ペルシア

 民族を根絶やしにするには、移住させ、言語と通貨を奪うことが効率的だと、「多重人格障害」のコラムで書きました。そういう意味からは、独自の文明をきずいた民族を歴史から消し去ることは、ほとんど不可能だと思われます。

 イラン・イスラム共和国(通称、イラン)は、よく知られているとおり、1979年、ホメイニ師を中心とするイラン革命によって、宗教上の指導者が最高権力をもつイスラム共和国として樹立されました。

 宗教と権力という図式で文明圏を整理するのは、ひとつの見方です。西洋は、権力が宗教を認めています。東洋は、権力によって宗教は認められていません。中洋(イスラーム圏)では、宗教が、権力の中枢をしめるばあいがあります。深洋(インド文明圏)では、権力と宗教は、二重構造です。こうした比較文明論は、作品番号1.「神の住むちかくで」の主題です。

 イランの前身は、ペルシアです。多言語国家ですが、ペルシア語が中心です。また多民族国家ですが、ペルシア人が60%程度をしめています。中央ユーラシアのステップから起こった遊牧の民、アーリア人は、インド・アーリアと、イラン・アーリアに分かれて繁栄したと考えられます。紀元前550年にキュロス大王がメディア王国を滅ぼし、古代オリエント全域の他民族を支配するペルシア帝国を建国したのは有名です。そのとき国教にされたゾロアスター教は、ヒンドゥー教と似ている部分があります。牛に対する考え方や、水を尊重する儀礼などが有名です。相互に敵対する間柄だったらしく、ゾロアスター教の最高神、アフラマズタは、ヒンドゥー教では無益な戦いを好む邪神、阿修羅に貶められています。

 その後、アレクサンドロス大王によって滅ぼされましたが、ササン朝ペルシアとしてふたたび大帝国をきずきました。さらにモンゴル人の侵入をうけ、1500年には、サファビー朝ペルシアとして復活しました。オスマントルコとの抗争をへて、1796年、テュルク系のガージャール朝が起こりました。やがてイギリス、ロシアが繰り広げたグレートゲームの草刈り場になりました。

 結論からいえば、3000年ちかい民族としての歴史をもっています。たかだか200年程度の歴史しかないアメリカがどう攻撃しようと、この民族を滅ぼすことは不可能だろうと思います。一時的にコントロールできても、その代償は小さくないはずです。建国からの歴史が浅い、アメリカ人にしかできない発想だと思います。 

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