カテゴリー: 作品紹介

  • ナラティブがつくる世界

     ナラティブとは、世界を理解するための物語ではなく、 自分が望む形に書き換える「装置」です。ナラティブが横行すると、事実は編集され、解釈によって上書きされます。

     オックスフォード英語辞典によれば、 Narrative という語は16 世紀の法的文書が初出で、出来事のつらなりを記述する意味でつかわれています。

     1980年代、 Narrativeは「人間の経験を構築する装置」として、つかわれはじめました。ここが、転換点になりました。

     1990年代後半から、医療、看護、心理学、社会学、教育学

    福祉 などの領域で急速に普及しました。とくに 「科学的根拠ではとらえられない領域をあつかう語」 として注目されました。

     物事を望む形に書き換える装置としてのナラティブは、 ポスト真実(post-truth)社会の分析(2010年代以降)で、急速に議論されるようになった新しい用法です。SNS、政治、メディア環境の変化により、 ナラティブは、「現実を書き換える力」 という意味が強調されるようになりました。

     現実がうまくいかないとき、人は世界を物語として書き換え、 自分を納得させようとします。 ナラティブは、自己愛をまもる装置をしてつかわれます。責任を曖昧にし、 客観を霧散させます。

     政治では、 国家が他国に仕掛ける認知戦の脚本 という意味でつかわれています。あるフレーズに多様な意味を一挙にあたえ、物語化します。たとえば、「台湾問題への介入」、「軍国主義復活」、「対米従属」、「MAGA」というようなフレーズです。かつてのスローガンやレッテル貼りと、おなじになっています。

     ナラティブは、国際政治、安全保障、情報戦、プロパガンダ研究 で標準語になっているのが現状です。

     ナラティブは、個人と政治では、用法が違っているようにいわれます。しかし、一皮むくとおなじ構図がみえてきます。

     国家のナラティブも、個人のナラティブも、 本質はただ一つです。 現実を、自分に都合のよい形に書き換える装置として機能しています。国家は 自国の立場を正当化するため、個人は 自分の心をまもるために現実を書き換えます。規模が違うだけで、 構造は完全に同一です。

     国家のナラティブの結論は、「我々は正しい」「相手が悪い」

     個人のナラティブの結論は、「自分は悪くない」「社会が悪い」

     つまり、 ナラティブとは、主体が自分を守るための正当化装置です。国家も個人も、 現実不全の補填として生まれています。

      国家の現実不全は、経済停滞、国際的地位の低下、軍事的脅威、国内の不満などです。個人の現実不全は、経済的停滞、将来不安、自己能力感の低下、社会的孤立などです。現実がうまくいかないとき、国家も個人も、ナラティブに逃げこみます。どちらも、主観の世界に閉じこもり、客観性を放棄します。

     ナラティブは、 AI分析と相性がいいのです。AIは、時系列と単語を知っているだけです。この間隙を埋めるものは、ほんらい客観だったのですが、いまは主観でいいことにされています。

     経済成長が止まると、人は現実を受け入れられなくなりました。

     物語は、 現実の政治を努力の産物にかえ、過去の事実から自分をまもります。 そのとき、ナラティブは都合のいい現実を容認するための装置としてうごきはじめます。

     作品番号33「親友とよぶ男」、作品番号46「自分史講座

     これらの作品は、ナラティブの構造をあきらかにした小説です。

     客観的事実を積みかさねて、虚構をつくるのが小説です。客観的事実をもりこんで、自分に都合良く編集し、承認をもとめる行為がナラティブです。小説がつくりだす虚構の世界は、自己表現ではありますが、あくまで作り物です。ナラティブは、自分のなかで虚構化を拒否しています。つくりだしたものを、事実として承認させようとする試みです。そこに、異論を許させない構造が生まれます。

     とても、危険な行為といえます。

  • インド

     作品番号26「インド」を改訂しました。

     この作品は、がんらい旅行記として存在していました。未完となって放棄されていましたが、今回、全面的に構想を変更して改訂しました。

     固有名詞などを一切はぶき、事実と距離を置きました。インドは、創作の舞台になったので、あまり事実に拘泥するのは無意味です。

     旅程を振りかえって書き直してみると、かなりの部分が創作の対象になっていることが分かります。類似した記述をしても仕方がないので、ある土地で起こった話が、どの物語に取りいれられているのかについて明示しました。この結果、作品が創作される舞台をもう一度整理した形になりました。つまり、インド関連の作品と、現実の旅行がどういう具合につながっているのか、分かるようになりました。

     具体的には、01「神の住むちかくで」、02「カトマンズ」、03「チャイニーズボーダー」、04「世界は曼荼羅のなかで」。この4編をまとめてプロローグをつけた、66「象は二度跳ぶ」。これらは、裕明との北インドの旅を軸にかいています。

     36「ホテルウエルカム」、37「プラナブの夢」、38「ヒロミの部屋」。これらをまとめてエピローグをつけた、67「ガンジスに抱かれて」は、ベナレスで出会った俊和との話から、ヒンドゥー教を中心に据えてかいています。

     14「仏陀の弟子たち」は、ラージギルの日本山妙法寺が舞台になっています。さらに、15「光に」は、インドの風景をかいています。こうした作品群が、「インド」という作品でつなげられたことになりました。小説の背景をかきましたが、内部には立ち入らないように配慮しました。

     創作は、作品番号26「インド」とは無関係で、別個に存在しているという構造です。

     改めてインドという国を考えるなら、青春時代に素晴らしい機会に恵まれたと思います。父は、若いころ、中国大陸を軍とともに移動していました。似た経験をもったのだと、胸に感慨が湧いてきます。

     この作品を読むと、インド大陸を縦横無尽に旅をしたことが分かります。

     インド国鉄の1等車周遊券、60日期限を購入したので、夜行寝台にのりきっています。1等車には、サーバントがつきます。4人のコンパートメントに、3食をはこんできてくれます。一切、チップを支払う必要はありません。1等車の価格は、2等車の8倍でした。ですから乗客は、金持ちだけでした。ときどき、新婚旅行の外国人カップルが乗りこんできました。

     北インドは、小説の舞台になっています。とはいっても、不慣れな1ヵ月、具体的には、ボンベイからアウランガバードを経てアグラに、そしてカシミール地方のスリナガルからブッダガヤまでの行程は、創作に取り入られなかった部分です。今回は、この期間を中心としてかいています。

     また、南インドはほとんど創作の舞台にならなかったので、経路や風景を描出しました。インダス文明をになったとされるドラヴィダ人は、アーリア人の侵攻に敗れて、南に追われていきました。南インドは、タミール語圏で、北インドとは文化、食生活にも違いがありました。

     もう50年ちかく経過していますが、インドは柔な体質ではありません。歴史とか文明とかよばれるものは、民族の核となって深く根をはっています。むかしの話だと考えてしまう人びとは、表層的な部分だけをみている方です。

     私の作品が、もっとふかい部分に触れていることを理解していただけたらと思います。

  • リッダ

     出て行けなんて、言わないでくれよ。

     だって、おれは、ここで生まれたんだから。

     パレスチナの詩人、ファウジ(フォージ)・エル・アスマールは、「リッダ」のなかで、こんな詩を書いています。彼は、ハイファでの少年時代から、土地の没収、差別、抑圧の構造を目撃した経験を語っています。1968年、行政拘束囚とされました。この書籍のなかで、占領下での生活と抵抗の記録を克明に描いています。自伝の一種ですが、パレスチナ近現代史の一次証言として高い評価を得ています。

     パレスチナ問題は、大国のエゴによって生みだされた悲惨な物語です。

     とくに近年のイスラエルは過激化し、国民の総意とはとても思われない蛮行が日常化しています。仮にも民主主義という枠に存在するはずの超大国の大統領が、完全な解決策として「パレスチナをリゾートとする」と主張したのは、彼の粗野な精神構造を浮き彫りにする発言でした。ヒトラーが「最終的解決」と称してホロコーストを行った歴史と、どうしても重なりあってしまいます。

     パレスチナ問題の解決のためには、イスラエルがこれ以上、領土を拡張しないことが最低の条件です。たがいの存在を認めあわないで、排斥するだけでは解決できないのは明らかです。

     私は、アスマールが、なぜ「リッダ」という題名をつかったのか興味があります。

     リッダは、背教、棄教を意味しています。

     イスラム教の開祖ムハンマドは、アラビア半島内の諸部族と、アッラーの預言者である彼にしたがうという盟約を結んでいました。しかし632年、ムハンマドが死ぬと、イスラム世界は動揺します。初代カリ、アブー・バクルが後継者となると、諸部族は権威をみとめずに契約を一方的に破棄しました。彼は、カリにしたがわない部族は、イスラムの教えをすて、背いたとして討伐軍を派遣しました。この戦いを「リッダ戦争」とよびます。

     アスマールは、イスラム教徒です。彼は、イスラム教をすてたのではないのです。 彼は、おそらく共同体から追放されたことを、この言葉に託したと考えられます。このリッダ戦争とは、よく考えてみると、諸部族はイスラム教をすてたのではなく、権力から「棄教とみなされた」ということです。つまり本人の意志ではなく、リッダという言葉は、権力がつかう言葉ということになります。「非国民」や「非愛国者」などとおなじ構造をもつ、レッテル貼りだと考えられます。だから、あえて彼はこの言葉をつかったのでしょう。

     作品番号59「リッダ」は、こういう背景で読んでいただけると、意味がよく理解できるのではないかと思います。

  • 仏像彫刻

    作品番号14「仏陀の弟子たち」を創作するために、仏像彫刻について研究しました。関連する書籍を50冊くらい読みました。

     理解したことを小説に書いていくと、仏教彫刻の教科書になってしまいます。これは、どういう作品にも当てはまりますが、やがてすべて省かれる運命になっています。創作の基盤と内容は、まったく別物だからです。いくら研究しても、自分が仏像彫刻家でないかぎり、ほんとうの部分は不明なのです。そこまで合点がいって、はじめて創作のなかで生きてくる部分です。

     彫像という分野は、非常に特殊です。勝手につくっても、どこに置いたらいいのか分かりません。とくに仏像彫刻は、先達の仏師に教えを請う必要があります。発願する人がいて、また仏師とのあいだを取りもつ導師が不可欠です。さらにつくられた仏像を崇めてくれる、衆生がそろわねばなりません。要するに勝手につくっても、設置する場所がないのです。

     有名な芸大出身の仏師、西村公朝は、自分を職人だとくりかえしています。

     松久朋琳の「京仏師60年」を読むと、制作は、仏像彫刻の中心となる木彫師のほか、彩色師、金箔師、木地師(木材選定から形出しまで担当)、漆工師(漆塗師)、蒔絵師(漆面に金粉や銀粉で模様を描く専門家)、錺金具師(仏具担当)などが協力して行う作業のように書いてあります。

     円空、木喰などは、非常に例外的な存在です。

     仏像には、造形規範があります。1)身体比例(プロポーション規範)、2)相貌(顔の造形規範)、3)印相(手の形)、4)持物(シンボル)、5)服装、装身具、色彩という体系からなり、こうしたものが揃って「仏としての姿」がはじめて成立します。

     仏師は、自己表現する芸術家ではなく、職人になる必要があるようです。

    「仏陀の弟子たち」では、芸大出の主人公は、観音菩薩の肌の柔らかさを示す

    首についた三本の皺(煩悩、業、苦を象徴する)に、自分の飛躍を願って一本つけくわえます。それが、室生寺の住職を怒らせ、導師をうしなってしまいます。

     ラージギルで会った彫刻家は、いつでも黙々と仏像を彫っていました。私は、この方に会いに行ったのです。そのおり、彼の別れた奥さんが新しいご主人と娘をつれて面会にきたという話をききました。思いかえしてみると、私の勘違いだった可能性もあります。創作のなかで、勝手に考えたイメージだったかもしれません。

     真偽不明ですが、そのモチーフが、この作品の創作につながったのは間違いない事実です。

  • 弥勒菩薩

     よく知られているように、弥勒菩薩は、仏陀入滅後56億7000万年後に世界に出現して多くの人びとを救済する契約をむすんでいる未来仏です。正式名は、マイトレーヤ( MAITREYE)です。「 MAITRI」の語源は、慈しみを指します。「MIROKU」は、この音写だといわれます。

     ミトラ教(MITHRA)またはミトラス教(MITHRAISM)は、紀元1~4世紀のローマ帝国治下で隆盛した、太陽神ミトラスを主神とする宗教です。古代インド、イランに共通するミトラ神への信仰が、ヘレニズム時代の文化交流を経て地中海世界に入って形を変えたとものと考えられています。祭儀では、牡牛を屠ったといわれ、あきらかにゾロアスター教との関連が示唆されています。

     ミトラ(MITHRA)は、もともと契約の神で、ゾロアスター教では、英雄神、太陽神とされます。主神、アフラ・マズタとも関係しています。とうぜん大日如来との関連も示唆されます。インド、クシャーナ朝では、バクトリア語ミイロ(MIIRO)とよばれ、この語形が弥勒の語源になったともいわれます。

     メシア思想とは、救世主の出現を信じる教義です。世界宗教の基礎をつくったゾロアスター教の「サオシュヤント」にはじまります。ヒンドゥー教では「カルキ」。ユダヤ教では「マシヤフ」。キリスト教では「キリスト」。イスラム教では「マフディー」。そして、仏教では「マイトレーヤ」になります。

     アヴェスター語、 Miθra(ミスラ/ミトラ)は、 語源的に 契約、誓約を意味します。宇宙秩序を回復する契約、といってもいいかもしれません。

     日本につたわってきた弥勒菩薩は、とくに持物がないですが、インドでは水瓶をもっています。これは、おそらく聖別するための「油」が入っていたと想像されます。キリスト教における契約の刻印(アノインティング)を意味する「塗油」に通じています。

     もし水瓶を携えているなら、ゾロアスター教の水と豊穣の女神、アナーヒターとの関連をつよく示唆しています。聖観音菩薩が、持物として水瓶を携えていることにも符合します。つまり、女性神格をふくんでいることになります。

     弥勒菩薩は、仏陀本人ともいわれ、男性神格とされています。菩薩は変化することをふくめ、性別を特定できない可能性もあります。ゾロアスター教は、大天使にはっきり女性神格を認めています。仏教は、男尊女卑の時代を反映して変性男子という思想を生み、本質的に女性か男性かを決定しにくい構造になっています。

     こうした歴史的経緯はさておき、仏教の弥勒菩薩の位置はきわめて謎めいています。

     仏教では、世界は、無色界、色界、欲界、の三界から構成されます。

     欲界には、六天が存在します。第一天、四天王。第二天、帝釈天。第三天、夜魔天。第四天、兜率天。第五天、化楽天。第六天、他化自在天です。

     この最上層の第六天を、魔王、波旬(マーラ)がしきっています。彼は、ヒンドゥー教の主宰者、バラモンです。つまり、弥勒菩薩が修行しているとされる兜率天は、波旬の完全な管理下にあります。ほんらいの救済者は、現世支配者の奥深くに捕らわれているのです。これは、救済者が捕らわれているというグノースシス思想の先駆的な構図です。

     映画「マトリックス」では、救世主ネロは、AIに捕らわれています。モービシャスが、救世主を救い出す場面からはじまります。そう考えるなら、NERO(ネロ)と、MIROKU(ミロク)は、音韻的に類似しています。中心の母音構造に、「RO」がおかれています。子音、N、Mは、非常に類似した鼻音です。偶然以上に近似しているとも考えられます。MERO、NIROKU、と変化させれば、一層はっきりとします。

     作品番号34.「弥勒をみつけた日」では、仏教思想とグノーシス思想との類縁関係を追求しています。

     広隆寺の半跏思惟像は、女性的に描かれています。

    「弥勒をみつけた日」では、弥勒は、美しい女性の姿をしています。

  • 月山

     作品番号63「こぶをすべる」の最終舞台は、月山スキー場です。

     こぶを語るのに、月山をぬきにはできません。スキー場は、冬期に降雪があった場所で、どんなに標高が高くとも4月には営業を終えます。月山は、4月になってようやくオープンし、6~7月でも充分に滑れます。自然雪で、氷河でも人工雪でもありません。標高3000メートル級の山なら可能かもしれませんが、月山スキー場の標高は、1300~1600メートルにすぎません。この条件で夏スキーができるのは、世界でも月山くらいだといえます。

     気象庁の積雪ランキングは、常設観測点があるところを対象にしています。月山山頂には観測点が設けられないためランキングから外されますが、事実上、日本一の降雪量があります。さらに積雪量としては、世界的な規模をほこっています。なぜ、こうしたことが起こるのでしょうか?
     日本列島が冬型、西高東低の気圧配置になると、シベリア高気圧から日本海にむけ、北西風がふきます。冷たく乾燥したシベリア寒気団は、暖かい海を通過すると海面から大量の水蒸気を吸い上げ、雪雲をつぎつぎと発生させます。これが、典型的な冬型の降雪メカニズムをつくっていると考えられます。
     日本海で発生した雪雲は東へながされ、出羽山脈を構成する鳥海山、月山、朝日連峰に衝突します。この降雪をもたらす原液と、最初に正面衝突するのが、海から一番ちかい月山になります。日本海からの雪雲が劣化するまえに、もっとも濃い状態でぶつかる最前線に位置しているのです。そのために、年間30メートルという積雪が起こります。しかし、この地理的条件だけで、7月まで自然雪が残る説明にはなりません。

     月山山頂は、日本の高山では珍しい平坦な台地型をしています。風が弱まり、雪が逃げ場をうしなって堆積しやすい地形になっています。山頂が受け皿となるため、風下側に巨大な吹きだまりが形成されるのです。姥ヶ岳、牛首、大雪城などの越年雪渓は、日本の山岳でもっとも広範囲に残る雪の倉庫です。
     富山県の立山、室堂は積雪深では有名です。月山は、積雪水量に換算すると1300mm級、山体の積雪賦存量としては5億トンを凌駕するともいわれます。これは、立山をこえ、世界でも例がないほどの雪の厚みが毎年形成されるのです。月山の越年雪渓は、この山が一年でどれほどの雪を飲みこんできたのかを示す、白い記録簿ともいえます。

     月山をみて誰もが感動するのは、雪山の白色と澄みわたった空によってうみだされる月山ブルーです。

     雪や氷は、太陽光のうち、赤、黄、緑の波長を強く吸収し、青い成分をもっとも通しやすい 性質をもっています。そのために雪面の内部で光が何度も散乱すると、 最終的に青だけが残るという現象が生まれます。

     これが、月山ブルーの正体です。

     蔵王山頂、熊野岳は1841メートルです。月山山頂は、標高1984メートルです。標高差からみるなら、140メートルほど月山が高いにすぎません。蔵王山頂は、稜線地形のために強風で雪が飛んでしまいます。樹木は、雪に埋まりますが、幹の上部は必ず露出し、枝に着氷し、樹氷(アイスモンスター)を形成します。ですから、蔵王ブルーは出現しません。

     月山は、圧倒的な積雪量のため樹木はすべて埋もれ、生き残れません。山全体が白色に埋めつくされるので、鮮烈な月山ブルーがうまれるのです。

  • インド仏教徒

     作品番号14「仏陀の弟子たち」を改訂しました。

     この小説の舞台は、インドのラージギルにある日本山妙法寺です。

     私は20代後半、インドを放浪していたときに、この寺に宿泊させてもらいました。住職は、50歳くらいの芸大をでた彫刻家でした。その話を旅行中に聞きおよび、面会に行ったのでした。彼とはいっしょに露天風呂に行き、リムカという炭酸飲料水をごちそうになりました。

     そのときの思い出が、ずっと脳裏に焼きついています。

     2005年、「仏陀の弟子たち」という小説をかきました。2010年から改訂を重ね、幾度もなおしては文学賞に提出してみました。一度も予選を通過しませんでしたが、投稿する度に改訂をくりかえしました。この小説ができるためには、16期、250単位(375時間)が必要でした。創作ノートの枚数は、60枚です。

     日本山妙法寺は、藤井日達により創設されました。仏舎利塔を世界中に建立し、成田新東京国際空港、建設反対運動でも滑走路に塔を建てたことでも有名です。

     ナグプールでアンベードカルの意志をついでネオブッデストをひきいている佐々井秀嶺(1935~)については、この小説をかいていく過程で知りました。インド仏教徒の総帥を自認する藤井日達には、たいへん目障りな存在だったようです。

     日達は1985年に没し、享年100だったことになります。

     インドには、カーストが実在します。ヴァルナ(皮膚の色という意味)は、多様なものから構成されています。宗教カーストは、バラモン(僧侶階層)、クシャトリア(王侯、貴族、武士階層)、ヴァイシャ(商人階層)とつづきます。これら3ヴァルナは、生後、儀式を行ってヒンドゥーに生まれ変わるので、再生族とよばれます。4番目のヴァルナ、シュードラ(奴隷)は、彼らにつかえる使命をもって生まれ、そのまま死ぬので一生族といわれます。

     しかし、ヴァルナはこれで終わりません。この枠に入れない者たちが、ダリッド(不可触民)です。インド憲法の制定にかかわったアンベードカル(1891~1956)は、ダリッド出身でした。彼は、ヒンドゥー教の枠組みからのがれるために、ナグプールで50万人のダリッドをまとめ、仏教徒に集団改宗する道を選択しました。彼らは、ネオブッデストとよばれています。

     仏陀は、出自については、平等主義をつらぬきました。仏教は、さまざまに変貌しましたが、この点だけは譲らなかったのでインドを追放されました。

     インドは、宗教の坩堝とよばれています。あらゆる宗教が混在していますが、ほんらいヴァルナを認めていないイスラム教もカーストを内包しています。作品番号36.「ホテル・ウエルカム」では、主人公はベナレス(バラナシ)の繁華街、ゴドリアにあるイスラム教徒が経営するホテルに泊まっています。そこの家族は、イスラムでもっともカーストが高いアシュラーフという階層に属しています。

     イスラムの階層制度に触れた書籍は、みつけられません。しかし、事実はそうなのです。ヒンドゥー教のカースト制度を否定して生まれた、ジャイナ教、シーク教も内部に階層構造をかかえています。また、キリスト教会ですら、カーストによって4つにわけられ、さらにダリッド専用の教会が存在するといわれています。

     カーストを明確に否定する仏教徒は、ヒンドゥー教では、ダリッドよりもさらに低い第6のヴァルナに属するといわれます。こうした制度のなかで仏教を布教するのは、たいへん難しいと思われます。

     インドを旅するのは、こうした歴史を考えるということです。

     自分の出自を問い直すことです。そのなかで、日本がどうあるべきかが理解できるはずです。インドを、ただ不潔で、たくさんの人がいて命の価値が低い国と考えるなら、他国民から私たちも同じようにみられることを覚悟しなければなりません。

  • 洞窟

     コーランは、不思議な書物です。聖典とはいえ、個人の言行録という内容です。イスラム教には、さらに準聖典として別建てのムハンマド言行録「ハディース」が存在します。

     わけの分からないコーランのなかでも、第18章「洞窟」メッカ啓示、全110節は、際だって不明です。日本語訳を作成した井筒俊彦も、解説をつけていますが、とても納得できるものではありません。たんに奇妙なだけではなく、いくつかの話がいっしょになっています。組みあわせに、合理性が欠けています。

     冒頭に、エフェソスの「セブンスリーパーズ」の伝承が記載されています。信心深い若者たちが教えに背くことを拒否し、洞窟にとじこめられます。幾世代もたって目が覚めると、彼らが望んだ信仰ぶかい世界が到来しています。エフェソスは、トルコの地中海がわにある古代都市で、世界の七不思議、アルテミスの女神像で有名です。七人の眠り聖人の話は、ユダヤ教、キリスト教、ギリシア正教会、シリア教会、コプト教会などに伝わっています。

     つぎに「モーセの我慢」という有名な話がつづいています。

     モーセは、真理をもとめて、ふたつの海がむすびつく場所まで従者と旅をします。空腹を覚えたときに、従者が昼食用にもっていた魚が消えていることに気づきます。モーセは、魚がいなくなった場所こそが、海につづいていたことを知り、もどってみるとハディルに出会います。

     このハディルこそ、イスラムフォークロアの中心をになう存在です。神の最初の天使、緑の男ともいわれます。アレクサンドロス大王とは、親友です。彼は、いたる場所に出現します。イスラムの人びとは、日常的にハディルをみつけるともいわれます。彼は、作品番号31.「ソシュールからの手紙」に登場します。

     モーセは、ハディルに真理を教えてもらうために従者になりたいと希望します。彼は、無理だからやめろといわれますが、我慢を約束し、質問しないことを条件に許可されます。しかしモーセは、ハディルが船を沈めたり若者を殺したりするので、我慢ができなくなるという話です。

     つぎに、とうとつにアレクサンドロスの話が出てきます。彼は、世界の西と東の果てにいき、意のままに人民をおさめます。最後の審判で神が善悪の判断をくだすよりまえに、善い者を助け、悪い者をこらしめます。さらに北の最果てで、世界の終末に襲ってくるゴグとマゴグが、それ以前に来襲しないように鉄製の防御壁をつくります。

     第2と第3の話は、あきらかにハディルがつないでいます。

     セブンスリーパーズは、復活の物語です。ふたつの海がむすびつく場所にいる緑の男、ハディルは、死んでいた昼食用の魚から生きかえったのかも知れません。アレクサンドロス大王は、復活の日にむけた物語になっています。つまり、三つの話は、つながっているともいえます。復活は、洞窟のなかで起こる。よみがえる者は、ハディル。彼は、英知ばかりか、圧倒的な力と財力をもっています。

     ユングは、「変化過程をあきらかにするシンボル系列の一例」という小論のなかで、この話を詳細に取りあげています。(ユングの象徴論、野村美紀子訳、思索社)

     作品番号09.「海面下」は、この話をテーマに掘り下げています。

  • エプスタイン・ファイル、04

      

     このコラムでは、アラン・グリーンベルグを取りあげたいと思います。 

     グリーンベルグ(1927~2014)は、大手投資銀行、アメリカ5大証券の一角だった、ベア・スターンズの会長でした。ニューヨーク金融界の頂点に君臨し、「エース」とよばれていました。彼こそ、くすぶっていたエプスタインを引きあげ、役職でも優遇し、上流階級にみちびいた張本人といっても差しつかえありません。とうぜん、ウィキペディアでも紹介されています。

     グリーンベルグは、2010年、「ベア・スターンズの興隆と崩壊」(The Rise and Fall of Bear Stearns)という回想録を出版します。そのなかでは、エプスタインについて一言も語られていません。まるで、彼の人生とはまったく関係がなかったかのように扱ったのです。回想録を出版すること自体が、真実とは違うナラティブを世間に承認してもらいたいという欲求に勝てなかった表現です。作品番号46.「自分史講座」では、こうした心理を分析しています。

     グリーンベルグは、社員の雑談を禁止し、会議をみじかくし、成果主義を徹底させた規律の鬼といわれます。倹約家で、幹部の給与を抑え、寄付を義務化したなど、過剰な演出が目立つ人物です。トランプの結婚式にも出席し、親密度もアッピールしています。「エース」という異名は、 実務、勝負勘、演出力のすべてを兼ね備えていたからだと説明されます。

     グリーンベルグの物語は、自力で底辺からウォール街の頂点まで這い上がってきた人物像です。ベア・スターンズに週給32.5ドルの事務員として入社したと特記されています。これは、1日1000円にも満たない額ですから生活できるはずもなく、なにを伝えたいのかも不明な記述です。いずれにせよ、学歴も家柄もない「たたき上げ」、というナラティブがつくられています。しかしながら、ウィキペディアをよむと、オクラホマの上中流階級の地区で育っています。学歴としては、オクラホマ大学に入学し、その後、ミズーリ大学に編入し、1949年に経営学の学士号を取っています。事実は、物語とは違ってみえます。

     グリーンベルグは、魔術が趣味で「社会人マジシャン協会」の会員で、トランプの達人だったとも評されています。1949年、ベア・スターンズに入社し、1978年にはCEOに昇格していますので、世渡りが下手だったとは考えられません。1985~2001年のあいだ、会長職を務めています。2001年以降は、エグゼクティブ委員会議長という肩書きを持っています。2008年のサブプライム危機で、ベア・スターンズは破綻しますが、JPMorganに救済買収されます。この事件で多くの社員が財産をうしないますが、驚くべきことに、彼は、ほぼ無傷だったといわれます。その後、JPMorganの名誉副会長として在任しています。2010年に回想録を発表し、2014年、86歳で死去しています。この経歴から判断すれば、「いわゆる善人」でないことだけは明らかです。いかにも、胡散臭い人物です。

     エプスタインは、1971年9月、ニューヨーク大学、クーラント数理科学研究所に入学します。1974年6月、中退しています。そのころ、グリーンベルグの子供の家庭教師になっています。この時期に、彼は、富裕層の子弟を集めたニューヨークの名門校「ダルトン・スクール」に採用されます。教師資格も、学歴も、手蔓もなかったエプスタインがつとめるためには、グリーンベルグの強力な後押しがあったと考えるのが自然です。ダルトン離職後の1976年、一流企業のベア・スターンズに採用されます。物語としては、採用時の面接でグリーンベルグを感心させたといわれています。しかし、金融の教育も受けていない男に、多忙なグリーンベルグが面接したという話には、やや無理があります。こうしたエピソードは、不明朗な事実を正当化する典型的なエピソードです。事実は、グリーンベルグとの個人的なつながりがあったと考えられます。やがて、特別プロダクト部門で富裕層を扱う立場に昇格します。わずか4年後の1980年、「リミテッド・パートナー」に昇格します。

     ニューヨークタイムズは、「エプスタインが、グリーンベルグの寵愛を受けていた」という、ある幹部の証言をつたえています。

     1981年、エプスタインは、ベア・スターンズをとつぜん退社します。しかし、その理由は伏せられています。 

     1980年にエプスタインが関与した金融商品(Liquid Funding)は、きわめて透明性が低く、問題をかかえていたといわれます。この時期に彼の資産は、爆発的に増加しています。1980年後半には、富裕層の資産家としてみとめられています。2000年頃、エプスタインは、ベア・スターンズと共同で設立した企業で、コンサルタントとして関与します。ベア・スターンズの豊富な資金を使って、レバレッジ商品を運用しています。サブプライム危機で破綻しましたが、彼は個人的な損失を負わなかったとされます。

     金融のプロとしての教育がなかったエプスタインが、これほどの地位につき、多額の資金を運用するには、会長職をつとめたグリーンベルグの後押しなしに可能だったとは思われません。二人は、かなり親密だったと考えるのが普通でしょう。

     2003年、エプスタインの友人や関係者たちが、50歳の誕生日を祝うパーソナライズされたグリーティングが入った3巻のアルバム「The First Fifty Years」を贈ったとされます。2025年7月のウォール・ストリート・ジャーナルの記事で初めて報じられました。そこには、ドナルド・トランプが署名したとされる手紙も詳述されていました。裸の女性の手描きの輪郭が描かれ、最後に「毎日が、また素晴らしい秘密になりますように」という言葉で締めくくられていると説明されました。

     エプスタインは、2008年、未成年者に対する性的犯罪で有罪判決を受けています。

     グリーンベルグは、2003年「ジェフリー・エプスタインの誕生日記念本」に、寄稿しています。彼がエプスタインの輪に入っていたのは、事実でしょう。回顧録で一切の弁明をしなかったことは、関係の深さを想像させます。

  • ゾロアスター

     このコラムを書こうと思って、ウィキペディアをみて仰天しました。

     ゾロアスターの活躍した時代が、紀元前600年頃と表記されています。これは、日本にアヴェスターを紹介した伊藤義教の個人的な説でした。つい10年くらいまえまで、極端な異説として相手にされなかった記憶があります。東大の教授とは、これほど権威があるものかと驚かされました。ゾロアスター研究の最高権威とされた、メアリー・ボイス(1920~2006)は、紀元前1500年~1200年という説を唱えていました。これは、理解しやすい年代です。私も、紀元前1200年頃に生存したと考えています。

     アーリア民族は、紀元前20世紀ごろ、ウラル山脈の西側から黒海北岸、カスピ海北岸、さらにカザフ草原の西部に広がる世界最大のステップ、キプチャップ草原に発祥したと考えられます。すくなくとも紀元前15世紀ごろから、インド・アーリア、イラン・アーリアとに分かれて、繰りかえし南下し、原住民と争いを起こし、定住したと考えられています。両者は、それぞれインド文明と、ペルシア文明の基礎をつくったとされます。アーリア民族は、3層からなるカーストに似た階級をもち、どちらの文明でも継続したといわれます。ですから、二つの文明は兄弟関係で、さまざまな類似点があります。

     インドの宗教書、ヴェーダは紀元前10世紀ごろからつくられはじめ、前5世紀ごろに成立したとされます。ペルシアのゾロアスター教とは、水の儀礼、牛や火に対する思想などがよく似ています。ゾロアスターの最高神、アフラマズダが、ヴェーダでは悪神に貶められた事実から、両者はたがいに教義を知りあう関係にあり、さらになんらかの敵意をいだいていたのではないかと想像されます。

     ゾロアスター教は、光と闇の善悪二元論が有名です。前6世紀に成立したアケメネス朝ペルシアでは、中心的な宗教になりました。紀元前3世紀に成立したササン朝では、国教とされました。7世紀以降イスラム勢力が侵攻すると、信者は、国を追われていきました。

     ゾロアスター教は光を善神の象徴とし、火を大切にするため拝火教ともよばれます。私は、ボンベイ(ムンバイ)の街角で鉄格子の窓越しに、この儀式を2時間ちかくみた記憶があります。拝火教徒は、パールシーとよばれます。彼らは、ムンバイの富を独占していると聞きました。ネルーの娘のインディラが結婚した相手は、拝火教徒でした。このカーストを越えた恋は、ガンジーが仲介したといわれています。

     ゾロアスター教を主題にして、たくさんの小説をかいてきました。作品番号43.「美神 ヘレナ」では、人類で最初に自己を発見した者として、ゾロアスターを書いています。当時は、無意識、自己、という言葉は、ありませんでした。彼は、闇と光で、これらを表現したと考えています。無意識は、フロイトやユングが発見したといわれますが、彼らは名前をつけただけです。作品番号07.「ダエーナー」は、まさにゾロアスター教が自己と呼んでいる本体を書いています。自己を発見した宗教ですので、私の小説には、ゾロアスターがたくさん書かれています。作品番号10.「螺旋のはざま」も、完全につながっています。伊藤義教が訳した筑摩書房、世界古典文学全集3「アヴェスター」からは、たくさんの文章が引用されています。

     伊藤氏の日本語訳は、素晴らしいと思っています。しかし、彼の説には納得できません。