,

アテネ探訪

 世界一周の旅では、クレタ島にいき、その後でアテネに入りました。船内説明会でピレウスだといわれたので、着港したのがピレウス港だとずっと思っていました。今回よく考えてなおしてみると、どうやらファリロ(古代のファレロン)港だったようです。

 行きは、タクシーでピレウス駅までいって鉄道にのりました。帰りは、この駅でおりて、日盛りのなかを2キロくらい歩きました。右手にずっと海岸線がつづき、アテネ・オリンピックでつかわれた施設がつらなっていました。ですから、船着き場はピレウス港ではなかったことになります。

 ペリクレス時代に、3つの部分から構成された石畳の壮大な軍道、ロングウォールがつくられたことは有名です。まずピレウスからアテナイを「北壁」がつなぎ、ファレロンからは「南壁」がつづいていました。さらに、ふたつの港をつないでいたのが「中間壁」でした。ファレロンは遠浅だったので、古代には主要な港でしたが、巨大な軍船が必要だったペリクレス時代になると、ピレウス港がつくられました。ファレロンは、埋め立てられて微妙に位置がかわっていますが、現在ではファリロになります。

 ピレウス駅から、アクアポリスにちかい、キフィシア駅までは鉄道が通じ、メトロともつながっています。この鉄道は、ほぼ「北壁」に沿ってつくられています。窓からは、平地で低層の住宅がつらなっていました。民衆の喚声をあびながら、槍をたずさえ、きらびやかに着飾った兵士たちがこの道をすすんでいったのでしょう。

 アクロポリスには、周回路がつくられています。、参道に入ると、ながい行列でした。夏の暑い日で、人いきれでむっとしていました。入り口の大門(プロピュライア)をぬけると、さまざまな色の旗で引率された世界中のツアー客であふれていました。

  みることができた、パルテノン神殿、女神像で有名なエレクテイオン、アテナ・ニケ神殿などは、紀元前5世紀につくられています。作品番号12「アリアドネ」は、神話時代の物語です。アクロポリスは、いま目にできるものとまったく違っていたはずですが、物語ではこの造形で語られています。悲劇作家たちも、現存するアクロポリスを舞台にして作品をつくっています。

 ミケーネ時代(紀元前1600~1100)には、すでに王宮があったといわれます。幾何学時代(紀元前900~700)ころは、 アテナ信仰の中心地でした。アルカイック時代(紀元前700~480)になると、古い神殿群が建てられていました。しかし、地面や岩肌、基壇は、 紀元前2000年以前からずっとかわらなかったはずです。

 周回路にもどると、行き交う人の数はぐっと減ります。やがて、アレゴパレスがみえてきます。高さ113メートルの裸の岩山は、2500年前とほとんどかわりません。ここは、アレイオスの丘とよばれ、紀元前7世紀には、古代アテナイの最高法廷だった市民会議場がつくられていました。悲劇作家たちは、神話時代にも法廷がおかれていたという形式で創作しています。また、黒海のちかくから攻め入ってきたアマゾン軍が陣をしいた場所です。

 暑い日でしたが、周回路はそれほど混んでいないので一周してみました。アクロポリスの南西の斜面にも、細い古道をみつけました。神話では、アマゾン女軍は表参道を押さえています。テセウス軍は、この小径をとおって背後にまわりこみ、北からやってきた親友のペイリトオスと、アマゾンを挟み撃ちにして撃退します。

 この周回路には、至る所に男性生殖器がついたヘルメス立柱が立てられていたといわれます。見逃したのではなく、異教崇拝として破壊され、石材として使用され、いまは博物館にしかないそうです。ヘルメスは、神さまというより人間の友達みたいな存在です。旅人の守り神にも、冥界の旅先案内人にもなります。「アリアドネ」では、テセウスは英雄でしたので、ペイリトオスにさそわれて冥界にも行くことになります。そのときに案内してくれたのは、ヘルメスと、冥界の女王ペルセポネの母、デメテルでした。

 アレゴパレスのすぐ南にフィロパッポスの丘がみえます。これがテセウスの時代にはムサイオンとよばれ、彼はこの丘を登って背後にまわりこみます。アレゴパレスのやや西にはプニクスの丘があり、アマゾン軍は、ここにも布陣しています。

 神話時代の戦闘の舞台を考えながら小径を下っていくと、ローマン・アゴーラがみえました。そこに入って遺跡をみました。たいしたものはありませんでしたが、翼をもった勝利の女神「ニケ」が立てられた一室がありました。ギリシアでは、勝利が逃げないように「翼がないニケ」の像がつくられていました。それで、アクロポリスの人混みのなかで見逃したことに気がつきました。

                          由布木秀

投稿をさらに読み込む