アテナイのアクロポリスの一角に、ディオニュソス劇場の跡地をみることができます。想像していたより規模は小さく、舞台は相対的に大きすぎると感じました。
この石づくりの野外劇場は、紀元前6世紀に建築され、15000人以上を収容できたといわれます。現在みられる部分は、紀元前4世紀前半、ローマ時代に改築されたといわれています。 この劇場は、毎年春の大ディオニュシア祭において、ディオニュソスに捧げる悲劇を上演するためにつかわれたことで有名です。
古代ギリシアでは、劇場は丘などの斜面をけずって建造されました。野外劇場では、演者や合唱隊の声が聞きとれなくてはなりません。舞台は、すり鉢状に取りまく底の部分につくられました。さらに、一段ひくい部分に合唱隊(コロス)がならぶ平土間がありました。音響効果を考えなければなりませんので、舞台の後ろ側には石づくりの壁(スケーネ)が立てられていました。客席は、舞台をとりこみながら、すり鉢状の斜面に半円形につくられていました。この構造は、現在も音楽会や演劇ホールでつかわれていますので、誰でも容易に想像できます。
廃墟となっているディオニュソス劇場だけをみて、感慨にふけることはなかなか難しいです。しかしながら、ニーチェの悲劇の誕生を読むと、まったく異次元の風景がみえてきます。
演劇は、筋が理解できなくては、意味が分かりません。誰かが、経緯を説明するところからはじまります。しかし紀元前の話ですから、野外の大会場にはマイクはないのです。そこで、コロスが大声で合唱することになります。さらに演じるといっても、会場全体につたえるには、工夫が必要になってきます。
「ギリシアの楽劇」という講演(1870年)でニーチェは、この状況を説明しています。 雰囲気は、こんな感じになります。
さんさんたる白日のなかでは、夜と篝火の神秘的な雰囲気はどこにもなかった。ぎらぎらとし空間は、観客で埋めつくされていた。その20000人が、すり鉢状の底を懸命にみつめていた。そこには、あやしく動いている仮面をつけた人物の群れと、ほそながい舞台の空間をものすごくゆっくりと往来している巨人のような人形がいた。彼らは、もはや人とはよべなかった。コトルノという高い竹馬のようなものに乗り、頭の上までそびえる、極色彩の巨大な仮面をつけていた。胸や腹、腕や足にあたる部分には、不自然なほどの詰め物をつけて膨らましていた。床までとどくほどの、裾のながい衣装をひきずっていた。さらに頭部には、オンコスとよばれる重い髪飾りがついてたので、ほとんど身動きがとれなかった。それでもなお、彼らは、会場を埋めつくす20000人の観客にむけて舞台の意味を分からせねばならなかった。仮面のひろく開いた口の穴から猛烈な大声をだして経緯をかたり、歌をうたわなければならなかった。これらの俳優歌手たちは、ひとりひとりが10時間にもわたる緊張をもって、1600行の詩句を吟じ、そのなかにはすくなくとも大小6つの歌曲があった。
こういう感じです。この記述を知ってディオニュソス劇場に立つと、当時唯一の娯楽ともよべる魅力のある舞台は、相当に迫力をもっていたと考えられます。おそらく、ギリシア語が長母音から形成される事実は、こうした演劇に有利だったと思われます。子音が多い語彙体系では、コロスがいくら懸命に唱和しても観客には通じなかったでしょう。
作品番号12「アリアドネ」は、ディオニュソスなしには存在しません。ギリシア悲劇は、現代にもつうじる魅力をもちつづけています。悲劇作家たちは、こうした舞台装置を考慮したうえで創作を工夫していました。すごいですね。
由布木秀
