カテゴリー: 作品紹介

  • TAT TVAM ASI

     マイケル・ジャクソンが主演した、「This is it」をみたことがあります。彼が踊りをつくる過程を描いた映画で、舞台のうえで即興のダンスを披露します。「これなんだよ」という感じの作品でした。

     TAT TVAM ASI は、サンスクリット語です。ヒンドゥー教の最大聖典「ウパニシャッド」のなかでも、四つのマハーヴァーキャ(大言句)の一つといわれています。つねに、大文字で書くべき言葉といわれます。

     TAT(それ=絶対者)

     TVAM(汝=深層主体)

     ASI(である)

    という構造だと、今回、調べて認識をあらたにしました。ずっと、TVAMは、BE動詞だとばかり考えていました。ところが、サンスクリット語は、日本語とおなじ、S+O+V という語順でした。

     井筒俊彦の作品に「バーヤジード・バスターミーのペルソナ転換」という小論があります。イスラム神秘思想でも、最奥義の言葉として語られています。

    「蛇が、その皮を脱ぎ捨てるように、私は私自身の身体を脱ぎすてた。そこで、私は私自身をながめてみた。どうだろう。驚いたことに、私はまさに彼だった」

    「私は、一人で海底の底にむかってに潜っていった。どんどん潜水していくと、輝く玉座が置かれていた。でも、そこには誰もすわっていなかった。私は、さらに潜ってちかづいてみた。ふと気がつくと、すわっていたのは私だった」

     以前、書いた小説を読んでもらえる会に所属していました。そこの会員は、年に一回作品を募集し、合評のうえ予選を行い、さらに通過した作品のなかから最優秀賞を決める企画を立てていました。100枚以下の小説で、題名、文体、表記、内容、読みやすさ、の5項目で評価するという話でした。私は、「TAT TVAM ASI」という小説を投稿してみました。

     けっこう自信があったのですが、予選で落選しました。合評した記録が送られてきて読みましたが、評価してくれた人は、ひとりもいませんでした。

    「こんな題名は、信じられない」

    「この題は、読者に寄りそう気持ちがまったくない」

    「どうせなら、小説ではなく、漫画で読みたかった」

    とかかれ、予選の順位は最低でした。それで、題名だけは変更しようと考えました。「汝は、それである」。「This is it」。「That is it」など、悩みつづけました。それが、作品番号06.「イットイズイット」です。内容は、どうしても変えられませんでした。

     この言葉は、対になった大きな姿見のあいだに立つようなイメージです。たくさんの自分が映ってみえますが、どれが本物なのか探っていきます。これでもない、あれでもない、と探求していくうちに、違うといっている自分自身に気がつきます。あるいは、真剣に神を探す作業にも似ています。神社仏閣、聖堂、聖者の家、聖なる書籍、どこを探しても神はみつからないのです。そして、気がつきます。みつからないのは当然だ。なぜなら、探している私こそが、神だったのだ。

     TAT TVAM ASI は、英語では、You are that.と直訳されるようです。しかし、それでは、まったく不十分です。主語のイットは、状況を示します。目的語のイットは、核心を指します。 「イットイズイット」こそが、 内容を踏まえて成立する翻訳といえます。

  • ペルシア

     民族を根絶やしにするには、移住させ、言語と通貨を奪うことが効率的だと、「多重人格障害」のコラムで書きました。そういう意味からは、独自の文明をきずいた民族を歴史から消し去ることは、ほとんど不可能だと思われます。

     イラン・イスラム共和国(通称、イラン)は、よく知られているとおり、1979年、ホメイニ師を中心とするイラン革命によって、宗教上の指導者が最高権力をもつイスラム共和国として樹立されました。

     宗教と権力という図式で文明圏を整理するのは、ひとつの見方です。西洋は、権力が宗教を認めています。東洋は、権力によって宗教は認められていません。中洋(イスラーム圏)では、宗教が権力の中枢をしめるばあいがあります。深洋(インド文明圏)では、権力と宗教は二重構造です。こうした比較文明論は、作品番号01.「神の住むちかくで」の主題です。

     イランの前身は、ペルシアです。多言語国家ですが、ペルシア語が中心です。また多民族国家ですが、ペルシア人が60%程度をしめています。中央ユーラシアのステップから起こった遊牧の民、アーリア人は、インド・アーリアと、イラン・アーリアに分かれて繁栄したと考えられています。紀元前550年にキュロス大王がメディア王国を滅ぼし、古代オリエント全域の他民族を支配するペルシア帝国を建国したのは有名です。そのとき国教にされたゾロアスター教は、ヒンドゥー教と似ている部分があります。牛に対する考え方や、水を尊重する儀礼などが有名です。相互に敵対する間柄だったらしく、ゾロアスター教の最高神、アフラマズタは、ヒンドゥー教では無益な戦いを好む邪神、阿修羅に貶められています。

     その後、アレクサンドロス大王によって滅ぼされましたが、ササン朝ペルシアとしてふたたび大帝国をきずきました。さらにモンゴル人の侵入をうけ、1500年には、サファビー朝ペルシアとして復活しました。オスマントルコとの抗争をへて、1796年、テュルク系のガージャール朝が起こりました。1800年前半から第二次世界大戦までつづいた、イギリスとロシアが繰り広げた「グレートゲーム」では草刈り場になりました。作品番号04.「世界は曼荼羅のなかで」では、この第二次世界大戦中のブハラ(BUXORO)が舞台になります。

     結論からいえば、ペルシアは3000年ちかい民族としての歴史をもっています。たかだか200年程度の歴史しかないアメリカがどう攻撃しようと、この民族を滅ぼすことは不可能だろうと思います。一時的にコントロールできても、その代償は小さくないはずです。建国からの歴史が浅い、アメリカ人にしかできない発想だと思います。 

  • 多重人格障害

     「24人のビリー・ミリガン」(ダニエル・キイス)は、ヒットした小説でした。「私という他人」(H・M・クレクレー)、「失われた私」(フローラ・R・シュライバー)、なども興味深く読みました。多重人格は、ときの話題となり、至る所に発見される病と認定されました。現在では、解離性同一性障害と名称を変えられています。

     作品番号13.「アス」は、8つの人格断片が、センターをめざして抗争を繰りひろげる物語です。

     いっぽうこの病気は、医者と患者が協力してつくりあげたもの、とみなす人も多いようです。こうした問題をあつかう書籍のなかで、イワン・ハッキングの「記憶を書きかえる」は、かなり奥深い地点にまで触れた優れた著作です。

     作品番号48.「記憶と夢」は、この領域に分け入った作品です。人は毎日、朝起きるたびに自分を上書きすると記述しました。

     記憶は、短期記憶と長期記憶に分けられます。さらに、陳述性記憶と非陳述性記憶に分割できると考えられています。記憶喪失になっても、自転車には乗れるし、一般的に言語と通貨は覚えているのが普通です。

     したがって、民族を根絶やしにするのは、ホロコーストだけで起こるのではありません。住んでいた土地から移住させ、言語と通貨を奪えば、民族が生きのこるのは難しくなります。こうした手段を用いて、帝政ロシアをはじめ、たくさんの国家が少数民族を根絶やしにしてきました。現在のウクライナでも、報道を積み重ねると、一部ではこの方法がつかわれているようにみえます。戦況が思わしくなくなるにつれて、こうした報告が減ってきたことは危惧するべき事態です。

     解離性同一障害をあつかった作品の多くが、なぜ事実だとこだわる必要があるのか、いくら考えても理由が分かりません。小説、虚構、フィクションとする方が自由度が高く、いくらでも工夫ができます。後書きで一部は違っていると言いながら、ほとんど事実だと宣言し、ノンフィクションに拘泥するのは、自己承認欲求をふくんだ現代病とも考えられます。

     作品番号46.「自分史講座」は、ここに焦点をあてた作品です。作品番号7.「ダエーナー」では、現実が思うままにならないのなら、せめて過去くらい変えてみたい。という記述があります。

     作品番号.33「親友とよぶ男」は、この領域へ大胆に切りこんだフィクションです。

  • 東ローマ帝国

     私は、大学受験で世界史を選択しました。一浪して合格した大学は、不幸にも中退になりました。その後、医学部に入学するのに2年かかったので、都合4年間、世界史を勉強しました。

     教科書に記載された内容は、ローマ(イタリア)は、紀元前500年頃に共和国として成立した。キリストが生まれたころに、カエサルの養子になったアウグストゥスが初代の皇帝として即位し、版図をひろげ、パックスロマーナをうみだした。395年に東西に分裂し、西ローマ帝国は、ゲルマン民族の大移動によって崩壊した。

     いっぽう東ローマ帝国は、帝都ビザンチンをコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)と改名し、1453年まで継承された。つまり、ローマ帝国は、ずっとつづいたと思いこまされていました。

     退職後にプルタルコスを読んで、実態が、ギリシア帝国ともいえることに気がついて愕然としました。

     ギリシアについては、古代にポリスが存在し、ソクラテスやプラトンが出現した。世界帝国、アケメネス朝ペルシアとの戦いの勝って、民主主義をまもった、などが記載されていました。教科書では、ギリシアは、ここで歴史から姿をけしてしまいます。

     プルタルコスは、帝政ローマがもっとも勢いがあった紀元100年頃に活躍したギリシア人でした。神官でもあり、エジプトへも旅行した博識の教養人として知られています。著述を読むと、ローマ帝国だったもかかわらず、堂々とギリシア語を話しています。彼は、被征服民という立場ではなかったことが分かります。ギリシア語は、ローマ世界の共通語でした。

    「エジプト神イシスとオシリスの伝説」(岩波文庫)には、さまざまなことが網羅的に書かれています。イシスとオシリスについては、多くがこの本から引用されると聞いていたので繰りかえし読みました。4回目になって、わずか数行の記述だと分かりました。何しろたくさんの話題がつらなり、いろんな事項が隠されています。

     イシスとオシリスは、作品番号11.「ソフィアに会った日」で舞台設定を借用しました。さらに英雄伝の第1章、テセウス伝は、作品番号12.「アリアドネ」の主人公、テセウスを描く第1級文書として取りあつかいました。10回以上読み直しましたが、そのたびに新しい事実を発見できる奥深い著述でした。テセウスの息子、ヒィポリュトスをうんだアンティオペが率いるアマゾン軍が、アテナイにまで攻めてきます。そのとき、彼はフォボス(恐怖の神)に祈りを捧げて出陣します。なんて、生々しく書かれているのでしょうか?。この下りを発見するのに、10回も読まねばなりませんでした。

  • カースト

     インドを旅すると人生観が変わる、とよくいわれます。なぜでしょうか? 若いころインドを放浪した経験にもとづいて、5つの作品を書きました。「象は二度跳ぶ」(476枚、作品番号01~04)、「ガンジスに抱かれて」(387枚、36.37.38)の2長編です。そのほかに2編の短篇小説と、旅行記があります。

     ひとり旅をつづけていると、インドの人びとと会話を交わすことになります。「おまえは、どのカーストなのか?」と必ず聞かれます。

    「日本には、カーストがない」と答えると笑われます。

     そこで考えることになるのです。

     カーストとは、生まれたときの境遇を指しています。ヒトが生を受けるのは、社会構造のなかですから、立場をもたないはずがないのです。裕福な家にうまれた者と、貧しい家庭で生をうけた者とでは、あきらかにその後の人生は違っています。本人が希望して変更することができないものです。これが、彼らのいうカーストです。

    「仏教徒」と答えると、いちおうは存在を許してもらえます。

     日本は、基本的に平等で、身分差がないといわれる。これは、いったい何でしょうか? 当たり前のように感じますが、じつは釈迦のふかい教えなのだ、という理解に到達します。知らないうちに、日本人はお釈迦さまの思想を埋めこまれているのです。

     ここではじめて、日本がインド文明の影響をはげしく受けていることに気がついて愕然とします。ほとんどは中国を経由した仏教思想につつまれ、知らないうちにインド化されています。空海は神話的な人物で、どこまでが真実なのか、虚構との境界がみつけにくくされています。

     空海が、中国から伝えてきたのは密教です。ですから、彼は否定的な意味あいをこめて、自らを旃陀羅(せんだら、インドの不可触民)といっています。親鸞聖人も、おなじことをいっています。

     阿含経典を読めば明瞭ですが、釈迦は、個人の解脱しか話していません。自分の親が戦いに敗れていくのを知っても世俗と割り切る、象徴的な物語までつくられています。完全に世捨て人の思想です。釈迦の考えに沿って理論化された小乗仏教は、インドから脱出しなければなりませんでした。

     圧倒的なヒンドゥー教をまえに、世捨て人思想をすて、世俗にまで踏み込んだのが大乗仏教です。

     さらに入りこんで、ヒンドゥー教に先祖返りしたのが密教、と考えると理解しやすいです。平安、室町時代、権力の意向にそい、政敵の呪殺を目論んで護摩を焚いて祈祷したのは、どう考えても釈迦の考えとは真逆といえます。長い漢字がつらなる仏像名は、ベールをはぎ取っていくと、インド名がでてくるのが普通です。

     日本は、マダガスカルとならんで、カーストがあったと考える人もいます。たしかに、士農工商ばかりでなく、非人、ゑた、などの差別民がいました。部落問題は、つづいています。気づかずに染みついている思考方法は、平等とは言えないようです。

     圧倒的なヒンドゥー教世界を描いたのが、「ガンジスに抱かれて」という作品です。慈愛にあふれる仏教を否定しているのではけっしてありません。

    象は二度跳ぶ」は、大乗経典に追加してもらいたいと考えて創作しました。

     お釈迦さまには、叱られそうですが。