カテゴリー: 作品の周辺

  • ヒッポリュトス

     パイドラとの悲恋物語は、サロニカ湾をはさんだトロイゼンで起こった出来事とされています。雲ひとつない地中海のつよい日差しのなかで、アテナイのアクロポリスからは、トロイゼンのアクロポリスが浮かんでみえたはずです。

     子宝にさずかりたかったアテナイの英雄、アイゲウス(エーゲ海)は、叔父のトロイゼン王、ピッテウスの館をたずね、海神ポセイドンに捧げられた島で、もてなされます。そこで、ピッテウスの娘、アイトラに出会い、恋に落ち、テセウスが生まれたとされます。

     ヒッポ、はギリシア語で馬を指します。リュトスは、解き放つ、破壊するを意味し、彼が浜辺で馬にひきずられて他界することを暗示しています。彼の母親は、アマゾン族の女王の妹、ヒッポリュテです。

     テセウスは英雄だったので、東地中海世界の果てまでいく定めをもっていました。黒海は、世界の北限で冥界にも通じていました。このちかくに、母系集団、アマゾン族が暮らしていました。彼は、ヒッポリュテ(馬を支配する女)に出会い、恋に落ち、ヒッポリュトスが生まれたことになっています。

     テセウスの親友、ペイリトオスは、ヒッポダメイア(馬を制する女)と結婚します。挙式の最中、ケンタウロス族(上半身が人間、下半身が馬)が狼藉におよび、人間界から追放されます。 

     馬は、人類がつくった素晴らしい家畜です。犬の1番は、揺るぎがたい真実です。牛、豚、猫なども甲乙つけがたい存在ですが、馬は2番に位置するかも知れません。なぜなら、過敏な馬を戦闘場面で動じなくなるまで訓練したのは、おどろくべき事実です。人類は、4つの文明圏に分かれていましたが、これを統合したのは、中央ユーラシアに繰りかえし起こった騎馬民族です。馬をたずさえた遊牧民を排除して、人類史を語るのは不可能です。

     海神ポセイドンは、天空神ゼウスと、冥界の王ハデスと、世界を三分割にしています。三叉の矛は、海、地震、馬というポセイドンの支配領域の象徴です。ですから、競馬の守護神としても崇められています。

     ヒッポリュトスは、テセウス似のたくましい若者に成長します。しかし、彼はアマゾンの血をひき、女神アルテミスの信奉者でした。

     エウリピデスの悲劇で最初の舞台は、トロイゼン王宮前の広場です。中央の大門の両脇に、アルテミスと、アフロディテの神像が建てられています。そこに、ヒッポリュトスが花冠をもって登場し、女神アルテミスに捧げます。いっぽうパイドラは、毎日、女神アフロディテに花束を捧げています。同性愛と異性愛の衝突を、美事に演出しています。

     誤解したテセウスは、ポセイドンにヒッポリュトスの死を願います。彼は、親族を殺したためにアテナイから追放されていました。だから自分自身では、殺害できない設定です。

     愛馬に乗ったヒッポリュトスが、テーバイにむかってトロイゼンの浜辺をぬけていたとき、とつぜん海から三叉の矛を持ったポセイドンがあらわれます。馬はおどろき、ヒッポリュトスは落馬し、手綱にひきずられながら他界してしまいます。

     この様子は、イギリスの画家、ジョージ・フレデリック・ウォッツが「ネプチューンの馬」という作品で、海のなかからポセイドンが馬をひきつれて出現する場面を劇的に描いています。波頭になった青白い馬は、神性を表現しています。

     この話は、ヒッポリュトスの同性愛が、父系社会を構成する父テセウスからも、祖父ポセイドンからも、はげしく拒絶された事実を表現しています。

     女神アルテミスは、死にゆくヒッポリュトスにささやきます。

    「ヒッポリュトスよ。愛するおまえに栄誉をさずけよう。これからは、トロイゼンの街では、嫁ぐまえの乙女に髪を切らせ、墓にそなえさせよう。おまえの純潔な死を悼み、ふかい悲しみの涙をくりかえしながさせよう。乙女たちが歌う歌声は、たえることないだろう。おまえの不幸な運命と、思慕したパイドラの悲恋が、いつまでも語りつがれていくために」

  • パイドラ

     クレタ文明は、ギリシア神話がうまれたころには、すでに滅んでいました。ですから、東地中海世界の覇者、ミノス大王が神話にくみこまれると、時代的に連続性がたたれることになりました。そのためミノス王を個人名でなく、王朝名として説明する研究者も存在します。こうした説にしたがえば、ミノス王は10代以上おなじ個人名だったことになります。

     神話では、ミノスには5人の子供たちがいました。娘は、長女パイドラと、次女アリアドネです。どちらも、クレタの神さまです。この二人は、鏡面構造をつくり、クレタ王家の表と裏を表現しています。パイドラは、光り輝く地中海の恵みをいっぱいに享受した明の世界。アリアドネは、その影のなかで生きる闇の象徴です。神話のこうした構図をいちばんよく伝えてくれるのは、パウサニアスの「ギリシア案内記」です。これを読まないと、小説はかけません。裏を返せば、エピソード化された、この書物のなかに入ると、イメージがあふれてきて、収拾がつかなくなるほどです。

     ギリシアの都市国家(ポリス)、アテナイは、クレタから東地中海世界の覇権をうばいます。神話のストーリーとして、アテナイの英雄、テセウスが、クレタ王女、パイドラを妻にむかえるのは至極自然です。

     誇り高き王女パイドラについては、悲劇作家、エウリピデスが「ヒッポリュトス」という作品をのこしています。ヒッポリュトスは、テセウスの異腹の息子です。彼は、同性愛者でした。エウリピデスは、この部分をきちっとかいています。この話のテーマは、母と息子という近親相姦では決してありません。パイドラは女神ですから、老いることがありません。だいいちテセウスとは、10世代以上も年うえなのです。1世代は、間違いなく誤差の範囲です。ですからこの挿話は、永遠に若く美しい女性と、彼女が情熱をもってうけいれた若いころの夫にそっくりな男性とのあいだにうまれた、純粋な悲恋物語です。この経緯は、作品番号41.「」にくわしくかかれています。もちろん、作品番号12.「アリアドネ」では、一章が割かれています。

     17世紀のフランス劇作家、ラシーヌは、この物語を「フェードル」という作品にしました。彼は、神話構造をまったく理解できない、恐ろしいほど下品な俗物です。ラシーヌが書いた作品がうけいれられた事実からみるなら、当時のフランス社交界がすでに爛熟し、腐敗していたことがよく分かります。

     

  • 魔女

     ほとんどつねに、社会的に上昇する人びとは、そのためにかえっておのれを失う。彼らは、以前とは変わってしまうからだ。彼らは、混じり合った存在、雑種となってしまう。(中略)

     困難なのは、上昇することではなく、上昇しながらも自己にとどまることである。

     ルネサンスは、15~16世紀におこったヨーロッパの文芸運動を指しています。中世から近代への移行期にあたり、ギリシア、ローマの思想と精神を復興し、さらに優れた文芸を志向した運動です。日本では、文芸復興とよばれています。都市としては、フィレンツェ。人物としては、レオナルド・ダビンチや、ミケランジェロが有名です。

     いま私たちは、歴史上こういう時期があったと理解しています。しかし、この時代を発見したのは、フランス人の歴史家、ジュール・ミシュレ(1798~1874)です。彼より以前、人びとはこういう時代認識をもちあわせていませんでした。ミシュレは、全19巻におよぶフランス史をかいたことで有名です。日本でも翻訳されていますが、私は読んだことがありません。

    「魔女」は、岩波文庫として出版されています。冒頭の部分は、後書きにかかれていたミシュレの言葉です。この本は、反キリスト教的とされ、禁書になり、フランス以外で発刊されました。 

     中世フランスでは、農奴は人間として認められていませんでした。さらに女性は、はげしい差別の対象でした。ミシュレがフェミニストと評価されるのは、このいちばん弱い者たちを「魔女」として歴史を分析したからです。そのために、この本は、フランス史という範疇をこえて、読みつがれているのです。農奴の女性たちは、社会から迫害をうけている農奴の夫からも、さらに疎外された真の犠牲者でした。彼女たちは、魔女として生きるより道がなかったことがつづられています。領主やローマ教会によって、魔女がつくられていく経緯が、ていねいに記載されています。

     現代、世界でもっとも力をもつ国の最高権力者が、なにか追及をうけると「魔女狩りだ」と反論する光景がくりかえされています。これほど違和感を覚える情景はありません。ミシュレだったら、さぞかし嘆く場面だと思われます。

     作品番号09.「海面下」は、能力をもった者が、自分におびえ、社会から追いつめられていく小説です。善悪はともかく、そういう構図で創作された作品です。

     ワイマール公国の大臣にもなった大作家ゲーテ(1749~1832)は、当時、全人といわれ賞賛の的でした。

     ミシュレは、ゲーテについて、「形式の面ではきわめて正しいが、精神の面ではそれほどではない」といっています。彼は、権力構造が人を変質させてしまうことを充分に知っていました。

     コラムの冒頭に掲げた文書を、読みかえしていただきたい。

     歴史から得た信念をもち、ローマ教会とたたかい、ナポレオン3世にもすりよらず、一介の庶民として死んだジュール・ミシュレは、英雄とよんでもいいだろうと思います。

  • エチオピア

     英雄、ペルセウスは、ゴルゴンの一人メドゥーサの首を取ってくる命令を受けます。ゼウスの息子だった彼は、軍神アテネと、ヘルメスの協力を得ます。アテネに手を引かれ、顔を見ないようにして、盾に映し出されたメドゥーサの首をとることに成功します。そのときの血しぶきから、ペガサスが生まれます。メドゥーサの首を袋に入れて飛行していると、エチオピアの王女、アンドロメダをみかけます。王女は、海の怪物ケートスの生け贄にされていました。彼は、ケートスを倒して、王女を妻にえます。

     ギリシア神話でエチオピアは、いくつか出てきますが、おそらくここがいちばん有名な話でしょう。現在のエチオピアには海がないですから、南の果てを意味しているだけです。英雄は、つねに人がいけない未知の領域に侵入する定めをもっています。そこには、金銀財宝があふれ、美女が待っています。これが神話構造の骨格です。作品番号42.「擾乱」は、英雄がテーマです。

     ペルセウスとアンドロメダの子供たちが、神話世界をつくっていく主役になります。英雄ヘラクレスや、トロイア戦禍を引きおこす美女ヘレナも、二人の系譜につらなっています。

     エチオピアとインドは、とてもよく似ています。ともに世界の果ての象徴で、憧れを持たれ、理想化されました。インドは大航海時代に冒険家たちがめざした土地です。ですから、彼らが到着した場所は、どこもインドと考えられました。この話は、作品番号05.「旅の終わり」で触れています。

     エチオピアも、ずっと未知の領域でした。イスラムが北アフリカを占有し、イェルサレムをうばうと、キリスト教を奉じる未知の帝王、プレスタージョンの王国と考えられました。ナイル川は、もともとエデンの園から流れ出ていると考えられていました。スコットランドのウイリアム・ブルースは、ナイル川を溯上し、伝説の天国、エチオピアにたどり着きます。そこはアビシニアとよばれ、戦国時代のまっただ中でした。素晴らしく美しい女性が、たくさん暮らしていました。赤銅色のアビシニア女性は、端整な顔立ち、エキゾチック、気品のある雰囲気、そして皮膚の色から美人としてしばしば語られます。生をみてみたいとずっと思ってきましたが、なかなか機会が訪れません。「ナイル探検」(岩波書店)は、小説にしたいような面白い話で詰まっています。マムルーク(奴隷出身の軍人)と、アビシニアの赤銅色の女奴隷、この組み合わせはロマンの塊です。作品番号54.「領域」の「聖なる七つの丘」は、ここにチャレンジしましたが、書き直したい小説です。もう一度創作期がくれば、書けるも知れません。

  • 大王は、どこまで行ったのか?

     アレクサンドロス3世は、紀元前356年にマケドニアで生まれたといわれます。20歳でマケドニアの王位につき、ペルシア帝国を滅ぼし、ギリシアからインド北西部にまたがる大帝国をつくったとされています。33歳のとき、バビロンで死んだとされ、わずか15年間で世界を制覇したいわれています。

     伝記では、2世紀のローマ帝国のギリシア人、政治家で、歴史家だったとされるアッリアノスが著した「アレクサンドロス大王東征伝」(岩波文庫)が第1級史料として有名です。そのほかに、プルタルコスが英雄伝で取りあげています。紀元前1世紀のギリシア人の歴史家、ディオドロスは、神話時代からローマ時代まで「歴史叢書」と名づけられた全40巻にも及ぶ著述を残しています。17巻で、アレクサンドロス大王をあつかっています。こちらについては、ネットで公開されています。

     アッリアノスの文庫本の最後には、付図がおかれ、大王の足跡を追うことができます。そこには、アフガンのカーブルからカイバル峠を越えてパンジャブ地方に入り、インダス川河口まで行ったことになっています。どの歴史家も、この考えを支持しているようですが、これが史実なのか、検討してみたいと思います。

     インドが独自の文明を築いたのは、ヒマラヤ山脈によって孤立していたからです。東は、ミャンマーとのあいだに大密林地帯がひろがっています。歴代中国のどれほど強大な王朝も、このルートで侵入した形跡はありません。アフガンは、ヒマラヤ山脈によって偏西風がながれ、山岳地帯に変えられています。インドへの道は、荒涼としたカイバル峠が有名で、玄奘三蔵もこの峠からインドに入り、この場所をぬけて唐に帰りました。もっとずっと南に、ボランという峠もあります。こちらは、インダス文明時代からの回廊で、ラピスラズリが運ばれた歴史的な通商路です。南西インドへの主要軍事ルートですが、ギリシア人には充分に知られていませんでした。アケメネス朝ペルシアが属州化していたインダス川上流のパンジャブ地方こそが、インドと考えられていたようです。

     カイバル峠は、大木も育たない痩せた荒地ですが、実用的な陸路です。この峠をぬけてインドに攻め入った勢力は、途中で引き返すのは難しかったようです。ここを通過するとは、海をわたるような、かなりの決意が必要だったと思われます。

     アッリアノスの記述は、カイバルをぬける辺りから、かなり神話的になります。具体的には、数万の軍勢を引きつれ、インダス川で戦闘します。数百隻の大艦隊をつくりますが、パンジャブ川流域に木材があったとしても500隻に上る大型船を急造することは著しく困難です。いかにも「イリアス」を彷彿とさせる描写がつづきます。破れた敵将ポロスは、非常に背がたかい人物としてかかれています。捕らえられた際に「王として扱ってもらいたい」という下りも、ホメロスがかく英雄像に重なります。心服して、大王の領地としてまもる約束も、三国志みたいに物語化されています。カイバル峠以降は、行軍距離も凄まじく、とても事実とは認定しがたくなっています。

    東地中海世界」で書いたように、インドは、ギリシア世界の東端を象徴しています。ギリシア神話では、ヘラクレスも、ディオニュソスも「インド」をぬけてやってきたことになっています。英雄や神のみが辿り着ける場所だったと考えられます。そうなってくると、アレクサンドロス大王は、どうしても行かねばならなかったはずです。事実はともかく、大王が東征したのなら、ここは入れておくべき場所でした。当時の歴史家は、物語の作者でもあったのでしょう。

     個人的には、大王はカイバル峠をぬけなかった可能性が高いと考えています。すくなくとも、古代歴史家たちの文献があるだけで、史跡などはみつけられません。インド側の史料も、みつけられません。

     アレクサンドロスは、さまざまに神話化されています。ディオドロスが、大王は虹彩異色症(オッドアイ、バイアイ)だった。世界を統一できたのは、異なる左右の瞳で、世界を常人とは違ってみていたからだ。こう記載していると紹介する本を読んだことがあります。それで、ネットで公開されている文章を読みましたが、該当部をみつけられませんでした。これも、神話的な伝説だったのでしょう。作品番号05.「旅の終わり」は、この部分を小道具としてつかっています。なかなか気づいてもらえないですが。

  • 東地中海世界

     ギリシア神話は、紀元前800年頃に、イオニア人のホメロスやヘシオドスによって、集大成されたと考えています。叙事詩が想定した舞台は、ギリシア本土、クレタ、小アジア、エジプトによって構成される東地中海世界です。トロイア戦記が大きな柱となりますから、設定は紀元前1200年頃と考えられます。この時期は、歴史的には「前1200年のカタストロフ」とよばれ、地中海東部に民族の大移動をふくむ大きな社会変革が起こったと考えられています。オリンポス12神の多くは、そのときに小アジアを経てやってきた外来神だろうと推定されています。神々の起源については、さらに東部、現在のイランあたりまで考えられるようです。こうした神々の交代が、神話では、ウラノス、クロノス、ゼウスという3代の系譜として語られているのでしょう。

     東地中海世界は、エジプトの南をすべて「エチオピア」という名称で表現しています。さらに西には地中海がひろがり、陸地が散在します。北アフリカは、リビアとよばれていました。大西洋に通じるジブラルタル海峡は、ヘラクレスの柱とよばれ世界の果てです。さらに西の海中には、クロノスが治める幸福の島があることになっています。東は、たくさんの国家があったと思われますが、かなり省略され、一番はてに「インド」があることになっていました。北は、「黒海」が果てで、冥界の入り口でした。このちかくには、魔術師だった王女メディア、アマゾン女族などが暮らしていました。

     がんらい黒という文字は、世界の外側、未知で危険な場所を意味しています。ドイツ南部にひろがるシュヴァルツヴァルトは、黒い森(ブラックホレスト)とよばれます。カラ・クム(黒い砂)は、中央アジアのトルクメニスタン に広がる大砂漠です。黒龍川(アムール)は、満州語で黒い川です。ヒマラヤの北部につらなるカラコルム山脈は、テュルク語系(中央アジア語)で、黒い山脈を意味しています。日本でもたくさん使用例があり、たとえば、黒部は深い渓谷です。

     歴史的な調査では、クレタ文明は、1200年よりずっと前に崩壊しています。神話世界では、海洋国家だったクレタは、東地中海の覇者でした。有名な迷宮があったとされるクノッソス宮殿の遺跡に、行ったことがあります。宮殿までつながるアムニソス川の河口は、砂浜で浅瀬がつづいていました。巨大な双斧の軍旗がはためくミノスの軍艦が、浅瀬にたくさん引き上げられていたのだろうと空想できました。

     神話では、クレタ王国の支配者、ミノスには、ふたりの娘がいます。姉がパイドラ、妹がアリアドネです。アテネに民主制を引いたという伝説をもつ英雄テセウスは、クレタ王国を滅ぼし、アテナイに覇権をもたらします。作品番号12.「アリアドネ」は、ふたりを主人公にしています。しかし、どう考えても、テセウスが生きたとされる時代は、アリアドネと10世代くらい違います。こうした矛盾をかかえる部分が、神話の面白いところです。

  • TAT TVAM ASI

     マイケル・ジャクソンが主演した、「This is it」をみたことがあります。彼が踊りをつくる過程を描いた映画で、舞台のうえで即興のダンスを披露します。「これなんだよ」という感じの作品でした。

     TAT TVAM ASI は、サンスクリット語です。ヒンドゥー教の最大聖典「ウパニシャッド」のなかでも、四つのマハーヴァーキャ(大言句)の一つといわれています。つねに、大文字で書くべき言葉といわれます。

     TAT(それ=絶対者)

     TVAM(汝=深層主体)

     ASI(である)

    という構造だと、今回、調べて認識をあらたにしました。ずっと、TVAMは、BE動詞だとばかり考えていました。ところが、サンスクリット語は、日本語とおなじ、S+O+V という語順でした。

     井筒俊彦の作品に「バーヤジード・バスターミーのペルソナ転換」という小論があります。イスラム神秘思想でも、最奥義の言葉として語られています。

    「蛇が、その皮を脱ぎ捨てるように、私は私自身の身体を脱ぎすてた。そこで、私は私自身をながめてみた。どうだろう。驚いたことに、私はまさに彼だった」

    「私は、一人で海底の底にむかってに潜っていった。どんどん潜水していくと、輝く玉座が置かれていた。でも、そこには誰もすわっていなかった。私は、さらに潜ってちかづいてみた。ふと気がつくと、すわっていたのは私だった」

     以前、書いた小説を読んでもらえる会に所属していました。そこの会員は、年に一回作品を募集し、合評のうえ予選を行い、さらに通過した作品のなかから最優秀賞を決める企画を立てていました。100枚以下の小説で、題名、文体、表記、内容、読みやすさ、の五項目で評価するという話でした。私は、「TAT TVAM ASI」という小説を投稿してみました。

     けっこう自信があったのですが、予選で落選しました。合評した記録が送られてきて読みましたが、評価してくれた人は、ひとりもいませんでした。

    「こんな題名は、信じられない」

    「この題は、読者に寄りそう気持ちがまったくない」

    「どうせなら、小説ではなく、漫画で読みたかった」

    とかかれ、予選の順位は最低でした。それで、題名だけは変更しようと考えました。「汝は、それである」。「This is it」。「That is it」など、悩みつづけました。それが、作品番号06.「イットイズイット」です。内容は、どうしても変えられませんでした。

     TAT TVAM ASI は、英語では、You are that.と直訳されるようです。しかし、それでは、まったく不十分です。主語のイットは、状況を示します。目的語のイットは、核心を指します。 「イットイズイット」こそが、 内容を踏まえて成立する翻訳といえます。

     

  • ペルシア

     民族を根絶やしにするには、移住させ、言語と通貨を奪うことが効率的だと、「多重人格障害」のコラムで書きました。そういう意味からは、独自の文明をきずいた民族を歴史から消し去ることは、ほとんど不可能だと思われます。

     イラン・イスラム共和国(通称、イラン)は、よく知られているとおり、1979年、ホメイニ師を中心とするイラン革命によって、宗教上の指導者が最高権力をもつイスラム共和国として樹立されました。

     宗教と権力という図式で文明圏を整理するのは、ひとつの見方です。西洋は、権力が宗教を認めています。東洋は、権力によって宗教は認められていません。中洋(イスラーム圏)では、宗教が、権力の中枢をしめるばあいがあります。深洋(インド文明圏)では、権力と宗教は、二重構造です。こうした比較文明論は、作品番号1.「神の住むちかくで」の主題です。

     イランの前身は、ペルシアです。多言語国家ですが、ペルシア語が中心です。また多民族国家ですが、ペルシア人が60%程度をしめています。中央ユーラシアのステップから起こった遊牧の民、アーリア人は、インド・アーリアと、イラン・アーリアに分かれて繁栄したと考えられます。紀元前550年にキュロス大王がメディア王国を滅ぼし、古代オリエント全域の他民族を支配するペルシア帝国を建国したのは有名です。そのとき国教にされたゾロアスター教は、ヒンドゥー教と似ている部分があります。牛に対する考え方や、水を尊重する儀礼などが有名です。相互に敵対する間柄だったらしく、ゾロアスター教の最高神、アフラマズタは、ヒンドゥー教では無益な戦いを好む邪神、阿修羅に貶められています。

     その後、アレクサンドロス大王によって滅ぼされましたが、ササン朝ペルシアとしてふたたび大帝国をきずきました。さらにモンゴル人の侵入をうけ、1500年には、サファビー朝ペルシアとして復活しました。オスマントルコとの抗争をへて、1796年、テュルク系のガージャール朝が起こりました。やがてイギリス、ロシアが繰り広げたグレートゲームの草刈り場になりました。

     結論からいえば、3000年ちかい民族としての歴史をもっています。たかだか200年程度の歴史しかないアメリカがどう攻撃しようと、この民族を滅ぼすことは不可能だろうと思います。一時的にコントロールできても、その代償は小さくないはずです。建国からの歴史が浅い、アメリカ人にしかできない発想だと思います。 

  • 多重人格障害

     「24人のビリー・ミリガン」(ダニエル・キイス)は、ヒットした小説でした。「私という他人」(H・M・クレクレー)、「失われた私」(フローラ・R・シュライバー)、なども興味深く読みました。多重人格は、ときの話題となり、至る所に発見される病と認定されました。現在では、解離性同一性障害と名称を変えられています。作品番号13.「アス」は、8つの人格断片が、センターをめざして抗争を繰りひろげる物語です。いっぽうこの病気は、医者と患者が協力してつくりあげたもの、とみなす人も多いようです。こうした問題をあつかう書籍のなかで、イワン・ハッキングの「記憶を書きかえる」は、かなり奥深い地点にまで触れた優れた著作です。作品番号48.「記憶と夢」は、この領域に分け入った作品です。人は毎日、朝起きるたびに自分を上書きする、と記述しました。記憶は、短期記憶と長期記憶に分けられます。さらに、陳述性記憶と非陳述性記憶に分割できると考えられています。記憶喪失になっても、自転車には乗れるし、一般的に言語と通貨は覚えているのが普通です。ですから、民族を根絶やしにするのは、ホロコーストだけで起こるのではありません。住んでいた土地から移住させ、言語と通貨を奪えば、民族が生きのこるのは難しくなります。こうした手段を用いて、帝政ロシアをはじめ、たくさんの国家が少数民族を根絶やしにしました。現在のウクライナでも、報道を積み重ねると、一部ではこの方法がつかわれているようにみえます。戦況が思わしくなくなるにつれて、こうした報告が減ってきたことは危惧するべき事態です。

     解離性同一障害をあつかった作品の多くが、なぜ事実だとこだわる必要があるのか、いくら考えても理由が分かりません。小説、虚構、フィクションとする方が自由度が高く、いくらでも工夫ができます。後書きで一部は違っていると言いながら、ほとんど事実だと宣言し、ノンフィクションに拘泥するのは、自己承認欲求をふくんだ現代病とも考えられます。作品番号46.「自分史講座」は、ここに焦点をあてた作品です。作品番号7.「ダエーナー」では、現実が思うままにならないのなら、せめて過去くらい変えてみたい。という記述があります。作品番号.33「親友とよぶ男」は、この領域へ大胆に切りこんだフィクションです。

  • 東ローマ帝国

     私は、大学受験で世界史を選択しました。一浪して合格した大学は、不幸にも中退になりました。その後、医学部に入学するのに2年かかったので、都合4年間、世界史を勉強しました。教科書に記載された内容は、ローマ(イタリア)は、紀元前500年頃に共和国として成立した。キリストが生まれたころに、カエサルの養子になったアウグストゥスが初代の皇帝として即位し、版図をひろげ、パックスロマーナをうみだした。395年に東西に分裂し、西ローマ帝国は、ゲルマン民族の大移動によって崩壊した。いっぽう東ローマ帝国は、帝都ビザンチンをコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)と改名し、1453年まで継承された。つまり、ローマ帝国は、ずっとつづいたと思いこまされていました。

     退職後にプルタルコスを読んで、実態が、ギリシア帝国ともいえることに気がついて愕然としました。ギリシアについては、古代にポリスが存在し、ソクラテスやプラトンが出現した。世界帝国、アケメネス朝ペルシアとの戦いの勝って、民主主義をまもった、などが記載されていました。教科書では、ギリシアは、ここで歴史から姿をけしてしまいます。

     プルタルコスは、帝政ローマがもっとも勢いがあった紀元100年頃に活躍したギリシア人でした。神官でもあり、エジプトへも旅行した博識の教養人として知られています。著述を読むと、ローマ帝国だったもかかわらず、堂々とギリシア語を話しています。彼は、被征服民という立場ではなかったことが分かります。「エジプト神イシスとオシリスの伝説」(岩波文庫)には、さまざまなことが網羅的に書かれています。イシスとオシリスについては、多くがこの本から引用されると聞いていたので繰りかえし読みました。4回目になって、わずか数行の記述だと分かりました。何しろたくさんの話題がつらなり、いろんな事項が隠されています。

     イシスとオシリスは、作品番号11.「ソフィアに会った日」で舞台設定を借用しました。さらに英雄伝の第1章、テセウス伝は、作品番号12.「アリアドネ」の主人公、テセウスを描く第1級文書として取りあつかいました。10回以上読み直しましたが、そのたびに新しい事実を発見できる奥深い著述でした。テセウスの息子、ヒィポリュトスをうんだアンティオペが率いるアマゾン軍が、アテナイにまで攻めてきます。そのとき、彼はフォボス(恐怖の神)に祈りを捧げて出陣します。なんて、生々しく書かれているのでしょうか?。この下りを発見するのに、10回も読まねばなりませんでした。

PAGE TOP