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エプスタイン・ファイル、06

 エプスタインは、1974年9月、21歳でダルトン・スクールで数学の教師をしました。1976年、アラン・グリーンベルグが取締役だった大手金融会社、ベア・スターンズに入社します。すぐにオプション・トレーダーに昇進し、1980年(28歳)にはリミテッド・パートナーになっています。彼は、「超富裕層の顧客にたいし、莫大な税金を節約できる複雑な取引戦略」を提供していたと報じられています。アラン・グリーンベルグとは、師弟関係のだったといわれています。1981年に、不正取引を理由にベア・スターンズから2ヶ月の出場停止処分を受け、その後、辞職しています。

 1981年8月、金融コンサルティング会社、インター・コンティネンタル・アセット・グループ(IAG)を設立しています。富裕層の金銭問題にからんで多額の資産をつくったといわれています。こうした実績をかさね、富裕層と強いつながりをもったエプスタインは、1980年代半ばには、ベア・スターンズにとっても貴重な顧客になっていました。 

 エプスタインは、1987~1993年、タワーズ・ファイナンシャル・コーポレーションのコンサルタントとなっています。がんらい、この企業は、病院や銀行、電話会社から借りている人びとの債券を買いとる回収会社でした。1993年、タワーズ・ファイナンシャル・コーポレーションは、アメリカ史上最大級の「ポンジ・スキーム」のひとつだと暴露されました。タワーズ・ファイナンシャル・コーポレーションは、2025年の価値で10億ドル(1兆6000億円相当)の損失をだして崩壊しました。

 ポンジ・スキームとは、収益事業は実質的に存在せず、新規投資家の資金を既存投資家に配当としてまわすだけの出資金詐欺です。典型的な担保不詳化資産をあつかっていたといえます。

 この事件では多くの関係者が起訴され、主要幹部は20年の実刑を受けています。しかし、実質的には中枢にいたエプスタインは、助言しただけという立場で免罪にされます。担保不詳化資産が信用構造の外でうまれていたように、彼は、司法の枠外に存在するようになります。

 実権を握る超富裕層が、彼に焦点が当たることを避ける構造、「エプスタインモデル」がこの時点ではつくられていたと考えられます。

 エプスタインは、1986年、ヴィクトリアズ・シークレットの会長兼CEOのウェスクナー(1937~)と出会います。この企業は、女性用下着、婦人服、美容用品をあつかう、巨大ファッションブランドです。世界的に有名なランジェリーショーを開催していたことでも知られています。ウェスクナーは、長年にわたりオーナーでした。

 エプスタインは、1988年、J.エプスタイン&カンパニーを設立します。設立直後から1995年まで、ウェスクナー財団の理事をつとめました。1991年、ウェスクナーから委任状をあたえられ、影の財務担当者として多額の報酬を得ていたことが知られています。オーナーがランジェリーをあつかう企業だったため、モデルや若い女性との接点が急激に増加したと考えられます。この時期、世界的なタレントスカウトを自称し、若い女性たちを性的に操作したことが明らかになっています。

 ウェスクナーは、1995年にエプスタインとの契約を破棄しています。後年、不正流用があったと主張していますが、裁判沙汰にすることができなかったと思われます。

 エプスタインは、法律の埒外に存在し、「エプスタインモデル」が完成していたと考えられます。

 J.エプスタイン&カンパニーは、純資産10億米ドルをこえる顧客の資産を管理しました。表にはだせない節税、匿名管理、不正蓄財の処理、オフショア構造などを目的とする事業で、莫大な資産を運用していました。この過程で、豪邸、プライベートジェット機、カリブ海の孤島などを取得しています。

 オフショア構造とは、国家の規制、課税、監査の外側に資産や法人を移し、匿名性、節税、隠匿を可能にする「影の金融インフラ」を称します。よく知られているとおり、ケイマン諸島などが代表例です。

 まとめるなら、1995年までの段階で、エプスタインは影の財務担当者として超富裕層に支持を得るいっぽう、性的なネットワークも構築しはじめていたと考えられます。

 エプスタインは、2000~2007年まで、バミューダに法人化されたリキッド・ファンディング社の社長をつとめています。

 リキッド・ファンディングの株式は、当初、ベア・スターンズが40%を所有していました。この企業の業務については、 「ゴールド、10」で詳述しました。このファンドは、住宅ローン担保証券のなかでもリスクの高いエクイティ債や、それを再度組みこんだ CDO-squared に投資していました。 これらは、レポ取引や再担保を通じて何度も再利用され、担保不詳化資産を肥大化させていました。

 レポ取引とは、国債などの安全資産を担保として、超短期で巨大な資金を貸し借りする市場です。金利水準のわずかな動きが、大きな利益をうみだします。結果として、レポ市場は、数100兆円規模といわれる世界最大の短期金融市場をつくっています。MMF、シャドーバンク、プライマリーディーラー、中央銀行などは、ここを基盤として動いています。

 2007年4月、リキッド・ファンディングのレバレッジ比率は、17:1になっていました。この投資の償還は、取引が乏しいCDO市場から10億ドルを取り除くことに相当しました。その月の償還に対応するためにCDO資産を売却したことで、CDO市場では価格再評価と凍結がはじまりました。CDO資産の再評価により、3ヵ月後の7月にファンドは崩壊し、2008年3月にはベア・スターンズ倒産しました。ベア・スターンズのサブプライムに関する2つのファンドでの投資家への損失は16億ドルにのぼりました。 

 エプスタインは、自らがまいた災害にもかかわらず、まったく損害を受けなかった事実は特筆すべきでしょう。

 ベア・スターンズの2ヘッジ・ファンドが2007年5月に破綻しはじめたころ、エプスタインは未成年者との性行為に関する差し迫った起訴にたいして米国検察庁と司法取引の交渉をはじめていました。

 エプスタイン・ファイル、07では、リキッド・ファンディングの歴史的な意義について考察します。司法取引については、08で考えようと思っています。

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