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クレタ島

東地中海世界」は、ギリシア本土、アナトリア、クレタ島、エジプトでかこまれた、ギリシア神話の舞台となる世界です。

 クレタ島は、ギリシャ本土から160キロ南に位置し、エーゲ海の南縁をつくっています。島の南側は、リビア海ともよばれます。クレタ島の面積は、8300平方キロで、広島県とおなじくらいです。東西の長さは260キロ、南北の幅は広いところで60キロ、狭いところでは12キロほどで、現在のギリシア共和国で最大の島です。地中海の恵みを享受した非常に温暖で、豊かな島です。

 この島は、紀元前3000年ころから文明が栄えたと考えられています。紀元前12世紀の暗黒時代(海の民の時代)には、すでにミノア文明は崩壊していたと考えられています。紀元前16世紀くらいに滅んだのだろうとされていますが、原因はサントリーニ島の巨大火山の噴火にともなう地震や津波だったと考えられています。

 中心都市は、クノッソスの大宮殿でした。旅行したことがありますが、そばにはアムニッソス川がながれています。宮殿は、港からは坂道がつづくので平地ではありませんが、山城でなかったことは特徴的です。ギリシアのポリスをみれば一目瞭然ですが、アクロポリスは山の上につくられています。つまり宮殿は、防御を第1の目的としていました。クレタには、こういう発想がなかったのだと分かります。

 ギリシア神話では、クレタは憧れの地になっています。現在の地図や歴史を知って考えるなら、東地中海世界南端のエジプトは、規模も大きく歴史も充分にもっていました。しかしながら、クレタ文明が終わったあとで東地中海世界を支配したギリシア民族にとって、エジプトは憧憬の対象ではありませんでした。

 理由は、ふたつあると思います。

 第1に、エジプトは、陸軍の国家でした。農耕民と莫大な富をもつことは知られていましたが、ギリシア人からは閉鎖的社会に映ったと思われます。いっぽうクレタは、海軍国家でした。貿易をつうじて富をたくわえた国際都市だったと思われます。宮殿は、最強の海軍がまもっているため、海が防波堤になり、山城にする必要がなかったのだろうと思われます。開放的なギリシア民族は、海洋国家に憧れたのです。ポリス時代は、地中海の沿岸都市にあたらしい都市を建設するために植民船を幾度もだしています。

 第2は、エジプトにはファラオがいて、神話構造をつくりにくかったのだろうと思います。クレタには、かつて存在した文明の残り香がつよくただよっていました。紀元前12世紀には、すでにギリシア人が住み、ギリシア語を話していたことが判明しています。

 クレタ歴の一年は、南中する太陽の高度がもっとも高くなる夏至のころからはじまといわれていました。明け方にシリウスが天空にあらわれると、ゼウスがうまれ育った洞窟から、目もくらむ光が自然とあふれてくるといわれていました。クレタには、ゼウスの墓もあります。ディオニュソスも、ここで生まれています。

 クノッソス宮殿は、神話作者の想像力を駆り立てたと思われます。地底には、冥界につうじる迷路、ラビリントス(labyrinthos)があり、死者が住んでいたと考えられていました。すくなくても、死者たちが生活する施設がつくられていました。

 クレタといえば、牛跳びが有名です。私も、この柄のシャツを購入しました。現代科学では、角のあいだをぬけて牛を飛び越えるのは、絶対に不可能だと考えられています。しかし、素晴らしいモチーフです。牛は世界中で聖獣ですが、こういう形式の儀式を考えた文明はありません。

 クレタ文明は、牛の巨大な角をイメージとするモチーフがありました。さらに、双斧(ラブリュス、labrys)がシンボルです。これは、男性原理と女性原理がひとつに組みあわされたものといわれています。クレタは、ギリシアと違い、女性の権利が高かったといわれています。当時のファッションが描かれた絵がのこされていますが、女性は蠱惑的に描かれています。ギリシアのゼウスを中心とする父系的な男尊女卑の世界とは、あきらかに異なっています。

 東地中海世界の覇者となったギリシア民族は、トロイアまで滅ぼしたあとで、自分たちにはなかったものに憧れをもったのだろうと思います。それが、ヘスティアやディオニュソスが、12神にくわえられた理由にもなっているのだと思われます。

 最後に、双斧、labrysと、迷宮、labyrinthos は、非常に似ています。迷宮は、女性の体内を表現していた可能性があります。

 作品番号12「アリアドネ」は、こういう視点で読んでもらえると、ギリシア神話、唯一の近代人、テセウスの自己がうまれる過程を理解していただけるだろうと思います。

                          由布木秀

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