このコラムでは、アラン・グリーンベルグを取りあげたいと思います。
グリーンベルグ(1927~2014)は、大手投資銀行、アメリカ5大証券の一角だった、ベア・スターンズの会長でした。ニューヨーク金融界の頂点に君臨し、「エース」とよばれていました。彼こそ、くすぶっていたエプスタインを引きあげ、役職でも優遇し、上流階級にみちびいた張本人といっても差しつかえありません。とうぜん、ウィキペディアでも紹介されています。
グリーンベルグは、2010年、「ベア・スターンズの興隆と崩壊」(The Rise and Fall of Bear Stearns)という回想録を出版します。そのなかでは、エプスタインについて一言も語られていません。まるで、彼の人生とはまったく関係がなかったかのように扱ったのです。回想録を出版すること自体が、真実とは違うナラティブを世間に承認してもらいたいという欲求に勝てなかった表現です。作品番号46.「自分史講座」では、こうした心理を分析しています。
グリーンベルグは、社員の雑談を禁止し、会議をみじかくし、成果主義を徹底させた規律の鬼といわれます。倹約家で、幹部の給与を抑え、寄付を義務化したなど、過剰な演出が目立つ人物です。トランプの結婚式にも出席し、親密度もアッピールしています。「エース」という異名は、 実務、勝負勘、演出力のすべてを兼ね備えていたからだと説明されます。
グリーンベルグの物語は、自力で底辺からウォール街の頂点まで這い上がってきた人物像です。ベア・スターンズに週給32.5ドルの事務員として入社したと特記されています。これは、1日1000円にも満たない額ですから生活できるはずもなく、なにを伝えたいのかも不明な記述です。いずれにせよ、学歴も家柄もない「たたき上げ」、というナラティブがつくられています。しかしながら、ウィキペディアをよむと、オクラホマの上中流階級の地区で育っています。学歴としては、オクラホマ大学に入学し、その後、ミズーリ大学に編入し、1949年に経営学の学士号を取っています。事実は、物語とは違ってみえます。
グリーンベルグは、魔術が趣味で「社会人マジシャン協会」の会員で、トランプの達人だったとも評されています。1949年、ベア・スターンズに入社し、1978年にはCEOに昇格していますので、世渡りが下手だったとは考えられません。1985~2001年のあいだ、会長職を務めています。2001年以降は、エグゼクティブ委員会議長という肩書きを持っています。2008年のサブプライム危機で、ベア・スターンズは破綻しますが、JPMorganに救済買収されます。この事件で多くの社員が財産をうしないますが、驚くべきことに、彼は、ほぼ無傷だったといわれます。その後、JPMorganの名誉副会長として在任しています。2010年に回想録を発表し、2014年、86歳で死去しています。この経歴から判断すれば、「いわゆる善人」でないことだけは明らかです。いかにも、胡散臭い人物です。
エプスタインは、1971年9月、ニューヨーク大学、クーラント数理科学研究所に入学します。1974年6月、中退しています。そのころ、グリーンベルグの子供の家庭教師になっています。この時期に、彼は、富裕層の子弟を集めたニューヨークの名門校「ダルトン・スクール」に採用されます。教師資格も、学歴も、手蔓もなかったエプスタインがつとめるためには、グリーンベルグの強力な後押しがあったと考えるのが自然です。ダルトン離職後の1976年、一流企業のベア・スターンズに採用されます。物語としては、採用時の面接でグリーンベルグを感心させたといわれています。しかし、金融の教育も受けていない男に、多忙なグリーンベルグが面接したという話には、やや無理があります。こうしたエピソードは、不明朗な事実を正当化する典型的なエピソードです。事実は、グリーンベルグとの個人的なつながりがあったと考えられます。やがて、特別プロダクト部門で富裕層を扱う立場に昇格します。わずか4年後の1980年、「リミテッド・パートナー」に昇格します。
ニューヨークタイムズは、「エプスタインが、グリーンベルグの寵愛を受けていた」という、ある幹部の証言をつたえています。
1981年、エプスタインは、ベア・スターンズをとつぜん退社します。しかし、その理由は伏せられています。
1980年にエプスタインが関与した金融商品(Liquid Funding)は、きわめて透明性が低く、問題をかかえていたといわれます。この時期に彼の資産は、爆発的に増加しています。1980年後半には、富裕層の資産家としてみとめられています。2000年頃、エプスタインは、ベア・スターンズと共同で設立した企業で、コンサルタントとして関与します。ベア・スターンズの豊富な資金を使って、レバレッジ商品を運用しています。サブプライム危機で破綻しましたが、彼は個人的な損失を負わなかったとされます。
金融のプロとしての教育がなかったエプスタインが、これほどの地位につき、多額の資金を運用するには、会長職をつとめたグリーンベルグの後押しなしに可能だったとは思われません。二人は、かなり親密だったと考えるのが普通でしょう。
2003年、エプスタインの友人や関係者たちが、50歳の誕生日を祝うパーソナライズされたグリーティングが入った3巻のアルバム「The First Fifty Years」を贈ったとされます。2025年7月のウォール・ストリート・ジャーナルの記事で初めて報じられました。そこには、ドナルド・トランプが署名したとされる手紙も詳述されていました。裸の女性の手描きの輪郭が描かれ、最後に「毎日が、また素晴らしい秘密になりますように」という言葉で締めくくられていると説明されました。
エプスタインは、2008年、未成年者に対する性的犯罪で有罪判決を受けています。
グリーンベルグは、2003年「ジェフリー・エプスタインの誕生日記念本」に、寄稿しています。彼がエプスタインの輪に入っていたのは、事実でしょう。回顧録で一切の弁明をしなかったことは、関係の深さを想像させます。
