• 大王は、どこまで行ったのか?

     アレクサンドロス3世は、紀元前356年にマケドニアで生まれたといわれます。20歳でマケドニアの王位につき、ペルシア帝国を滅ぼし、ギリシアからインド北西部にまたがる大帝国をつくったとされています。33歳のとき、バビロンで死んだとされ、わずか15年間で世界を制覇したいわれています。

     伝記では、2世紀のローマ帝国のギリシア人、政治家で、歴史家だったとされるアッリアノスが著した「アレクサンドロス大王東征伝」(岩波文庫)が第1級史料として有名です。そのほかに、プルタルコスが英雄伝で取りあげています。紀元前1世紀のギリシア人の歴史家、ディオドロスは、神話時代からローマ時代まで「歴史叢書」と名づけられた全40巻にも及ぶ著述を残しています。17巻で、アレクサンドロス大王をあつかっています。こちらについては、ネットで公開されています。

     アッリアノスの文庫本の最後には、付図がおかれ、大王の足跡を追うことができます。そこには、アフガンのカーブルからカイバル峠を越えてパンジャブ地方に入り、インダス川河口まで行ったことになっています。どの歴史家も、この考えを支持しているようですが、これが史実なのか、検討してみたいと思います。

     インドが独自の文明を築いたのは、ヒマラヤ山脈によって孤立していたからです。東は、ミャンマーとのあいだに大密林地帯がひろがっています。歴代中国のどれほど強大な王朝も、このルートで侵入した形跡はありません。アフガンは、ヒマラヤ山脈によって偏西風がながれ、山岳地帯に変えられています。インドへの道は、荒涼としたカイバル峠が有名で、玄奘三蔵もこの峠からインドに入り、この場所をぬけて唐に帰りました。もっとずっと南に、ボランという峠もあります。こちらは、インダス文明時代からの回廊で、ラピスラズリが運ばれた歴史的な通商路です。南西インドへの主要軍事ルートですが、ギリシア人には充分に知られていませんでした。アケメネス朝ペルシアが属州化していたインダス川上流のパンジャブ地方こそが、インドと考えられていたようです。

     カイバル峠は、大木も育たない痩せた荒地ですが、実用的な陸路です。この峠をぬけてインドに攻め入った勢力は、途中で引き返すのは難しかったようです。ここを通過するとは、海をわたるような、かなりの決意が必要だったと思われます。

     アッリアノスの記述は、カイバルをぬける辺りから、かなり神話的になります。具体的には、数万の軍勢を引きつれ、インダス川で戦闘します。数百隻の大艦隊をつくりますが、パンジャブ川流域に木材があったとしても500隻に上る大型船を急造することは著しく困難です。いかにも「イリアス」を彷彿とさせる描写がつづきます。破れた敵将ポロスは、非常に背がたかい人物としてかかれています。捕らえられた際に「王として扱ってもらいたい」という下りも、ホメロスがかく英雄像に重なります。心服して、大王の領地としてまもる約束も、三国志みたいに物語化されています。カイバル峠以降は、行軍距離も凄まじく、とても事実とは認定しがたくなっています。

    東地中海世界」で書いたように、インドは、ギリシア世界の東端を象徴しています。ギリシア神話では、ヘラクレスも、ディオニュソスも「インド」をぬけてやってきたことになっています。英雄や神のみが辿り着ける場所だったと考えられます。そうなってくると、アレクサンドロス大王は、どうしても行かねばならなかったはずです。事実はともかく、大王が東征したのなら、ここは入れておくべき場所でした。

     具体的に考えるなら、大王は、紀元前327年春にバクトリアの王女、ロクサネと結婚します。ここでは盛大な式典があり、日付が固定されていたと思われます。324年に、パサルガダイに到着し、大王はキュロス王の廟に詣でます。そのすぐ後に、スーサで有名な集団結婚式が行われます。ここも固定点で、アッリアノスには動かせなかったと思われます。つまり、327年から324年までの3年間は誰にも分からない空白期間が存在し、伝記作者は想像力をたくましくして物語をつくれた可能性があります。その後の歴史家たちも、反証するすべはなかったと思われます。

     個人的には、大王はカイバル峠をぬけなかった可能性が高いと考えています。すくなくとも、古代歴史家たちの文献があるだけで、史跡などはみつけられません。インド側の史料も、みつけられません。

     アレクサンドロスは、さまざまに神話化されています。ディオドロスが、大王は虹彩異色症(オッドアイ、バイアイ)だった。世界を統一できたのは、異なる左右の瞳で、世界を常人とは違ってみていたからだ。こう記載していると紹介する本を読んだことがあります。それで、ネットで公開されている文章を読みましたが、該当部をみつけられませんでした。これも、神話的な伝説だったのでしょう。作品番号05.「旅の終わり」は、この部分を小道具としてつかっています。なかなか気づいてもらえないですが。

                              由布木秀

  • 東地中海世界

     ギリシア神話は、紀元前800年頃に、イオニア人のホメロスやヘシオドスによって、集大成されたと考えています。叙事詩が想定した舞台は、ギリシア本土、クレタ、小アジア、エジプトによって構成される東地中海世界です。

     トロイア戦記が大きな柱となりますから、設定は紀元前1200年頃と考えられます。この時期は、歴史的には「前1200年のカタストロフ」とよばれ、地中海東部に民族の大移動をふくむ大きな社会変革が起こったと考えられています。オリンポス12神の多くは、そのときに小アジアを経てやってきた外来神だろうと推定されています。神々の起源については、さらに東部、現在のイランあたりまで考えられるようです。こうした神々の交代が、神話では、ウラノス、クロノス、ゼウスという3代の系譜として語られているのでしょう。

     東地中海世界は、エジプトの南をすべて「エチオピア」という名称で表現しています。さらに西には地中海がひろがり、陸地が散在します。北アフリカは、リビアとよばれていました。大西洋に通じるジブラルタル海峡は、ヘラクレスの柱とよばれ世界の果てです。さらに西の海中には、クロノスが治める幸福の島があることになっています。東は、たくさんの国家があったと思われますが、かなり省略され、一番はてに「インド」があることになっていました。北は、「黒海」が果てで、冥界の入り口でした。このちかくには、魔術師だった王女メディア、アマゾン女族などが暮らしていました。

     がんらい黒という文字は、世界の外側、未知で危険な場所を意味しています。ドイツ南部にひろがるシュヴァルツヴァルトは、黒い森(ブラックホレスト)とよばれます。カラ・クム(黒い砂)は、中央アジアのトルクメニスタン に広がる大砂漠です。黒龍川(アムール)は、満州語で黒い川です。ヒマラヤの北部につらなるカラコルム山脈は、テュルク語系(中央アジア語)で、黒い山脈を意味しています。日本でもたくさん使用例があり、たとえば、黒部は深い渓谷です。

     歴史的な調査では、クレタ文明は、1200年よりずっと前に崩壊しています。神話世界では、海洋国家だったクレタは、東地中海の覇者でした。有名な迷宮があったとされるクノッソス宮殿の遺跡に、行ったことがあります。宮殿までつながるアムニソス川の河口は、砂浜で浅瀬がつづいていました。巨大な双斧の軍旗がはためくミノスの軍艦が、浅瀬にたくさん引き上げられていたのだろうと空想できました。

     神話では、クレタ王国の支配者、ミノスには、ふたりの娘がいます。姉がパイドラ、妹がアリアドネです。アテネに民主制を引いたという伝説をもつ英雄テセウスは、クレタ王国を滅ぼし、アテナイに覇権をもたらします。作品番号12.「アリアドネ」は、ふたりを主人公にしています。しかし、どう考えても、テセウスが生きたとされる時代は、アリアドネと10世代くらい違います。こうした矛盾をかかえる部分が、神話の面白いところです。

                              由布木秀

  • TAT TVAM ASI

     マイケル・ジャクソンが主演した、「This is it」をみたことがあります。彼が踊りをつくる過程を描いた映画で、舞台のうえで即興のダンスを披露します。「これなんだよ」という感じの作品でした。

     TAT TVAM ASI は、サンスクリット語です。ヒンドゥー教の最大聖典「ウパニシャッド」のなかでも、四つのマハーヴァーキャ(大言句)の一つといわれています。つねに、大文字で書くべき言葉といわれます。

     TAT(それ=絶対者)

     TVAM(汝=深層主体)

     ASI(である)

    という構造だと、今回、調べて認識をあらたにしました。ずっと、TVAMは、BE動詞だとばかり考えていました。ところが、サンスクリット語は、日本語とおなじ、S+O+V という語順でした。

     井筒俊彦の作品に「バーヤジード・バスターミーのペルソナ転換」という小論があります。イスラム神秘思想でも、最奥義の言葉として語られています。

    「蛇が、その皮を脱ぎ捨てるように、私は私自身の身体を脱ぎすてた。そこで、私は私自身をながめてみた。どうだろう。驚いたことに、私はまさに彼だった」

    「私は、一人で海底の底にむかってに潜っていった。どんどん潜水していくと、輝く玉座が置かれていた。でも、そこには誰もすわっていなかった。私は、さらに潜ってちかづいてみた。ふと気がつくと、すわっていたのは私だった」

     以前、書いた小説を読んでもらえる会に所属していました。そこの会員は、年に一回作品を募集し、合評のうえ予選を行い、さらに通過した作品のなかから最優秀賞を決める企画を立てていました。100枚以下の小説で、題名、文体、表記、内容、読みやすさ、の5項目で評価するという話でした。私は、「TAT TVAM ASI」という小説を投稿してみました。

     けっこう自信があったのですが、予選で落選しました。合評した記録が送られてきて読みましたが、評価してくれた人は、ひとりもいませんでした。

    「こんな題名は、信じられない」

    「この題は、読者に寄りそう気持ちがまったくない」

    「どうせなら、小説ではなく、漫画で読みたかった」

    とかかれ、予選の順位は最低でした。それで、題名だけは変更しようと考えました。「汝は、それである」。「This is it」。「That is it」など、悩みつづけました。それが、作品番号06.「イットイズイット」です。内容は、どうしても変えられませんでした。

     この言葉は、対になった大きな姿見のあいだに立つようなイメージです。たくさんの自分が映ってみえますが、どれが本物なのか探っていきます。これでもない、あれでもない、と探求していくうちに、違うといっている自分自身に気がつきます。あるいは、真剣に神を探す作業にも似ています。神社仏閣、聖堂、聖者の家、聖なる書籍、どこを探しても神はみつからないのです。そして、気がつきます。みつからないのは当然だ。なぜなら、探している私こそが、神だったのだ。

     TAT TVAM ASI は、英語では、You are that.と直訳されるようです。しかし、それでは、まったく不十分です。主語のイットは、状況を示します。目的語のイットは、核心を指します。 「イットイズイット」こそが、 内容を踏まえて成立する翻訳といえます。

                              由布木秀

  • ペルシア

     民族を根絶やしにするには、移住させ、言語と通貨を奪うことが効率的だと、「多重人格障害」のコラムで書きました。そういう意味からは、独自の文明をきずいた民族を歴史から消し去ることは、ほとんど不可能だと思われます。

     イラン・イスラム共和国(通称、イラン)は、よく知られているとおり、1979年、ホメイニ師を中心とするイラン革命によって、宗教上の指導者が最高権力をもつイスラム共和国として樹立されました。

     宗教と権力という図式で文明圏を整理するのは、ひとつの見方です。西洋は、権力が宗教を認めています。東洋は、権力によって宗教は認められていません。中洋(イスラーム圏)では、宗教が権力の中枢をしめるばあいがあります。深洋(インド文明圏)では、権力と宗教は二重構造です。こうした比較文明論は、作品番号01.「神の住むちかくで」の主題です。

     イランの前身は、ペルシアです。多言語国家ですが、ペルシア語が中心です。また多民族国家ですが、ペルシア人が60%程度をしめています。中央ユーラシアのステップから起こった遊牧の民、アーリア人は、インド・アーリアと、イラン・アーリアに分かれて繁栄したと考えられています。紀元前550年にキュロス大王がメディア王国を滅ぼし、古代オリエント全域の他民族を支配するペルシア帝国を建国したのは有名です。そのとき国教にされたゾロアスター教は、ヒンドゥー教と似ている部分があります。牛に対する考え方や、水を尊重する儀礼などが有名です。相互に敵対する間柄だったらしく、ゾロアスター教の最高神、アフラマズタは、ヒンドゥー教では無益な戦いを好む邪神、阿修羅に貶められています。

     その後、アレクサンドロス大王によって滅ぼされましたが、ササン朝ペルシアとしてふたたび大帝国をきずきました。さらにモンゴル人の侵入をうけ、1500年には、サファビー朝ペルシアとして復活しました。オスマントルコとの抗争をへて、1796年、テュルク系のガージャール朝が起こりました。1800年前半から第二次世界大戦までつづいた、イギリスとロシアが繰り広げた「グレートゲーム」では草刈り場になりました。作品番号04.「世界は曼荼羅のなかで」では、この第二次世界大戦中のブハラ(BUXORO)が舞台になります。

     結論からいえば、ペルシアは3000年ちかい民族としての歴史をもっています。たかだか200年程度の歴史しかないアメリカがどう攻撃しようと、この民族を滅ぼすことは不可能だろうと思います。一時的にコントロールできても、その代償は小さくないはずです。建国からの歴史が浅い、アメリカ人にしかできない発想だと思います。 

                              由布木秀

  • 多重人格障害

     「24人のビリー・ミリガン」(ダニエル・キイス)は、ヒットした小説でした。「私という他人」(H・M・クレクレー)、「失われた私」(フローラ・R・シュライバー)、なども興味深く読みました。多重人格は、ときの話題となり、至る所に発見される病と認定されました。現在では、解離性同一性障害と名称を変えられています。

     作品番号13.「アス」は、8つの人格断片が、センターをめざして抗争を繰りひろげる物語です。

     いっぽうこの病気は、医者と患者が協力してつくりあげたもの、とみなす人も多いようです。こうした問題をあつかう書籍のなかで、イワン・ハッキングの「記憶を書きかえる」は、かなり奥深い地点にまで触れた優れた著作です。

     作品番号48.「記憶と夢」は、この領域に分け入った作品です。人は毎日、朝起きるたびに自分を上書きすると記述しました。

     記憶は、短期記憶と長期記憶に分けられます。さらに、陳述性記憶と非陳述性記憶に分割できると考えられています。記憶喪失になっても、自転車には乗れるし、一般的に言語と通貨は覚えているのが普通です。

     したがって、民族を根絶やしにするのは、ホロコーストだけで起こるのではありません。住んでいた土地から移住させ、言語と通貨を奪えば、民族が生きのこるのは難しくなります。こうした手段を用いて、帝政ロシアをはじめ、たくさんの国家が少数民族を根絶やしにしてきました。現在のウクライナでも、報道を積み重ねると、一部ではこの方法がつかわれているようにみえます。戦況が思わしくなくなるにつれて、こうした報告が減ってきたことは危惧するべき事態です。

     解離性同一障害をあつかった作品の多くが、なぜ事実だとこだわる必要があるのか、いくら考えても理由が分かりません。小説、虚構、フィクションとする方が自由度が高く、いくらでも工夫ができます。後書きで一部は違っていると言いながら、ほとんど事実だと宣言し、ノンフィクションに拘泥するのは、自己承認欲求をふくんだ現代病とも考えられます。

     作品番号46.「自分史講座」は、ここに焦点をあてた作品です。作品番号7.「ダエーナー」では、現実が思うままにならないのなら、せめて過去くらい変えてみたい。という記述があります。

     作品番号.33「親友とよぶ男」は、この領域へ大胆に切りこんだフィクションです。

                              由布木秀

  • 東ローマ帝国

     私は、大学受験で世界史を選択しました。一浪して合格した大学は、不幸にも中退になりました。その後、医学部に入学するのに2年かかったので、都合4年間、世界史を勉強しました。

     教科書に記載された内容は、ローマ(イタリア)は、紀元前500年頃に共和国として成立した。キリストが生まれたころに、カエサルの養子になったアウグストゥスが初代の皇帝として即位し、版図をひろげ、パックスロマーナをうみだした。395年に東西に分裂し、西ローマ帝国は、ゲルマン民族の大移動によって崩壊した。

     いっぽう東ローマ帝国は、帝都ビザンチンをコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)と改名し、1453年まで継承された。つまり、ローマ帝国は、ずっとつづいたと思いこまされていました。

     退職後にプルタルコスを読んで、実態が、ギリシア帝国ともいえることに気がついて愕然としました。

     ギリシアについては、古代にポリスが存在し、ソクラテスやプラトンが出現した。世界帝国、アケメネス朝ペルシアとの戦いの勝って、民主主義をまもった、などが記載されていました。教科書では、ギリシアは、ここで歴史から姿をけしてしまいます。

     プルタルコスは、帝政ローマがもっとも勢いがあった紀元100年頃に活躍したギリシア人でした。神官でもあり、エジプトへも旅行した博識の教養人として知られています。著述を読むと、ローマ帝国だったもかかわらず、堂々とギリシア語を話しています。彼は、被征服民という立場ではなかったことが分かります。ギリシア語は、ローマ世界の共通語でした。

    「エジプト神イシスとオシリスの伝説」(岩波文庫)には、さまざまなことが網羅的に書かれています。イシスとオシリスについては、多くがこの本から引用されると聞いていたので繰りかえし読みました。4回目になって、わずか数行の記述だと分かりました。何しろたくさんの話題がつらなり、いろんな事項が隠されています。

     イシスとオシリスは、作品番号11.「ソフィアに会った日」で舞台設定を借用しました。さらに英雄伝の第1章、テセウス伝は、作品番号12.「アリアドネ」の主人公、テセウスを描く第1級文書として取りあつかいました。10回以上読み直しましたが、そのたびに新しい事実を発見できる奥深い著述でした。テセウスの息子、ヒィポリュトスをうんだアンティオペが率いるアマゾン軍が、アテナイにまで攻めてきます。そのとき、彼はフォボス(恐怖の神)に祈りを捧げて出陣します。なんて、生々しく書かれているのでしょうか?。この下りを発見するのに、10回も読まねばなりませんでした。

  • 小説一覧について

     作品番号は、成立順とは異なりますが、まったく無関係というわけでもありません。創作には、波がつきまといます。

     20代のころは、かなりの作品をかきました。小説一覧のなかでいちばん古い小説、30「アルジェの朝」は、21歳のときの創作です。表記法などは改めましたが、構成はできるだけ忠実に再現しています。05「旅の終わり」は、28歳のときの作品です。これも、基本的には表記法だけを変更しています。

     40歳、55歳のころにも創作期がおとずれました。クレアツーラの草稿、インドもの5作は、この時期に創作されています。60歳で退職したあと、10年以上つづく創作期がやってきたのは望外でした。作品番号、01~13までは、比較的早期に成立し、番号があたえらています。最近の2年ほどはスランプで、もう一度、創作期がきてくれるのか、分かりません。

     小説は、何回脱稿できても、主観的に完成している段階では発表できません。余韻にひたっている状況では、作品としては未完成です。私のばあいは、「そぎ落とす」ことにずっと注力してきました。ところが、数年前に「肉付け」が必要だと感じ、すべての作品をつくり直しました。この過程で、ある程度の客観的完成を得られたと思います。つきつめるなら、小説とは、著者が読者に提示する一つのクイズともいえます。ですから、筋を追うことに夢中にさせるよりも、なにが隠し球なのか、謎解きのヒントをあたえる方が小説の理解に役立つと気づいたのです。

     作品番号、53以降は、比較的あたらしい作品群です。未完とされる番号には、該当する作品がありましたが、客観的に不十分と判断され、削除されました。もう一度、創作期がくるまで生きていられれば、埋められると思います。改訂中となっている部分は、主観的には完成ですが、まだ充分な客観性を得られていない状況の作品群です。こうした創作は、6つほどありますが、これらは発表できると考えています。

                              由布木秀

  • カースト

     インドを旅すると人生観が変わる、とよくいわれます。なぜでしょうか? 若いころインドを放浪した経験にもとづいて、5つの作品を書きました。「象は二度跳ぶ」(476枚、作品番号01~04)、「ガンジスに抱かれて」(387枚、36.37.38)の2長編です。そのほかに2編の短篇小説と、旅行記があります。

     ひとり旅をつづけていると、インドの人びとと会話を交わすことになります。「おまえは、どのカーストなのか?」と必ず聞かれます。

    「日本には、カーストがない」と答えると笑われます。

     そこで考えることになるのです。

     カーストとは、生まれたときの境遇を指しています。ヒトが生を受けるのは、社会構造のなかですから、立場をもたないはずがないのです。裕福な家にうまれた者と、貧しい家庭で生をうけた者とでは、あきらかにその後の人生は違っています。本人が希望して変更することができないものです。これが、彼らのいうカーストです。

    「仏教徒」と答えると、いちおうは存在を許してもらえます。

     日本は、基本的に平等で、身分差がないといわれる。これは、いったい何でしょうか? 当たり前のように感じますが、じつは釈迦のふかい教えなのだ、という理解に到達します。知らないうちに、日本人はお釈迦さまの思想を埋めこまれているのです。

     ここではじめて、日本がインド文明の影響をはげしく受けていることに気がついて愕然とします。ほとんどは中国を経由した仏教思想につつまれ、知らないうちにインド化されています。空海は神話的な人物で、どこまでが真実なのか、虚構との境界がみつけにくくされています。

     空海が、中国から伝えてきたのは密教です。ですから、彼は否定的な意味あいをこめて、自らを旃陀羅(せんだら、インドの不可触民)といっています。親鸞聖人も、おなじことをいっています。

     阿含経典を読めば明瞭ですが、釈迦は、個人の解脱しか話していません。自分の親が戦いに敗れていくのを知っても世俗と割り切る、象徴的な物語までつくられています。完全に世捨て人の思想です。釈迦の考えに沿って理論化された小乗仏教は、インドから脱出しなければなりませんでした。

     圧倒的なヒンドゥー教をまえに、世捨て人思想をすて、世俗にまで踏み込んだのが大乗仏教です。

     さらに入りこんで、ヒンドゥー教に先祖返りしたのが密教、と考えると理解しやすいです。平安、室町時代、権力の意向にそい、政敵の呪殺を目論んで護摩を焚いて祈祷したのは、どう考えても釈迦の考えとは真逆といえます。長い漢字がつらなる仏像名は、ベールをはぎ取っていくと、インド名がでてくるのが普通です。

     日本は、マダガスカルとならんで、カーストがあったと考える人もいます。たしかに、士農工商ばかりでなく、非人、ゑた、などの差別民がいました。部落問題は、つづいています。気づかずに染みついている思考方法は、平等とは言えないようです。

     圧倒的なヒンドゥー教世界を描いたのが、「ガンジスに抱かれて」という作品です。慈愛にあふれる仏教を否定しているのではけっしてありません。

    象は二度跳ぶ」は、大乗経典に追加してもらいたいと考えて創作しました。

     お釈迦さまには、叱られそうですが。

                              由布木秀