カテゴリー: 作品紹介

  • 多重人格障害

     「24人のビリー・ミリガン」(ダニエル・キイス)は、ヒットした小説でした。「私という他人」(H・M・クレクレー)、「失われた私」(フローラ・R・シュライバー)、なども興味深く読みました。多重人格は、ときの話題となり、至る所に発見される病と認定されました。現在では、解離性同一性障害と名称を変えられています。作品番号13.「アス」は、8つの人格断片が、センターをめざして抗争を繰りひろげる物語です。いっぽうこの病気は、医者と患者が協力してつくりあげたもの、とみなす人も多いようです。こうした問題をあつかう書籍のなかで、イワン・ハッキングの「記憶を書きかえる」は、かなり奥深い地点にまで触れた優れた著作です。作品番号48.「記憶と夢」は、この領域に分け入った作品です。人は毎日、朝起きるたびに自分を上書きする、と記述しました。記憶は、短期記憶と長期記憶に分けられます。さらに、陳述性記憶と非陳述性記憶に分割できると考えられています。記憶喪失になっても、自転車には乗れるし、一般的に言語と通貨は覚えているのが普通です。ですから、民族を根絶やしにするのは、ホロコーストだけで起こるのではありません。住んでいた土地から移住させ、言語と通貨を奪えば、民族が生きのこるのは難しくなります。こうした手段を用いて、帝政ロシアをはじめ、たくさんの国家が少数民族を根絶やしにしました。現在のウクライナでも、報道を積み重ねると、一部ではこの方法がつかわれているようにみえます。戦況が思わしくなくなるにつれて、こうした報告が減ってきたことは危惧するべき事態です。

     解離性同一障害をあつかった作品の多くが、なぜ事実だとこだわる必要があるのか、いくら考えても理由が分かりません。小説、虚構、フィクションとする方が自由度が高く、いくらでも工夫ができます。後書きで一部は違っていると言いながら、ほとんど事実だと宣言し、ノンフィクションに拘泥するのは、自己承認欲求をふくんだ現代病とも考えられます。作品番号46.「自分史講座」は、ここに焦点をあてた作品です。作品番号7.「ダエーナー」では、現実が思うままにならないのなら、せめて過去くらい変えてみたい。という記述があります。作品番号.33「親友とよぶ男」は、この領域へ大胆に切りこんだフィクションです。

  • 東ローマ帝国

     私は、大学受験で世界史を選択しました。一浪して合格した大学は、不幸にも中退になりました。その後、医学部に入学するのに2年かかったので、都合4年間、世界史を勉強しました。教科書に記載された内容は、ローマ(イタリア)は、紀元前500年頃に共和国として成立した。キリストが生まれたころに、カエサルの養子になったアウグストゥスが初代の皇帝として即位し、版図をひろげ、パックスロマーナをうみだした。395年に東西に分裂し、西ローマ帝国は、ゲルマン民族の大移動によって崩壊した。いっぽう東ローマ帝国は、帝都ビザンチンをコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)と改名し、1453年まで継承された。つまり、ローマ帝国は、ずっとつづいたと思いこまされていました。

     退職後にプルタルコスを読んで、実態が、ギリシア帝国ともいえることに気がついて愕然としました。ギリシアについては、古代にポリスが存在し、ソクラテスやプラトンが出現した。世界帝国、アケメネス朝ペルシアとの戦いの勝って、民主主義をまもった、などが記載されていました。教科書では、ギリシアは、ここで歴史から姿をけしてしまいます。

     プルタルコスは、帝政ローマがもっとも勢いがあった紀元100年頃に活躍したギリシア人でした。神官でもあり、エジプトへも旅行した博識の教養人として知られています。著述を読むと、ローマ帝国だったもかかわらず、堂々とギリシア語を話しています。彼は、被征服民という立場ではなかったことが分かります。「エジプト神イシスとオシリスの伝説」(岩波文庫)には、さまざまなことが網羅的に書かれています。イシスとオシリスについては、多くがこの本から引用されると聞いていたので繰りかえし読みました。4回目になって、わずか数行の記述だと分かりました。何しろたくさんの話題がつらなり、いろんな事項が隠されています。

     イシスとオシリスは、作品番号11.「ソフィアに会った日」で舞台設定を借用しました。さらに英雄伝の第1章、テセウス伝は、作品番号12.「アリアドネ」の主人公、テセウスを描く第1級文書として取りあつかいました。10回以上読み直しましたが、そのたびに新しい事実を発見できる奥深い著述でした。テセウスの息子、ヒィポリュトスをうんだアンティオペが率いるアマゾン軍が、アテナイにまで攻めてきます。そのとき、彼はフォボス(恐怖の神)に祈りを捧げて出陣します。なんて、生々しく書かれているのでしょうか?。この下りを発見するのに、10回も読まねばなりませんでした。

  • インド

     インドを旅すると人生観が変わる、とよくいわれます。なぜでしょうか? 若いころインドを放浪した経験にもとづいて、5つの作品を書きました。「象は二度跳ぶ」(476枚、作品番号01~04)、「ガンジスに抱かれて」(387枚、36.37.38)の2長編です。そのほかに2編の短篇小説と、旅行記があります。ひとり旅をつづけていると、インドの人びとと会話を交わすことになります。「おまえは、どのカーストなのか?」と必ず聞かれます。「日本には、カーストがない」と答えると笑われます。そこで考えることになるのです。カーストとは、生まれたときの境遇を指しています。ヒトが生を受けるのは、社会構造のなかですから、立場をもたないはずがないのです。「仏教徒」と答えると、いちおうは存在を許してもらえます。日本は、平等で身分差がない。これは、いったい何でしょうか? 当たり前のように感じますが、じつは釈迦のふかい教えなのだ、という理解に到達します。知らないうちに、日本人は、お釈迦さまの思想を埋めこまれているのです。ここではじめて、日本がインド文明の影響をはげしく受けていることに気がついて愕然とします。ほとんどは中国を経由した仏教思想につつまれ、知らないうちにインド化されています。空海は神話的な人物で、どこまでが真実なのか、虚構との境界がみつけにくくされています。彼が中国から伝えてきたのは密教です。阿含経典を読めば明瞭ですが、釈迦は、個人の解脱しか話していません。自分の親が戦いに敗れていくのを知っても世俗と割り切る、象徴的な物語までつくられています。完全に世捨て人の思想です。釈迦の考えに沿って理論化された小乗仏教は、インドから脱出しなければなりませんでした。圧倒的なヒンドゥー教をまえに、世捨て人思想をすて、世俗にまで踏み込んだのが大乗仏教。さらに入りこんでヒンドゥー教に先祖返りしたのが密教、と考えると理解しやすいです。平安、室町時代、権力の意向にそい、政敵の呪殺を目論んで護摩を焚いて祈祷したのは、どう考えても釈迦の考えとは真逆といえます。長い漢字がつらなる仏像名は、ベールをはぎ取っていくと、インド名がでてくるのが普通です。日本は、マダガスカルとならんで、カーストがあったと考える人もいます。たしかに、士農工商ばかりでなく、非人、ゑた、などの差別民がいました。部落問題は、つづいています。気づかずに染みついている思考方法は、平等とは言えないようです。圧倒的なヒンドゥー教世界を描いたのが、「ガンジスに抱かれて」という作品です。慈愛にあふれる仏教を否定しているのではけっしてありません。「象は二度跳ぶ」は、大乗経典に追加してもらいたいと考えて創作しました。お釈迦さまには、叱られそうですが。