この事件で特徴的なのは、考えられないほど広い領域の人びとがエプスタインに群がった事実です。元大統領、現大統領トランプ、ファーストレディー、メラニアをふくむ政治家、司法長官、金融エリートはもとより、サウジアラビアの王家、イギリス王室まで関与しています。さらに、天才数学者ホーキング博士までが登場してくる異様な構図です。それぞれが立派な地位と財産をもち、英知にも富んだ人びとです。なぜ、こんな下品な詐欺師の仲間になったのでしょうか?
エプスタインの物語の起点は、天才数学者です。彼は、大学も卒業できませんでした。肩書きも財産もない一人の男が、必死でエリート層に食い込もうとした涙ぐましいエピソードがあったはずです。
近年、元伊東市長の学歴詐称事件がずいぶん話題になりました。彼女は、卒業証書を本物らしくするために印鑑まで偽造したようです。手に入らないものを欲しがったときの人間心理は、計り知れない部分があります。そうしたものは、小説のテーマになります。小池東京都知事も、カイロ大学を首席で卒業したとかいう噂を耳にしました。そんなに優秀な者なら、わざわざエジプトまで行く必要もないだろうと思います。ハンガリーで息子を医者にした方を知っていますが、日本の大学に入れなかったからそうなっただけです。ずいぶん騒がれた医学部の裏口入学も、学力があって正規に合格できるなら、やる人はいません。
私が医療していた過疎では、ときに偽医者が入りこんできました。ですから委託開業であっても、卒業証書は必須でした。それでも、ときに紛れ込んできます。そうした者は、目的もなく漫然と医療をしている医者よりも有能だったりすることもあります。こういうしだいで、どちらにしても医師免許はとても重要な証書になります。
エプスタインの道が開けたのは、ニューヨークのダルトン高等学校の教師になったからです。
ウイリアム・バーは(1950~)、ジョージ・H・W・ブッシュ政権で第77代司法長官(1991~1993)になっています。第1次ドナルド・トランプ政権時にも、第85代司法長官(2019~2020)をつとめました。彼のほかに2度も長官になったのは、ジョン・J・カミングス(1850、1850~1853)しかいません。
父親、ドナルド・バー(1921~2004)は、ニューヨークのエリート校、ダルトン高等学校の校長1974年6月までつとめていました。一般的には、バーは、型破りな人間が好みで、退屈で大学を中退した数学の天才を信じたというナラティブがつくられています。番号56.「レール」には、天才数学者が出てきます。
エプスタインは、1974年9月から教師資格もなくダルトンで教鞭をとりました。バーが退職して3月後になるので、彼の採用にどの程度関わったのかは不詳とされています。この辺の事情は、錯綜し、誰も触れたがらない領域になっています。
ドナルド・バーは、CIAの前身、OSSにもかかわった硬派の実務家で、長年校長を務め、多くの教師をみてきたはずです。エプスタインのような世渡りが上手な者は嫌いだろうと思います。そんな疑わしい天才話に騙されるはずがありません。もし証言通りなら、校長という資質が問われます。バーは、ニューヨークの上流社会と深いつながりをもっていました。ウォール街の保護者とも、密接な関係を持っていました。そのなかには、大富豪、ベア・スターンズ会長のアラン・グリーンベルグがいたことが確認されています。彼は、ニューヨーク金融界の頂点にいて「エース」とよばれていました。
エプスタインは、グリーンベルグの子供の家庭教師になりました。その後、ダルトン高校の数学教師の地位を得ました。経緯を追っていくと、グリーンベルグの強力な後押しがあったと考えるのが自然です。教職資格もない彼の学歴からは、採用されることは不可能です。この経緯は闇の部分ですが、もし推薦したのなら理由は金銭的な問題では説明できません。
エプスタインは、2年間、ダルトン高校で数学を教えたとされていますが、実際には1年に満たなかった可能性が高いです。新校長は、グリーンベルグの顔を立てて庇いつづけたのでしょうが、とてもできなかったと考えられます。有名高校ですので、PTAなどから苦情があったことは想像に難くありません。彼は、その後、ウォール街の巨大投資銀行(Investment Bank)ベア・スターンズに入社しています。「エース」アラン・グリーンベルグとは、とくべつな関係をもっていたと考えるのが自然です。
エプスタインは、ダルトンで教えたという経歴によって社交界に進出していきます。息子ウイリアム・バーは、共和党政権下で2度司法長官を務めました。エプスタインによって、司法は著しく信頼を損ねました。その問題児、エプスタインを父親のドナルド・バーが世に送り出すのに一役買ったとされています。なんとも、皮肉な巡りあわせといえるでしょう。
ホーキング博士は、2006年、アメリカ領ヴァージン諸島で開催された科学学会に参加しています。エプスタインが資金提供をし、物理学者、約20名が招待されました。ホーキング博士は、エプスタインの私有地、リトル・セント・ジェームス島を訪問し、改造された潜水艦に乗って海中ツアーを楽しんだといわれています。
ナラティブでは、エプスタインの天才数学者という物語を補強したとされています。しかしながら、同席しただけというのは政治家の答弁とそっくりです。統一教会の問題でも、知らなかったではすまない倫理上の責任がついて回ります。さらに、ALSだから性的接待が無意味という論理は、まったく説得力に欠けています。げんに20名のスタッフがいたのですから、グレーな部分は歴然とのこっています。問われていのは人間の本能にかかわる部分で、否定することはとても難しい問題です。この事件の根の深さを象徴するエピソードで、利用されたと釈明するだけでは免罪符にはなりません。知性が保たれているかぎり、欲望はついて回ります。ホーキング博士だけがとくべつとは、誰にもいえないのです。
エプスタインがつくったのは、とても特殊な空間でした。どんなに名誉や地位のある方でも、「なにをしても大丈夫だろう」という印象を強くあたえる場所だったのです。だから、秘め事の舞台になったのです。登場した役者たちが、なにも知らないと言い張れば通ってしまう場所でした。ですからエプスタインにとっては、膨大な映像記録をのこす必要があったとも考えられます。
