,

アテネ探訪2

 アテナイ、アクロポリスには周回路があり、ややなだらかな西斜面の「聖なる階段」で表玄関の大門に通じていた。堂々とした神山の入り口の、東西各6本の円柱からなる中央棟をぬけて右にまがると南翼屋が造設され、西がわは、さらに人工的な堡塁がつきでて、そこに「翼なき勝利の女神」ニケ・アプテロス神殿がたてられていた。この白大理石の美しい小神殿の周囲に、高さ1メートルほどの大理石の欄干がつくられていた。もっとも西の神殿裏手にあたる手摺りには、このうえなく優美な「サンダルの紐を解くニケの像」が浮き彫りにされていた。そのまえに立つと、サロニカ湾が一望できた。

「アリアドネ」でこう書いたので、「サンダルの紐を解くニケの像」はみるはずでした。行列のなかで、すっかり忘失していました。もう一度、山道を登る気にもなれませんでした。よく考えてみると、こんな素晴らしい手摺りを、野ざらしにしておくはずがありません。取り払われていたのだろうと、思いなおしました。

 ローマン・アゴラから北にむかうと、モナスティラキ駅があります。街並みは、古着、古本、骨董、工具、雑貨店が軒をつらねています。どこもガラガラで、商売がうまくいっているようにはみえませんでした。このちかくには、曜日によっては露天やフリーマケットもでるようです。雑踏からはなれて、時間がゆっくりとながれていました。

 道に面して、レストランがみえます。壁はありませんが、階段を3つくらい上がるので、テーブルは舗道に、はみでていません。店内に客の姿はなく、日陰になった端の席にすわりました。湿気がないので日陰はすずしく、ゆったりとした風を感じました。閑散としたエルムー通りをながめていると、街に溶けこんでいく気がします。静かな懐かしい雰囲気で、見知らぬ街にひとりでいるという異国情緒を感じさせてくれました。

 そこで、ギリシア・コーヒーを飲みました。

 ギリシア語では 、エリニコス・カフェ(Ελληνικός καφές)というそうです。粉末になるまで挽いた豆を、水と砂糖といっしょに小鍋で煮ます。粉はカップの底に沈殿するので、飲むのは上ずみだけになります。トルコ・コーヒーとおなじで、エキゾチックな雰囲気を味わえることになります。

国・文化抽出方式豆の挽き方文化的背景
イタリア高圧抽出
エスプレソ
極細挽き都市文化
スピード感
ギリシア
トルコ
煮出し式粉末状オスマン的
長い会話
フランスフィルターカフェオレ中挽きカフェ文化長居
アメリカドリップ中挽き大衆文化
軽い味

 ヨーロッパの知識人は、ギリシアとエジプトを偏愛するといわれます。しかし、ギリシア人が憧れたのは、エジプトではありませんでした。あきらかにオリエント、太陽が昇ってくる地域です。その結果、ギリシアは、東ローマ帝国という「オリエント」になったのでした。

 エルムー通りを30分ほどゆっくりと歩くと、シンタグマ広場がみえてきます。そこから鉄道にのりました。地下にはなっていませんが、地上よりずっとひくかった記憶があります。

 ピレウス駅にもどりましたが、観光地なのでタクシーには愉快に乗れません。それで、ファリロまで日盛りのなかを歩くことにしました。そのお陰で、大きな白い教会をみつけました。青いドームが印象的でした。聖ニコラオス聖堂は、ギリシア正教会の大聖堂です。

 ロングウオールの「中間壁」とほぼおなじ場所につくられた3キロほどの道は、6車線の大通りになっていました。

 ファリロは、桟橋が突きでて平屋の店がならんでいました。ヨットハーバーもみた気がします。

 海は、ギリシア人の憧れでした。さまざまなものをもたらしくれますが、乗りこえるべき恐怖も併存していました。ファレロン港には、さまざまな聖所が設けられていました。デメテル、ディオニュソス、アプロディテの聖所があったと記されています。異教になりましたのですべて取り払われたのでしょう。

 カール・ケレーニーの邦題「ギリシアの光と神々」と読んだことがあります。クレタ、アテネの旅は、「地中海の光」を思う存分味わうことができました。

                          由布木秀

投稿をさらに読み込む