ヒッポリュトス

 パイドラとの悲恋物語は、サロニカ湾をはさんだトロイゼンで起こった出来事とされています。雲ひとつない地中海のつよい日差しのなかで、アテナイのアクロポリスからは、トロイゼンのアクロポリスが浮かんでみえたはずです。

 子宝にさずかりたかったアテナイの英雄、アイゲウス(エーゲ海)は、叔父のトロイゼン王、ピッテウスの館をたずね、海神ポセイドンに捧げられた島で、もてなされます。そこで、ピッテウスの娘、アイトラに出会い、恋に落ち、テセウスが生まれたとされます。

 ヒッポ、はギリシア語で馬を指します。リュトスは、解き放つ、破壊するを意味し、彼が浜辺で馬にひきずられて他界することを暗示しています。彼の母親は、アマゾン族の女王の妹、ヒッポリュテです。

 テセウスは英雄だったので、東地中海世界の果てまでいく定めをもっていました。黒海は、世界の北限で冥界にも通じていました。このちかくに、母系集団、アマゾン族が暮らしていました。彼は、ヒッポリュテ(馬を支配する女)に出会い、恋に落ち、ヒッポリュトスが生まれたことになっています。

 テセウスの親友、ペイリトオスは、ヒッポダメイア(馬を制する女)と結婚します。挙式の最中、ケンタウロス族(上半身が人間、下半身が馬)が狼藉におよび、人間界から追放されます。 

 馬は、人類がつくった素晴らしい家畜です。犬の1番は、揺るぎがたい真実です。牛、豚、猫なども甲乙つけがたい存在ですが、馬は2番に位置するかも知れません。なぜなら、過敏な馬を戦闘場面で動じなくなるまで訓練したのは、おどろくべき事実です。人類は、4つの文明圏に分かれていましたが、これを統合したのは、中央ユーラシアに繰りかえし起こった騎馬民族です。馬をたずさえた遊牧民を排除して、人類史を語るのは不可能です。

 海神ポセイドンは、天空神ゼウスと、冥界の王ハデスと、世界を三分割にしています。三叉の矛は、海、地震、馬というポセイドンの支配領域の象徴です。ですから、競馬の守護神としても崇められています。

 ヒッポリュトスは、テセウス似のたくましい若者に成長します。しかし、彼はアマゾンの血をひき、女神アルテミスの信奉者でした。

 エウリピデスの悲劇で最初の舞台は、トロイゼン王宮前の広場です。中央の大門の両脇に、アルテミスと、アフロディテの神像が建てられています。そこに、ヒッポリュトスが花冠をもって登場し、女神アルテミスに捧げます。いっぽうパイドラは、毎日、女神アフロディテに花束を捧げています。同性愛と異性愛の衝突を、美事に演出しています。

 誤解したテセウスは、ポセイドンにヒッポリュトスの死を願います。彼は、親族を殺したためにアテナイから追放されていました。だから自分自身では、殺害できない設定です。

 愛馬に乗ったヒッポリュトスが、テーバイにむかってトロイゼンの浜辺をぬけていたとき、とつぜん海から三叉の矛を持ったポセイドンがあらわれます。馬はおどろき、ヒッポリュトスは落馬し、手綱にひきずられながら他界してしまいます。

 この様子は、イギリスの画家、ジョージ・フレデリック・ウォッツが「ネプチューンの馬」という作品で、海のなかからポセイドンが馬をひきつれて出現する場面を劇的に描いています。波頭になった青白い馬は、神性を表現しています。

 この話は、ヒッポリュトスの同性愛が、父系社会を構成する父テセウスからも、祖父ポセイドンからも、はげしく拒絶された事実を表現しています。

 女神アルテミスは、死にゆくヒッポリュトスにささやきます。

「ヒッポリュトスよ。愛するおまえに栄誉をさずけよう。これからは、トロイゼンの街では、嫁ぐまえの乙女に髪を切らせ、墓にそなえさせよう。おまえの純潔な死を悼み、ふかい悲しみの涙をくりかえしながさせよう。乙女たちが歌う歌声は、たえることないだろう。おまえの不幸な運命と、思慕したパイドラの悲恋が、いつまでも語りつがれていくために」

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