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民族の核

 イランは、多言語国家で、多民族国家です。しかし、イラン語、イラン民族という言葉は一般的ではありません。なにをもって、この国の人びとは、自分たちが同じ民族だと認識するのでしょうか?

 歴史的なイラン世界とは、東はアムダリア川まで、北はカスピ海の南岸、西はメソポタミアという広い国土を指しています。おおむね、ササン朝の最大版図と考えられます。当時は、「イーラーシャフル」とよばれていました。「王書」(シャー・ナーメ)とよばれる英雄神話では、アムダリアの東を「トゥーラーン」とよんで区別しています。

 イラン系の人びと(民族)とは、言語的には広義のイラン語、つまり、ソグド語、ペルシア語、タジク語などを母語として話すグループを指しています。

 イラン文化とは、中央ユーラシアやインドをふくむ広い地域の宗教、美術、建築などを起源を、「イラン」にもとめたものです。たとえばゾロアスター教を中心とする、宗教儀礼や遺跡などについて用いられます。

 文字文化としては、歴史資料や文学作品が近世ペルシア語で書かれ、流通した範囲です。10世紀末ころからあらわれ、セルジューク朝をへて、イル・ハーン朝時代に確立する「ペルシア語文化圏」になります。

 ペルシア民族のアイデンティティは、ササン朝の版図を指していると思われます。ながい歴史のなかでつくられたペルシア文明という構造に違いありません。「ペルシア」のコラムであつかったように、この国には3000年の履歴があります。かつて世界帝国をきずいた記憶は、民族の核として刻み込まれているはずです。

 国家をきずいた民族には、固有の英雄神話が存在しています。

 歴史的事実かどうかは不詳ですが、人びとは自分たちがその一部だと考える物語をもっています。おそらく歴史時代以降でさえ、多くの部族が滅ぼされていったはずです。淘汰にのこった民族は、結集する核をもっているのが普通だと思います。

 クルド民族については、「チベット」ですこし論じました。「国家をもたない世界最大の民族」には、どんなアイデンティティがあるのでしょうか。現在クルド民族とされる部族のなかには、バルザニ家や、シェイク・ウバイドゥッラー、さらに山岳部族の戦士たちの英雄神話が存在します。しかし、こうした物語は、各部族に限定されています。例えるなら、激しい戦乱を生き抜き、私たちに命をつないできてくれた父や祖父も英雄に違いありません。しかし、彼らはあくまで家族に限定されています。

 歴史的には、アナトリアのサンド朝(1750~95)は、クルド民族の王朝とされます。サファヴァー朝末期やオスマントルコが一時的に滅亡した時期には、アナトリアは、周辺にいた多くの民族の草刈り場になります。そのなかにクルド族はいますが、「クルド」という自覚があったのは不明です。アゼルバイジャンの山岳地帯にいた、ババン、ソラン、ボータン、ザザ、ラク、ロルなどを「クルド部族」とよぶのは後世の再分類でしょう。彼らは、あくまで別々の部族という観念で行動し、さまざまなイラン・トルコ王朝で奴隷傭兵(マムルーク)などで活躍していましたが、クルドという集合体ではありません。クルドとは、山岳地帯の牧畜民の総称で、統一民族ではなかったと思われます。

 十字軍を阻止したイスラム世界の英雄、サラディンは、ラク系クルド部族出身のアイユーブ家の軍事エリートで、ファーティマ朝の簒奪者です。しかし、サラディンを「クルドの英雄」とよぶのは、近代民族主義の再解釈です。

 国家レベルになると、家族、部族という範疇をこえて民族をまとめ上げる英雄が必要になります。クルドには、そうした神話的英雄がありません。結集する核構造がなければ、民族意識は生まれません。クルドの人びとは民族という意識をもたず、自分たちが3000万もいることに長いあいだ気づかなかったのかもしれません。

 クルド族は、近代になって、トルコ、シリア、イラク、そしてイランから排斥されてはじめて、自分たちが国家をもたない同一の種族だと認識したのではないでしょうか。外圧によって民族の核が生まれたケースで、被抑圧者としての共有経験がアイデンティティを形成したと考えられます。

 3000年のあいだほとんど同一地域で暮らしてきたペルシアが構成人員をかんぜんに変更しながらも、ペルシア語文明圏として強固に存在する事実は、クルド民族の異質さを鮮明に浮かびあがらせます。

                          由布木秀

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