出て行けなんて、言わないでくれよ。
だって、おれは、ここで生まれたんだから。
パレスチナの詩人、ファウジ(フォージ)・エル・アスマールは、「リッダ」のなかで、こんな詩を書いています。彼は、ハイファでの少年時代から、土地の没収、差別、抑圧の構造を目撃した経験を語っています。1968年、行政拘束囚とされました。この書籍のなかで、占領下での生活と抵抗の記録を克明に描いています。自伝の一種ですが、パレスチナ近現代史の一次証言として高い評価を得ています。
パレスチナ問題は、大国のエゴによって生みだされた悲惨な物語です。
とくに近年のイスラエルは過激化し、国民の総意とはとても思われない蛮行が日常化しています。仮にも民主主義という枠に存在するはずの超大国の大統領が、完全な解決策として「パレスチナをリゾートとする」と主張したのは、彼の粗野な精神構造を浮き彫りにする発言でした。ヒトラーが「最終的解決」と称してホロコーストを行った歴史と、どうしても重なりあってしまいます。
パレスチナ問題の解決のためには、イスラエルがこれ以上、領土を拡張しないことが最低の条件です。たがいの存在を認めあわないで、排斥するだけでは解決できないのは明らかです。
私は、アスマールが、なぜ「リッダ」という題名をつかったのか興味があります。
リッダは、背教、棄教を意味しています。
イスラム教の開祖ムハンマドは、アラビア半島内の諸部族と、アッラーの預言者である彼にしたがうという盟約を結んでいました。しかし632年、ムハンマドが死ぬと、イスラム世界は動揺します。初代カリ、アブー・バクルが後継者となると、諸部族は権威をみとめずに契約を一方的に破棄しました。彼は、カリにしたがわない部族は、イスラムの教えをすて、背いたとして討伐軍を派遣しました。この戦いを「リッダ戦争」とよびます。
アスマールは、イスラム教徒です。彼は、イスラム教をすてたのではないのです。 彼は、おそらく共同体から追放されたことを、この言葉に託したと考えられます。このリッダ戦争とは、よく考えてみると、諸部族はイスラム教をすてたのではなく、権力から「棄教とみなされた」ということです。つまり本人の意志ではなく、リッダという言葉は、権力がつかう言葉ということになります。「非国民」や「非愛国者」などとおなじ構造をもつ、レッテル貼りだと考えられます。だから、あえて彼はこの言葉をつかったのでしょう。
作品番号59「リッダ」は、こういう背景で読んでいただけると、意味がよく理解できるのではないかと思います。
