませんが、かなりの部分は電子化され復元されています。デジタル化されていても、文字が読みにくく、内容が判然とせず、よく分からないカルテも実在するわけです。それは、紙であってもおなじです。だから、診療録がないことにはなりません」 「病院創立以来のカルテが、すべて電子化されているのですか」 「これが、凄いところですね。場所をとりませんからね。昔の紙のカルテはすべて、溶解処分にした証明書があります。これから一〇〇年診療をつづけても、もう倉庫をつくる必要はなくなったわけです。つまり、もとから断たれたということですね」 穏やかにみえる病院長は、自信ありげに話していたが、公の発言なのだろうと彼は思った。 それから一週間たった月曜日の午後、翔司はちょっとした用があって外出し、地下鉄にのろうと歩いていると偶然、広尾病院のまえを通りすぎた。 そのとき、先週のロータリークラブで会った院長の話が脳裏をかすめた。時間があった翔司は、ふと気になってカルテをつくってみようと思った。窓口にいって受診の意向を話すと、初診の用紙をあたえられた。そこには過去に広尾総合病院にかかった有無を問う項目があり、その欄にチェックを入れて初診窓口にだすと、 「まえの診察券をもっていますか」と係の者がいった。 「ずいぶん、昔、子供のころにかかったのです。だいぶたっていますから、いまはありません」と翔司が答えると、 「何科でしたか」と事務員はいった。 「精神科です。相当、昔のことですから、カルテはないと思います」 「すこし、待ってください」 事務員は、コンピューターを操作した。 「ありますよ。一九九七年にかかっていますね」といった。 それから、「あれ、変だな。違うのかな」と独り言を呟き、「別人かも知れませんね」と声を発した。 「そうでしょう。ないと思いますよ」 「海部さん、あなたは、この病院に受診していたのでしょう。かかったのなら、必ずあるはずなのですが」 「しかし、違うカルテなのでしょう」 「そうですね。住所はおなじですし、同姓同音ですが、名前がちょっと違いますね」 「もしかして、翔司の司が、二になっているかも知れません。事情があって、改名したのです」 「ああ、そうでしょう。海部翔二さん。お父さまの名前が、海部実さんです。実さんのカルテもありますよ。この診療録ですね」と事務員はいった。 「父は、海部実です。私のカルテがあるのですか。それなら、その診療録をみることは、できないのでしょうか」 「カルテの閲覧には、医師の許可が必要です。基本的には、手続きを踏んでさえいただければ、ご自身の診療録ですからみれるはずです」 「私はいま、当時広尾病院に勤務した医師にかかっているのです。先生はふるいカルテは倉庫で大量に保管され、簡単にはだせないといっていたのですが」 「主治医ですか。ああ、川尻先生ですね。たしかにいまはもう当院にはおりませんが、精神科としては継続していますから、あなたの身分証をもって正式にお話しいただければ、必ず医師は対応します」 「主治医は、川村先生ですが」 「いえ、川尻先生ですよ」 「変ですね。川村先生は、さいたま市で川村メンタルクリニックを開業しています。私は、いまそこに通院しているのですが」 「川村先生というのは、ここの事務では分かりません。いま、私たちがみれるのは、患者さんの氏名、住所とかの情報と、主治医の名前だけです。そこには、川尻先生とかいてあります」 「精神科にかかって、お話しすればいいのでしょうか」 「そうですね。今日は、精神科の午後は休診です」 「もしかして、院長先生に話をすれば、みせてもらえるのでしょうか」 「先週、添田先生にお会いして、ふるいカルテも電子化されているとうかがったのですが、もし差しつかえなければ連絡してみてはいただけないでしょうか」 翔司は、予想もしていない事態に驚き、自分の名刺をだして聞いて欲しいと受付につたえた。職員は、彼に待合の椅子にすわって待つようにいって、上司と相談をはじめた。しばらくすると事務員がでてきて、院長が面会に応じるとつげた。それで、職員につれられて二階のあがると制服をきた端整な女性がいた。秘書は、事務職員にかわって院長室をノックして扉をあけた。彼女にうながされて通された部屋は、背後の壁に書棚がつくられ、院長の大きな机があり、そのまえに細ながいテーブルと両脇に長椅子がおかれた応接室になっていた。 添田院長は翔司に挨拶し、ソファーをすすめて自分も対面にすわった。しばらくすると、秘書がお茶をもってきた。 「おひさしぶりですね。ちょうど一週間まえでしたか」と院長はにこやかにいって、翔司に用件をたずねた。 それで彼は、現在「軽い鬱」という診断で、さいたま市の川村メンタルクリニックにかかっている。その医者が、以前は、この広尾総合病院の医師で、翔司が子供のころに記憶喪失で受診したときの主治医だと話している。川村医師に過去のカルテをみたいと希望すると、広尾病院では電子化にともない、ふるい紙のものは復元されず倉庫に山づみになっていると教えられた。事実上、刑事事件でもない限り、捜索はできないといわれたなど順を追って話した。先日、ロータリーの例会であったときに、まったく違う話をされたが、自分は川村を信じていたから院長の説明を表向きのものと理解した。今日、病院のまえを偶然通りかかり、気になって確認してみようと考えた。そうしたら窓口で翔司のカルテが電子化されて存在し、さらに主治医も川尻先生と聞き、状況がまったく理解できなくなった。事前に連絡もなくたいへん無礼だとは思ったが、精神科は今日の午後は休診と聞かされたので、できるなら添田院長からはっきりと話をうかがってみたいと考えたなどを話した。 院長は、秘書をよんで海部翔司のカルテを印字してもってくるようにつげた。彼女が部屋をでていくと、「ちょっと失礼します」と言葉をかけて席を立った。自分のコンピューターを操作していたが、しばらくするともどってきて、「さいたま市の川村先生の名前は、なんというのですか」と聞いた。翔司が「力男」だと答えると、添田院長はもう一度PCにむかい、それからソファーに腰をおろした。 「ずいぶん、みょうな話ですね。こんな出来事は、聞いたこともありません。精神科には、かつて川尻先生はいらっしゃいました。いまはおりませんが、川尻卓也先生は二〇〇〇年まで医長をしていました。その後、当院を退職しています。川村力男先生は、かつてこの病院に勤務したことはありません。私がいまみたのは台帳ですので、もしかするとなにかしらの事情で非常勤として何日か派遣された可能性がないとは断言できません。閲覧した名簿は、すべてが記載されておりますので、該当する方はいらっしゃらないですね。とてもみょうな話で、海部さんが嘘をいう理由はないのですから、納得しかねることです。川村先生の経歴をしっかりと知りたいというご希望があれば、医師会を通じて、履歴を入手できます。個人情報とはいっても、必要であれば、医師として公表されているものについては容易に手に入ります」といった。 そうこう話すうちに、秘書が翔司の診療録を、「広尾総合病院」とかかれた大きな封筒に入れてもってきた。けっこう厚い袋で、院長はそれをあけ、名前が翔二になっている説明をうけて、カルテが海部翔司のものであるのを確認した。 「これはあなたの診療録ですから、おわたしします。なにか不明な点があれば、ぜひご相談してください。カルテは、それこそ個人情報です。あなたの許可があれば、私ども医者もみて参考の意見をつけくわえることもできます。それに川村先生については、ご希望するなら、いつでも調査が可能です」と再度いった。 翔司は、とつぜんの訪問をわび、親切に対応してくれたことに感謝し、どうしても納得できない川村医師の話は、このカルテをよくみて考えてみたいと話した。それで、もしかすると、もう一度、連絡するかも知れないというと、院長は秘書室の電話番号がかかれた名刺をわたした。 翔司は会社に帰り、なにがなんだかまた分からなくなっていた。カルテには、PTSD、若年性統合失調症の疑い、不眠症、とかかれていた。母、海部爽子と、執事、村越悦男、長男、海部雄一と、次男、海部翔二の四人で奥多摩の尾根を歩いていたとき、兄の雄一が足をすべらせて転落して死亡したのを、自分でつき落としたと考えて不眠と食欲不振が出現。くわえて、きわめて激しい罪業妄想があらわれたという要約があった。 「PTSD」をネットで調べてみると、Post Traumatic Stress Disorder の略語で、「心的外傷後ストレス障害」と別記され、ベトナム戦争の帰還兵にたいして、はじめて使用された疾病概念で、それまで患者は「被害者」としてみとめられず、同情も救済もうける対象ではなかったと記載されていた。思わぬ事故や事件に遭遇して、心に浴びせられたつよい衝撃が精神的外傷となり、後遺症として心身の不調をなどを中心とした症状をもたらす、と記述されていた。「トラウマ」は、「心理的な傷」であり、さらには、「魂の外傷」ともよばれる。事件や事故に遭遇したあとに、その影響が心身の障害として持続的にあらわれる状態とかかれていた。 だから川村がいったのは、おおむね正しかった。それに、そこには、「自分がつき落としたという激しい妄想」とか、「執事の村越氏による、つよい教唆をうけたと本人は証言している」。「翔二は、村越悦男を父であると信じている」という記述があった。学校へもいけず、食事や睡眠にも障害がでて、ほとんどなにもできないことが記されていた。 また川尻卓也医師が、「現在の病状では、通学は不能と考えられる。経過をみて、可能になったと判断された時点で再度報告する」という診断書をかき、各学期のはじめごとに地区の教育委員会に提出した証明書がついていた。 MR、CT、脳波などにはとくに異常はなく、「強迫神経症で妄想型。もしかすると、若年発症の統合失調症も考えられ、治癒が難しい可能性がある」などともかかれていた。こうした記述は、おおむね川村にいわれたこととおなじだった。 ふたりが同一人物でないとは、断定できないと思った。 桃子と天道家の家系図をつくってみると、そのなかで結婚したり養子になったりしながら、「姓」は目まぐるしく変わっていた。彼女だって、天道であり、東野であり、枝野であり、さらにときには西城でもあるのだ。医者のばあいには、婿養子になって病院をつぐこともあるらしいから、姓が違うだけでまったくの別人物とは考えられないだろう。事実、うえの「川」だけは、おなじなのだ。名前は、力男と卓也でかなり違う。名までは変える必要がないから、通常はべつの人物と考えるべきなのだろう。現実には、「翔司」も昔は「翔二」で、名前だって種々の事情で変わりうるのだ。 それにしても、疑問はある。 だいいち、なぜ本人がいわなかったのだろう。どちらも覚えていないのだから、必要がないと主張されれば、そうかも知れない。村越も、なにもいわなかった。それに第二に、どうしたって理解できない、カルテの問題がある。面倒だったのだろうか。たとえ翔司が自分で広尾病院にとりにいかねばならなくても、あれだけみたいといっていたのだから嘘をつくのは容認できない。カルテをとってこさせて、みせながら話せたのではないか。これは、どうしても理解できなかった。さらに、もうひとつ疑問がある。添田院長は、すぐに別人だといい切った。川尻のいまの勤務先を、院長は知っている可能性がある。だから、さいたま市の「川村メンタルクリニック」は元の主治医ではないといい切り、あまりにも不思議な話だから調べようといったのではないか。 もう、あまり人目につくことは避けようと話しあっていたので、桃子に「夜に、お宅にうかがいたい」とメールをすると、「適当な食事を用意しておく」という返信をもらった。 毎回、レストランでいっしょなら、どうしても目立つので、ちかごろは彼女のマンションで手料理を食べていた。 桃子と最初の夜をすごしてから、春からずっとつづいていた落ちこんだ気持ちが急激に改善された。妻には覚えなかった性的な欲望を感じ、彼女を愛していると思った。今後どうなるのかは、自分でも分からなかった。このままずっと関係をつづけたかったが、具体的な展望はもてなかった。桃子は、とくに結婚しなくてもいいといっていた。子供については、よく相談しようと話しあっていた。 その夜も、桃子の部屋で、翔司のカルテというあらたな問題をいっしょに考えていた。 「村越は、完全な味方とはいえない」というのが、ふたりの一致した見解だった。 「恐らく、川尻医師は、川村医師とはべつにいるのね。今回、川尻先生に頼めなかった、理由があったに違いないわね。それがなんだか、川村先生をつつけば分かるかも知れないわ。院長に聞けば、もっと簡単にあきらかになるのでしょう。あなたの名誉にも関わってくるから、どうするのが最善なのか考える必要があるわね。村越さんは、ほかにも秘密をもっていて、弁護士を立てられて調べられるのは、きっとこまるのでしょうね。それがあきらかになって、彼が迷惑するだけならいいのだけれど、あなたにも関係する可能性がある。よく考えないと、翔司さんの名誉もきずつくかも知れないわね」と桃子はいった。 翔司の「鬱」もかなり改善していたので、村越の出方もみて、興信所に依頼した身辺調査の結果を待とうと話しあった。なにかが、分かるかも知れなかった。また、川村医師には、すこしぐあいがよくなっているとだけつたえ、しばらくは診察をやめようと話しあった。川村についても興信所で調べる必要があるのだろうが、いずれにせよ急ぐ事態でもないので、村越の結果をみてから時間をかけて考えようという話になった。 桃子をだきながら、「君は、いまでもぼくを、天道麻守だと思っているのかい」と翔司はたずねた。 「分からないわ。しかし、天道麻守があなたを教えてくれたのは間違いないのよ。そう思いこんだから、秘書の専門学校まで通ったのだから。父親だなんて、思ってはいないわよ。あなたが、私の大切な人であるのは、間違いのないことよ」 ふたりは、今後どうなるのかは分からなかったが、いまは幸せだと感じた。 一二月二日、月曜日の朝に、法務部長の室田圭から、重要な話があるので午後に顧問弁護士の前川則保と同伴して社長室にうかがいたいという連絡をうけた。なんだか分からなかったが、普段とは違って電話口での話しぶりはひどく深刻そうに思えた。 午後になると約束通り、法務部長の室田と顧問弁護士の前川がつれだってやってきた。挨拶もそこそこに、秘書が部屋をでていくのを待って話しはじめた。 室田は、二年まえ二〇一七年の秋に起こったウクライナの飛行機事故にかんして、インターポールが海部物産をとり調べたい意向をもっているという話をした。翔司が、耳慣れない言葉について聞くと、彼はいった。 「国際刑事警察機構とよぶのでしょうか。国際的な刑事犯罪の解決にあたる国際機関です。一九二三年に国際刑事警察委員会として設立され、一九五六年に組織を改革して国際刑事警察機構となったらしいです。事務総局は、フランスのリヨンにあるそうで、略称がICPO、International Criminal Police Organizationの頭文字をとるそうです」 「それが、海部物産と、どういう関係になるのかい」 「海部実社長と爽子夫人が遭遇した、ウクライナの旅客機墜落事故について、ロシアの諜報機関の陰謀説を、社長もご存知ですよね」と室田は話した。 「そんな話は聞いた覚えがあるが、原因については捜査中で解決がでていないと、いわれた気がするがね」 「そうなのですよ。ウクライナの大使館から、ときどき情報は入っていたのですが、原因は特定できないという言明でした。こちらからどうすることもできない話ですので、あまり気にもかけていなかったのです。ところが、今朝、とつぜん電話で、法務部でとったのですが、現地の日本大使館からなのです。インターポールから連絡があり、爆発の容疑が海部実社長と奥さまの爽子さんにもかけられているという陳述で驚いた次第です。外交問題にも進展しかねない話ですので、慎重な調査をしているというのです。実社長か奥さまが、爆発物を機内にもちこんだのではないかと。驚いて、あいた口が塞がらないという状態ですが、むこうの言い分をおつたえしますと、爆発地点は、ファーストクラスの洗面所内がいちばん考えられるのだそうです。機内に爆発物をもちこめる人間は、非常に限られるという話でした。当時、実社長は、国賓並みのあつかいでいかれたのです。あの仕事は、ほとんど利益のないもので、社長のロシア嫌いから請けおった事案でしたから、ウクライナ政府も、事情はよく分かって対応したのです」 「その話は、聞いているよ。親父は、ウクライナへ勲章をもらいにいったのだろう」 翔司は、とつぜんのメッセージに驚きながら答えた。 「そうなのです。ですから、手荷物の検査などは一切なかったらしいのです。爆発地点からは、もちこめる者も、爆発させた人物も、限定されるらしいのです」 「突拍子もない話だね。そんな事件を起こすなんて、考えられない。親父は、やりたいことをして、満足していたのだろう」 「そうなのですが、奥さまの爽子さんは、何者からか脅迫をうけ、金銭の支払いをもとめられていたかも知れないというのです。それで、ノイローゼになっていた可能性があるのではないかと」 「そんな大胆なことを、母ができるのかね。百歩ゆずっても、爆発物をどこで手に入れるのかね。手荷物検査が外交特権でなかったということだけでは、飛躍がありすぎると思うがね」 「私も、そうは申しあげたのです。そうした脅迫の事実があったのかどうかについては、どう考えたらいいのでしょうか。信じられない話ですが、インターポールがのりだして調べているともなりますと、当社の信用もふくめて、さまざまな問題を孕んできます。事件性があるのか、こちらのほうでも対応すべきなのでしょうか。前川弁護士とも相談したのですが、どうしたらいいのかと考えまして」 室田は、もうこれ以上は分からないという素振りになった。 「私は、まったく知らない報告で、成り行きにまかせるしかないね。しかし、どこで爆発物を手に入れるのかね。突拍子もない話だね。インターポールのほうでは、なにか目星がついたから、究明にうごいたのだろうか」 翔司は、首をひねりながらいった。 「なにかしらの情報を入手しなければ、大使館へこうした内容をつたえてくるとは考えられません。また大使が、こちらに連絡することもないと思います。どういう情報をつかんでいるのか、教えてもらえるといいのですが、分かりませんね」と前川はいった。 「こうした陳述は、意図的にながすばあいもありえます。そうして、こちらのうごきを観察するとか、信じられない話ですが、インターポールのほうでも決め手がなくて、こまっているのは間違いありませんね」と前川はつづけた。 「家族でのこされたのは私ひとりなので、どう調べるのか分からないが、なにかがひっかかっているのだろうね。そういう話になった以上、理由があるのだろうね。私には分からないから、どうしていいのかも考えつかない。先生は、なにか知恵がありますか」 「分かりません。実社長は、動機をもっていません。爽子夫人に、どんな意図がありえるのか、調べることになるのでしょう。こればかりは、翔司社長にも分かりませんから、手立てもありません。今後の進展を、みまもるしかないですね。しっかりとした情報にもとづいての話ならば仕方ないですが、もし根も葉もないことなら、たいへんな名誉毀損になります。相手も、充分に分かっていると思いますが」 様子をみるしかなく、またあらたな情報があれば、翔司にすぐにつたえるという話でおひらきになった。とつぜんのメッセージで、どう対応すべきか分からなかった。翔司は、こうした話が春からの鬱状態で聞かされていたら、どういう気持ちになっただろうと思った。いまよりも、ずっと狼狽えたに違いなかった。 意味不明のインターポールの報告があって、翔司は桃子とこの件について話した。一連の不思議な物語は、どこかでつながっているのではないかと考えた。それで、分かることだけでも整理して、川尻の件は、広尾病院の院長に聞いてみようという話になった。 病院の秘書に電話をして面会を希望すると、一一月一一日の月曜日の午後、ちょうど二週間まえとおなじ時間に約束がとれた。 翔司が秘書室に出向くと、院長はにこやかにむかえてくれて、ソファーに腰をかけると用むきをたずねた。 「川尻先生のことなのですが」と彼はいった。 「その件では、海部さんがもう一度、病院にいらっしゃるだろうと思っていましたよ」と添田院長は話しはじめた。 「じつは、川尻先生は広尾病院を二〇〇〇年に退職なされて、立川でメンタルクリニックを開業したのです。ところがあまり順調ではなかったらしくて、医業もなかなか難しいのですよ。何事も、思い通りにはいかないことが多いですからね。なかなか熱心な、いい先生だったと私は思っていたのですが、いろいろな、そうでもない噂話も、聞いた気もします。しょせん噂なので、詳細な事実については分かりません。ただ二〇一七年に、秋のころだったと思いますが、縊死なさったのです。病院経営がいきづまっての自殺とのことで、遺書もなかったと記憶しています。ですから、あなたが現在おかかりになっている川村先生は、まったく別人でしょう。川村力男先生についての略歴、卒業大学とか、ご専門とか、就業の履歴などにつきましては、ご希望があれば、これもなにかの縁ですから、私のほうから埼玉の医師会に連絡して調べることは簡単にできます。それに、あなたの広尾病院通院中の主治医といっているとすれば、理由は不明ですがあきらかな虚偽にあたります。医師法からみても、たいへんです。告訴だって、できるはずですよ。ただ私には海部さんと川村先生との関係がよく分かりませんので、あくまでご希望次第ということになります」 翔司は、またひどく驚かされた。いったい自分の周辺では何人の人物が死んでいるのだろうか。どんな話でも、ふかく知れば、そのたびに人の死を聞かされるのが、とても奇妙に思えた。 「そうですか。驚きました。川尻先生にお目にかかろうと思っていましたので、なくなったとはひどい驚きです。川村先生については、もうすこし考えてみます。なぜ、主治医といわれたのかもよく分からないのです。いただいたカルテを読みました。川村先生のお話は、ほとんどその内容に一致していました。それが、なにを意味しているのか分からないのです。もう一度よく考えてみて、もしかすると院長先生にお願いするかも知れませんが、それでもよろしいでしょうか」 「それは、かまいません」 「もうひとつ気になることがあるのですが、ご相談にのってもらいたいのです」 「なんでしょうか」 「先日うかがったときに、受付で私のカルテが存在していることを知って驚いたのです。そのさい窓口の方が診療録をさがしながら、父のものもあるといったのです。父親には、いきつけの病院に主治医がいたのです。なぜほかの施設にかかったのかが分からなくて、みょうな話だと思って、考えだすと気になって仕方がないのです。できれば、父のカルテもみせていただけないでしょうか」 翔司の言葉に、添田院長はすこし考えていたが、やがていった。 「翔司さん、父親であっても違う個人ですから、実さんに話して了解をとって承諾書をもってくるのなら、おみせすることはできます。あなたが息子さんであり、社会的にどれほど立派な地位についているとしても、個人情報はまもられなければならないのです。ご希望にそえなくて、たいへん、申しわけありませんが」 「なるほど、そうなのですか。父は、それこそ二〇一七年の秋に、ウクライナで飛行機事故に遭遇して死んでしまっているのです。父親の承諾を、えることはできないのです。母も同時に事故にあいまして、そのときに私は、とつぜん孤児になってしまったのです。こうしたばあいでも、みることはできないのですか」 「そうだったのですか。いつだったか、なにかのテレビのニュースで、そんな話がありましたね。それは、驚いたことでしょうね。不慮の死ですからね。一度にご両親をなくされたとは、たしかにそんな話を思いだしました。最初にロータリーの例会でお会いしたとき、以前に海部物産について、なにかの記憶があったのですが、そうでしたか。いわれてみれば、一時はずいぶんとテレビでもやっていましたね。そうそう、あなたのコメントも聞いた気がします。テレビで映った海部さんが、青い背広だったのを覚えています。ネクタイがすこし洒落たものだったと思ったのですよ。それなら、とつぜんに亡くなられた、ご家族の情報を知りたいという希望も理解できます。ただ、規則で一筆、書面をいただくことになりますが」 院長は秘書につげて用紙をもってこさせ、海部実の生年月日と住所を確認してカルテをだすようにいった。翔司が記入を終えると添田院長は書類に目を通し、うなずいて彼女にわたした。しばらくたつと、秘書がもどってきて、前回、彼のカルテのコピーが入っていたのとおなじ、病院名がかかれた大きな封筒をもってきた。院長は目を通し、すこし考え事をする仕草になった。 「またなにかあったら、相談にはのりますよ」と添田はいった。 翔司が、とつぜんの訪問に親切に対応してもらった礼を述べ、 「気持ちだから、ぜひ、うけとっていただきたい」と白い封筒をだすと、「それはいただけないことになっておりますので、お気持ちだけでけっこうです」と院長は固辞した。 それで、もう一度、ていねいな応対についての感謝をくりかえして、彼はふたたび受領を希望した。 添田は首を振って、「そんなことをされると、つぎに会えませんよ」とはっきり固辞したので、翔司もあきらめて「ありがとうございました」といって秘書室をでた。 海部実は、私立東栄病院の院長と懇意で、ぐあいが悪ければ、そこに受診していた。わざわざ広尾病院にかかったのには、なにかしらの理由があったはずだった。 自宅に帰ると、書斎で父、実のカルテをみた。中身は泌尿器科の診療録で、「乏精子症」という診断名がかかれていた。 ネットで検索すると、不妊についての項目に、妊娠適齢期において、不妊原因の約四〇%に男性がわの要因があると記載されていた。「乏精子症」は、精液中の精子濃度が著しくひくい状態をさし、一定量以下であれば人工授精や体外受精が必要になるとかかれていた。その表にあて嵌めれば、海部実のばあい通常では受精できない量に相当するらしい。つまり検査結果からは、父親は普通の性交では子供をえがたい状況だった。これを、父は二〇一七年に、よく通っていた東栄病院ではなくて、わざわざ広尾病院の泌尿器科にかかって調べた。この時期に「必要がある」と考えて、検査をうけて結果を知ったのだろう。息子が体外受精でうまれているのなら、調べる理由がないのは明白だった。 翌日、翔司は桃子の家にいた。 村越が問題であるのは、明確だった。なにもかもが、彼が住む立川を舞台にしていた。桃子も暮らしていたのは、理解不能な皮肉だったのだろうか。村越は川尻を知り、死んだのもよく分かっていて、翔司に川村を紹介したのだろう。桃子と話しながら、無気味な話だと思った。 「こうなると村越は、ほんとうの父親に違いないね。なんで、思いついたのか分からないが、ぼくが彼の教唆で兄をつき落としたとくりかえしたのは、いくら子供のいうことであっても、ひどくこまっただろうね」 「たぶん、お母さんの爽子さんも迷惑だったでしょうね。実さんは信じなかっただろうけれど、やはり、どうしたって不審に思ったでしょうね。それが二〇一七年に、自分に子種がないのを、普段とは違う病院で確認したのは、ずいぶんいろいろなことを考えさせるわね。海部実さんが、殺意をいだいた可能性もあるのでしょうが、なにかこの筋では、しっくりとはいかないわね」 「母の爽子が、父に疑われているのに気がついて村越と相談すれば、どうなるのかな。ぼくの過去の記憶はすっかり消して、蒸しかえしてはいないのだから、二〇一七年に、だれかがこの話に割って入ってきた可能性があるね」 「立川で開業して死んだ、川尻っていう医師ね。仕事がうまくいかなくて、ということはありえるわ。立川には、村越さんが住んでいる。海部物産の跡とりの騒動となれば、おどかし方によっては相当なお金がひきだせるかも知れないわね。ちょうど二〇一七年の秋に死んだのは、どう考えたって都合がよすぎるわね。仕事がうまくいかなかった川尻が、物産からこの事件をネタに恐喝したというのはありえるわ。でも、だれを脅迫したのかしらね」 「村越は、親切な人という思いがあったが、記憶について考えはじめてからはまったく信用のおけない者になってしまった。ぼくは、自分が天道麻守だとも思ってはいない。なんで、天道という人物がでてきたのだろう。これだけは、どうしても分からないね。なにかの理由があるはずだね」 「私にも分からないわ。天道麻守と会いさえすれば、いっしょになって復讐ができるに違いないとばかし思って、ずっとすごしてきたわ。どう仕返ししようと考えていたのか、自分でもよく分からないわ。井戸端で男の霊に会って、天道家と東野家の確執の過去を知らされたのは間違いないと思うわ。周囲のだれであっても、そんなことを私に教えたとは考えられないからよ。あなたの、村越さんが父親というのも、状況がどこか似ているわね」 「いっしょにかいた天道家と東野家の系図を、どこかで教えられた可能性はないのかい。みたくらいでは、なんだかさっぱり分からないだろうが、説明する人はいなかったのだろうか。井戸端の霊は、とくに不思議で、ぼくと会う最大のきっかけになった物語だよね。信じなければ、ぼくたちは永遠に会えなかった気がする。君は、いまでも復讐しようと思っているのかい」 「よく分からないわ。復讐してどうなるものではないし。母は生きていても、もう七〇歳の老女よ。殺して復讐になるかどうかも分からないわ。さんざん玩具にされた本一朗には、恨みつらみをもっていたと思うし、ずっとまえに死んだ可能性もあるわ」 「また、天道の井戸のなかにほうりこまれているわけか。息子の総一朗は、どうなっているのだろうね」 「あの親子に育てられて、普通は幸せにはなれないわ。母は、もうひとりくらい子をうんだのかしら。天道家と東野家の系図をみると、たくさんの子供をもてないのは共通しているわ。蔵には、大層なお金が眠っているという話だけれど、そんなもの、どうだっていい気がするわ。私は、あなたの妾として暮らしていけるのなら、もう充分だわ。子供をひとりくらい、うんでみたいわ。うまれた子は大切にして、できる限りの愛情をそそいで育てたいわ。もちろん、あなたの祝福があればだけれど」 翔司は、海部物産の社長として、春江となんの理由もなく別れることはできないだろうと思った。妻はずっと相手にしていないが、どう感じるのだろうか。だいいち、なんで春江に優しくしてやろうと思わないのだろうか。子供の陽太にも千春にも、いい父親ではない気がした。こうしたことがはじまる今年の春までは、なにを考えて暮らしていたのだろうと翔司は思った。 それから一〇日ほどたった、一一月の中旬に、桃子から村越の家系図が手に入ったという連絡をうけた。翔司は木曜日の夜に、彼女の部屋をたずねた。 「書類をうけとるときに、興信所の職員がいっていたわ。この男は、凄い係累をもっていて、たたけばなにがでてくるのか分からないってね」と桃子は口をひらいた。 それでふたりで村越の家系図をみると、あらたな事実が判明した。 村越悦男の妻は、旧姓「大平明菜」で、伸子と祥平という子供をもっていた。彼女は、すでに死んでいた。「村越伸子」は、医師の川村力男と結婚している。つまり川村は、村越の義理の息子にあたる。いっぽう「村越祥平」は、暴力団の組員らしい。関東藤和会の組長で、その筋では有名な武闘派らしい。 村越悦男は一人息子で、父親は「村越昇」、母親は旧姓、「山田輝子」という。このふたりもすでに亡くなっている。村越昇の父親は、「村越徹」、母親は旧姓、「本山のり」だった。もちろん、ふたりとも他界している。村越徹には、子供が三人いて、長女が霧子、次女が露子で、「村越霧子」は「天道愛斗」と、「村越露子」は「宮森良文」と結婚した、とかかれていた。 つまり村越悦男にとって「天道霧子」も、「宮森露子」も伯母にあたる。村越は、ある程度では、とてもすまないほど天道家の事情にも通じていたと推測された。さらに娘婿の川村力男は義理の息子になり、川尻にかえて翔司の主治医をさせたわけだ。伯母の露子が嫁いだ宮森良文についての記述は、これ以上なかったが、「宮森露子」の娘が、春江の母、旧姓、「宮森芳江」で、その姉が「宮森麗子」であるのは容易に推測できた。村越は、翔司が結婚するまえに、妻を知っていたと考えるべきだろう。 また、村越悦男の息子が関東藤和会の幹部となれば、経緯は分からないが、二〇一七年に起こった川尻の死や、一般人には考えつかない爆弾の入手についても、なんらかの手づるがあった可能性も否定できなかった。 「天道桃子も、ずいぶん複雑な家庭のなかにうまれて、悲惨な過去をもっているらしいが、海部翔司もあまり変わらず、かなり煩雑な人物にかこまれ、物騒な事件とともに育ってきたのだね」と翔司はいった。 「似た者同士というわけね。住んでいた場所が、都会と田舎の違いだけだわ。とり巻く人間も出来事も、どことなく似ているのね。ただ、雄一さんの事件は、ほんとうに事故だったのではないの。あなたに示唆をあたえて、自分の息子を殺させるのは理解できないわ」と桃子はいった。 一一月二三日、土曜日、海部翔司は村越悦男と会うことにした。あるホテルの会議室をかりきって、翔司が村越に「過去の記憶について、いままで分かった部分をすこし整理して話したい」とつげた。彼は、「承知しました」といって定刻にやってきた。 会議室の扉をあけて入ってきた村越は、なかに桃子がいるのをみて挨拶をした。ホテルの窓からは、金色に紅葉した都会の銀杏の並木が見事に色づいてみえた。 「どこから話していいのか分からないほど、たくさんの話が折り重なっているのですが、まずは村越さんにご紹介いたします。こちらが天道麻守さんのお嬢さん、枝野桃子さんです。この方の元の苗字が東野桃子さんで、母親が再婚されるまえが、天道桃子さんであるのは充分にご存知だと思いますが」 翔司がいうと、村越はあらためて桃子に挨拶した。 「お会いするのは、はじめてですね。しかし、お噂はうかがっております。あなたが立川に住んでいたのも、存知ておりました」 「私は、村越さんにお会いするのは、今回がはじめてです。あなたについては、翔司さんからうかがった以外は、なにも存知てはおりません」と桃子はいった。 「ところで分かっていることだけは、まず確認したいと思うのです。村越さんがじつの父親で、私は母の爽子とのあいだの子供だったのですよね。こうした変えようもない過去は、みとめることしかできません。いまは、あなたが父親であるのは分かっています。春までは、親がわりの温和な方だとばかり信じていました。じつは、あなたには怖い部分もあって、不思議なことがたくさん、身のまわりにも起こったわけですよね。私には、暴力団の組長の兄も、医師に嫁いだ、昔の主治医と詐称する義理の兄弟もいるらしいです。二〇一七年に起こった旅客機の墜落事故について、よくご存知だとは思いますが、先日、ウクライナの日本大使館から海部物産に連絡があって、インターポールがうごいているらしいのです。母の爽子が、爆発物をかかえて機内に入ったのではないかと疑われているようです。突拍子もない話だと思っていましたが、いまは入手先もなんとなく理解できるのです。おなじ年に、立川で開業した川尻という、私の広尾病院時代の主治医が縊死しましたが、これも二〇一七年という時期をあわせて考えてみますと、偶然とはとても思えません。こうしたことがどうつながるのかは、いずれ分かるのかも知れません。しかし、あなたに聞かないと、いくつかどうしても不明な事柄があって、可能ならば、ぜひ教えてもらいたいと思って、今日お会いさせていただきました。とくに録音などはしていません。桃子さんには、こうした話を聞く権利があると私は思っているのですが、いかがでしょうか」 翔司がそう話しだすと、村越は大きくうなずいて、 「分かりました」といった。 「ひとつは、なぜ、私があなたの息子であると、子供のときに主張したかについてです。理由があったのだと思いますが、よく事情が分からないことです。つぎには、あなたの伯母にあたる村越霧子さんが天道愛斗さんと結婚して、東野家とのあいだにひどい騒動が起こったわけですが、なぜ、私が、自分を天道麻守だといいだしたのかについては、どうしても理解できないのです。天道麻守さんを、関係もない海部家の者が知っていたとは考えられません。この方を知悉していたのは、村越さんに限られます。あなたに教えられる以外に、想像だけで個人の名前まで思いつくとは考えられません。なぜ、私につげたりしたのでしょうか。さらに、あなたの伯母にあたる、宮森露子さんの娘さんが山部雄太さんと結婚して、春江がうまれたわけです。なぜ、私は妻と大学で出会ったのでしょうか。こうしていろいろな事柄がつながっているのが分かってくると、偶然などは存在しないと理解することになったのです。順に、教えていただけないでしょうか」 翔司は、ゆっくりと疑問点を整理して話した。桃子が同席するのを、村越がどう考えるのか分からなかった。いかに対応するのかも不明だったが、彼女にもこの疑問を聞く権利があるだろうと、翔司は思った。 「翔司さんが、なにを感じるかは分かりませんが、幸せになってもらいたかったのです。私の行為は、いろいろな形で裁かれるのでしょうが、あなたをとても大切な者として考えていたのはほんとうなのです。翔司さんは、どちらかというと、淡白で正義感がつよく、公平で、実社長に似ています。私は、実さんに助けられて大きな恩をうけたのです。それが、奥さまの爽子さんと飛んでもないことになりました。私の血のなかに住む、もうひとりの凶暴な野獣を押しとどめられずに、社長にはたいへんな不義理をしました。これは生涯にわたって、心を痛める問題だったのはほんとうです。 あなたは、雄一さんより子供のころから聡明で、海部物産をつぐべき人物に違いないと思われていました。しかし、事故だったのです。雄一だって、私の息子だったのです。殺害を教唆した事実は、ありません。信じていただけるかどうか分かりませんが、川尻は、じつの親が私で、その入れ知恵をうけて雄一を殺したのだと、子供のあなたを洗脳したのです。私たちは、ひどくこまったのです。あなたは事故が起こって大きなショックをうけていましたから、洗脳にそまりやすくなっていました。その考えから、逃れられなくなりました。激しい罪の意識に苛まれ、学校にもいけませんでした。眠ることも食事もできず、完全なトラウマになったのです。いくら状況を説明しても、まったくゆずらないので、おかしいと考えていました。そうしたら、川尻が治療と称して洗脳していたのです。なぜ、こんなことをやったのか分かりません。彼は、小児にたいする洗脳の効果を研究の対象とし、あなたで試したらしいのです。子供は、大人よりもずっと簡単にマインドコントロールできるのだと、あとで聞きました。とくに一〇歳前後の子は、非常に暗示にかかりやすいのだそうですね。 心に大きな傷をおった当時のあなたは、川尻が思った以上にふかく信じこみ、完全に洗脳されたのです。ですから翔司さんの主張が根も葉もない嘘だってことを、彼はよく知っていたのです。ところが一部は事実だったわけですが、川尻は、そこまでは分からなかったのです。それで、どうしたらこの暗示がとれるか、洗脳しながら解く方法を試みていたのです。いまになって振りかえってみますと、海部物産に将来的にたかろうと考えていたのでしょう。あなたを洗脳した効果は、彼が思ったよりもずっとつよくて、強迫観念がほんとうにとれなくなって、私どもは、こうしたいやな記憶をのぞくことができると宣伝していた沢井精神病院に転院したのです。もちろん川尻は、もうすこしでなんとかなると執拗にいって反対しました。結局、その主張を押しきる形で転院しました。そこで電気ショックをやっても、簡単にはとれなかったのです。しかし、なくなるまでくりかえしたのです。 あなたは、装置にかけるための黒い拘束衣をみただけでひどく怯えていました。私たちも悩んだのですが、学校にもいけなくなり、うまくいくという院長の説明を信じるしかなかったのです。数回治療すると、あなたはぼうっとしはじめて記憶障害になったのです。私の子供だとか、指示したとかいう言明は忘れてくれましたが、ほかの記憶もほとんどなくなっていました。廃人みたいになって、これはやりすぎではないかと、もめたのは事実です。沢井は、妄想がなくなったから治療効果があったといっていました。そこに、とつぜん天道麻守がうまれたのです。これはもうさっぱり分からないことで、伯母の村越霧子が天道に嫁いで、悲惨な事件が起こったのは存じていました。霧子は、失踪したあと、結局みつからなかったのですが、天道家の跡とりが麻守さんであるのは知っていました。 この一連の話は、とても人に話すことができないひどい事件で、なぜ翔司さんがこんな妄想をもつに至ったかについては、私もまったく理解できませんでした。あなたは充分に知っているわけですが、伯母の露子が嫁いだ先は宮森で、麗子と芳江の姉妹がいました。宮森家としては不吉な話があった天道家との婚姻は望んでいなかったのです。麻守さんが麗子さんに一目惚れし、どうしても結婚したいと懇願ななったのです。麗子も最終的には麻守が気に入って入籍したのです。麗子さんは、傾城ともいえるほどの、とても美しい方でした。しかし、ひどく淫乱なところがあり、派手好きだったので、相当な資産家でもあった麻守さんにひかれたのです。結局、駆け落ちみたいな形でふたりは結婚して新太朗さんが出生しました。しばらくたって、桃子さんがうまれたのです。その後、麻守さんと新太朗さんが失踪するという飛んでもない事件が起こり、宮森では麗子さんに実家にもどってくるよう、さかんに説得をしたのです。麗子が東野家の血筋をひく若い方とねんごろになったのを知って、宮森家が絶縁したのは聞いていました。 山部春江さんは、たしかに宮森芳江さんの娘ですが、翔司さんとおなじ大学にすすんだのは、まったくの偶然です。遠い親戚にあたりますから、婚姻が決まって紹介されたときには、旧姓が山部だったので、お母さんの名前が宮森芳江だと分かって心底、驚いたくらいです。これはまったくの偶然で、翔司さんが気に入って結婚したので、私が関与できることなんか、とてもありません」 そういって、ながい話を終えた村越は一息つき、冷めた紅茶を飲んだ。 「ご心配していただいている、川尻の死と、ウクライナの旅客機の墜落事故ですが、これは私には分かりません」 彼は、ややたって、こうつけくわえた。 「いろいろ不明な点があるとは思いますが、最初の話については、父が乏精子症で、通常では妊娠ができないとする記録がのこっています。父親がこれを知ったのは、二〇一七年です。なぜ、父がこの年に検査をうけようと思ったのか。それも、懇意だった東条病院とは違う病院にいったのかについては、その時期にはっきりさせなければならない事件が起きたとしか考えられないわけです。ここまでは、父親は、雄一も私も実子だと思っていたのでしょう。そのころに、それを疑う事件があって、たしかめるために検査をうけ、自分の子供ではないと考えたのでしょう。これは先ほど申しあげた通り、インターポールがうごきだしているらしいですから、みまもるしかないのですが、川尻の死やとつぜんの飛行機事故が無関係だったとは、ここまで分かってくると、とてもいえないと思います。川村先生を元主治医として紹介したのはあなただし、私が閲覧した広尾病院のカルテにそった話をしていました。なにも関係がない先生は、村越さんから教えられたとしか考えられません。それに母の爽子が爆発物をもっていたと思うのなら、あなたなら、入手できないわけでもないらしいですよね」 その話に、村越はじっと翔司をみつめていった。 「これ以上、翔司さんにお話しすることは、なにひとつありません。いままでお話したものが、知っているすべてです。私は、翔司さんがお幸せになれることだけを考えてきました。ご希望にそえない部分も多々あったわけですが、知っているのは、これがすべてなのです。いろいろと、ご面倒をおかけしたと思っています。これ以上の面倒をさらにつみあげることは、決してないとお約束します。あとは、みまもっていただくしかありません」 それを聞いて、桃子がいった。 「村越さん。私も、ひとつ知りたいのです。なぜ、あなたは常務に命じて、秘書から解雇させたのですか」 「そうですね。桃子さんと聞いて、すぐに天道桃子さんを思いだしたのです。翔司さんから、あたらしい秘書がきてから昔のことを考えはじめたとうかがっていました。それが原因なら、なぜなのだろうと思いまして、よく知っていた営業部長に電話をしてみました。それで桃子さんという名前を聞いて、心臓が飛びでるほどに驚いたのです。苗字はともかく、天道桃子さんのことで頭が真っ白になり、なにも考えられなくなったのです。ぜひ解雇してもらいたいと、つよく依頼したのです。 天道家では、天道霧子、旧姓、村越霧子が中心になって、ひどい事件が起こりました。東野家とのあいだに、さまざまな因縁がうまれたのは充分に知っていました。私は、若いころに一度だけ天道家にいって、麗子さんにお目にかかったことがあります。天道甘露の涸れ井戸の話を聞いて、ひどく興味をひかれたのです。よせばいいのに誘惑に勝てなくて、重い蓋をあけてなかをのぞいたこともあるのです。ただただ真っ暗な闇に覆われたふかい穴で、なにも分かりませんでした。そのとき、そばに落ちていた石ころを、ひとつほうりこんでみました。ずいぶんながい時間がたってから、底にあたった音が聞こえました。あんな行為は、するべきではなかったと思っています。そのときには、麻守さんはご存命でしたが、お目にかかることはありませんでした。だから、天道麻守さんについては、ほんとうになにも知らないのです。 私は、いつも好奇心が旺盛で自分を抑制できなかったのです。ずっと、この件は後悔していました。自分の心に秘めていた天道麻守に、子供の翔司さんがとりつかれたのですから。あなたが麻守について話すのを聞くたび、私は分裂し夢をみているのではないのかと、そればかしを思ったのです。翔司さんの実父であるという話は、川尻をふくめ、だれであっても吹きこめる話題でした。天道麻守については、人が教唆し、洗脳するのが不可能な、私以外には絶対に知りえない固有名詞でした。私が、思わず独り言を呟いたのかも知れません。そばで休んでいて、寝言でもいったのでしょうか。どんなに考えても、なぜだか、さっぱり分かりませんでした。私以外に知っている者がいないのですから、自分の因果で、業としか思えませんでした。子供たちのことを思うと、ただふかく悔悟するしかありませんでした。みんな、私が悪かったのです。よく覚えていますよ。あのとき枝野桃子さんが、天道桃子さんかどうか分からなかったのですが、翔司社長が悩みはじめた原因だとしたら、ぜひともとりのぞきたいとばかし考えたのです。心から、驚いたのです」 「私が立川に住んでいたのは、どうやって知ったのですか」 「あなたの西城桃子のサイトで、出身地をみたのです。思いすごしだろうかとも考えたのですが、どうしても心配になって、いても立ってもいれなくなったのです。ご迷惑をおかけして、申しわけありませんでした。今日、あなたとお会いできて、ほんとうによかったと思っているのです。こうした機会をつくっていただいて、心から幸甚に感じています。あなたがトップモデルとなって、世界を股にかけてご活躍なさっているのは、よく耳にしていました。桃子さんは、ほんとうにお美しいです。麗子さんに、そっくりです。今日は、目の保養をさせていただきました。 縁というものは、あるのでしょうね。それは、ひと口ではいえないのでしょう。人が、思いもつかないものなのでしょう。翔司社長、あなたは自分では分からないといっていましたが、なぜ、とつぜんに天道麻守といいだしたのか、逆に私が質問したいくらいなのです。昔からずっと、考えてきました。私は、会いはしませんでしたが、天道麻守さんという人がいたのは知っていたのです。天道甘露の涸れ井戸に興味さえもたなければ、麻守さんも、気づかなかった違いありません。なぜあなたが、そんなことをいいだしたのでしょうか。どうしても、私には分からなかったのです」 村越は、桃子に、「お会いできてよかった」、「ぜひ、幸せになって欲しい」とくりかえしいって、握手をもとめ、彼女の手をにぎりしめた。 村越悦男は、伯母が霧子と露子であり、天道麻守と麗子と枝野桃子まで知っていた。だから、村越露子の娘が芳江で、孫が春江であるのも分かっていたに違いなかった。ながく海部家の執事をしていたのだから、宮森芳江が村越を知悉しなかったはずはなかった。春江が村越悦男を知らないのも、いまとなっては信じられない話だった。 話したのがすべてだと、村越がいう以上、さらに追求して責めても、なにも語らないに違いなかった。一時間半くらいで彼とは別れることになった。 翔司には、村越がずいぶんとやせ、ひどく老けてみえた。背が高くスポーツマンで男前だった彼は、大層女性にもてたという話を幾度も聞いたことがあった。精悍だった村越は、急に年をとったみたいにみえた。とても意味深な話だったが、彼は正直に語ったのだと翔司は思った。すくなくとも、真実を隠そうとしたのではない。彼なりに努力して、つたえられることはすべて話してくれたのだと翔司は確信した。 「天道甘露の涸れ井戸をのぞいて、石をひとつ落とし、音を聞いた」。 「麗子は、傾城ともいえるほどの美貌だったが、ひどく淫乱なところがあった」。 石を落とした村越は、それが辿りついた音まで聞いているのだ。結局、みんな、そこからでてきたのだ。翔司は、村越の話に充分納得した。この老人がじつの父親だったのだと、部屋をでていく後ろ姿をみながら思った。 翌週の月曜日、桃子は辞表をかいてきて、海部物産をやめた。もう彼女が、秘書にとどまる理由もなかった。今後どうしようかと、翔司と話しあっていた。そう考えていた一一月の末にとつぜん、事件が起こった。 春江と山岡啓太が話があるといってきて、夜に三人でテーブルをかこんだ。 「もうこれ以上は、隠しきれないと観念しました」と山岡は頭をさげていった。翔司がだまっていると、春江が泣いて不倫をわびた。ふたりは、いろいろな事態を考えていたらしく、「ぜひとも、穏便にすませて欲しい」と声をあわせて彼に懇願した。だまって額を右の手で押さえていると、春江は話しはじめた。 彼女は、翔司がずっと以前からふたりの関係を知り、悩んでいるのが分かった。興信所の職員らしき者が、春江の周囲をうろつき、写真をとるのにも気がついていた。翔司が子供たちに声もかけずに、冷たくあしらうのも分かっていたし、彼女には会話もしてくれなかった。そばにいると、書斎からでていってくれといわれた。ふたりの不倫をどう始末するか、翔司はずっと考えていた。仙台の警察からよびだされて派出所にいき、バッグに入った刃物をみせられたとき、殺されるかも知れないと思った。証拠はもう充分にあつめられ、いつ、どういう形で別れ話をされるのか。そのときには、どう応じるべきなのか、春江と山岡のふたりはずっと悩みつづけ、相談を重ねていた。そんな話だった。 翔司には、まったく思いもつかない事態だったが、海部家の手伝いの者たちには、まえから噂になっていたらしい。 今回、春江が妊娠して、彼とはほとんど交渉がなかったことから、これを機に真実を話す決心をしたらしい。さらに驚くには、陽太も千春も、翔司の子ではないとの話だった。彼は、二〇一七年の両親の飛行機事故があってから麻布の自宅に住みはじめた。娘は、そのあとに出産した。だから山岡と春江は、翔司が多忙を極めていたころに関係をもち、千春がうまれたことは、ありえると思った。結婚して二年後に、ようやく妊娠したはずの陽太も自分の子ではなかったというのは信じられなかった。 妻が涙ながらに話しているのだから、間違いのない事実で、血液を調べればすぐに分かるに違いなかった。 週があけた一二月二日に、弁護士をまじえて調停をはじめた。協議する事項にも乏しく、陽太と千春の親権は春江にゆだねられた。長期にわたる一方的な不倫と考えられたので、翔司は養育費を払う義務をもっていなかった。春江から慰謝料もとれたが、別れるのに疑問の余地はなかった。翔司は、鷹揚にかまえることにした。彼がそう考える以上、とくに協議する問題はほとんどなく、一週後に調停も終わり、中旬には離婚が成立した。 一二月第二週の土曜日は、桃子の家にいた。 「奥さんのことは、傷心の出来事だったわね」と彼女は翔司を気遣いながらいった。 「陽太までが、自分の子供でなかったのは正直驚いて言葉もでなかったよ」 その話に、桃子は大きくうなずいた。 「でもね、すこし考えたことがある。ぼくの話を聞いてもらいたい」 翔司が、真剣な眼差しでみつめると、桃子はうなずいた。 「川村先生が夢分析の専門家で、意味不明だった夢を解いてくれた件は話したろう。あのとき、こんなにも、医者って有能なのかと思って、心底驚いた。正直、胃が痛くなった。社会的な仮面を、ペルソナというらしい。だからぼくは、海部物産の社長というお面をつけていたのだね。君が、西條桃子というモデルのペルソナや、絵美という仮面をもったのとおなじだね」 「あなたが、社会にあらわれたいと考えている姿ね。周囲が、あらわさせている役割でもあるわね。絵美は、東野桃子の一部だったけれど、私以外のものが出現させたい姿だったわけよね。そうした仮面をつけて、本性とは幾分か違って振る舞うのね」 「ぼくは、完全に海部物産社長というペルソナに負けているといわれた。面白くない人間だとね。配偶者が可愛そうだとね。それが頭にひっかかってね。その後は、先生の診察をうけなかったのだけれど」 「川村先生は、あなたの話を聞くと学者肌なのかしら。お金のためだけでは、いくらなんでも五時間も相手はできないわ。きっと、あなたの話がひどく興味ぶかかったのでしょうね。そうした専門家というのは、話題になった事例が自分の興味に合致したばあいには、何時間でも会話をつづけると聞いたことがあるわ。食事もしないで没頭し、トイレにいくのも忘れてしまうって」 「たぶん、そうだろう。いくつか、感じることがあってね。ぼくは君を生涯の伴侶にと思っているので、今日は考えた話をさせてもらいたい」 「それは、ぜひとも聞いてみたいわ」 桃子は、しごく真面目な表情でいった。 「ぼくは、海部物産社長というペルソナを、家でもかぶりつづけていたのだね。だから、春江はまったく面白くなかったのだろう。彼女も息抜きがしたかったに違いないね。つまり結婚当初から、ずっとそうだったのだね。はじめは、愛しあっていたと思うよ。いまでも、そうだったと確信しているよ。物産に入社した途端、ぼくは社長の跡とりのペルソナをかぶることになった。すぐに部長に、副社長へと昇進し、次期社長の面をつけつづけた。でも、そんな仮面をずっとまとってはいられない。川村先生は、珈琲を一杯飲むあいだにみやぶったよ。かなり、はっきりいわれたのだね」 「川村先生って、切れ者という感じね」 「そうなのだよ。品行方正という仮面は、始終つけていられないから、ひどく馬鹿げた補償行為をしなければならないというのだね。春江も、折り目正しい者の妻を演じていたのだろう。退屈だから、なるたけいっしょにいるのは避けるに違いない。起きていてもつまらないから、夜はすぐ寝るだろうってね。それに、彼女もどこかで釣りあいをとろうとする。つづけるのは、無理だって。だから、ある意味こうした結果になったのは、自分でまいた種なのだ。春江には、可愛そうなことをしたのではないかと思っている」 「もっと、たがいに話しあう必要があったというわけね」 「そうだね。でも、拒否していた気もする。春江は、ぼくにたいしては、すっかり冷感症になった。それで、ますます距離がうまれて、悪性の循環にはまったのだね。だから春江を、一方的に責めることはできない」 「あなたのいう通りよ。それで、どう思うの」 「村越はね。スポーツマンで、背が高くて、ハンサムだった。だから女性にとても人気があった。村越は、海部家の執事というペルソナに負けたのではないのかな。一流企業の家令というものは、家族の秘密をにぎっているから、ある意味では、社長の奥さんくらいには偉いわけだね。彼は、有能な執事を演じて、疲れ切ったのだろう。だから自分の妻とはうまくいかなくなって、家庭はこわれ、息子が暴力団に入るまでになったのではないのかな。調査票では、奥さんはずいぶん若くに死んでいるから、病気ではなかったのかも知れないね。村越の心のなかは分からないが、彼は村越家を犠牲に海部家をまもったのかも知れないね。彼なりの補償行為をして、ペルソナを演じつづけたのではないのだろうか。村越は、やはりぼくの親父で、いろんなところが似ているのだよ」 「海部物産といったら、日本有数の大企業だから、それなりの重圧があっても不思議ではないわね。みんな、あなたの話す通りよ。それでさ、翔司さん。あなたも、私に自分のことをつつみ隠さず話がしたくなったのでしょう。なにをやっていたの」 それで翔司は、東京出張の折りに、SNSで知りあった女性と関係をもったと話した。こうした冒険で、さまざまな予期もしない困難が生じた。行為が終わって高級ホテルに帰って、大きなベッドに横たわり、反省した。それでも、やめられなかった。自分がタンタロスと似ていると感じたなど、かなりつつみ隠さず桃子に話した。 「軽蔑されるに違いないが、海部翔司は、仮面をはずせばこういう程度の男なのだ」と翔司はいった。 「あなたも、人間だったということよね。でもね、翔司さん。あなたの話は、ずいぶん覚悟をしていったのでしょうけれど、なにかピースが不足しているわ。それだけでは、全体像がぼやけているわ。もっと、なにかあるんじゃないの」 桃子は、翔司をじっとみつめた。 「足りないのか」と彼は溜め息をついた。 「それでは、不足部分をつけくわえるよ。恥ずかしいが、君には全部話す」 翔司は、ランジェリーの趣味について話をした。四月に桃子が秘書室にあらわれてから、さらに妄想が激しくなった経緯についても話した。自宅の金庫に、土地の権利書や多額の債券といっしょに、未開封のランジェリーが大量に隠されている話もした。 桃子は、笑いころげた。 「軽蔑したかい。すっかりいやになったかい」と翔司は聞いた。 「あなたが、こんなに面白いとは思わなかったわ」 桃子は、腹をよじりながらいった。 「安心したわ。あなたとなら、いっしょに暮らしていけそうよ。春江さんには、その趣味は話さなかったの」 「一度だけ、それとなくいってみたことがある」 翔司は答えた。そして、春江が拒絶し、悪趣味というより変態だといったこと。「そうした媚態をとるのは、特別な女だけだ」とつげられたと話した。 「そうか。あなたには、下着のフェチシズムがあるわけね。その趣味を春江さんがうけ入れなかったから、ふたりは離婚にまでなったのね。分かったわ。私は、やってあげるわ。考えるわ。あなたが想像もつかない、もの凄い刺激的なものを研究して、興奮させてあげるわ。春江さんが拒絶したことに、感謝するわ。だから、あなたと、こういうふうになれたのですもんね」と桃子はいった。 彼は、愛しているとあらためて思った。 離婚から幾日語った一二月一七日、翔司は広尾のロータリークラブの例会にメイクアップのために出席した。そこで広尾病院の添田院長と再会した。ならんですわって昼食をとると、院長は、「その後、川村先生のところに通っているのか」とたずねた。 「ちかごろは割と調子がよく、遠いので、しばらく会っていません」と答えると、「もし都合がつくなら、話したいことがあるので病院にきていただけないでしょうか」と添田は聞いた。 なんの話かと不審に思ったが、とくに急ぎの用もなかった翔司は、院長につれられて広尾総合病院まで歩いていき、院長室に立ちよった。ソファーにすわると、添田院長は話しはじめた。 「すでにご存知かも知れませんが、その後、川村メンタルクリニックについて、なにか聞いていますか」 「いえ、特別なことは、なにも。私の主治医は川尻先生で、川村先生ではないと院長からはっきりいわれましたので。そのあとは、電話もしていないのです」 「そうでしたか」 「なにか、あったのですか」 「じつは先週、川村先生は自殺なさったらしいのです。お子さんもいなかったようですね。あなたのお話をうかがい、ずいぶん、みょうな医院があると思って埼玉の友人に連絡してみたのです。病院経営がうまくいかず、こまっているとは聞きました。それが、つい一週間くらいまえに、その友人から電話があって、奥さんを道づれにして心中したらしいのです。年も押しつまった暮れの事件で、縁起のいい話でもありませんし、悲しいことです。海部さんが関わっていたので、ご存知なのかどうか、連絡してみようかと考えておりました。ちょうど今日お会いできたので、おつたえしておこうかと思ったのです。あなたの話は、いままでに聞いたこともなかったので気になっていたのです」 「そうだったのですか」 「つかぬことをうかがいますが、川村先生は、どんな先生でしたか。なにか、印象にのこっていることはありますか」 「奇妙な形で出会って、わけが分からないのです。院長の仰る通り主治医だと詐称したのは事実ですが、私にとって川村先生は、感じもよくて、とても真面目で誠実な方という印象をつよくもっていました」 「あなたのお話は、あまりにも奇妙だったので、埼玉の知りあいにも詳細は話せませんでした。お亡くなりになった方について考えるのも、ひどくみょうですが、その友人は、川村先生とはおなじ大学の同期だったらしくて、いろいろな話をしてくれたのです。川村力夫先生は、学問的には大層研鑽をつまれた、直感のするどい、もの凄いきれ者だったらしいのです。友人は、一〇年にひとりの逸材とまで話していました。だから、どんな問題でも解いてしまうというのです。たとえば、あなたが皮膚科医院にいけば分かりますが、どの病院でも、いつも患者さんが待っています。なぜなら皮膚科の先生には、皮膚の病気をなおせないからですよ。だから、いつも患者がいるのです。皮膚科の先生は、なおらないのは仕方がないと、患者さんに説明さえできればいいのです。なおせなくても、自己弁護さえうまければ繁盛できるのです。精神科の先生が、直視不能な心の問題をかかえて、おそるおそる診療所までやってきた患者さんを診察して、その奥にひそむものを即座にみぬいてしまったら、どうでしょうか。つぎになにをいわれるのか怖くなって、患者は、すぐには病院にはいけないだろうと話すのです。営業するには、そんなにできる医者では駄目だと。もし答えを知っていても、そんな素振りをせず、いっしょに悩むほうが患者さんにとっては楽で好まれるのかも知れないのです。患者は、必ずしもほんとうのことをいわれて、問題を明示されるよりも、分からないままでつきあってもらうのを望んでいるのかも知れないのです。たしかになおしてしまえば、患者さんはいなくなるのですから、世の中は矛盾していますよね。川村さんは、開業には不向きだったのだと、友人はさかんに話していたのです。川村先生と川尻先生が、海部さんについての情報を共有していた可能性もないとはいえないと考えたのです。普通なら詐称ですから事件性があるはずなのに、あなたはそれを問題にしなかったのです。彼がそれなりに仕事を果たしたのかな、とも思っていたのです」 「たしかに、いまになって考えてみますと、川村先生のお話は核心をついていました。お医者さんというより、ほんとうの学者さんにお会いした気がしました。夢を分析してもらったのですが、私が無意識にほうっておいたものがなんであるのか、即座にみぬいてしまいました。いま院長のお話をうかがって、自分が川村先生になにを感じていたのかよく分かりました。たしかに、またいくのはかなり怖い気がしていました。それで、診察日がくると風邪をひいて、身体が怠くなっていたのかも知れません」 翔司は、考えながらいった。それで、親切に思ってくれていたことに感謝して、よく礼を述べて院長とは別れた。 あわただしいなかで、年末にむかっていた。翔司は、桃子の自宅にいき、いっしょにいろいろな出来事が起こった、この年について考えていた。四月に彼女が海部物産にあらわれてから八ヵ月のあいだに、さまざまな事件が生じ、猛スピードでかけぬけていったように思った。川村の話をしながら、この出来事は「ぼくらと、どういう関係をもつのだろうね」と話しあっていた。 年も押しつまった二五日の早朝、警察から海部物産の秘書課に連絡があり、村越が立川の自宅で縊死したことをつたえられた。 その日の朝、マンションの隣人が、村越悦男の部屋の扉に墨で「忌」とかかれた大きな紙が張られているのをみつけた。鍵がかかっていたが、すぐに管理人に連絡しマスターキーで室内に入った。なかでは、村越が縊死していた。 部屋は綺麗に片づけられて、机のうえに遺書があり、連絡先として海部物産秘書課の電話番号がかかれていた。 翔司は、父親だったので桃子にも知らせた。彼女がくると運転手の車に同乗させて、三人で立川にむかった。村越の部屋には幾人かの警察官がいて、事件性があるのかどうか調べていた。翔司は、彼が海部物産の自宅につとめていた、まえの執事であり、自分の親がわりでもあったと話した。遺書もあり、自殺以外には考えられない状況だった。警察は、事件性はないとした。 翔司が、「近親者がいるはずなのですが、連絡先が分からないのですが」と聞くと、「どういう関係の者か」と警察官はたずねた。彼は、村越の息子が関東藤和会の幹部で「村越祥平」というと話した。警察官は、聞いた記憶がある名前だと呟き、連絡をとりはじめた。しばらく電話を遣り取りしていたが、終わると翔司にいった。 「つい二週間まえくらいに埼玉県で暴力団の抗争があり、そのときに村越祥平は死んでいるそうです」 「同姓同名ということは、ないのでしょうね」 「関東藤和会の村越といったら、この筋では有名で、人違いではないだろうと思います。海部物産の執事さんの息子さんだったのですね」と感慨深そうに話した。 翔司は、川村の死も村越昇平の死去も、恐らく春江の告白も、偶然この時期に起こったのではないと確信した。警察官にも、縊死を発見した近所の方がたや管理人にも、礼をいい、海部物産で葬儀をだすと話した。 翔司は、会社に連絡して社員をよんで葬送した。 銀髪をなびかせ精悍な目つきだった悦男の遺影をみて、村越もこの写真とはまったく違う野獣というべつの人格をもっていたのだろう。つまり、三人は似ていたのかも知れないと翔司は思った。棺に両手をあわせて、桃子と結婚することを誓った。 村越悦男の菩提寺は立川にあり、葬儀も住職がきて滞りなく終わった。 翔司は、戒名をもらい、骨壺を村越家の墓におさめた。身寄りがなくなった村越の墓碣を、彼が管理することを住職に話し、位牌をもち帰った。 村越悦男は、かなりの資産家だった。総額で一〇億円以上の資産があったらしいが、遺書には、遺産は全額、枝野晴恵が代表をつとめるNPO法人「性的な虐待に苦しむ、子供たちを助ける財団」に寄付をしたいとかかれていた。翔司は、手続きが完了するのを確認した。 村越もまた、タンタロスの才能に恵まれていたことを知った。天道麻守が、その才を運よくあたえられていたのは間違いなかった。桃子も、おなじだったのだろうか。だれもが希求するこうした才能に恵まれることが、幸せには必ずしもつながらないと神話はつたえているのだろうと翔司は思った。 年もあけて、一月の第二週に休みをとって桃子と凍河郷をたずねた。新幹線で山形までいき、そこでレンタカーをかりて、ひさびさに雪道を運転した。スキー部でよく自動車をだして雪のなかを走った覚えがあったが、途中で疲れて桃子にかわってもらった。彼女は車が好きで、冬の雪道も走行すると話していた。桃子の運転で、天道家の墓碣がおかれる甘露寺をたずねた。 磨かれた花崗岩でできた、立派な三つの墓石をみた。寒いなかでコートを羽織って手をあわせると、年の若い坊主がやってきて、ふたりをながめていた。祈りが終わると、「寺の住職が、おふたりにお話がしたいと申しておりますので、よろしければ、私についてきていただけますか」とつげた。 ふたりが、境内に車をとめたのをみかけたのだろうか。 住職がみれば、よそ者であるのは一目で分かるのだろう。それにしても、いったいなんの話をしたいのだろうか。翔司は、坊主についていきながら思った。桃子は、一一歳のときに枝野夫妻にひきとられてからは一度も凍河郷に帰ったことはなかった。海部翔司にとってはじめての場所だったから、住職がなにを考えてふたりとの面会を希望しているのか分からなかった。 靴をぬいで庫裏に入り、よく暖がとれた、まがりくねった廊下をぬけていくと、奥まったところの部屋に案内された。普通の座敷ではなく、カーペットがしかれていた。中央にテーブルがおかれ座布団がみえたので、そこにすわった。部屋には、窓際に籐でできた椅子が二脚と小さい机があった。そこからは、雪がつもる庭がみえた。住職の自室だったのだろうか。 しばらくすると、八〇歳はすぎた僧侶がやってきて、ふたりのあいだにすわった。若い坊主がお茶をはこんできた。 「冷えますな」と住職はいって、にこやかに笑った。 「どなたでしょうか。天道家に、どんな所縁をおもちでしょうか。そういえば、あなたはみたことがあるような。ええっ。麗子さん」 住職は、枝野桃子をみて、驚いていった。 「私は、桃子です。天道麗子の娘で、東野桃子です」 「ああ、そういえば、東野さんのお宅には娘さんがいらっしゃったときがありましたな。それにしても、あなたは、若いころの麗子さんに瓜ふたつです。たしかに、娘さんがいらっしゃった。そう。事件があって。とはいっても、あのお宅は、いつでも騒動ばかしでした。そう。桃子さん。そういえば、面影がありますよ。あなたとは、たくさんお話をさせていただきましたよね」 「申しわけありませんが、私は、なにも記憶していません」 「そうですか。私は麗子さんから、いつも井戸のそばにいて、落ちたらたいへんだから怖い話でもして、やめさせて欲しいといわれましてね。そこで、いろいろと話しましたよ。あなたは、そこからでてくる幽霊のお話をしてくれました。それが何人もいるというので、全員の話をうかがいましたよ。そこには、お父さんの幽霊もいらして、あなたは死んでしまったとひどく嘆いていました。それで、天道麻守さんは、桃子さんの心のなかではいまでも生きているのですよとお話ししました。あなたが、死んだのではないと、しきりにうなずいていたのをよく覚えております」 「井戸のそばにいた記憶はありますが、住職さまとそこで幽霊の話をしたのは、まったく忘れています」 「そうですか。あのころのあなたは、いつでもぼんやりとなさっておりましたから覚えてはいらっしゃらないのでしょう。私にはまったくみえませんでしたが、桃子さんは、でてくる幽霊の年恰好やきている服や髪の特徴をひとつひとつ話してくれました。それがあなたにとって、どういう人にあたるのか、説明をしたことがありますよ。大層悲しい話でしたが、うなずいてよく聞いていました。それに、あなたは、この寺に夜遅くに飛びこんできて大騒動になりましたな。暑い夏の夜でしたな。あのときには私も大層驚きました。そう。よく覚えておりますよ。枝野先生でしたね。あの方に電話で相談してみたら、すぐに寺にきてくれましたな。先生は、みじかい髪をして、銀縁の眼鏡をかけていた。そう。私がお会いしたときには、赤い服をきて、なにか特別な香水の匂いがしていました。あの先生は、正義感のつよい、筋の通った、立派な方だったと記憶しておりますよ。その人が仲介に入ってくれて、桃子さんは、枝野先生のご縁で、なんでも東京の立川にひきとられたとか。そうした記憶もございます。そんな桃子さんが、いたような気がいたしますが」 「そうだったのですか。あの晩、私は、このお寺にきたのですか。それで、住職さまに助けていただいたのでしたか。私の記憶とは、まったく違っていますけれど、あなたが正しいのでしょう。よく覚えていてくださいました。お話の通り、私は、担任だった枝野先生に助けていただきました。立川に住むご両親の養女にしてもらい、枝野桃子に変わって、義父の暴力からすくいだしていただいたのです」 「そういえば、麗子さんは去年の春にお亡くなりになった。それで、墓参にいらしたのですかな」 「いえ。立川にうつってからは、音信はありませんでした。母が他界したのは、いま、住職さまからはじめて、うかがいました」 「そうでしたか。東野の家では、いまは総一朗さんが主になって、これがまたたいへんな乱暴者で、父親を座敷牢に閉じこめているという話を聞いておりますよ。それで、今回は、なんのためにいらしたのでしょうか」 「去年、いろいろなことがございまして、今年をあらたな出発の年にと思いまして、凍河郷のすべてを、忘れようと考えて、きてみたのです」と桃子はいった。 ふたりの遣り取りを聞きながら、翔司はすこし分かった気がした。なぜ村越は、元主治医の川尻の死をつたえるのではなく、わざわざ川村を紹介したのかは、ずっと不明な謎になっていた。しかし桃子は、麗子に瓜ふたつなのだ。立川の精神病院で、村越は通院中の彼女に会ったのではないか。そのときも、彼はパニックになったのだろう。沢井院長は、桃子がもともと天道姓であることを知りえる立場だった。天道という姓は滅多にないのだから、翔司が喚いていた天道麻守と関係があると、院長が思うのは不思議ではない。つまり、村越悦男と沢井院長のあいだには、桃子をかいしてさまざまな遣り取りが行われたと考えるべきだろう。またそうであるなら、本人がいった通り、村越は山部春江を知らなかった可能性もある。山部の両親は、彼が海部家の執事であるのを知悉していたに違いないが、意図的につきあわなかったのかも知れない。春江は、桃子に似ている。だから、間違いなく麗子にも似通っているのだ。翔司が春江をひきあわせたとき、村越は心底驚いたのかも知れない。だから、ずっとこうした過去の事実に怯えていたのではないか。すくなくとも村越は、あの会合で翔司が整理してたずねた三つの質問については、正直に答えたのではないのだろうか。彼が桃子の手をにぎった最後の場面と、そのときの遣り取りを思いだした。 考え方によっては、天道麻守が転生を果たした相手は、翔司ではなく、村越悦男だったのだろう。 「それは、よろしいことで。供養すれば、人はどんな事件でも忘れられます。そうすれば、人生は、ずっと豊かなものになりますよ。天道の血に関係する方がたは、凍河郷からは絶えたほうがよろしいでしょう。ここは、もうもどってくる必要もない場所でございますよ。で、そちらさんが、桃子さんとあたらしい一歩を踏みだされる方ですかな」 「そのつもりでおります。手はじめとして、いろいろと理解できない不思議なご縁があったこの地で、天道家と東野家の墓参をして、できれば、天道甘露の涸れ井戸をみてみたいと思ってまいりました」 「そう、一度、あそこには、いかれたほうがいいでしょう。あなたをみていると、天道麻守さんを思いだしますな。あの方も、墓碣ではなく、あそこに入っておられるのでしょう。あなたがいけばきっと喜ぶ。あの家には魔物がいて、六〇〇億の金塊などという、わけの不明な、煮ても焼いても食えぬものでございますよ。人を不幸にするしかない事物です。いくらたっても分からない、因縁でございましょうか。だいたいが、人の生涯とは、自分だけでつくれるものではないのですよ。どんなに否定しても、あなたは一族、もっというなら家族という、大きな太い木についた枝にすぎないのです。北側にでた枝葉が南をむくには、限度があるのです。ですから私たちは幾世紀にもわたって、名も知らない先祖の欲求に応えながら生きているといってもいいのです。自分の望みだと思いながら、じつは祖先の願いをかなえているのです。またいっぽうでは、己が現実に考えているのとはまったく裏腹な、不合理な願望を追いかけるのです。だから自分の先祖をみれば、大概のことは分かるのです。つまり私たちは、先祖たちの負債を、心ならずも弁済しているのですよ」 住職は、ふたりをみつめながら、ゆっくりと話した。 「私のどこが、天道麻守さんに似ているのですか」 翔司が聞いた。 「麻守さんのことは、それほど、よく覚えているわけではございません。ただ、あなたの背中にのっている方は、天道麻守だとご本人がいっておりますよ。あの井戸にいけば、そこからおりて、もどるべきところにいかれるのではないのでしょうか。もう、あなたには必要がないらしいですからな」 「天道麻守は、私にはのりうつっていないのですか」 桃子が聞いた。 「あなたには、ついてはいません。四代にわたった悲劇のなかで、桃子さんは、ほとんど唯一の生還者になるのです。おふたりは、きっと幸せになれます。人がなんといおうと、関係はありませんよ。あなたがたが、似ているのは仕方がないことなのです。おふたりで、力をあわせてやりなおすのが、いちばんいいでしょう。あの井戸にいって麻守さんをおろしてあげたら、もう二度とこの郷にはくる必要もありません。人は歴史をつくるよりも、その時代を生きるほうがいいのです。過去の恨みを晴らしたり、負債を返済したりする変わりに、人生を楽しむことが、ずっと好ましいのです。それが、うまれた理由であり、生きている証しなのです。あなたがたにお会いできて、今日はよき日になりました。暗くならないうちに、いかれるのが好ましいでしょう。終わられたら、そうそうにお帰りになるのがよろしいでしょう。私が、お供、いたしましょう」 うながされたふたりは、住職をのせて寺をあとにし、雪の道を現在は東野家となっている家にむかった。僧は鈴をもって、井戸につくと、ちんちんと鳴らした。ふたりが合掌すると、家のなかからだれかがみていたが、住職がいたので会うこともなかった。それが終わると、彼らは僧侶をつれて寺に帰り、「志」をわたして、よく礼をいって車で山形にむかった。 「住職というのは、凄い記憶力ね。それにしても、自分の記憶って、ぜんぜんあてにならないものなのね」と桃子が口をひらいた。 「亡くなった川村医師が、いっていたよ。記憶と想像は、おなじもので、よび名が違うだけだって。しかし、夏の夜に香水の匂いか。なにか不思議なとりあわせだね」 「そんなことを、いっていたわね。香水なんて、あの先生、つけていたのかしら。もしかしたら、ペパーミントみたいな薄荷の匂いかも知れないわ。枝野先生は、すぐに蚊にさされるから、いつも虫のけのスプレーをつけていたわ」 「そうか、ミントの香りなのだ。それにしても、ぼくには天道麻守が背中にのっていたのだ。住職がいった通り、あの井戸のところでおりてくれたらしいよ。いまは、凄くすっきりとしている」 翔司は、桃子をみて笑った。 「住職には、ほんとうに天道麻守がみえたのかしら」 「きっと、そうだね。おいくつなのかは知らないが、みえる人には分かるのだね。君とぼくの関係も一目で、理解したみたいで、ひどく驚いたよ」 翔司は、溜め息をついて呟いた。 「住職にお会いできてよかったわ。私も、これでひとつのけじめがついて、凄くさっぱりしたわ」 「それじゃ、今年、結婚しよう。盛大な結婚式でもしようか。定平を、仲人に立てて」 翔司は、また笑った。 「そうね。でもね、私はね、派手なことは嫌いなのよ。それよりも、静かで、落ちついた、平和な家庭をつくりたいわ。そっと、結婚しましょうよ。定平常務に報告をするのは、異議はないわよ」 桃子も、笑いながら答えた。 「君がそういうなら、それでいい。それならせめて、すこし、ながめの海外旅行でもしてみたいね。いくのなら、どこがいいかな。やっぱりヨーロッパかな。それともアメリカのほうがいいかい」 「どこでもかまわないわ。それよりも、私のマンションはどうしようかしら。気に入っているのよ。麻布で、奥さまをしなければならないのかしら」 「あそこも、相当にケチがついているからね。いっそ、値段が高いうちに売り払って、君の住んでいるみたいな高層マンションでも、たててみたらどうだろうね。三〇〇坪では、あんな立派な建物は無理かも知れないな。遊ばしておくのも勿体ないから、どう活用したらいいのかな。そうしたことは、なんとでもなるわけだ。そんなに自分のマンションを気に入っているのなら、ぼくが君のところに住んでもいいのだ」 「そうね、それも考えてみましょう。でもね、今年はどこにもいけない気がするのよ。理由は、とくにはないのだけれどね。私の勘はあたるのよ。話はぜんぜん、違うのだけれど、いまでもときどき分からなくなるのよ。東野本一朗というのは、両親の恨みを晴らすために、この世に生をうけたのよ。父と娘がまじわってうまれて、母が身をもって女を教えて、天道家の血を絶やすのに命をかけたのよ。正真正銘の悪魔なのよ。それでね。なんで私を、いかしておいたのだろうって思うのよ。人には話せないほどのひどいあつかいをうけて、もちろん、いまでも憎んでいるのよ。でも、殺されなかった。天道家の血を絶やすべく、凍河にやってきたのに、なぜだったのだろうって、ときどき分からなくなるのよ。だって、本一朗は、地獄を生きてきたのよ」 「それは、はっきりとしているよ。村越が、ちゃんと話していたじゃないか」 「それは、なにかしら。ねえ、どういう意味なの」 「そんなこと、どうでもいいじゃないか。住職がいう通り、君はラッキーだったのだから。桃子とおなじで、ぼくのまわりもすべてが嘘でぬり固められた現実があった。真実性を喪失した現代の日常、ともいっていい。君が生きてきたのと、おなじ地獄だった。どこにいっても奈落なら、ぼくは桃子といっしょにすごしたいよ。今年中には、結婚しようよ。子供もつくって、君もお母さんになれる」 「まあいいわ、それで」 記憶と夢、四〇一枚、了 参考文献 夢分析Ⅰ、ユングコレクション13 、ユング著、人文書院、入江良平訳