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仏像彫刻

作品番号14「仏陀の弟子たち」を創作するために、仏像彫刻について研究しました。関連する書籍を50冊くらい読みました。

 理解したことを小説に書いていくと、仏教彫刻の教科書になってしまいます。これは、どういう作品にも当てはまりますが、やがてすべて省かれる運命になっています。創作の基盤と内容は、まったく別物だからです。いくら研究しても、自分が仏像彫刻家でないかぎり、ほんとうの部分は不明なのです。そこまで合点がいって、はじめて創作のなかで生きてくる部分です。

 彫像という分野は、非常に特殊です。勝手につくっても、どこに置いたらいいのか分かりません。とくに仏像彫刻は、先達の仏師に教えを請う必要があります。発願する人がいて、また仏師とのあいだを取りもつ導師が不可欠です。さらにつくられた仏像を崇めてくれる、衆生がそろわねばなりません。要するに勝手につくっても、設置する場所がないのです。

 有名な芸大出身の仏師、西村公朝は、自分を職人だとくりかえしています。

 松久朋琳の「京仏師60年」を読むと、制作は、仏像彫刻の中心となる木彫師のほか、彩色師、金箔師、木地師(木材選定から形出しまで担当)、漆工師(漆塗師)、蒔絵師(漆面に金粉や銀粉で模様を描く専門家)、錺金具師(仏具担当)などが協力して行う作業のように書いてあります。

 円空、木喰などは、非常に例外的な存在です。

 仏像には、造形規範があります。1)身体比例(プロポーション規範)、2)相貌(顔の造形規範)、3)印相(手の形)、4)持物(シンボル)、5)服装、装身具、色彩という体系からなり、こうしたものが揃って「仏としての姿」がはじめて成立します。

 仏師は、自己表現する芸術家ではなく、職人になる必要があるようです。

「仏陀の弟子たち」では、芸大出の主人公は、観音菩薩の肌の柔らかさを示す

首についた三本の皺(煩悩、業、苦を象徴する)に、自分の飛躍を願って一本つけくわえます。それが、室生寺の住職を怒らせ、導師をうしなってしまいます。

 ラージギルで会った彫刻家は、いつでも黙々と仏像を彫っていました。私は、この方に会いに行ったのです。そのおり、彼の別れた奥さんが新しいご主人と娘をつれて面会にきたという話をききました。思いかえしてみると、私の勘違いだった可能性もあります。創作のなかで、勝手に考えたイメージだったかもしれません。

 真偽不明ですが、そのモチーフが、この作品の創作につながったのは間違いない事実です。

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