• アテネ探訪

     世界一周の旅では、クレタ島にいき、その後でアテネに入りました。船内説明会でピレウスだといわれたので、着港したのがピレウス港だとずっと思っていました。今回よく考えてなおしてみると、どうやらファリロ(古代のファレロン)港だったようです。

     行きは、タクシーでピレウス駅までいって鉄道にのりました。帰りは、この駅でおりて、日盛りのなかを2キロくらい歩きました。右手にずっと海岸線がつづき、アテネ・オリンピックでつかわれた施設がつらなっていました。ですから、船着き場はピレウス港ではなかったことになります。

     ペリクレス時代に、3つの部分から構成された石畳の壮大な軍道、ロングウォールがつくられたことは有名です。まずピレウスからアテナイを「北壁」がつなぎ、ファレロンからは「南壁」がつづいていました。さらに、ふたつの港をつないでいたのが「中間壁」でした。ファレロンは遠浅だったので、古代には主要な港でしたが、巨大な軍船が必要だったペリクレス時代になると、ピレウス港がつくられました。ファレロンは、埋め立てられて微妙に位置がかわっていますが、現在ではファリロになります。

     ピレウス駅から、アクアポリスにちかい、キフィシア駅までは鉄道が通じ、メトロともつながっています。この鉄道は、ほぼ「北壁」に沿ってつくられています。窓からは、平地で低層の住宅がつらなっていました。民衆の喚声をあびながら、槍をたずさえ、きらびやかに着飾った兵士たちがこの道をすすんでいったのでしょう。

     アクロポリスには、周回路がつくられています。、参道に入ると、ながい行列でした。夏の暑い日で、人いきれでむっとしていました。入り口の大門(プロピュライア)をぬけると、さまざまな色の旗で引率された世界中のツアー客であふれていました。

      みることができた、パルテノン神殿、女神像で有名なエレクテイオン、アテナ・ニケ神殿などは、紀元前5世紀につくられています。作品番号12「アリアドネ」は、神話時代の物語です。アクロポリスは、いま目にできるものとまったく違っていたはずですが、物語ではこの造形で語られています。悲劇作家たちも、現存するアクロポリスを舞台にして作品をつくっています。

     ミケーネ時代(紀元前1600~1100)には、すでに王宮があったといわれます。幾何学時代(紀元前900~700)ころは、 アテナ信仰の中心地でした。アルカイック時代(紀元前700~480)になると、古い神殿群が建てられていました。しかし、地面や岩肌、基壇は、 紀元前2000年以前からずっとかわらなかったはずです。

     周回路にもどると、行き交う人の数はぐっと減ります。やがて、アレゴパレスがみえてきます。高さ113メートルの裸の岩山は、2500年前とほとんどかわりません。ここは、アレイオスの丘とよばれ、紀元前7世紀には、古代アテナイの最高法廷だった市民会議場がつくられていました。悲劇作家たちは、神話時代にも法廷がおかれていたという形式で創作しています。また、黒海のちかくから攻め入ってきたアマゾン軍が陣をしいた場所です。

     暑い日でしたが、周回路はそれほど混んでいないので一周してみました。アクロポリスの南西の斜面にも、細い古道をみつけました。神話では、アマゾン女軍は表参道を押さえています。テセウス軍は、この小径をとおって背後にまわりこみ、北からやってきた親友のペイリトオスと、アマゾンを挟み撃ちにして撃退します。

     この周回路には、至る所に男性生殖器がついたヘルメス立柱が立てられていたといわれます。見逃したのではなく、異教崇拝として破壊され、石材として使用され、いまは博物館にしかないそうです。ヘルメスは、神さまというより人間の友達みたいな存在です。旅人の守り神にも、冥界の旅先案内人にもなります。「アリアドネ」では、テセウスは英雄でしたので、ペイリトオスにさそわれて冥界にも行くことになります。そのときに案内してくれたのは、ヘルメスと、冥界の女王ペルセポネの母、デメテルでした。

     アレゴパレスのすぐ南にフィロパッポスの丘がみえます。これがテセウスの時代にはムサイオンとよばれ、彼はこの丘を登って背後にまわりこみます。アレゴパレスのやや西にはプニクスの丘があり、アマゾン軍は、ここにも布陣しています。

     神話時代の戦闘の舞台を考えながら小径を下っていくと、ローマン・アゴーラがみえました。そこに入って遺跡をみました。たいしたものはありませんでしたが、翼をもった勝利の女神「ニケ」が立てられた一室がありました。ギリシアでは、勝利が逃げないように「翼がないニケ」の像がつくられていました。それで、アクロポリスの人混みのなかで見逃したことに気がつきました。

                              由布木秀

  • アテナ誕生

     このギリシア神話の連続コラムの最後は、女神アテナの謎です。

     この女神は、ゼウスの一族ではないと考えられます。由来については、アナトリアの戦争の女神(武力、知恵)や、ギリシア本土古層の女神(都市の守護)などが考えられています。

     私は、クレタの女神だった可能性が高いと思っています。

     女神アテナは、都市国家アテナイと切り離して考えることは不可能です。アテナイは、神話的にも歴史的にも、クレタをひきついだ海洋国家です。神話のなかでは、アテナイはクレタから海洋覇権をうばいとります。英雄、テセウスがその役割を担います。

     したがって、アテナイの都市創始神話に登場する女神アテナは、クレタと無関係ではいられません。神話では、アテナイ最初の王は「ケクロプス」です。彼は、上半身が人間で下半身が蛇です。古代世界では、蛇は、大地、再生、生命力、母性、地下世界、祖先の霊を象徴しています。

     アテナには、 蛇がつきまとっています。彼女の盾には、蛇がうごめいています。みるものを石にかえてしまうゴルゴンの髪は、蛇になっていました。しかしながら、盾の蛇はアテナ固有のものと考えられます。また、アクロポリスの地下には、「アテナの聖なる蛇」が住み、その蛇は、供え物を食べるといわれていました。

     アテナの原型は、クレタの大地母神が考えられます。

     クレタの女性神は、都市の守護神で、蛇や鳥、猫などを、しばしばしたがえています。武器をもち、豊穣、知恵、工芸をつかさどります。アテナは、女性神でありながら軍神という、両性原理をそなえています。こうしたことから、クレタ由来と考えられます。

     アテナ誕生は、非常に刺激的です。

     神話では、ゼウスがつよい頭痛を訴え、ヘパイストスが斧で頭を割ると、兜をつけて盾をもった女神アテナが飛び出してきます。

     母親であっても、娘であっても、性の対象にしてしまうゼウスの頭部から、彼女はうまれてきます。このイメージは、とてもオリジナリティの高いものです。それも彼女は、生まれたときに完全武装をしています。ゼウスには、絶対犯されない女性だったのです。

     この頭部から出現するというイメージは、グノーシス思想にとりいれられました。至上神の頭部から、こぼれ落ちた女神というイメージは、ソフィアにそっくりです。

     作品番号34「弥勒をみつけた日」は、このイメージをつかっています。

     頭部に知恵があること、思考が頭で行われることは、現代ではごく自然で納得できます。しかし古代では、知恵も心にあったと考えられていました。アテナの出現は、古代シュメールの「ティアマト」、インド、ウパニシャッドの「プルシャ」のような解体神話とは、まったく構造が違っています。  

     オリンポスの主神ゼウスが頭部を割ってもいいと思えるほどのはげしい頭痛の種だったのは、アテナが、かつて彼が取りこんだはずだったクレタの大女神だったからです。

     オリンポスの神々の男性神は、非常に愚かしく描かれています。アポロは、光明をつかさどる秩序の神さまですから例外的です。

     ポセイドン、ハデスは脇役ですが、色情狂のゼウス、アレス、ヘパイストス、ヘルメスなどは、神さまという資格を問われるような存在です。ゼウスのばあい、子孫をのこすという意味あいから、子宝に恵まれるのは理にかないますが、あまりにも抑制が効かなすぎます。

     ヘラは、侮蔑的に描かれています。しかし、そのほかの女性神は、魅力的で、神話構造として奥をもっています。単純にいうなら、ゼウスがひきつれてきた神々は、野蛮で下品です。女性神とのあいだには、大きな格差が存在しています。おそらく女性神の多くは、ゼウスの系統と違っていたと考えられます。

     ギリシア神話は、父系社会だったので、 父殺しは最大のタブーでした。主神の役割は、「生殖機能」です。天空、ウラノスは、息子、クロノスによって男根を切りとられて天空に退散します。クロノスは、ゼウスを核とする息子たちとのながい戦いの末、タルタロスという女性がいない地獄に閉じこめられます。

     ゼウスは、アテナ女神によって、生殖を禁じられるという意味で殺されるのです。

     なぜなら、彼女は、クレタの大地母神だったからです。

                              由布木秀

  • クレタ島

    東地中海世界」は、ギリシア本土、アナトリア、クレタ島、エジプトでかこまれた、ギリシア神話の舞台となる世界です。

     クレタ島は、ギリシャ本土から160キロ南に位置し、エーゲ海の南縁をつくっています。島の南側は、リビア海ともよばれます。クレタ島の面積は、8300平方キロで、広島県とおなじくらいです。東西の長さは260キロ、南北の幅は広いところで60キロ、狭いところでは12キロほどで、現在のギリシア共和国で最大の島です。地中海の恵みを享受した非常に温暖で、豊かな島です。

     この島は、紀元前3000年ころから文明が栄えたと考えられています。紀元前12世紀の暗黒時代(海の民の時代)には、すでにミノア文明は崩壊していたと考えられています。紀元前16世紀くらいに滅んだのだろうとされていますが、原因はサントリーニ島の巨大火山の噴火にともなう地震や津波だったと考えられています。

     中心都市は、クノッソスの大宮殿でした。旅行したことがありますが、そばにはアムニッソス川がながれています。宮殿は、港からは坂道がつづくので平地ではありませんが、山城でなかったことは特徴的です。ギリシアのポリスをみれば一目瞭然ですが、アクロポリスは山の上につくられています。つまり宮殿は、防御を第1の目的としていました。クレタには、こういう発想がなかったのだと分かります。

     ギリシア神話では、クレタは憧れの地になっています。現在の地図や歴史を知って考えるなら、東地中海世界南端のエジプトは、規模も大きく歴史も充分にもっていました。しかしながら、クレタ文明が終わったあとで東地中海世界を支配したギリシア民族にとって、エジプトは憧憬の対象ではありませんでした。

     理由は、ふたつあると思います。

     第1に、エジプトは、陸軍の国家でした。農耕民と莫大な富をもつことは知られていましたが、ギリシア人からは閉鎖的社会に映ったと思われます。いっぽうクレタは、海軍国家でした。貿易をつうじて富をたくわえた国際都市だったと思われます。宮殿は、最強の海軍がまもっているため、海が防波堤になり、山城にする必要がなかったのだろうと思われます。開放的なギリシア民族は、海洋国家に憧れたのです。ポリス時代は、地中海の沿岸都市にあたらしい都市を建設するために植民船を幾度もだしています。

     第2は、エジプトにはファラオがいて、神話構造をつくりにくかったのだろうと思います。クレタには、かつて存在した文明の残り香がつよくただよっていました。紀元前12世紀には、すでにギリシア人が住み、ギリシア語を話していたことが判明しています。

     クレタ歴の一年は、南中する太陽の高度がもっとも高くなる夏至のころからはじまといわれていました。明け方にシリウスが天空にあらわれると、ゼウスがうまれ育った洞窟から、目もくらむ光が自然とあふれてくるといわれていました。クレタには、ゼウスの墓もあります。ディオニュソスも、ここで生まれています。

     クノッソス宮殿は、神話作者の想像力を駆り立てたと思われます。地底には、冥界につうじる迷路、ラビリントス(labyrinthos)があり、死者が住んでいたと考えられていました。すくなくても、死者たちが生活する施設がつくられていました。

     クレタといえば、牛跳びが有名です。私も、この柄のシャツを購入しました。現代科学では、角のあいだをぬけて牛を飛び越えるのは、絶対に不可能だと考えられています。しかし、素晴らしいモチーフです。牛は世界中で聖獣ですが、こういう形式の儀式を考えた文明はありません。

     クレタ文明は、牛の巨大な角をイメージとするモチーフがありました。さらに、双斧(ラブリュス、labrys)がシンボルです。これは、男性原理と女性原理がひとつに組みあわされたものといわれています。クレタは、ギリシアと違い、女性の権利が高かったといわれています。当時のファッションが描かれた絵がのこされていますが、女性は蠱惑的に描かれています。ギリシアのゼウスを中心とする父系的な男尊女卑の世界とは、あきらかに異なっています。

     東地中海世界の覇者となったギリシア民族は、トロイアまで滅ぼしたあとで、自分たちにはなかったものに憧れをもったのだろうと思います。それが、ヘスティアやディオニュソスが、12神にくわえられた理由にもなっているのだと思われます。

     最後に、双斧、labrysと、迷宮、labyrinthos は、非常に似ています。迷宮は、女性の体内を表現していた可能性があります。

     作品番号12「アリアドネ」は、こういう視点で読んでもらえると、ギリシア神話、唯一の近代人、テセウスの自己がうまれる過程を理解していただけるだろうと思います。

                              由布木秀

  • オリンパス12神は、どこから来たのか

     1神教でないオリンポスの神々は、基本的に性格断片から構成されています。神の役割分担には、重複がありますが、かなり明確です。

     ギリシア神話で、オリンポス山頂に住んでいると考えられた12神は、主神、ゼウス。主神の妻、ヘラ。軍神、アテナ。秩序の神、アポロ。美の女神、アプロディテ。武神、アレス。狩猟の女神、アルテミス。豊穣の女神、デメテル。鍛冶の神、ヘパイストス。仲介の神、ヘルメス。地上神、ポセイドン。かまどの女神、ヘスティアです。最後の、ヘスティアの代わりに、陶酔の神、ディオニュソスが入ってきます。天空神ゼウスと、地上神ポセイドンとともに世界を3分割する冥界の神ハデスは、山頂に住んでいないので12神にはふくまれません。

     オリュンポスの神々は、第1世代と第2世代に分けることができます。クロノスとレアのあいだに生まれた第1世代の神としては、ゼウス、ポセイドン、ハデス、ヘラ、デメテル、ヘスティアがいます。ゼウスの息子、娘にあたる第2世代の神としては、アテナ、アポロン、アルテミス、ヘパイストス、アレス、ヘルメス、ディオニュソスから構成されます。

     アプロディテについては諸説がありますが、ヘシオドスは、クロノスが切断した、父親ウラノスの男根の周囲の泡から生まれたとしています。系統としては、もっとも古い女神ともいえます。

     前回のコラムでみたように、ゼウスは、語源的に天空神(ディオ)とふかく関わっています。アーリア系の天空神が、イラン高原やアナトリア(小アジア)を経由してギリシア世界に入ってきたと考えられます。ここには、紀元前12世紀ごろに起こった民族大移動と戦禍が関係していると想像されます。

     古代エジプトでは、第19王朝、第20王朝の治世に混乱があったことが記録されています。紀元前14世紀ごろのミノア文明の崩壊や紀元前1120年ごろのドーリス人のギリシア定着や、先住ギリシア人のアナトリアへの移住など、300年間におよぶ東地中海世界の混乱と関係があったと考えられています。

     オリンポス12神は、どこからやってきたのでしょうか?

     ゼウスとともにやってきたアーリア系とみられる神々には、ポセイドン、アポロン、アレス、ヘルメスなどが考えられています。

     ヘラは、神話のなかで非常に侮蔑的に描かれています。これは、ゼウスの父系社会がギリシアに入ってきたとき組みこまれた、ギリシア地方の大女神だった可能性が高いと思われます。

     アテナは、ゼウスの頭部から出てきたとされます。これについては、べつのコラムで論じるつもりですが、クレタの女神だった可能性が高いです。

     アプロディテは、フェニキアの アスタルテ、メソポタミアの イシュタル、シリアの アタルガティスと関連しています。すべて 愛、性、豊穣、戦争 をつかさどる女神です。つまり、アプロディテは東方の女神だったと思われます。

     デメテルは、語源的にギリシア語では説明できません。原型は、アナトリアの大地母神だと考えられます。代表例は、キュベレです。この女神は、大地、肥沃、穀物、再生、母性をつかさどっています。デメテルの神話の中心は、娘(ペルセポネ)の喪失、冥界への下降、再生と季節の循環と関連しています。さらに、 デメテルの崇拝中心地、エレウシスにおける「エレウシスの秘儀」は、冥界への下降と儀礼を中心としています。これは、 アナトリアの大地母神信仰の儀礼構造と一致 しています。

     ヘパイストス(Hephaistos)は、 語源がギリシア語で説明できません。アナトリアには、 ヘパイストスと同じ性質の神が存在しました。ヒッタイトの鍛冶神、ハシワ(Hasiva)などです。この神は、 火、鍛冶、金属、地下 という同じ属性をもっています。

     ヘパイストスは、神話でも、足が不自由だったり、ヘラによって天から落とされるたりします。妻のアフロディテにも裏切られ、オリンポスで孤立しています。これらは、 外来神が体系に組みこまれたときに、しばしば起こる現象といえます。

     アルテミスの語源は、ギリシア語内部では説明できません。主要な聖地は、アナトリアに集中しています。エフェソスのアルテミス神殿は、古代世界七不思議の一つでした。マグネシア、ペリントスも、アナトリアです。

     スパルタのアルテミス信仰(アルテミス・オルティア)は、アナトリア起源の女神をギリシア的に再編した痕跡をつよく残しています。少年の鞭打ち儀礼(ディアモスティグシス)は、「野生の力を制御し、共同体の戦士へと変える」通過儀礼として理解できます。

     アルテミスは、アポロンと双子です。これは、「月と光」を対構造とする神話設計によると考えられます。

     冒頭に述べたように、オリンポス12神は、人格断片的です。そのなかの例外が、アポロン、ディオニュソス、ヘスティアです。この3神は、全体性をそなえています。

     アポロンは、アフラ・マズダと同じアーリア系宗教圏に属し、とくに契約の神、ミスラと近縁の光神だったと考えられます。

     ヘスティアは、オリンポス12神のなかで、もっとも調和がとれている女神です。クレタでは女性の地位が高く、「竈」は家や共同体の中心でした。ヘスティアは、クレタの中心神格を継承している可能性が高いといえます。

     ディオニュソスは、クレタの最高神だったと考えられます。

                              由布木秀

  • デニュオニュソス

     ギリシア悲劇は、ディオニュソスに捧げられていました。したがって古代ギリシアでは、もっとも人気があった神さまでした。

     オリンポスの12神は、1神教とは違うので性格が断片化されています。つまり、全体性よりは、個性が重視されています。なかでも、ディオニュソスは、非常にユニークな神様です。12神のなかでは、いちばんあたらしく加わったとされています。このため形姿は、青年だったり子供だったりします。ゼウスの子供という設定からも、やがては主神になる定めをもっていました。

     ディオ(deiwos)は、アーリア系民族では一般的に天空神、つまり最高神をさしています。ギリシア語、ラテン語などの屈折語では、名詞が文中での役割によって形を変えます。ギリシア語でゼウス(Zeus)は、主格形です。ディオス(Dios)は、「ゼウスの」という属格形です。したがってギリシア神話で、deiwos の語根を継承した神は、ゼウスになります。

     神話では、ディオニュソスの父は、ゼウスです。母は、セメレです。彼女は、ギリシア神話の中心都市、テバイをつくったカドモスとハルモニアの娘です。

     ゼウスの妻ヘラは、ゼウスの浮気相手だったセメレに「あなたの愛人は、ほんとうにゼウスその人か」という疑惑をふきこみます。妊娠していた彼女は、不安に耐えきれず、ゼウスに必ず願いを叶えさせると誓わせ、「ヘラと会うときとおなじ姿で、やってきて欲しい」と願います。ゼウスは、約束をまもって雷光としてあらわれ、セメレは焼かれて死んでしまいます。

     ゼウスは、6ヵ月の胎児を大腿のなかに縫いこみます。3ヵ月後に誕生したのがディオニュソスです。このため彼は、「二度生まれた者」とよばれます。

     ディオニュソスの誕生には、異説があります。ゼウスは、冥界の女王となるペルセポネ、あるいは、ペルセポネの母親にあたる豊穣の女神、デメテルに自分の跡継ぎを生ませます。子供は、ザグレウスと名づけられます。ヘラは嫉妬にくるい、ティターン族に襲わせます。ザクレクスは、八つ裂きにされ、食べられてしまいます。女神アテナが、ザクレウスの心臓だけを救いだし、ゼウスは飲みこんでしまいます。セメレが懐妊した胎児の心臓は、ザグレウスのものだったとされます。この神話は、再生をテーマにし、ほんらいディオニュソスが農耕神だったことを示唆しています。

     ディオニュソスは、ブドウ栽培とワインの製造を人びとに伝えたことになっています。また、インドまでいき征服してギリシアにもどってきた神さまとしても有名です。

     ディオニュソスが八つ裂きにされたことは、非常に重要です。この話は、エジプトの神「オシリス」との関連をつよく示唆しています。

     ディオニュソスが最後にオリンポス12神にくわえられた神だったとしても、もっとも新しいわけではありません。つぎのコラムに詳細はゆずるとして、ゼウスは民族の大移動にともないイランから由来した神だったと考えられています。ディオニュソスは、さらに古いクレタ島の神だった可能性が示唆されます。土地の神さまたちは、新来の神によって八つ裂きにされます。しかし、地域が安定すると古来の神が復活するのです。それが、デウスを凌ぐ力をもつとされるディオニュソスになります。

    「音楽の精神からの悲劇の誕生」のなかでニーチェは、「ディオニュソスの笑いからオリンポスの神々が生じ、彼の涙から人間がうまれた」といっています。

     つまり、抑圧された神さまです。したがって、もっとも抑圧されていた民衆、つまり女性たちを陶酔させ、狂乱させる神になります。ディテュランボス(酒神頌歌)は、はげしい身振りと舞踏であらわされる、脱魂忘我の歓喜の歌です。この狂気は、ワインによって象徴されています。

     ディオニュソスは、既成の秩序を崩す神です。したがって、孤独で、仲間をもちません。ニーチェが指摘したように、秩序はアポロがもっています。この二神は、ヒンドゥー教における破壊をもたらすシヴァ神と、秩序を維持するヴィシュヌ神との関係にそっくりです。

     この詳細は、作品番号38「ヒロミの部屋」に書かれています。

                              由布木秀

  • ディオニュソス劇場

     アテナイのアクロポリスの一角に、ディオニュソス劇場の跡地をみることができます。想像していたより規模は小さく、舞台は相対的に大きすぎると感じました。

     この石づくりの野外劇場は、紀元前6世紀に建築され、15000人以上を収容できたといわれます。現在みられる部分は、紀元前4世紀前半、ローマ時代に改築されたといわれています。 この劇場は、毎年春の大ディオニュシア祭において、ディオニュソスに捧げる悲劇を上演するためにつかわれたことで有名です。

     古代ギリシアでは、劇場は丘などの斜面をけずって建造されました。野外劇場では、演者や合唱隊の声が聞きとれなくてはなりません。舞台は、すり鉢状に取りまく底の部分につくられました。さらに、一段ひくい部分に合唱隊(コロス)がならぶ平土間がありました。音響効果を考えなければなりませんので、舞台の後ろ側には石づくりの壁(スケーネ)が立てられていました。客席は、舞台をとりこみながら、すり鉢状の斜面に半円形につくられていました。この構造は、現在も音楽会や演劇ホールでつかわれていますので、誰でも容易に想像できます。

     廃墟となっているディオニュソス劇場だけをみて、感慨にふけることはなかなか難しいです。しかしながら、ニーチェの悲劇の誕生を読むと、まったく異次元の風景がみえてきます。

     演劇は、筋が理解できなくては、意味が分かりません。誰かが、経緯を説明するところからはじまります。しかし紀元前の話ですから、野外の大会場にはマイクはないのです。そこで、コロスが大声で合唱することになります。さらに演じるといっても、会場全体につたえるには、工夫が必要になってきます。

    「ギリシアの楽劇」という講演(1870年)でニーチェは、この状況を説明しています。 雰囲気は、こんな感じになります。

     さんさんたる白日のなかでは、夜と篝火の神秘的な雰囲気はどこにもなかった。ぎらぎらとし空間は、観客で埋めつくされていた。その20000人が、すり鉢状の底を懸命にみつめていた。そこには、あやしく動いている仮面をつけた人物の群れと、ほそながい舞台の空間をものすごくゆっくりと往来している巨人のような人形がいた。彼らは、もはや人とはよべなかった。コトルノという高い竹馬のようなものに乗り、頭の上までそびえる、極色彩の巨大な仮面をつけていた。胸や腹、腕や足にあたる部分には、不自然なほどの詰め物をつけて膨らましていた。床までとどくほどの、裾のながい衣装をひきずっていた。さらに頭部には、オンコスとよばれる重い髪飾りがついてたので、ほとんど身動きがとれなかった。それでもなお、彼らは、会場を埋めつくす20000人の観客にむけて舞台の意味を分からせねばならなかった。仮面のひろく開いた口の穴から猛烈な大声をだして経緯をかたり、歌をうたわなければならなかった。これらの俳優歌手たちは、ひとりひとりが10時間にもわたる緊張をもって、1600行の詩句を吟じ、そのなかにはすくなくとも大小6つの歌曲があった。

     こういう感じです。この記述を知ってディオニュソス劇場に立つと、当時唯一の娯楽ともよべる魅力のある舞台は、相当に迫力をもっていたと考えられます。おそらく、ギリシア語が長母音から形成される事実は、こうした演劇に有利だったと思われます。子音が多い語彙体系では、コロスがいくら懸命に唱和しても観客には通じなかったでしょう。

     作品番号12「アリアドネ」は、ディオニュソスなしには存在しません。ギリシア悲劇は、現代にもつうじる魅力をもちつづけています。悲劇作家たちは、こうした舞台装置を考慮したうえで創作を工夫していました。すごいですね。

                              由布木秀

  • もうひとつの貧困

     生活保護から考えてきたコラムでは、貯蓄率の低下、貯蓄大国というナラティブ、さらに現実の貧困をみてきました。まとめるなら、人口の10%を占める富裕層が総資産の60%を保有しています。さらに70歳以上の高齢者が、32%をもっています。こうした事実から、高齢者は資産があるので、社会保障費を削ろうという動きがあります。

     高齢者の実態を検討してみます。

     70歳以上の高齢者人口は2800万人、世帯数は2000万と推定されます。生活保護世帯は90万で、全世帯に占める割合は、4.5%です。この部分は、まったく資産がない「ストックゼロ」の世帯です。しかし、申請をためらう人と、行政に門前払いされる人をふくめると、200~300万世帯がおなじ階層をつくっていると考えられます。世帯単位で分析した公式統計はありませんが、複数の資料を総合すると、下記の表になります。

    世帯層世帯(%)資産(万)住居
    生活保護
    潜在層
    10~150~
    100
    賃貸、施設親族宅
    低資産層350~
    1000
    賃貸
    老朽住宅
    中間層402000~5000持ち家
    (ローン済)
    富裕層10~155000~良質住宅
    相続資産

     この表から分かるとおり、充分な資産をもつ高齢者は、15%程度にすぎません。いっぽう45~50%は、老後に深刻な不安をかかえていることが分かります。低資産層は、貯蓄がほとんどなく年金に依存し、住宅ローンをかかえたまま高齢化するケースも増加しています。そこに、医療費や介護費用の負担が増えると、ストックは急激に減少します。

     相対的貧困率は、65歳以上が27%前後で、平均の15%よりはるかに高くなっています。 高齢者の4人に1人が、貧困ラインを割っています。

     単身世帯が貧困率を高めることは、よく知られています。

     単身率は、60~69歳では20%、70~74歳では30%、75歳以上では40%です。70歳以上の単身男性では38%、単身女性では50%以上が相対的貧困に該当します。これは、ひとり親世帯とならぶ高い数字です。

     現在の日本では、65~69歳は、男性の50%、女性の30%が働いています。就労率は70歳をすぎると急落し、男性20%、女性10%になります。ここからは、かんぜんにストックを削る生活になります。

     70歳以上を分析したデータは公表されていませんが、推計では、30~33%、3人に1人が貧困ラインに該当します。さらに年金の実質価値は、20年で20%程度へっています。物価上昇に追いつかないため、 年金生活者は年ごとに生活が苦しくなる現実に直面しています。

    「貧困」で記載したとおり、金融資産は、30歳未満はほとんどもっていませんが、30~40代では増加しています。したがって、いまさえ我慢できれば、10年後には資産をもてる可能性があります。

     いっぽう50%の高齢者は、10年後、さらに悲惨な状況が約束されているのが現実です。

     推計では、2040年に高齢者人口は3900万人(35%)、65歳以上の単身高齢者は900万世帯(現在の1.5倍)に増加するとみこまれます。

     30歳未満の方には、金融ストックがありません。いっぽう高齢者には、若さというストックがありません。

     若さのストックとは、健康、あたしい技能を身につける能力、社会的ネットワーク、失敗してもやり直せる時間を指しています。

     さらに、高齢者は、親の介護という「負のストック」までもっています。現在、90歳以上が250万人、100歳以上が10万人います。その結果、介護者の30%が65歳以上という「老老介護」、さらに75歳以上が介護する「超老老介護」のケースが急増しています。介護の問題は、経済的な負担ばかりではなく、時間と自由、さらに将来の見通しまで奪っています。精神的にも、身体的にも消耗させる「負のストック」そのものです。

     介護福祉は、医療より大切ですが、予算がつきません。

     医療は、医師会や病院団体が票をもち、政治的に圧力をかけられます。しかし、 介護は票にならないので、行政は本気で取り組みません。その結果、介護は、家族の無償労働に依存しています。新聞を賑わす、介護疲れ、孤立死、介護破綻は、これからさらに増加する構造になっています。

     政府の社会保障費削減方針は、「高齢者は早く死ね」というメッセージです。これほどの資産格差をうんでいる高所得者の税制を改善し、無駄を省いて、私たちの社会を支えてきてくれた人びとを大切にしなければ、国家とはよべません。

                              由布木秀

  • 貧困

     貧困のいちばんの問題点は、なにをもって貧困と定義するかが不明瞭な点です。貧困バッシングが起こるのは、主観的な貧困と、客観的な貧困が違っているからです。より正確にいうなら、貧困は本人にしか分からないのです。貧困を制度的(客観的)に定義するなら、生活保護世帯になってしまいます。

     厚労省の最新統計では、生活保護を受けている世帯数は165万世帯で、日本の全世帯数、約5000万世帯の3.3% に相当します。生活保護費は、すべて生きていくための費用(フロー)で、ストックとして積みあげられません。また資産をもたないことが受給資格になるかぎり、生活保護から抜けでることは制度上不可能です。この部分は、絶対的貧困とよんでいいと考えられます。

     世界銀行は、極度の貧困を「1日、2.15ドル以下」と定義しています。世界人口の8%が該当するといわれますが、こうした話で日本の貧困問題をふかめることはできません。

     相対的(主観的)な貧困こそが主題になるべきです。

     日本の作詞家だったと思いますが、1日100万円ないと暮らしていけないと話すのをきいたことがあります。こうした人が借金に苦しんでいるのは、あきらかに別次元です。なぜなら彼は、充分なストックをもっているから借金ができ、さらにフローが多すぎるのです。

     主観的な貧困は、周囲との比較から成立します。この状況では、まだなんらかのストックがのこっていて、行政の援助によって貧困を脱する機会をつくれる段階です。

    「貯蓄大国」のコラムでみたとおり、人口の20%が金融資産をもっていません。この層は、ほぼ「貧困」とよべます。さらに下位層を構成する40%のなかには、なんらかの事件を契機に「貧困」に落ち入りやすい部分とみなせます。

     国際的基準における相対的貧困は、「生活費が、社会の真ん中(中央値)の半分以下で暮らす人」と定義されます。日本に当てはめると、 1人世帯のばあいは、127万円 に設定されています。そこから計算される日本の相対的貧困率は、15%とされます。つまり、国民7人のうち1人が貧困状態とみなせます。

     先進国を中心としたOECD の国際比較表(JILPT 経由)で相対貧困率を比較すると、もっとも高いグループにはいります。ブラジルなどの発展途上国をくわえた40ヵ国と比較するなら、2023年では8位に入っています。

    順位国名相対的貧困率
    1位コスタリカ21.16%
    2位ブラジル19.23%
    3位アメリカ18.09%
    4位イスラエル16.82%
    5位チリ16.29%
    6位ラトビア16.17%
    7位リトアニア15.62%
    8位日本15.40%

     年度で揺らぎはありますが、イギリス、10〜12%。ドイツ、10%。フランス、7~8%。北欧(スウェーデン、フィンランド)は、6~9%です。ヨーロッパ諸国と比べると、 日本は 社会保障の再分配効果が弱い国に分類されます。

     貧困統計研究(阿部彩2024)では、 年齢、性別、世帯構成別の相対貧困率が公表されています。これに基づくなら、子ども(17歳以下)では11.5%、ひとり親世帯では44.5%が貧困に分類され、著しく高くなっています。

     こうした相対的貧困率は、所得を基準に考えられています。しかし、 現実の貧困は「ストックの欠如」と考えるほうが妥当だと思います。

     このばあいのストックとは、貯金、家財、年金、保険、不動産、人間関係(頼れる人)、健康、住居、教育、職歴、社会的信用を指しています。こうしたものが、いくらかでものこっているなら、人は現実に立って、考えなおす時間を確保できます。

      ストックがあれば、失敗しても立てなおすことが可能です。

     たとえば、貯金があれば、仕事を辞めても数ヵ月は生きられます。家族がいれば、住む場所が確保できます。学歴があれば、再就職の可能性があります。健康があれば、働けます。人脈があれば、助けてもらえる可能性がのこされています。

     ストックがない人は、今日の食費を稼ぐために悪条件の仕事を断れません。家賃がはらえず、住居をうしないます。住居がないと、住所がなくなり、就職もできません。仕事ができないと、さらにストックが減少します。人間関係もうしなわれ、やがて健康もむしばまれます。

     ストックの欠如は、選択肢の消失を意味し、貧困の連鎖を生みます。これは行動経済学では、「貧困の罠」とよばれます。生活保護は、ストックをもてない制度です。

     日本は、世界と比較しても貧困が身近にあり、対応が遅れている現状を知る必要があります。

     絶対的貧困に落ち入るまえに、救済する制度が必要です。

                              由布木秀

  • 貯蓄大国

     日本の資産分布状況を検討して、ひとりあたりの資産が具体的にどのくらいなのか検討してみます。以下の資産額は、総務省、日銀の「資産シェア」をモデルにした計算値です。

    階層人口比資産シェア1人あたり
    金融資産
    最上層1%15%28,450万
    上位層9%40% 8,420万
    中間層30%30% 1,896万
    下位層40%15%   711万
    最下層20%0%   0万

     日本の総人口の10%が、総金融資産の55%をもっているのが現実だとすれば、平均金融資産1900万円は、いかに資産構成が2極化しているのかをしめすにすぎません。最上層の平均金融資産は、中間層の15倍、下位層の40倍にもなっていることが分かります。人口としては、中間層以下が90%を占めています。

     この表から、中間層は、中流階級とみなすことができます。

     この層は、正社員、公務員、専門職から構成されています。収入は安定していますが、可処分所得はすくなく、税や社会保険料の負担は相対的に重いのが特徴です。余裕は、ボーナスに依存しています。持ち家比率は高いですが、住宅ローン残高も大きく、教育費や車の維持費が家計を圧迫しています。さらに、子どもの進学や親の介護などが重なってくると、大きな圧迫要因になります。老後資金には、不安がともなっていると思われます。

     人口の40%をしめる下位層をスケッチしてみます。

     この層は、非正規、派遣、契約社員によって大部分が構成されています。シフト制で収入が月ごとに変動し、ボーナスはなく、不足分を副業や単発労働で補っていると思われます。持ち家よりも賃貸し住宅で暮らしています。家賃が収入の30~40%を占め、通信費や光熱費が重く、税金の後払いや滞納が起きやすい構造になっています。その結果、固定費に押しつぶされる生活だと考えられます。病気、事故、家電の故障などのトラブルで生活が崩れる危機をはらんでいます。クレジット、分割払い、カードローンに依存し、負債が生活の一部になっています。服はファストファッション、家電は中古、交際費がほぼゼロで、生活の選択肢がすくなくなっているのが特徴です。

     人口の20%を占める最下層に属する人たちの生活をスケッチしてみます。

     この層は、非正規、シフト制、単発労働などで構成され、収入基盤が不安定です。家賃や通信費、税金などの固定費が高く、病気や事故などの突発的な支出に非常に脆弱です。クレジット、分割払い、カードローンに依存しやすい構造です。「貯金ができない」というより、「貯金より負債が多い」と考えられます。

     まとめると、日本の1000~1100万世帯、2000~2500万人の方たちが、金融資産がゼロ、あるいは、マイナスの状況におかれているのが現実です。

     

    年齢人口比金融資産比平均資産
    30未満12%1% 150万円
    〜49歳28%17%700万円
    〜59歳14%22%1,500万円
    〜69歳17%28%2,300万円
    70歳以上16%32%2,000万円

     ※平均金融資産は、総務省「家計調査(貯蓄・負債編)」より。

    金融資産は、60歳以上が、60%を保有しています。いっぽう、30歳未満は、ほとんど貯蓄をもっていないことが分かります。

     政策当局は、「貯蓄率が高い」というナラティブをかたりたがります。

     なぜなら、 社会の豊かさを演出できるからです。貯蓄率が高いという神話は、まだまだ国民が余裕をもっているという幻想をつくりだします。年金を削減し、医療費負担を増し、生活保護の抑制など、 社会保障の削減が正当化できるからです。さらに、貯蓄率が高いのは長年の努力の証とみなされ、貧困を自己責任に貶められるからです。

     日本は貯蓄率が高いといわれますが、あきらかに富は偏在しています。高齢者のストックが、平均値を押しあげているだけです。若年層は、貯蓄率が低下し、困窮している現実が分かります。

    「貯蓄大国」は、政策当局のナラティブとしてつかわれ、社会保障の削減や、貧困の不可視化を正当化する役割を果たしています。

                             由布木秀

  • 生活保護

     6月1日、埼玉県でケアマネジャーが殺害される事件が起こりました。経緯はよく分かりませんが、なんらかの行き違いがあったのだろうと思います。

     この事件をきいて、知りあいのケアマネの方が、「どんな計画を立てようにも、まったくお金がないのです」といって嘆いたことを思いだしました。彼女は、憂鬱になって仕事を辞めました。

     北海道の過疎地で医療をしていたときに、床ずれをみて欲しいといわれて往診したことがあります。高齢の女性で、寝たきりになっていました。栄養状態も悪く、ひどい褥瘡ができていました。このばあい、腐敗した部分を削りとって、血の通った新鮮な肉芽をだしてやる必要があります。専門的には、掻爬とよばれる手技です。

     とても一日ではできませんので、毎日かよって治療しました。この方の家は借家でしたが、台所のほかには一部屋しかないのです。そこに、万年床を敷いた病人と娘さんが暮らしていました。毎日通ううちに、家財もほとんどないことに気づきました。おどろいて、生活支援が必要だと考えました。そこで、懇意にしていた老健施設のセンター長に、幾度も頼みにいきました。くりかえし状況を伝えたので、施設長はショートステイとして一時的に収容するといってくれました。施設の方がきてくれて、道路側に面した窓から布団のまま運びだそうとして落下させました。患者さんは、大腿骨を骨折して総合病院に搬送されました。その後のことは、まったく連絡がなかったので知りません。誰にきいても、分からなかったのです。

     3週間ほど毎日往診して治療しましたが、診療報酬請求はすべて削られました。再審査請求をすると、「医者がこんなことをするとは考えられない」と返信され、ひどい話だと思いました。

     いま考えると、娘さんは仕事をしていなかったので、生活保護世帯だったと思われます。過疎地での医療は、金銭追求が目当てではなかったので、不明な出来事のひとつとして覚えています。

     今回、貧困をあつかった、門倉貴史、岩田正美、みわよしこ、小林美穂子らの書籍を読む機会がありました。

     生活保護の受給資格は、まったくストックがないことだと知って、過疎地の医療を思いだしました。

     この場合のストックとは、援助可能な親族や知人をふくめて、最低限の家財、貯金、保険、不動産といった生活を支える資源の総体を指しています。これらがすべて失われたとき、ようやっと生活保護の受給資格を得るのです。この時点で、「貧困」が制度的に認定されるのです。

     生活保護の申請は、自分がこうした立場にいることを認める行為になります。普通の人にとっては、かなり苦痛で抵抗があるはずです。したがって行政は、申請者に配慮する必要があると思います。しかし、現実は「水際作戦」と称して申請を受けつけないばかりか、申請そのものをださせないように威圧的な態度で対処する自治体もあり、問題になっているようです。

     さらに、生活保護を受けている者たちを相手に、保護費を搾取するビジネスが存在します。読んでいて、愉快になる話はかいてありませんでした。生活保護世帯の医療費が免除対象になる制度を、悪用する医者もいるようです。

     保険請求がまったく認められなかったのは、貧困ビジネスとみなされたのかもしれないと、今回はじめて思いました。とはいえ、医療行為は、お金を稼ぐためにするものではありません。

     医療行為とは、なんなのか?

     これは、作品番号23「医者になる」で、あつかった問題です。

     退職してから年金もあり、生活にこまってはいません。お金を稼ぐのが、ものすごく大変だったので、浪費しようという気持ちが起こらなかったのが幸いでした。

                              由布木秀